第6話

「なぁ~、謝ってんじゃん。そろそろ口聞いてくれよ」


 夕食後、ソファに座って家族アルバムを見ていると、視界の右端にトビーがぬっと現れた。

 ウォルターとアルバムの間に頭を割り込ませてじっと見つめてくる彼に、ウォルターは無言の圧を返した。


「お前が嫌がるから、ちゃんとタートルネック着てるだろ」


 そう言って、白いニットの首元を引っ張り上げてみせる。その下には、牙をむく黒いオオカミのタトゥーが隠れている。

 死んだ兄の首に刻まれていたそれを、ウォルターはいつの間にか忘れていた。なのに、警察署で写真に写ったクマのタトゥーにトビーが気づいたせいで思い出してしまった。


「……お前のせいで、若い警官に不審者だと思われてる」


 別の不満を口にすると、トビーは首を引っこめて隣に座り、ウォルターの肩を抱くようにソファの背に腕を乗せた。


「ウォルター、お前は気になんねぇのかよ。四人殺したイカれ野郎が、俺を殺した奴かもしれねぇってのに」

「……お前じゃない」

「あ?」

「お前は兄さんじゃない。偽物だろ」


 イカれているのは、このコミュニケーションも一緒だ。日常になりすぎてたまに忘れそうになるが、ウォルターは今、無駄に広いLDKにひとりきりだ。はたから見れば、見えない誰かと会話している危ない人ということになる。

 周りに人がいる時は出てくるなと何度言っても、自由なトビーを制御はできない。


「めんどくせぇなぁ……わかった、兄さんな。お前の兄さんを殺した犯人を捕まえてほしくないのか?」

「……そりゃあ、また被害者が出たらと思うと、早く捕まってほしいけど……それで兄さんが帰ってくるわけじゃないし」

「それでもさ、犯人の自由は奪えるし、せめて謝罪させることくらいはできんだろ」

「きっと犯人に罪悪感なんてない。そんな奴にもし会ったら……俺だって、人殺しになるかもしれないよ」


 容疑者が出たら、署長は自分に面通しをさせるだろう。

 その機会が訪れることを、ウォルターは少し恐れている。


「復讐かぁ……それができたら一番スッキリするんだろうなぁ……」


 ぼんやりと宙を眺めている様子に、くだらない妄想だと思いながらアルバムに視線を戻す。

 家族用のそれには、幼いレイラが写ったものは少ないが、見つける度に少し心が安らぐ気がした。


「なぁウォルター。レイラもさ、それが目的かもな」

 思わずはっとして、トビーに向き直った。

「怖い顔するなよ」


 ――サイコ野郎に会いに来た。


 今朝レイラは、不穏な宣言をしたかと思えば、頭を冷やしたいと言って帰ってしまった。

 ずっと気がかりだった、レイラの目的。その真意について、トビーは一番最悪で、もっともな予想をした。


「あの子、俺……お前の兄さんを殺した奴のせいで、ああなったんだろ? ていうかさぁ、引きとめなくてよかったのかよ。連絡先も聞いてなかったろ」

「……この町のホテルっていったら、一ヶ所しかないし」


 そわそわとアルバムのページを捲っていると、一面が真っ白になった。前のページに戻ると、家族三人で、まだ少し肌寒い春先に庭でバーベキューをした時の写真があった。

 顔色が悪い父は撮られるのを嫌がっていたから、写っているのはふたりの息子だけだ。


「一応、このままバイバイを避ける気はあるんだな。けどさ、ホテルに泊まってるなんて適当についた嘘かもだろ」

「……それは考えてなかった。ていうか、レイラは嘘つかないし」


 一瞬考えてから真顔で答えると、呆れ顔に見下ろされた。


「おいおい、それは子どもの頃の話だろ? お前ってドライに見えて、実は夢見がちなとこあるよな。初恋の相手をいまだにピュアな少女だと思ってる」

「……何年経っても変わらないのは、お前のほうだろ」


 十九歳の、まだ少年っぽさを残した青年。

 アルバムの中の兄にそっくりの姿で、声で、話し方で……。

 一緒に過ごすうちに、遂にウォルターのほうが年上になってしまった。


「お前こそ、いつになったら色気が出てくるんだ?」


 ウォルターの頭をわしゃわしゃと撫でながら、にやにやと笑う。この笑顔が可愛いだのセクシーだの言われていたことが謎だった。

 垂れ目を細めて笑いかけると、相手の警戒心を自然に解いてしまう。

 そんな兄と、顔の作りはそれなりに似ているのに雰囲気がまるで違うのは、つり目気味の目のせいだろうか。人の印象は目で決まるのかもしれない。


 何を考えているのかわからない。

 たまにそう言われるウォルターの頭の中は今、幼馴染のことでいっぱいだった。


「殺人鬼に会いたいなんて、どうかしてる」


 危ないことはやめてくれと説得するべきだったのに、言葉が出てこなかった。

 レイラはどこか楽しそうで、悪いジョークを言っているようにしか……いや、そうであってほしかった。だが、そんなわけはないのだ。


 きっと彼女は、ずっと探していた。

 殺意を植え付けて、彼女の心を、人生を狂わせた殺人鬼を。

 あの笑みは、ようやく手掛かりを掴み、あの〝オオカミ〟に近づけたことにより溢れ出た、興奮だ。

 トビーが言うように、レイラの目的は復讐なのかもしれない。


「レイラをとめなきゃ」

 訴えるようにトビーを見ると、頼れる兄の顔がそこにあった。


「ああ、俺もそう思う。明日ホテルに行こう」

「そうだね……ありがとう、トビー」

「たまには、兄さんって呼んでくれてもいいんだぜ」

「人前では出てこないって約束、守ってくれたら考えてもいい」

「黙って見守るのはべつにいいじゃねぇかよ~。レイラの前ではちゃんと気を利かせてやったろぉ?」


 兄の墓石に尻を乗せて、兄貴面した笑顔を浮かべていた時のことを言っているのだろうか。何故かしたり顔のトビーを見て、いつも通り期待を捨てた。


「時と場合によっては、いるだけで気が散る」

「ひっでぇっ!」


 時々突き放す態度をとるものの、ウォルターはこれまで、この鬱陶しい存在と決別したいと思ったことはない。

 ひとり暮らしには広すぎる一軒家は、昔より物が少なくどこか寒々しいが、孤独を感じることはなかった。

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