第4話 満月の下で……(sideフェノス)

 フェノスは自分の中に湧き上がる感情に未だ慣れないでいた。この胸の苦しみさえ恋だと知った時は頭を抱えた。自分に恋をしていた人たちの表情はどの人もみな、喜びに満ちていた。眸を潤ませ、頬はピンク色に染まり、常に浮き足立っていた。それはライセルといる時の自分を振り返ってみても同じだと言える。しかし想い人と離れて過ごす時間、その人たちがどんな顔をしているかまでは想像したこともなかった。フェノスへの恋情を拗らせ自害にまで追い込む呪いの重さを、然程真剣に考えたりもしてこなかった。

 今、恋とはただ楽しいだけではないと痛感している。

 だからと言ってライセルへの気持ちを断ち切れるはずもなく、彼と出会って初めて一夜を共に過ごせる今日という日を楽しみにせずにはいられなかった。

 朝からフェノスの味方をするような晴天で、夜には満月が二人を祝福してくれると確信する。

 いつも通り、ライセルと森を散策しながら夜を待つ。

「一晩中、一緒にいられるのを楽しみにしていました」

「私もだ。いつもフェノスに会えるのを目標に任務に当たっている。君との時間が何よりのご褒美だし、明日が非番だというのも偶然ではない気がする。今日は心置きなくフェノスを独り占めできる」

「いつだって、僕たちしかいないじゃないですか」

「会っている間はそうだが……」

 ライセルはそこまで言うと、フェノスの顎を軽く持ち上げ真剣な眼差しで見詰めた。

「私はフェノスと離れている間もずっと君のことだけを思って過ごしている。君はどうなんだ? 眠りに着く前に、朝目覚めた時に、一番に思い浮かべるのは誰だ?」

 ライセルは、一人で過ごしている時にもフェノスの脳内すら独り占めしたいと言った。

 自分がそうであるように、フェノスにも同じ重さの愛を求めた。

「僕も、ずっと騎士様を想っています。眠る前も、目覚めた時も、何をしている時だって、本当はずっと二人ならいいのにと思ってしまいます」

 ライセルはフェノスの言葉に安堵のため息を吐いた。

 陽が翳り、夜を迎える直前に、二人は湖の畔へ移動する。

 昨日と同じように並んで座ると、森で採った果物を食べた。しかしライセルは直ぐに手を下ろしてしまう。

「どうかしましたか?」

「胸がいっぱいで食事が喉を通らないんだ。大丈夫、気にしないで」

「でも……」

「心配なら、君が食べされてくれないか」

 ライセルの顔が近付き、フェノスがさっき齧ったばかりの欠片を口から直接奪っていった。

「お、おいしい……ですか」

「絶品だ。もう一口」

 強請られ、フェノスは一口果物を齧る。顔を上げると再びライセルの唇が重なり果物を奪っていった。フェノスとライセルは恍惚とした表情でそれを繰り返す。

「ずっと、触れていたい」

「僕もです」

 どちらからともなく抱きしめ合う。

 夜空にはいつの間にか満月が昇っていて、森を優しく照らしていた。

 それからフェノスはライセルに月の歌を歌って聞かせた。月の下で愛を確かめ合う、妖精が好んで歌う歌だ。フェノスの歌声は繊細で、高音は儚く、しかし伸びやかで、眸を閉じてじっくりと聞いていたくなる。

 ライセルはその歌声に酔いしれ、歌詞を自分の心と重ねて受け止めている様子だった。

 歌い終わるとフェノスの肩を抱き、いつになく真剣に言った。

「フェノス、もう離れるのは嫌なんだ。私と一緒になってほしい」

「それは、どういう……」

「もちろん、結婚したいという意味だ」

「騎士様が、僕と……」

 そこまで考えていてくれたとは、思いも寄らなかった。勿論、嬉しいに決まっている。ライセルとの関係を正式に認めてもらえるなんて夢のようだ。

 いや、夢でしかない。フェノスはライセルと結婚できない。人間ではないのだから。

 ライセルの申し出からしばらく黙り込んでしまったフェノスを見て、ライセルは不安を覚えたようだった。

「愛しているのは私だけなのか?」

「違います! 僕も、騎士様を心から慕っています。この気持ちに偽りはありません。でも……」

「何か、私と一緒になれない理由でも?」

「それは……」

 喉で声が詰まってしまい、また黙ってしまう。言い訳の言葉さえ思い浮かばない。

 嘘なんて思いつくまま平気で吐いてきたのに、ライセルにだけは脳が自然にそれを拒む。

 なら真実を話すのか? 無理だ。とても無理な話だ。

 フェノスの本当の姿は、醜い老人である。本来の姿など見せられない。そもそもライセルは人間を惑わす妖精の調査をしにきていたのだ。真相を話すということは、自分がその妖精だと打ち明けるも同然。ライセルを騙していたと思われても仕方ない。

 言い逃れはできない。嘘も吐きたくない。もう限界なのだろうと腹を括った。

 所詮、妖精と人間は一つにはなれない。

 そしてフェノスはこれまで眸を背けてきた事実とようやく向き合った。ライセルはフェノスの呪いがかかっている。彼は自分の意思ではなく、呪われているからフェノスに恋をしているのだ。その証拠にライセルは出会った頃よりも随分痩せている。ここ最近は特にそうだった。

 フェノスは認めたくなくて気付かない振りをしてきた。けれども、これ以上は誤魔化しようもない。

 (ライセルは僕の呪いに縛られている)

 ちゃんと説明しなければならないと焦っていると、先にライセルの口から思わぬ一言が聞かされた。

「私は、最初から全て知っていた」と、確かに彼はそう言った。

「何を、知っているというのです」

「君が、人間を惑わす妖精だということを」

「え!?」

 フェノスを瞠目をしてライセルを見た。

「なぜ、それを……最初とは、いつから」

 心臓が急に激しく伸縮を始める。額から汗が流れ、無意識に手に力を込めて握っていた。

 ライセルは至って穏やかに話す。

「調査に行くと決まってから、自分なりに調べていたからね。妖精が出る時は突然の濃霧が立ち込め、不自然に風が止む。そして、昨日この湖に来た時にはっきりと見てしまった。いや……正しくは見えなかった・・・・・・んだ。君には、がない。条件が揃いすぎていた。その美貌さえも含めて、全て」

「それなら……」

 フェノスが喋ろうとすると、被せてライセルが話し出す。

「君に恋をしたのは、呪いなんかじゃない。自分の意思だ。それは間違いない」

 真剣に言ってくれたが、明らかにライセルの勘違いだ。

 フェノスはライセルにも恋煩いの呪いをかけてしまっていた。無意識のうちに。このままではライセルの行く末は一つしかない。

「僕たちは、もう……会わない方がいいと思います」

「断る。私は呪われていない」

「嘘です。僕に近づいて、呪われない人なんていません。僕は、僕は……貴方の側にいるべきではありません」

「私はフェノスが妖精と知って尚、それでもこの命尽きるまで一緒にいたいと思ってしまった。その時、覚悟を決めたのだ。フェノスに私の命を捧げると」

「いけません。そんなの、許されません」

 フェノスは眸いっぱいに涙を溜めて訴えた。それでもライセルは聞く耳を持たない。

「では、なぜフェノスは毎回毎回、姿を表すんだ? 本当なら、人間が恋をした時点で姿を眩ませるのだろう? なのに君は律儀に必ず私の前に現れてくれる。私は本気で君に恋をしているというのに。諦めろと言うのであれば、約束なんてすっぽかせば良かったんだ」

 ライセルはフェノスを押し倒して唇を奪う。そして隣に仰向けになると、真上にある満月に向かって両手を合わせた。

「私はこの月に誓う。本物の愛を貫いて見せると」

 さっきフェノスが歌った歌の内容と同じものだった。

 ライセルは朝になるまでフェノスを離さなかった。

 翌日も時間の限り一緒に過ごし、その後もライセルは足繁く森へと通い詰めた。

 フェノスはその度ライセルの前に姿を現す。ライセルはみるみるやつれていった。

 残された命があとどのくらいあるのか、フェノスには計りようもない。ただ着実に近づいてくる最期を受け止めるしかない。

 

 ある時、ライセルは騎士団を辞めた。体力がとても保たないのだろう。

 これまでに同じ騎士団の人たちからも森へ行くなと注意されたはずだ。結局はライセルとて、これまで騙してきた人間と同じ症状なのだから。第三者にはそこに妖精が関わっていることくらい簡単に予想できる。でもライセルは騎士団を辞めたことすら後悔はないと言い切る。

「これでフェノスと過ごせる時間が増える」と喜んでさえいる。けれども、この頃ライセルはすでに動ける状態ではなかった。

 ライセルは湖の畔がいたく気に入ったらしく、フェノスが支えながらその場所まで移動すると、遂に横たわったまま動かなくなってしまった。

「フェノス、最後に、私の名前を呼んでくれ。もう、騎士ではなくなったんだ」

「らい、せる……。ライセル、ライセル。ライセル、愛している。僕は、本当に貴方を愛していた。今まで沢山の人を騙してきたけど、ライセルへの気持ちに嘘はなかった。なのに、なのに呪ってごめんなさかい。ごめんなさい……ごめ……」

 ライセルはフェノスを恨むべきだった。齢二十三歳という未来ある騎士だった。たった一度の恋に溺れ、将来を奪った相手に優しい言葉など要らない。

 なのに、彼は最後までフェノスを好きだと言うのだった。

「謝らないで。私は幸せだった。こうして最期をフェノスと二人きりで過ごせている今だって、とても幸せだ。フェノス、今も君の眸に私は映っているか?」

「えぇ、ライセルしか映っていません」

「そうか。君の眸に映る私は綺麗かな」

「とても、美しいですよ。誰よりも、この世で一番美しいです」

「何よりだ」

 ライセルは今まで容姿を褒められても嬉しくなかった。自分も他人を顔で判断したりしない。けれどもフェノスに対してはその考えは通用しなかった。

「……奇跡を見たと思ったんだ。フェノスを初めて見た瞬間、この世のものとは思えないほど眩い光を放っていた。私はフェノスの隣に立つに相応しい人になりたいと思っていた」

 ライセルは大きくゆっくりと呼吸をしている。

 喋るのも辛そうだけれど、本人はきっと喋っていたいのだろうと思い、止めなかった。フェノスもライセルの声を聞いていたかった。

「フェノス、生まれ変わっても、私は君を探しだすよ。その時は、今度こそ一緒になろう」

「はい……はい……」

 フェノスはライセルの手を取り、頬に当てた。この掌の温もりが大好きだった。今ではフェノスの体温の方が高いかもしれない。

 フェノスが毎日会っていたため自害こそしなかったものの、呪いは着実にライセルの体を蝕んだ。

 その夜、ライセルは静かに息を引き取った。

 フェノスは悲しみに明け暮れ、泣いても泣いても涙は止まらなかった。

 ライセルのいないこの世界に価値を見出せない。生きていても意味はない。

 フェノスは自分に呪いをかけた。ライセルの隣に横たわり、自分が息を引き取るその時まで片時も離れなかった。

「ライセル、来世ではきっと……」

 数ヶ月後、フェノスも息を引き取った。


 誰にも見つからない森の奥深くで、二人は実に穏やかな表情で永遠の眠りについた。

 

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騎士に恋をした妖精は『恋煩い』の呪縛から逃れられない 海月いばら @asamitaro-novel

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