3-2 館の大掃除

館に戻り、ディースと別れてから、二階の自室の窓を開けて換気する。

シーツを外し、お腹にかけていたタオルケットと一緒に洗濯もの入れに放り込んだ。

布団をベランダの物干しにかけ、軽く埃を払い終えたところで、ディースが一階から声をかけてきた。


「ノワエ様、お食事の準備が整いました」

「さすがディース、ナイスタイミングね」


食堂に入ると、給仕服を完璧に着こなしたディースが朝食を持ってきてくれた。

いつもとは違い、本当に豪華な朝食だ。パンにハム、トマト、スクランブルエッグ、そして野菜がたっぷり入ったスープまである。

料理を並べ終えたディースはいつものように、私のやや後ろに立った。


「ディース。掃除をスムーズに進めるために話もしたいし、時短にもなるから一緒に食べましょう」

「……わかりました」


少し不服そうではあったが、ディースは自分の分を持ってきて、席に座る。

ディースは、主と一緒に食事をとることをよしとしない。

普通の主従関係なら、それが当然なのかもしれない。

けれど、主がニートでこれから掃除をやろうとしているくらいなのだから、気にしなくてもいいと思う。

というか、二人で話しながら食べた方が絶対に美味しいので、私は一緒に食べてほしいと何回かお願いしている。でも、ディースにとっては譲れないことのようだ。


食事をしながら、掃除の段取りを決める。

私はいつも通り、大広間とその裏にある倉庫、そして玄関を担当する。午前中で終わらせられるだろう。

食後の洗い物をディースに任せて、自分の部屋の残りをさっと片づけてから、大広間へ向かう。


「さて、やりますか」


この館の一階には、二十人ほどで踊れる大広間がある。

床には深い色合いの板材が敷き詰められ、壁も同じ木肌で静かに囲まれている。

古びてはいるものの、使われていないのがもったいないくらい、良質な素材が使われている。

天井は、二階の空間までまるごと吹き抜けになっていて、見上げると、空気が少し冷たく感じるほどの高さがある。

高い位置まで伸びる大窓から、朝の光が斜めに差し込み、床の木目を柔らかく照らしている。

天井の中央には、この屋敷で最も豪華なシャンデリアが吊るされている。

無数のガラス飾りが朝の光を受けてきらめき、床に細かな虹色の粒を落としていた。

他の屋敷や城のような豪華さはないけれど、木のぬくもりと光だけで構成された、無駄に飾り立てられていないこの空間には、静かな気品と落ち着きがある。

定期的に掃除もしているから、いつでもお客様を迎えられるだけの美しさは保たれている。

なのに、この大広間を使うような案件はなく、この数十年間、一度も使われたことがない。

ただ静かに、掃除され続けているだけだ。

昔、まったく使わないのももったいないと思って、知り合いを集めて立食会でも開こうかと考えたことがある。

けれども、私の知り合い――主に淫魔たちをこんなところに集めたら、どんな結果になるかは目に見えている。

そんなわけで、私主催の社交界は一度も行われていない。

もちろん、前回の掃除から一度も使っていないのだが、一か月以上も経てば、それなりに汚れてくる。


「使っていないのに埃と汚れが溜まるのは、なんでなんだろ。お金も一緒に溜まればいいのに」


そんな愚痴を言っても何も始まらないので、まずは柄の長いモップで窓を拭いていく。

魔法で掃除用具を一斉に操ることもできるが、窓ガラスを割らず、かつ綺麗に仕上げる絶妙な力加減で操作するのは難しい。

多少の時短にはなるけれど、複数の物を魔法で動かすのはとても疲れるので、魔法には頼らない。

拭いた窓から順に、下のガラス板を取り外して、換気をしていく。

この大窓は、上の方こそはめ殺しになっているが、私の身長――百五十センチくらいまでの高さなら、取り外せるようになっている。

外すたびに、「窓の縁が細いのによくこんな機構にできたな」と思う。

内側の窓を拭き終えたら、表に回って、同じ要領で外側の窓も拭く。

無駄に広いし窓も大きいので、これだけでもかなりの重労働だが、掃除はまだまだ終わらない。

中に戻ってきて、今度は水魔法を展開して床を濡らす。

壁に絵画などは飾られていないので、多少雑に水を撒いても大丈夫なのが救いだ。

端に溜まった埃や汚れは、少し強めの水魔法で吹き飛ばしてしまう。

そのあとにモップ掛けを始める。これについては、大広間を走り回りながら掃除できるので意外と楽しい。

私が率先して大広間の掃除を受け持つ理由の一つだ。

拭き上げは、風と炎の魔法を組み合わせて水分を飛ばしながら、ある程度乾燥させる。

色欲領は年中カラッとしていて気温も高いし、今日は風も心地よく吹いてくれているので、窓を外しておけば、多少水分が残っていても自然と乾く。


次は、この大広間の裏にある物置だ。

大広間よりも数段質の落ちる木材が使われていて、劣化が早く、歩くたびにギシギシと音が鳴る。中は薄暗いので、お化け屋敷みたいだ。

本来は、パーティ用の机や椅子を置いておくスペースなのだろう。

かなり広い物置だが、今では外用の掃除用具くらいしか置かれていない。

ここは風通しが悪いので、うかつに水を撒くと端に湿気が残ってしまう。

木が腐る心配もあるし、そこまで綺麗にする必要もないので、外に繋がる扉を開けて空気を入れ替え、箒と塵取りでさっと埃を集めて外に捨てる。


物置が終わったので外用の掃除用具に持ち替えて外に出て、玄関へ向かう。

掃除は上から、の基本ルールに則って、扉の上にあるランタンを拭き上げる。

このランタンは、辺りが暗くなってくると自動で灯ってくれる便利な魔法道具だ。

こういった魔法道具類は、たいてい水晶に魔法を書き込み、そこに魔力を込めることで動く。

もちろん、このランタンにも水晶が内蔵されている。魔力が少なくなっていたのでついでに補充しておく。

続いて、玄関の扉を別の雑巾で拭く。

扉は両開きで、厚みのある木材に鉄の装飾が打ち込まれており、そこに薔薇の紋章が刻まれている。

床は外壁と同じくレンガ造りで、元は白色だったが、今ではすっかり灰色になってしまった。

そこに大広間と同じ要領で水を撒き、少しでも元の白さを取り戻せるようにブラシでゴシゴシと擦る。

けれど、変色したレンガは、どうやら白い輝きを取り戻す気はないようだ。

浮き出た汚れを水魔法で洗い流してから、風魔法でさっと乾かし、あとは自然乾燥に任せる。

二人で生活するには無駄に広い玄関の掃除を終えると、ディースが洗濯物を持って出てきた。


「洗濯物は私がやっておくわ。大広間と物置、それからここも終わらせたから、中をお願いできる?」

「かしこまりました。ありがとうございます」


ディースから洗濯物を受け取り、外に設置された金属の箱に放り込む。

内側には洗濯板のような凸凹が取り付けられていて、水魔法で渦を作りながら、その凹凸に擦りつけて服を洗う。

どこかの世界にあった、自動で洗濯物を洗う箱から着想を得て開発したものだ。

酷い汚れに対しては手洗いするしかないが、ある程度の汚れならこれだけで綺麗に落ちる。

洗い終わったら服を取り出し、風魔法でさっと乾かしてから物干しに吊るしていく。


(ディースって、意外ときわどい下着を履くのよね~)


自分で買ったものではなく、イレアナ姉さんからもらったらしいけれど、普段から履くことに抵抗はないみたいだ。

風が強くなってきたから、洗濯ばさみも忘れない。

我ながら素晴らしい段取りで掃除が進んでいる。

鼻歌交じりに館へ戻り、台所にいるディースに声をかける。


「終わったわよ」

「かしこまりました。お昼のお食事を準備していますので、少しお待ちを」


“食事”という単語に反応したのか、私のお腹がまた大きな音を立てる。

ディースがくすくすと笑った。


「もう少しお待ちくださいませ」


言われた通り、食堂でディースの料理を待つ。

ほどなくして、少し脂っこい香ばしい匂いが漂ってきた。私の胃が勝手に準備を始める。

ディースの料理は、どんな強力な魔法よりも確実に効く。

食事をねだる口と胃を必死になだめつつ待っていると、ディースがビーフシチューとサラダを一人分持ってきた。

煮詰まったソースの濃厚な香りが、空腹を刺激する。

すぐに箸を進めたいところだが、その前にディースに一緒に食べようと合図を送る。

すると、やはり少し躊躇ってから、自分の分をそっと持ってきた。


「いただきます。ディースの進捗はどう?」

「ノワエ様のお陰で、とても順調に進んでいます」

「力になれているみたいでよかったわ。お昼からは、どういう分担にする?」

「私は最低限掃除をしないといけない、二階の客間と一階の廊下を担当します。終わり次第、庭の手入れを行うつもりです」


森の中にあるこの洋館の、どこまでが庭なのかという問題はあるが、ディースはこまめに手入れをしている。

というのも、森の中だからか雑草が伸びるのがとにかく早く、二、三週間放っておくと、森が玄関までやってきてしまうからだ。


「ノワエ様にお願いしたいのは、魔法の研究室です」


少し語気が強いディース。


「あ~。そろそろやらないといけないわよねぇ~」


私の趣味は魔法の研究開発だ。

ひとたび作業を始めると、三日三晩寝ないこともあるくらい、つい没頭してしまう。

そして当然、片付けは後回しになる。今も部屋のいたるところに物が乱雑に置かれている。


「お気持ちは察しますが、定期的に行っていただかないと……」

「そうね、もう何年もまともにやってないし」


魔法の研究室は、事あるごとに掃除をしようと試みるのだが、たいてい読みたかった本を発掘して、読んで、いつの間にか研究に移行してしまう。

だから、相当な気合を持って取り組まないと、絶対に進まない。

でも今日なら、珍しく早起きできて、体調も完璧な今日なら、できる気がする。


「食事が終わったら、さっそく片づけを始めるわ。見てなさい、今日こそ研究に足元をすくわれないわ」

「そう言って毎回、新しい魔法ができるではありませんか」

「それはそれでいいじゃない。ディースだって生活が便利になったでしょう」

「便利にはなりましたが、豊かにはなりません」

「ぐっ……鋭いことを……」


魔法の開発は、それが色欲領にとって有用であれば、姉さんが謝礼金をくれる。

とはいえ、謝礼金がもらえるほど優れた魔法を開発できることなんて稀だし、そもそも魔力が無尽蔵にある私基準で作るから、一般魔族が使えるような魔法は少ない。

先ほどの洗濯物の魔法、というか箱なんかは、珍しくお金がもらえた例だ。


「ご馳走様。じゃあ、さっそく片づけを始めるわ」

「期待しておりますねー」


めちゃくちゃ棒読みのディースを置いて、魔法の研究室に向かう。

数日間換気していない、夏特有のむっとした埃っぽい空気が迎えてくれる。


「改めて見ると、我ながら汚いわねぇ」


この部屋は、もともと隣り合っていた二つの部屋を改造して繋げた大部屋だ。

それなりに大掛かりな工事だったが、初めての割には綺麗に仕上がったと思う。

そんな思い入れのあるこの部屋も、今では出入り口と机の周り以外、足の踏み場がない有様だ。

本棚から引っ張り出した資料は開いたまま机の端に積み上がり、使いかけの魔道具は床に転がり、魔力の残滓と埃が空中にふわふわと漂っている。

この部屋に入る時は、“魔法の研究をする”というつもりで来るから気にならないが、こうして掃除のために入ると、改めてその汚さに目が行く。


「とりあえず、換気からしますか」


足の踏み場を慎重に探しながら、部屋のカーテンと窓をすべて開けて、風と日の光を入れる。

風が入ると、カーテンがふわりと広がり、部屋の空気が少しだけ軽くなる。埃の匂いの奥に、草の匂いが混じった。

部屋が明るくなると、混沌さがより際立つ。研究の熱と軌跡を物語っているようで、少し誇らしくもある。


(まずは机から片づけるか)


机の上に散らばっている水晶や本を一度どけて、持ってきた雑巾で拭きあげる。

埃以外にもいろいろなものがこぼれているのだろう、雑巾はすぐに真っ黒になった。

どけた本が、直近で必要になりそうなものか確認する。

必要そうなものは机の端に置き直し、使わなさそうなものは近くの本棚に戻す。

本の並びを整えることを考え始めると進まなくなるので、入るところに押し込んでしまう。


「さて、次はどこに手を付けようかしら……」


机は本ばかりだったので、すぐに綺麗になったが、問題はここからだ。

床に散らばっている物は多種多様で、どこに片付けるべきかのほかに、必要か不要かの判断もしなければならない。

それに、埃をかぶっているものも多いから、まずは拭いてから片づけないと、今度は棚のほうが汚れてしまう。


「とりあえず、手前にある本から手を付けていくか」


本は、とりあえず本棚に押し込んでしまえば整頓された風に見えるから、他の片づけよりずっと手軽だ。

本の山に手を伸ばし、ぱらぱらと中身をめくって、すぐに使わなさそうであれば本棚に戻す。

町にある怪しい魔法店で仕入れた古い本たちは、背表紙が書かれていなかったり、擦り切れていたりして、タイトルがわからないものが多い。

そのため、いちいち中をめくらないと内容がわからない。


(あ、これ探してたやつだ……)


適当に開いたページには、待ってましたと言わんばかりに、先日探していた内容が記載されていた。

こうなったら、読まないわけにはいかない。少しだけ読んで、片づけに戻ろう。

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