5-2 たぶん、それだけじゃない
ルルカを連れて、再び町を歩く。
「ノワエ様は何をしているの?」
「仕事。ほら、この町に人間がいるっていう噂、知らない?」
「あ、知ってる知ってる! それの調査に来てるってことは、ノワエ様はお城の関係者?」
「城に勤務しているわけじゃないけど、淫魔たちが苦手そうなややこしい仕事が、たまに振られてくるのよ」
「おお、特命って感じで格好いい!」
「ま、とにかく邪魔しないでね」
「りょ~かいっ!」
ルルカが付いてきたところで、やることは変わらない。対象者を探して見つけて、詳細を調べて白黒つけて、また次の対象者を探して……。
辺りが暗くなるまでその作業を繰り返したが、調べられた魔族は三十人ほどだ。
まだ数えるのも嫌になるくらい残っているから、夜遅くまで頑張ったところで今日中には終わらない。このくらいで切り上げよう。
「今日は終わりにしましょう」
「ノワエ様、良さそうな宿を見繕ってあるよ。ご要望は?」
いつの間に。と思ったが、そういえば街行く人に声をかけていた。そのときに情報収集していたのだろう。
「多少高くてもいいから、最上階が広いワンルームになってること。あとあまりそういう雰囲気じゃないこと」
「なら、あっちの宿が良いと思う」
ルルカに連れられて、夕暮れの町を歩く。
中心から遠い辺境の地とはいえ、ここも色欲領だ。
日が落ちれば町は賑わい、活気があふれ、十歩歩けば淫魔が私たちを誘惑してくる。
淫魔たちをあしらいながら、立派だけどさほど目立たない、客引きをしていないまっとうな宿に入る。
「いらっしゃ~~い」
色欲領にある宿は、九割以上がそういう行為を目的とした宿だ。外見からは分からなかったが、ここも例に漏れないようだ。
そういうお店かと錯覚するほど、いかがわしい服装の淫魔が迎えてくれる。というか、流石に下は隠れる服を着ろ。
ほぼ全裸の店主に、数日泊まることを伝え、一番高価な最上階を押さえる。
「夜伽はどうされます~? 最上階の方にはもれなくサービスしてますけど~」
「いらないわ」
夜伽の確認をされるのも、色欲領ならではだ。
「お姉さんたち、けっこう私好みだったりするんだけど、もし相手が決められないのなら、私がお相手しましょうか?」
ふっと甘い香りが漂う。相手を骨抜きにしてしまう、淫魔の魅了魔法だ。
この魔族も、けっこう強めの魔法をかけてくるけど、普段から色欲の魔王を相手にしている私にはまったく効かない。
あと、なぜかルルカにも効かない。
「けっこうです」
「あら~。お姉さんたち、お強いんですね~。あ、下の階の方がけっこう激しそうな方でしたので、音漏れとか振動とかあったら言ってくださいねぇ~」
色欲領の宿は、部屋に高度な防音魔法がかけられている。
年季の入ったこの宿も、防音性能は高そうだ。
「ええ。ありがとう」
ルルカを連れて、最上階の部屋へ向かう。
この宿は五階建てで、最上階へは専用の階段を使うようになっている。
建物自体は年季が入っているが、軋むこともなく、踏み板の端まで丁寧に掃除が行き届いている。
この古さが、私の住む館と同じ雰囲気で、とても落ち着く。
やや急な階段を登りきると、木製の扉が現れる。中央には、薔薇の彫刻が施されていた。
軋む音を立てるかと思いきや、重さすら感じさせず、音もなく滑るように開いた。
部屋は一間だが、三十畳ほどの広さがあり、色欲領の宿らしく、見たこともないほど大きなベッドが鎮座している。
中心には、大きなシャンデリアが吊り下げられていて、柔らかく拡散する光が、壁や調度品に穏やかな陰影を落としていた。
棚や机、ソファなどの家具も揃っており、茶色で統一されたその色合いが、空間に落ち着いた雰囲気をもたらしている。
色欲領の宿のはずだが、淫靡な雰囲気はまったくない。
むしろ、清潔感と高級感が際立っていて、それでいて落ち着きも兼ね備えた部屋だ。
「おお、思ってたよりも良い部屋だね。ノワエ様、いかがでしょう?」
「合格」
「よし!」
私は手荷物くらいしかないし、備え付けの部屋着に着替えるにはまだ早すぎる。
ルルカは、私の身の回りの世話が必要ないとわかると、少しがっかりした顔をしてから、部屋の隅々をチェックし始めた。
「ん~。ベッドメイキングもなかなかの腕前だねぇ。おお、隅まで綺麗だね。さすが色欲領」
色欲領は宿の需要が高いため、競争率も非常に高い。
そのため、安くてクオリティの高い宿が多い。
まぁ、一部屋しかない最上階はそこそこ値が張るのだが。
「あ、ノワエ様これ見て。このタオル、けっこうマニアックな折り方してある。これね、こうやるとパッと開くから使いやすいんだよ。この折り方を知ってるとは、あの全裸の店主、やるねぇ~」
部屋を物色しながら、いろいろと説明してくれるルルカ。
知識の豊富さをアピールしているのかと思ったが、どうやら普通に楽しんでいるようだ。
普通の部屋でもクオリティが高い色欲領の最上階だ。その道のプロにしかわからないような技術が、きっとたくさん詰まっているのだろう。
一通り説明が終わったところで、ルルカのお腹が大きな音を立てて鳴った。
「あ、あはは……実は今日、何も食べてなくて」
「言ってくれれば、途中で軽食の時間くらいは取ったのに。……少し早いけど、食べに行きましょうか」
「うん、行こう。ご所望は?」
「お酒が美味しいこと。あと、店の中が健全なこと」
「じゃあ、ここから西側の通りに、お酒が美味しくて真っ当な酒場があるらしいから、そこにしようよ」
「わかったわ」
宿に着いたばかりだが、また町に繰り出す。
夜が深まってきたせいか、先ほどよりも客引きが激しくなっている。
それらを避けながら歩く道すがら、ルルカは楽しげに身の上話をしてくれた。
要約すると、人のために働くのが好きで従者になったものの、敬語が使えず、どこで働いてもクビになる、とのことだ。
「ここだよ」
ルルカが案内してくれたのは、これまた年季の入った、客引きをしていない酒場だった。
武骨で硬派な雰囲気も、なかなかに好ましい。
「あっ……」
店内に入ろうとしたところで、ルルカが突然立ち止まる。
「どうしたの?」
「え~っと。ノワエ様、一人で行く?」
「いや、お腹減ってるんじゃないの?」
ばつの悪そうな顔で、ルルカは人差し指で頬を掻いた。
「あの~。私、屋敷を一日半で追い出されたんだよね。その前も、別の町で同じくらいの日数で追い出されて……。“食事行こう”ってノリで言ったけど、持ち合わせがないことに気が付きまして……」
「あの感じだと、賃金の話を切り出すのも難しいわよね」
働いた事実があるのだから、本来は支払う義務がある。
けれど、支払う側の気持ちもわからなくはないし、魔界では下手にゴネれば存在ごと消される可能性もあるから、言い出しにくい労働者の気持ちも理解できる。
――まぁ、私だったら気にせず要求するし、相手がゴネたらわからせるだけだけど。
ルルカにそんな戦闘能力がないのは、魔力の量を見れば一目瞭然だ。
「気にしなくてもいいわよ。食事も経費で落とすから。好きなだけ飲み食いしなさい」
「本当に!? ノワエ様、大好き!」
ルルカが腕に抱きついてくるが、目立つどころか、色欲領ではごく一般的な光景だ。誰も見向きもしない。
それより私が気になるのは、並みならぬ努力をしてもついぞ手に入れられなかった、腕を包み込むふくよかで柔らかい物体だ。
一言で言うと、羨ましい。
中は思っていたよりも広く、武骨な外観の通り、内装も冒険者の酒場といった趣だ。
石造りの壁には古びた剣や盾が飾られ、木製の梁には乾燥した香草の束が吊るされている。
床は踏み鳴らされて艶を失った板張りで、ところどころに染みがあるが、それもまた歴史の一部だ。
まだ早い時間だというのに盛況で、三十席ほどあるテーブルはほぼ満席。お立ち台では吟遊詩人が何かを歌っている。
笑い声とグラスのぶつかる音、注文を通す店員の声が混ざり合い、喧騒は少しやかましい。
けれど、耳障りというほどではなく、むしろこの酒場にふさわしい活気といったところだ。
私とルルカは、偶然空いていたカウンター席に腰を下ろす。
ほどよく硬い木の感触が心地よく、背後の熱気から少し距離を取れるのもありがたい。
「なに頼む?」
壁に張り出されたメニューを眺めていると、とある酒の銘柄に目が留まる。
「お、私のお供、銘酒魔王殺しがあるじゃない。あと、つまみに枝豆をもらおうかしら」
「食事はどうするの?」
「ルルカが頼んだものを少しもらうわ。好きなもの、遠慮なく食べなさい」
「りょ~かいっ! すみませ~ん!」
ルルカがカウンター越しに、筋肉粒々のお髭のおじさん――ネームプレートに〈マスター〉と書かれている男を捕まえて、私の分と、おそらく自分の分を注文していく。
十品くらい。
「あんた、本当に遠慮なく頼むわね」
一通り注文を終えて満足そうなルルカに声をかける。
「そりゃ、ご主人様からお許しが出たので」
「……あんたがクビになる理由、なんとなくわかったわ」
敬語が使えないだけではないだろう。
マスターはすぐに、私とルルカの飲み物を持ってきてくれる。
渡すときに、隆々とした筋肉を見せつけるようにポージングするのがとても良い。
服装が、海パンにサスペンダー、そして黒いマントという実に紳士的な出で立ちで、さらに良い。
「それじゃあ、ルルカとの出会いに乾杯」
「うん、かんぱ~い!」
ルルカの頼んだカクテルに、私の酒瓶を軽く当てて乾杯する。
そして私は、お猪口に注ぐことなく、そのまま酒瓶を一気に煽った。
それを見て、ルルカが、そして近くにいたマスターまでもが驚いているのがわかる。
八十度近い酒を瓶ごと一気に飲み干せる魔族は、魔界がいかに広いといえど、そう多くはないだろう。
「ふぅ。マスター、次は魔神殺しちょうだい」
「かしこまりました。お姉さん、良い飲みっぷりですな。私の筋肉といい勝負をしていますよ」
美しいサイドチェストを決めるマスター。
「マスター、仕上がってるわね。あと、飲み方だけじゃなくて、金払いもいいわよ」
「それはありがたいことですな。すぐに魔神殺し、お持ちしますので」
マスターは言葉通り、すぐに魔神殺しと、茹でたての枝豆を持ってきてくれた。
「ノワエ様って、ざる?」
「ざるね。飲んでも飲んでも酔わないもの」
「見かけによらずだね」
「よく言われるわ。ルルカも見かけによらず、よく食べるのね」
「そうなんだよねぇ~。量が多いせいで、いつもお金が残らなくて困るんだよねぇ」
先ほどよりも数パーセント弱い魔神殺しも、瓶ごと一気に煽る。
ただし、今度は半分ほどでやめておいた。
「ルルカは、この町に滞在して何日目なの?」
「この町は三日目だね。さっき言った通り、仕事してたのは一日半」
「……切られるの早いわね」
「色欲領だったら敬語使えなくてもいけるかなーと思って、領内のいろんな町を回ったんだけど、今回で十連敗なんだよね」
「まぁ、そうでしょうね……」
「それだけじゃなくってさ、今までも……」
お酒が入って口が軽くなったのか、ルルカは自分の身の上話の続きを、先ほどよりも軽やかに語り始める。
話しながらもサラダを取り分けたり、汚れた机をサッと拭いたり、追加の注文をしたりと、気が利くだけでなく、その所作も美しい。
一朝一夕で身につくものではなさそうだ。
本人の言う通り、相当優秀な従者なのは間違いないけれど、魔界ではメンツが何よりも重んじられる。
いくら色欲領の魔族――とりわけ淫魔たちがフランクだとはいえ、敬語がまったく使えない従者は、さすがに厳しいだろう。
何だったら、今まで殺されていないだけマシと思った方がいい。
「ルルカって、色欲領には最近来たのよね。それまで、どこで働いてたの?」
「ほぼ魔界全土回ったと思うよ。行ってないのは地獄と他種族の国、あと傲慢領ぐらいじゃないかな」
「……ってことは、憤怒領でも働いたことあるのよね。よく生きてたわね」
「私、生まれも育ちも憤怒領だよ。もちろん、一番長く働いたのも」
名は体を表すというが、憤怒領はその名の通り、ちょっとしたことでキレる輩が多い。
他の領土と比べても、とりわけ力とメンツがものを言う場所だ。
そんな危険地帯の生まれで、敬語を使えないうえに、自衛も最低限しかできないルルカが生き残っているのは、正直、不思議で仕方がない。
「ルルカは、なんで従者にこだわるの? 人のために働くのが好きなら、たとえば酒場なら敬語もいらないじゃない。なんならここ、人手が足りてなさそうよ?」
店員たちは息をする暇もないほど忙しなく働いていて、笑顔の奥にほんのり疲れが見える気がする。
「酒場で働いたこともあるんだけど、ちょっと違うんだよねー。あと、セクハラが鬱陶しい」
まぁ、淫魔と見間違うほどの大きなマシュマロを備えていたら、セクハラする側の気持ちも、わからんでもない。
「私は、こう……不特定多数じゃなくて、特定の……ちょっと恥ずかしいけど、家族のために尽くすって感じで働きたいんだよね」
その気持ちは、なんとなくわかる。
私だって、大切な姉さんを助けたいから、こうして調査に来ている。
仮に、見ず知らずの魔族からの依頼だったとしたら――たぶん、受けない。
まぁ、生活のためってのもあるけど……。
「で、ルルカは、なんで私の従者になりたいの?」
「お、面接? ルルカちゃんの良いところを言って、メロメロにしちゃうよ~」
勢いは良かったものの、ルルカは少し考え込む。
「ん~。ノワエ様を見たとき、なんかビビッと来たんだよね。ノワエ様が主なら、きっと上手くいくって。私もいろんな人にお願いして、断られたことは沢山あったけど、とっさに腕を掴んで頼み込んだのは初めてだよ。そのぐらい、運命的な出会いだった」
ルルカの欠点は、敬語が使えないこと。従者なのに、友達みたいな距離感なこと。あとは、遠慮がないこと。
従者を雇える財力と、それ以上のメンツを持つ魔界の貴族相手では、絶対に上手くいかないだろう。
その点、私はメンツなんて遠い昔に粉砕処理されたし、敬語を使われなくたって、まったく気にしない。
ディースには何でも話せるけど、ちょっと堅苦しく感じる時もあるし、ルルカがいてくれると、楽しくなるとは思う。
「あと、ノワエ様は自堕落的で、誰かが支えてないといけない雰囲気を感じる」
「……ルルカ、それ、当たってるけど言わない方がいいわよ」
言わなくていいことを素直に言ってしまうのも、他所でうまくいかない原因かもしれない。
「どう? ルルカちゃんにメロメロになっちゃった?」
「保留」
「ダメかぁ~」
その後も、ルルカの話を肴に、たまに料理をつまみながら、楽しくお酒を飲む。
身の上話は、よくそんなにエピソードがあるなと思うほど話してくれたが、私が身分を隠していることを感じ取っているのか、私のことはまったく聞いてこなかった。
たぶん、四時間くらい話していたが、さすがに眠たくなってきたので、そろそろお開きにしようという話になった。
「マスター、お会計お願い」
「はい、喜んで」
今度はアブドミナル・アンド・サイのポーズで答えるマスター。
それにしても、美しい腹筋だ。洗濯ができるんじゃないかと思うほど、凹凸が深い。
お金を支払って、領収書をもらってから酒場を後にする。
姉さんは、仮に私が虚偽の申請をしても、気にせずにお金を渡してくれるだろう。
けれど、淫魔にしては細かいことを気にする側近がいるのだ。ちゃんとした領収書を提出しないと、そいつが黙っていない。
「いや~、お腹いっぱい。こんなにいっぱい食べたの、久しぶりだよ」
ルルカは、その華奢な体に似合わない量を食べた。
その養分がすべて胸に行っているのか……。
「満足してくれたようで、何よりよ」
「お食事をいただいた分、しっかり働かせていただきますので」
「宿に泊まるから、あなたの出番はあまりないかもしれないけどね」
「そんなことないと思うよ~。ルルカちゃんがいる日常を体感してもらえれば、絶対にルルカちゃんを離せなくなるから」
「期待しているわ」
私たちは他愛のない話をしながら、宿へ向かった……。
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