第3話 禁断の恋(sideフェノス)

 ライセルの後ろ姿を見えなくなるまで見送ると、フェノスはその場に崩れ落ちた。

「鎮まれ、心臓。鎮まれってば」

 自分の胸を拳で叩く。血が勢いよく体内を流れていくのを感じる。

 息苦しくて、呼吸が荒い。意識をして大きくゆっくりと息をしないと咽せてしまいそうだ。それでもなかなか気持ちは落ち着いてくれなかった。

 自然と涙が溢れてくる。

 (———会いたい)

 今、帰ったばかりのライセルに、もう会いたいと思ってしまう。

「ダメだ、相手は人間だ。僕といると、呪いをかけてしまう」

 

 今日は森で人間の気配を感じた。最初はいつものように呪いをかけて愉しもうと思っただけだった。フェノスは紛れもない、人間に恋煩いの呪いをかけては自害に追い込む妖精だ。人とは実に浅はかな生き物だとフェノスは嗤う。見た目や上辺だけの言葉に酔い、呪いにかけられているなど疑いもしない。フェノスは人間を魅了する香水を纏っている。その匂いを嗅げば、離れている間もフェノスが忘れられず、会いたくて会いたくて焦がれるのだ。

 恋煩いの呪いにかかると、フェノスを独り占めしたくなる。誰にも取られたくないと、他人に一切の情報を与えない。なので自分の正体がターゲット以外に知られる心配もない。

 相手は男でも女でも構わないため、フェノスの被害を被ったのは女性だけではなかった。男だろうが女だろうが、フェノスの美貌と香りを前に、呪いにかからないなど不可能である。

 でもライセルにはこの呪いをかけたくないと思ってしまった。

 彼に強く惹かれている自分がいる。呪いではなく、彼自身の意思で愛して欲しい。

 フェノスは人間に甘い言葉をかけても、相手から労いや真実の愛の言葉をかけてもらったことはない。

 人間はいつだって自分が一番で、脈があると悟れば余計は労力は使わない。なのでフェノスを気遣う素振りすら見せない。むしろ、自分をもっと褒めて崇めて良い気分にさせて欲しいとアピールする。

 フェノスはそういう人ほど弄びたいと思ってしまう。人間が欲しがる言葉をわざと囁き、さも理解のある味方だと思い込ませる。トドメに頬に口付ければ、フェノスから好かれていると洗脳させられる。

 簡単だった。自害までの期間は承認欲求の強い人ほど早い。誰からも本当の愛をもらえないフェノスは、そんなことでしか心を満たせなかった。

 ライセルとは真摯に向き合いたい。彼はフェノスに対して初めての感情を持ったと話してくれたが、それはフェノスも同じであった。

 ライセルの優しさに触れ、自分も何かしてあげたいと思ったのも初めての感情だった。

「でも……本当の姿を見せれば、きっと嫌われてしまう。その前に身を引くべきなんだ」

 会ってはいけない。今ならまだ、元の生活に戻れる。

 例えライセルと会わなくなっても、騎士団がフェノスの調査に乗り出したのは変わらない。もしかすると、フェノスはいずれ騎士団に捕えられるかもしれない。それでも、ライセルを自らの力で呪うよりはマシだ。そう自分に言い聞かせた。


 言い聞かせたけれど、会いたい気持ちは翌日もっと大きく膨れ上がっていた。

 朝からそわそわして落ち着かない。

 ライセルはいつ森へ来るだろうか、本当に来てくれるのだろうか。改めて自分を見て、昨日抱いた独占欲は勘違いだった……などと言い出したりしないだろうか。

 不安に押し潰されそうになる。朝早くから人間の姿に化けたフェノスは森の中を歩き回った。

 体を動かしていなければ、とても気持ちが保たなかった。

「昨日、出会った辺りに行ってみよう」

 姿を見せなければいい。陰から一目見るだけでいい。ライセルの顔を見れば、直ぐにその場から離れればいい。

 ほんの僅かな欲に勝てなかった。

 その場所に近づくほど、人の気配は強くなっていく。これは間違いなくライセルの気配だ。

 心臓が早鐘を打ち、緊張で上手く呼吸さえできない。

 木の陰に隠れ、そっと覗くと、ライセルもフェノスの姿を探しているようだった。

「ライセル……」

 無意識に名前を呼んでいた。昨日見た印象よりもライセルは凛々しい顔をしている。姿勢も良く、肩幅も広い。木々の隙間から差し込んだ光が反射して琥珀色の眸が煌めき、金色の髪を照らし、その輪郭を飛ばす。

 ライセルはフェノスを美しいと言ったが、ライセルの方が余程美しいとフェノスは思った。

 (あぁ、やはり見てはいけなかった。ここから一歩も動きたくない。でも僕はライセルに相応しくない。心が美しい人と一緒になるべきだ)

 沢山の人間を騙してきた。ライセルのような人に、嘘つきは似合わない。

 今日しっかりと彼の姿を眸に焼き付けて、思い出にしようと考える。

 けれど、あまりにも見惚れてしまい、ライセルに見つかってしまった。

「フェノス!! 来ていたなら、声をかけてくれ」

 破顔して笑うライセルが走り寄る。

「ご、ごめんなさい」

「謝る必要などない。良かった、来てくれないかもしれないと失念していた」

「来ます! ……約束、しましたから」

「あぁ、そうだ。君は約束を破る人ではない」

「騎士様こそ、来てくれないと思っていました」

「必ず来ると言ったのに? 私は昨日フェノスと別れた後、また直ぐにでもここへ戻って来たかった。本当はあのまま朝まで一緒にいて、もっとフェノスのことを知りたいと思っていた。君の存在が、幻じゃないのなら」

「目の前にいる僕が真実です」

 ライセルは一歩近寄り、フェノスの頬に手を当てる。

「あぁ、昨日よりもずっと綺麗だ」

 温かい掌に頬を擦り寄せる。ライセルは親指でフェノスの頬を撫でた。

 (ライセルに会わないなんて無理だ。こんなにも心地いい)

 両手でライセルの手を包み、更に頬を寄せた。

「今日も時間の許す限り僕といてくれますか」

「勿論だ。私だって少しでも長く君といたい。今日も森を散歩しよう」

 ライセルはフェノスの手を握った。フェノスは振り払わなかった。ライセルの手は見た目よりも大きくて、自分よりも体温が高い。じんわりと暖かくなっていくのを感じる。幸せとはこういうことを言うのかと、掌の温もりに視線を送る。

 人間から触れさせるなど、うつつを抜かしている。今のフェノスには隙しかない。頭の片隅では自覚していて、自制しようとしてはいるが、時間が経つほど呪いのことなど忘れてしまう。

 日に日に離れられなさが募り、共に過ごす時間はどんどん長くなっていった。


 ライセルは毎日森へ通い、一日中フェノスと肩を寄せ合い過ごす。

 フェノスは森中を案内し、ライセルがなんとなく地理感を覚え始めた頃には出会ってから裕に二ヶ月が経ってた。

 これまで呪ってきた人間ならば、そろそろ力尽きる頃である。けれどもラセイルは今でも毎日森へ通ってきてくれる。それでフェノスは余計に現実と向き合うのを拒んだ。ライセルはきっと大丈夫だと自分に言い聞かせ、二人きりの時間に没頭する。

「そういえば、湖を見にいきませんか?」

「湖? この森にそんなものが?」

「えぇ、更に深い場所にあるので、知っている人の方が少ないと思いますよ」

「是非、見てみたい」

 好奇心旺盛な姿は騎士らしくない。

 見た目は話しかけ難いオーラすら感じるのに、話してみれば人懐っこさが垣間見れる。

 男らしいガタイの彼が眸を輝かせ、所望しているのは『湖が見たい』である。それを子供のように弾む声で食い付くものだから、フェノスはつい笑ってしまうのだった。

 会う度新しい表情を見せるライセルに、のめり込んでいく。

 湖まで案内すると、ライセルは感嘆の声を上げた。

「広大な森とはいえ、こんな立派な湖まであるなんて思いも寄らなかった」

 森の奥に突如として現れる湖は凪いていて、陽の光を反射してキラキラと輝きを放っていた。

 ライセルが声を上げるのも頷ける。

 湖の周りを一周するだけでもいい運動になるほど広い。

 適当な場所に並んで腰を下ろすと、フェノスは勇気を出してライセルに体を預けた。

 ライセルは一瞬ピクリと反応し、右腕をフェノスの背後から回して肩を引き寄せた。

「毎日が幸せすぎて、いいのでしょうか」

「これからもっと幸せになると確信している。これまでだって、会う程に幸せは増してきたじゃないか」

 ライセルの言葉には説得力があった。毎日会っていて、幸せを感じなかった日はない。毎日、今日が一番幸せだと思って過ごしてきた。

 ライセルはフェノスの髪を撫でるのが好きだ。さらさらと流れる黒髪に指を絡められると、神経が通っているわけでもないのに、じんわりと暖かくなる。

 ライセルに手を重ねながら空を見上げた。

「ここから見る満月はとても綺麗なんですよ」

 フェノスの言葉にライセルは夜までこの森にいることに驚きを隠さなかったが、フェノスは満月の時だけだと必死に言い訳をした。

 ライセルにも見てほしいと言うと「丁度、明日が満月だ」とライセルも見る気満々だ。

 フェノスは、これで明日も会える口実ができたと内心安堵した。

 いつの間にか、必死に取り繕っている自分がいる。ライセルと夜も一緒に過ごしたいと思っていたが、まさか本当に来てくれるとは期待していなかった。断られるのを覚悟の上で言ったのもあり、喜びは一入だ。

「明日の夜、ここで満月を眺めよう」

 ライセルから確認するように誘ってもらえ、フェノスは「はい」返事をしながらライセルに抱きついた。この頃ではお互いの体のどこかが触れていないといられなくなっていた。

 別れの瞬間が一番悲しい。

 何度も「愛してる」と伝え合い、「また明日」とキスをして帰っていく。

 フェノスは後戻りが出来ないほど、ライセルに恋焦がれていた。

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