第21話 【前日譚】八尺瓊勾玉
むかしむかし、出雲のくにの山あい、横田の郷というところに、テナダとアシナダというおじいさんとおばあさんがおりました。ふたりは八人の娘に恵まれまして、この娘たちがそれはもう、みなそろってやさしくて、うつくしい娘たちに育ちました。
ある年の春、家族そろって、湯治に出かけることになりました。向かった先は、玉湯の郷。あたたかな湯がこんこんと湧き出る、神さまの恵みの地でございます。
娘たちはうれしそうに湯へ浸かり、笑い声をあげてはしゃいでおりましたが、いちばん上の娘、サダナダだけは、ひとり郷の中にある玉作湯神社で腰を下ろして、じっと空を見上げておりました。
そのとき、神社の木陰に、ひとりの男がたたずんでいるのに気がつきました。白いひげをたくわえ、目にはどこか悲しげな光を宿しておりました。
玉湯の郷の玉造部――玉祖命(たまのおやのみこと)でした。
「おぬし……この空になにか感じるかの?」
不思議と怖さを感じないまま、サダナダは静かにうなずきました。
「はい……なにか、遠くのほうで黒い雲が近づいているような、そんな気がするのです。」
玉祖命は目を細めてうなずくと、懐から小さな勾玉を八つ取り出しました。赤いもの、青いもの、白いもの……どれも小さく、けれどなぜか、ぬくもりを感じさせるものでした。
「これは、わしがつくったものじゃ。おぬしと、おぬしの妹たちに渡しておきたい。これはただの飾りではない。願いを込めて大切にすれば、人の祈りに少しだけ応える力を持っておる。」
サダナダは、思わずその勾玉を見つめました。
「どうして、私たちに……?」
玉祖命は、少しだけ空を見上げると、ぽつりと言いました。
「おぬしたち八人、まるで八つの星のように、美しく、仲睦まじい。じゃが、その光を陰らせるような何かが近くに迫っておる気がしてな……。じゃが、わしにはそれを晴らす力がない。これくらいしかできぬ……願わくば、ほんの少しでも、おぬしたちを守ることにつながればと思うてのう。」
そう言い残して、木陰の中に姿を消していきました。
サダナダは、八つの勾玉を胸元に大切に抱えました。
この時は知るよしもなかったのです。姉妹に忍びよる黒い災いが、どれほど大きなものであるかを……。
その年の秋、秋の収穫を祝う祭りの支度が横田の郷でもにぎやかに進められていました。村のあちこちから太鼓の音が聞こえ、村中がにぎわいに包まれております。
けれども、そのにぎわいの裏で、ひとつの家の奥座敷では、八人の姉妹が静かに顔をそろえておりました。
長女のサダナダがそっと布包みを広げると、中から現れたのは、色とりどりの勾玉が八つ。それぞれ大きさも色もかたちも違う、小さくても不思議なあたたかさを宿した玉でした。
「これはね、このあいだみんなで一緒に玉湯の郷へ湯治に出かけたときに、玉作湯神社でお会いした玉祖命さまからいただいたものなの。」
と、サダナダはゆっくりと話しはじめました。
「玉祖命さまは、私たち姉妹を見て、こうおっしゃったの。『おぬしたち八人は、まるで八つの星のようじゃ。しかしその光を陰らせる何かが迫っている気がする。わしにはそれを晴らす力はないが、せめてこれだけは――』と。」
姉妹たちは、顔を見合わせて静かに耳をかたむけます。
「これはただの勾玉ではありません。日々、心をこめて祈りを込めていけば、いずれ大切なものを守ってくれる力となるそうです。だから、みんなで一つずつ持っていて。私たち姉妹が、いつまでも仲良く、笑って過ごせますようにって、祈っていきましょう。」
そう言って、サダナダは勾玉を一つずつ、妹たちに手渡していきました。姉妹たちは目をうるませながらも、にっこりと笑い、勾玉を大切に胸に抱きました。
クシナダも、柔らかな桃色の玉を手のひらに包みながら、小さくうなずきました。
「うん、みんなでずっと仲良く暮らそうね。」
――それが、八つの勾玉に祈りが宿りはじめた、最初の夜のことでした。
それからしばらくして、仁多郡に八岐大蛇が出現し、さんざん暴れまわった挙句にとうとう最初の生贄を指名してきたのです。
名を呼ばれたのは、長女・サダナダ。
村中が悲しみに包まれ、両親をはじめ村の者たちは何度も大蛇に頭を下げて許しを請いましたが、大蛇は「差し出さぬなら滅ぼすまで」と話を聞くことは無く、村の者たちはただただ泣くばかりでした。
その夜、ひとり縁側に座ったサダナダは、胸元から勾玉を取り出して、そっと見つめました。
「……やっぱり、玉祖命さまはこのことを見通しておられたのですね。」
そうつぶやくと、ふと妹たちの顔が浮かびます。
「このままでは、みんなが犠牲になってしまう。なんとか命を繋ぐ手立てを考えないと……。みんなに、勾玉のことをもう一度伝えなくちゃね。……私の願いが、この勾玉に残りますように、……どうか……せめて妹たちをお守りください……。」
夜風に乗って、小さな祈りが空へと昇っていきました。
それが、姉妹の祈りが本当の力を持ちはじめた瞬間だったのかもしれません。
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