第57話

「淋しいなぁ……。ほんと人って、孤独に向いてない生き物ね」


 クロエの穏やかな声だけが響く。

 ウォルターはレイラの隣に立ち、彼女の手を握った。

 握り返してきたレイラはウォルターの肩に顔をうずめた。

 共感しない自信がある彼女にとってその行為は、ウォルターを安心させる為のものなのだろうか。


「でもよかったなぁ。お兄ちゃんとの約束破らなくて」


 霧に包まれたクロエは微笑んでいるように見える。

 直後、躊躇うことなく後ろに傾いた体は、一瞬のうちに見えなくなった。

 悲鳴も、落下の衝撃音も聞こえない。

 何事もなかったかのように、静寂が訪れた。


「……帰ろう」


 そう言って、終わったことを知らせるとレイラは顔を上げたが、首を横に振った。

 繋いでいた手が解かれる。


「私は、トビーを見殺しにした」

「レイラ、それは――」

「違うなんて言わないで。これが真実なんだから。まだ息があったのに助けられなかった……その事実を受け止められなくて、都合よく記憶を書き換えてた。でも……」


 俯いて、言い淀みながらも続ける。


「でも、ずっと……トビーの、犯人への殺意だけが……」

「レイラ、俺の目を見て」

「無理……知りたくない……っ」


 レイラは、視線を合わせようとしない。きっと、怯えているから……。


「……あんたの、私を見る目が変わってる……変わったことに気づくのが怖いの。あんたがどんなに誤魔化そうとしても、私には嫌でも伝わる」

「……あの日、俺が来た時には、兄さんはもう死んでた。それは確かだ。もしもレイラがすぐに救急車を呼んでても、あんな状態であんな場所じゃ手遅れだった。どうしようもなかったんだよ」


 トビーを見殺しにして、ウォルターを襲った。それがレイラの真実。

 変えられない過去を、この先ずっと背負っていく。


(そんなの、絶対に駄目だ)


 自分にできるだろうか。レイラの真実を塗り替えることが。

 彼女の心を少しでも癒すことが――


「大丈夫」


 思わず口から出たのは、きっと無責任で逃避的な言葉だが、嘘偽りのない願いだ。

 華奢な肩を引き寄せて抱きしめるとレイラは抵抗したが、腕の中に閉じ込めた。


「大丈夫だよ」


 どれくらいそうしていただろうか。やがてレイラが離れようとするのを感じて、背中に回していた腕を緩めた。

 レイラは躊躇いがちに顔を上げると、不安そうな顔でウォルターの瞳をじっと見つめた。


「俺が君を恨むとでも思った?」

「……どうして変わらないの? ずっとそう……殺しかけても、私から逃げない」

「うーん、なんでだろうね……変態だからかな?」


 以前レイラに言われたことを冗談めかして言ってみると、予想通り睨まれた。


「君、言ってただろ。自分を殺そうとした相手に好意を抱くのは変態だって。二度も殺されかけて、それでも俺は、君に惹かれてる」

「……三度よ」

「そうだったね。なかなかない再会の場面だった……まぁ、人はそう単純じゃないってことかな」


 きっと納得していないだろうが、あまり気にしないことにした。

 伝えたいのは理屈ではないのだから。


「ていうか、むしろ感謝してるんだ。レイラが兄さんの言葉を聞いて行動したおかげで真実がわかって、俺は兄さんのことに向き合えた」


 レイラは複雑な表情を浮かべながら、ウォルターのジャケットをぎゅっと握りしめた。


「あんたのこと、子犬みたいにつきまとってくるって思ってたけど……執着してるのは私のほう。優しさにずっと甘えて、こんなことに巻き込んで……」


 弱弱しい声で気持ちを吐き出すレイラの潤んだ瞳を、ウォルターは優しく見つめ返す。


「私はっ……あんたを殺したくない……っ! ……人殺しにも、したくない……」

「知ってるよ」


 いつの間にか、朝霧は少し薄くなってきていた。

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