第28話
「演劇に出るって……そんなの駄目だよっ!」
夜の十時を回って、やっと帰ってきたかと思うと、レイラはとんでもないことを言い出した。
「なによ、珍しく大きい声だして」
温め直した料理を食卓に並べながら、レイラの様子を窺う。
席について台本をパラパラと捲っている彼女は、いかにも興味がなさそうな目をしている。
伝承を題材とした脚本というのが余計に心配だ。
「……どういう役なの?」
「霧の森から生還した恋人」
「……いいの? そんな役……」
「ただの芝居よ」
いくらなんでも直前過ぎると思ったが、上演時間は20分と短いもので、出番はラストシーンだけらしい。
帰りが遅くなったのは、またホテルの部屋を借りてそこで練習してきたからだそうだ。
(ひとりにさせるのが不安だから泊まってもらってるのにな……)
「レイラがよくても、俺は心配だよ。そんな目立つことして犯人に気づかれでもしたら……」
「あ~……それについては、もう手遅れかも」
「え……?」
閉じた台本をテーブルの端に置くと、隣に立つウォルターにスマホの画面を見せた。
被写体がが大きいのか端の方は見切れているが、油絵の具で描かれた絵のようだ。
「この子、私に似てると思う?」
森の中に佇む少女の姿は、白い霧で所々ぼんやりとしているが、その特徴は、目の前で少し不機嫌にしているレイラによく似ている。というより、
「……昔の君にそっくりだ」
今より髪が長くて白いコートを着ている、あの頃の彼女。
「クロエの父親のアトリエにあった」
あの森には誰も近寄りたがらない、そう思っていた。
実際、ふたりで森に入っていたあの頃も、人と出くわすことはなかった……あの時を除けば。
レイラが〝手遅れかも〟と言った意味を考えて動揺するウォルターと違って、レイラは落ち着いていた。
「警察が疑ってるらしい男の部屋にあったから、私もこれを見た時疑ったんだけど……。勝手に私をモデルにした不気味な森の絵が、あの家のアトリエにあった……それだけじゃ、なんの証拠にもならないのよね。だけど……」
「らしさがある?」
問うと、レイラは少し意外そうな視線を寄越して、「ええ」と頷いた。
「レイラさ、再会した日にダイナーで俺に墓標の写真を見せて言ってたよね。イカれたセンスが八年前の犯人に似てるって」
署長のように、単にオオカミのマスクを被っていたからというわけではないのだろう。
八年前、〝オオカミ〟は死人と向かい合ってティータイムを楽しんでいるようだった。
今回の事件では、首に獣のタトゥーを彫った四人が、獣のマスクを被せた墓標の下に埋められていた。
「俺も思ってたんだ。なんていうか、悪趣味な絵本みたいな演出だなって。犯人にとってどんな意味があるのかはわからないけど、なにか拘りがあるような……この絵からも、似た雰囲気を感じる」
「気が合うじゃない」
レイラがスマホの画面をスワイプすると、別の絵が現れた。
指を滑らす度に、リアルなタッチの油彩画が流れていく。
二十はありそうな写真のその殆どが、森を描いた風景画だ。
人物を描いたものは少なかった。
「もし、君が八年前に目撃した犯人がこれを描いたんだとしたら、犯人はクロエの父親で、君の容姿をはっきりと覚えてるってことになるよね……あれ? でも、クロエの父親は九年前に失踪してるから……」
(失踪は嘘で、それをあのふたりが隠してる……?)
レイラは腑に落ちないといった顔で、スマホをテーブルに置いた。
「あの部屋、九年も放置してるようには見えなかった。全然埃っぽくなかったし、それに……」
「なに?」
「柔らかかった」
「……え? なにが?」
「傍にあったパレットの絵の具を触ってみたら、中が乾いてない感じだった。絵のことはよくわからないけど、どんな絵の具でも何年も放置したらさすがにガチガチに固まるものでしょ? パレットがやけに綺麗っていうか、グリーン系だけ出してた。森の絵だけど、葉の色とは違う……あれってたぶん、目の色なのよね」
「……それってやっぱり、父親が町に戻ってきてて、最近塗り足したってこと?」
「八年前のあの日も霧が出てた。距離があったし、あいつは私の目の色までははっきり見えなかったはずよ。だからたぶん、絵は未完成だった」
「だけど、君の瞳の色……その珍しいエメラルドグリーンを、今になって作った」
絵を描いたのが犯人なら、辻褄が合う。そしてこの推測が正しければ、レイラの言う〝手遅れ〟……つまり、犯人の中で八年前の少女と今のレイラが繋がっていることになる。
「つい最近、町に来てから、私はあのサイコ野郎に見られてる。でもそれなら、やっぱり父親がそうだとは思えない……」
レイラは父親が戻ってきている可能性を否定していた。
その考えが揺るがないのも頷ける。
なぜなら彼女は、ウォルターの前以外では常にサングラスをかけているからだ。
だが、一度外したことがあった。タトゥースタジオに行った時だ。
店に入る前に外して、途中で先に外に出るまでレイラはずっとサングラスを手に持っていた。
あの時、店と繋がっている家の中に父親がいたのではないか。
ふたりとも考え込んで沈黙が流れる。
レイラの向かいに座って、ふたり分の料理を眺めているうちに、不安や恐怖が膨れ上がっていくのを感じて、はっとした。
目の前で眉間にしわを寄せているレイラの苦痛が、半分自分のせいな気がして、慌てて思考を中断した。
「とりあえず、食べない?」
「……そうね。せっかくの料理がまた冷めちゃう」
そう言ってレモンが乗ったサーモンソテーに視線を落とすが、ナイフを持つ手が一向に動かない。
「どうしたの?」
「なんか今日、野菜多くない?」
「昨日ちょっと重かったから」
メインは魚にして、あとは野菜とキノコ類を炒めたものと、あっさりめのトマトスープにした。レイラは肉や脂っこいものが好きだから物足りないのだろう。
「レイラって料理はするの?」
「この町って、いまだにスーパーの中にしかデリがないのね。すぐに飽きちゃいそう。食事に関しては都会は本当に便利よ。あちこちにデリ専門店があってメニューも豊富だし。最近ではデリバリーでレストランの料理を頼めたりして、スマホで支払いまで済ませたらドアの前に置いてってくれるの。ちょっと割高だけど」
「なるほど、大体わかった……」
ちゃんと栄養のあるものを食べていそうで安心した。
明日は食べたいものを訊こうかと考えていると、リビングでウォルターのスマホが鳴った。
ローテーブルに置いていたスマホの画面を確認してすぐに出ると、男の低い声からは疲労の色が窺えた。
『ウォルター、今ちょっといいか?』
「署長さん、こんばんは。大丈夫ですけど、また何か質問ですか?」
『いや、伝えておきたいことがあってな』
レイラにさっと奪われテーブルに置かれたスマホは、スピーカー通話に切り替えられていた。
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