1-4 クラシカル野盗

食品街へ向かう途中、男の叫び声が聞こえる。声の方へ目を向けると、リヤカーいっぱいに野菜を積んだおじさんが、今時逆に珍しい、ボロ布と斧という典型的な賊スタイルの男たちに絡まれている。

おじさんはリヤカーの前に立ち、野菜を守ろうとしている。ちらりと見る者はいても、誰かが助けに入る様子もなければ憲兵の姿もない。

魔界では力がすべて。弱い者が奪われるのは当然という考えが根付いている。一応、そういったことを取り締まる法律もあるけれど、機能はしていない。憲兵ですら見て見ぬふりをする者がいるくらいだ。

とにかく、命が惜しければ厄介ごとに関わらない――それが魔界で生きる者の鉄則だ。

私もおじさんの生死には興味がない。けれど、リヤカーいっぱいの美味しそうな野菜には大変興味がある。


「よし、決めた」


誰も関わらないなら、むしろチャンスかもしれない。私は臆することなく近づき、おじさんに声をかける。


「おじさん、こいつら追い払ったら野菜を分けてもらえるかしら?」

「なんだお前?」


賊が何か言ってきたが、彼らに用事はないので完全に無視する。


「で、おじさん、こいつら追い払ったら野菜を分けてもらえる?」

「い、いいぞ! 好きなだけ持って行ってくれ!!」

「なんだ、ねーちゃん。俺らに楯突こうってか?」


恐らくボスと思われる、ガタイの良いモヒカン男が睨みを利かせてくる。魔力を測ってみると下級魔族程度しかない。私からすれば、赤子も同然だ。


「あんたらを蹴散らしたら野菜がもらえるみたいだし。やる以外の選択はないでしょ」

「ボス。この女、胸はないけど結構可愛いっすよ。売れるんじゃないですか?」

「あ? 誰がまな板ですって? ぶっ殺されたいのかしら?」

「いいねぇ。強気だけが取り柄のバカ女を立派な性奴隷に調教してやるか」

「あんたにできたらいいわね」


男たちが斧を振りかざしてくる。先ほど倒した熊よりもさらに遅くて弱い攻撃を、必要最低限の動きでかわす。

指一本でも使えばすぐに仕留められるが、そんなことをすれば大事になりかねない。色欲領内で大きなもめ事を起こせば、姉さんのメンツを潰す可能性もあるし、できれば手を出さずに終わらせたい。

そのため、攻撃が当たりそうで当たらない動きで翻弄していると、十分ほどで男たちはバテてきた。


「クソアマが! 避けるだけに専念しやがって!!」

「あら、もう終わりなのかしら? ガタイは良いけど、遅くて体力もないのね」

「くそが!!」


モヒカン男が斧を振り回す。が、当たらない。野菜にも通行人にも影響が出ないように、攻撃を誘導する余裕すらある。

ボスはさらに十分ほど粘ったが、ついに膝をついた。


「終わりでいいかしら?」

「くっ……そが……」

「ほら、あんたたち。実力差はわかったでしょ。さっさとこの男を連れて帰ってくれない?」


私がそう言った瞬間、賊のひとりが顔を真っ赤にして吠えた。


「う、うるせぇ! このまま引き下がれるか!!」


そして、怒りに任せて弓を構え、矢を放つ。

う~ん。少し困ったことになった。私が避ければ後ろの子供に刺さりそうだ。

解決策は色々あるが、面倒になった私はそのまま棒立ちで、左胸に矢を受ける。刺さることはなく、まるで岩に当たったかのように、乾いた音を立てて地面に落ちた。


「ひっ……!」


賊たちは一斉に青ざめた。そりゃそうよね。生身の魔族に撃った矢が跳ね返るなんて、常識が崩れる瞬間だろうし。


「化け物だ!! ボス、ずらかりましょう!!」

「お、覚えておけよ……!」


悪党らしい捨て台詞を残して、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。ああ、やはりこの手の輩は逃げ足だけは立派だ。


倒した賊どもの姿が見えなくなったところで、おじさんに向き直る。すると――


「あら、ディースじゃない」


おじさんの真後ろに、いつの間にかディースが立っていた。


「ひぃっ!!」


気づいていなかったらしく、おじさんは腰を抜かしてその場にへたり込む。まるで幽霊でも見たかのような顔。まぁ、似たようなものかもしれないけれど。


「ちょっとちょっと。別に取って食おうってわけじゃないから。てかディース、いつから居たの?」

「ついさっきですよ。確かノワエ様がこちらの方と野菜をもらう交渉をしたところぐらいですかね」

「初めからじゃないの。あんた、主を助けるとかそういう気持ちは無いの?」

「ありますが、食材を守るのが私の仕事でしたので、物陰に隠れておりました」


そう言って、ディースはたんまりと食材が詰まった麻袋を持ち上げる。


「で、ノワエ様。ここにある野菜は全部持って行ってもいいのですよね?」

「悪魔かお前は」

「お褒めいただき光栄です。では失礼して……」


おじさんは、私たちのやり取りを泣きそうな顔で見ている。けれど、実力差が分かっているからか、何も言わない。

沈黙は、時に最も賢い選択となる。


「やめなさい。あ、おじさん、大丈夫よ。必要な分しか持っていかないから」


一応ちゃんと働いたし、報酬として必要な分は遠慮なくいただく。と言っても、私たちが一週間で食べる量なんて知れているけど。

ちゃんとおじさんに確認も取ってから、麻袋に野菜を入れる。私たちがまとも、というか魔界では稀有な優しい魔族だと伝わったのか、おじさんもようやく立ち上がり、野菜のアレコレを教えてくれる。


「一時はどうなるものかと思ったけど、嬢ちゃんたち、ありがとうな」

「ええ。私たちこそありがとう。お金が浮いて助かったわ。あまり意味はないかもしれないけど、出来るだけ大通りを歩くようにしなさいよ」

「……ああ、そうさせてもらうよ。じゃあ、本当にありがとうな」


一礼をして、おじさんはリヤカーを引きながら、食品街の方へと去っていった。


「ノワエ様、お仕事お疲れ様です」

「仕事かどうかは怪しいけどね。とにかくお腹が減ったわ。早く帰りましょう」


足早に町の門を目指し、またやたらとしつこいが何も調べられない検問を抜けて来た道を戻っていく。


日が西の空に沈みかけ、空は茜と群青の境目を曖昧に染めていた。けれど、森の中はそんな空の移ろいとは無縁のように、すでに夜の帳が降りていた。木々は黙して立ち並び、枝葉の影は地面に長く、細く、まるで誰かの記憶を引きずるように伸びている。

風が吹けば葉は囁くが、鳥は鳴かず動物の動く音も聞こえない、静寂の世界が広がる。踏みしめる土は冷たく、湿り気を帯びていて、靴の裏に絡みつくようだった。森の奥に進むほど、光は遠ざかり、世界は黒で塗りつぶされたような色合いに変わっていく。

しかし時折見える空はまだ茜色をしていて、夕方と夜が交互に訪れているような感覚になる。

行きと同じく、襲い掛かってくる魔物を切り伏せながら我が家に戻り、玄関をくぐったところでディースが話しかけてきた。


「そういえばノワエ様、先ほど胸に矢が当たっていましたね」

「ええ。そうね。でも、あんな弱いやつが撃ってきた矢なんてダメージにならないわよ」


これでも魔王族だし、最強の魔王という自負もある。魔法なんて使わなくても素の肉体が十分に強靭なのだ。


「さすが、自他ともに認める鉄壁のまな板は伊達ではありませんね。私はとても柔らかいですから、ノワエ様と違って矢が突き刺さっていましたよ」


ディースはその高い身長に見合ったプロポーションを持っている。そしてそれをこれ見よがしに寄せ上げて、明確に悪意を持って煽ってくる。


「よ~しディース。歯を食いしばれ~」

「あら、ノワエ様。私の機嫌を損ねたら夜ご飯はありませんよ」

「ぐっ……。いつも生活を盾に取りやがって……」


決して作れないことはないけれど、料理の腕に自信はないし、何よりディースの料理は美味しい。それが食べられなくなるのは、損失以外の何物でもない。

それに私だけだと館の管理ができない。家事のスペシャリストであるディースですら、この洋館のすべてを一人では回せていないのだから、ド素人の私が対応できるわけがない。

ここはぐっと堪えて、王らしく冷静に、理不尽と向き合わなければいけない。


「わかったわよ。食事の準備をお願い」

「かしこまりました。ではすぐに取り掛かります」


そう言って一礼し、ディースは音もなく台所へと消えた。

私はその背を見送りながら、自分のなけなしの尊厳よりも、日々の生活の方がずっと大切なのだと、静かに認めることにした……。

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