第49話

「今朝ね、ホテルの従業員からレイラが戻ったって聞いて会いに行ったの。そしたら、店長がレイラを銃で脅してたからびっくりしちゃった。車でどこか行っちゃって困ったけど、あの人ならここかなって。わかりやすい人で助かったよ」

「私のこと警察から聞いたなんて、変だと思ってた」


 ウォルターの家を出てまだ数時間だ。クロエの行動がストーカーじみているということを加味しても、いくらなんでも早すぎる。

 クロエは残念がってため息をついた。


「せっかくの再会だから、まずはもっとじっくり愛を育みたかったんだけどなぁ」

「ふざけないで」

「ふざけてなんかないよ。わかってるでしょ? 予定よりは早くなっちゃったけど……」


 殺人を認めたも同然なのに、両手を胸に当てる仕草が、清らかな乙女のように見える。


「私とても嬉しいの。レイラに私の秘密を打ち明けられて。その綺麗な瞳で、こんな風に私だけを見てくれるのを夢見てた」


 うっとりと告げる彼女には、まるで銃口が目に入っていないようだ。


「……店長とグルなの?」

「いいえ、あの人は関係ない。守り神の存在をただ純粋に信じて、あなたを裁いてもらおうとしただけ。可哀想に、啓示が見えるそうよ」


 おそらく店長はあの実の毒に侵されている。幻覚が見えているのだろう。

 不意にクロエの表情が曇ったが、感情の変化はあまり感じない。


「ごめんなさい……黒い霧が見えるなんて嘘ついて。私たちの運命を感じてほしかったの」

「私とあんたの間に運命なんかない」


 強い口調で言い切っても、伝わっている気がしない。


「ウォルターのことが好きなの?」

「……なんでウォルターがでてくるの」

「無理よね。あなたは彼を殺そうとした」

「それはっ……」


 見られていた。あの日、ウォルターの首を絞めているところを……。


「わかってる。トビーのせいよね」


 クロエから感じる違和感の理由がわかった気がした。

 レイラが自分に銃を向けているのは、トビーの殺意に共感しているから……それだけだと思っているのかもしれない。


「仕方がないって慰めてくれるの? シリアルキラーに言われてもね」

「もちろん慰めてあげたい。でも、シリアルキラーっていうのはやめてほしいな。だって、私は救ってあげたんだから」


 救う。異常者の思考は理解不能だ。だがそんなクロエから見たレイラもまた、人を殺めることができる同類なのだろう。


「レイラだって、共感のせいで殺そうとしただけだけど……でもね、いくら彼が従順だからって、自分を殺そうとする人と一緒にはいられない。わかるでしょ?」

「……あんたの言葉が、こんなにも響くことがあるなんてね」

「私は彼とは違う。前に言ったよね。レイラがどんなに狂っても、私は愛し続けるって」


 こっちの気持ちなどお構いなしに、愛だの運命だのと軽々しく口にできることを、ほんの少し羨ましく思う。


「そういえば、どうして広場で毒なんか……私が止める前にも配ってたの?」

 話題を変えるとクロエはきょとんとしたが、ややあって「いいえ」と首を横に振った。


「あの実を入れたのは一個だけ。だってレイラ、あの子のこと鬱陶しがってたでしょ」

「……あの子?」

「べつに殺そうとしたわけじゃない。ダイナーで騒がなくなればいいと思っただけ」


 そう言われて、はっとする。あの時、クロエが毒入りのイチゴタルトを渡そうとしていた相手は、レイラがダイナーで二度共感した少女だった。

 ウォルターとパンケーキを食べているところを盗み見ていたのだろうか。


「あなたの為にやったの」

「このクソ女……」


 抑えていた怒りが湧き上がる。


「トビーもそんな目をしてた。死にたがってたのに、私を恨みながら死んでいったの」

 クロエは悲しげに目を伏せた。その感情に嘘はない。


「彼は死にたがってなんてなかった」

「みんな、普通じゃないことに耐えられない。だから助けてあげたの。お父さんのときみたいに、凄く辛そうだったから。でもあなたは違う。狂ってるのに、平気だもの」


 ぱっと表情が晴れる。鬱陶しい〝愛〟に、レイラは眉を寄せる。


「父親が最初なの?」

「違うよ。……お父さんはね、この森が大好きで、この森に呪われてたの。よく言ってたな、見えるって……ほら、さっきレイラが言ってた、変な霧」


 黒い霧については伝承を調べれば知ることができるが、クロエはきっと、レイラを信じさせる為に父親から聞かされていた話を利用しただけなのだろう。


「いつも悲しみに囚われてた。……ダニエルは駄目だ。でもお前になら頼める。そう言ってた。子どものことをよく見てる父親だった。私なら、目の前で父親が死んでも大丈夫だってわかってたのね。受け入れられるし、止めたりしない」

「やっぱり殺したんじゃない」

「丁度今頃の季節だった。ここで、最期の時を一緒に過ごしてほしいって頼まれたの。自宅で死んで惨めな自殺者だと思われるより、この森で失踪者になりたいって。それじゃあお墓もなくて、淋しいのにね」


 大切な思い出を懐かしむように、父親の自殺の経緯を話す。

 父親の失踪は九年前。自殺が本当だとしても、クロエはそれを受け入れて、翌年にはトビーを殺害した。

 当時、彼女はまだ十七歳だ。


「お父さんが大好きな森の中で、ゆっくりティータイムを楽しんでから、お父さんが自分で手首を切った。私は頼まれて、腕を縛っただけ。それから、悲しみから解放されるのを見届けて、埋葬したの……」


 クロエの話は、トビーの殺害現場を想起させる。

 オオカミ男……いや、クロエは、トビーの向かいに座っていた。

 両手首から血を流して、死を待つだけの被害者を、ただじっと見つめていた。

 いったいどんな気持ちで――


「レイラ。あなたなら、私の気持ちわかってくれるよね?」

 理解なんてできないし、したくもなかった。


「そうやって……いったい何人殺したの?」


 答えを聞く前に、再び辺りが黒い霧に飲み込まれていく。

 クロエの姿が遠のく気配を感じた。


     ◇ ◆ ◇


「ねぇ、もうすぐレイラの誕生日だよね。なにか欲しいものある?」


 レジャーシートを広げながらウォルターが切り出した話題に、少し困ってしまった。

 そんなことを訊かれたのはいつぶりだろうか。

 いつからか両親ですらレイラの扱いに困って、家族の会話も減ってきていたから。

 しばらく考えてから、私だけのものが欲しいと無茶ぶりをした。

 ただ本音が漏れただけか、無理難題を押し付けて困らせてみたかったのか――


「君の目はすっごく綺麗だ。宝石みたいで、すっごく特別だよ」


 あの日、彼はまっすぐな目で、心でそう言った。

 今でも時々思い出す。というより、忘れることができない。

 誕生日当日、ウォルターは小さなラッピング袋を差し出してきた。

 子どものお小遣いで買うには少し躊躇しそうな、安っぽくないロケットペンダント。

 よく見ると、丸い木製のペンダントトップに彫られた花模様は、明らかに素人の出来だった。


 レイラにペンダントを渡す時、いつも穏やかなウォルターの感情が落ち着きなく揺れていた。

 少し特別な彼の感情が、ずっとずっと、自分だけのものになればいいのに。

 他人の感情なんて知りたくないはずなのに、ウォルターの感情を知りたい。

 その考えがとても恐ろしいものだと、十一歳のレイラはよく理解していた。

 だから、消し去ってしまうことにした。

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