第19話
ただ、時が流れていく。ガキは不安そうに安牌を切り続け、木下は不測の事態に備え、ガキだけにはハイテイ牌を掴ませないように手中をある程度固めつつ、枇杷島に当たらないよう慎重に進めてゆく。俺と枇杷島はほとんどツモ切り、実質二軒対面立直の様相だ。
山がまた、一枚崩されていくたびに、何故だか焦る。作戦通りのはずなのだ…静寂なのは、想定済みなんだ。だのになぜ、俺はこんな気持ちになる…?
残り五枚。枇杷島が牌を取り、切る。次に枇杷島が牌を掴むときは…死ぬ時だ。木下が牌を取り、切る。枇杷島は何も言わない。俺も牌をツモ切りする。ガキも牌を取り…安牌。
肝心要、枇杷島がハイテイ牌を掴んで…
「ツモ」
ギロチンが落ちる速度も、林檎が木から落ちる速度も、同じなのだ。
これまで和了ってきたのと、何も変わらないような声色で、枇杷島は言い放った。
「四千オール」
五萬六萬七萬七萬八萬九萬 一索一索 一筒二筒三筒五筒七筒 六筒
リーヅモハイテイ六筒ドラ一、満貫…!つ、と頬を伝う物が、冷や汗か涙かさえ分からなかった。皮膚が、涙の温かさを感じられないほどしびれていたのだ。
「や、やりましたね!枇杷島さん!あいつの点数が三千百点で…!ハコワレ、トビ終了ですよ!」
ガキがうざったいほど無邪気に立ち上がる。
「…あの浮浪者じみた男か」
恨み言よりも、先に口をついたのはそんな言葉だった。
「ああ—お前だけが、山に触れられたわけではないということだ。この二千点すら、お前程の打ち手が守りに入ると奪えそうになかったからな」
断らず、ガキの手牌に手を伸ばして、一枚倒す。
「なっ…!」
抗議せんとするガキを無視し、俺はその牌に落胆する。
「白…」
気づかれていた…キャタピラーによるイカサマを。俺がめくった牌は、最終巡目、ガキがツモッた牌を理牌した箇所だ。つまり、白の場所がずれていたことになる。
恐らくは、卓に頭を叩きつけられたあの瞬間、俺のしたのとは逆方向に山を回転させ、ハイテイ牌を一枚上、ツモ順が最後尾で、先頭の枇杷島の前になるガキに掴ませたのだ…
キャタピラー、地雷原に逆巻く一回転…!
「よ…よくわかんないんすけど、やっぱ、枇杷島さんはあのおっさんに負けてないってことっすか?」
「ああ…ただのハッタリ、視線誘導だ」
「よ、よかった~いや、別に信じてなかったわけじゃないですけど…」
和気藹々といった雰囲気の枇杷島達に、俺は割りいるように声をだす。
「一つだけ聞かせてくれ…お前、俺に言ったな。よりよく勝とうとするなど大馬鹿だと、そんなことのための計算をするな、と…しかし、お前の仕掛けた最終局のイカサマ、あれこそより良い勝ちを追う行為だ…違うか?」
「お前、ひょっとしてここにくるような人間を大馬鹿じゃないとでも思ってるのか?」
「無駄な洒落はよせ」
「ふふ…まぁ、強いて言うならば勝負の単位が違ったからな」
「単位?」
「ああ…俺はまだ今夜の勝負に勝ってない…俺の勝負は今日の夜が終わるまで…お前から勝った金では、勝利条件の最低限すら満たせていない」
「…退かないつもりか」
「当然だ」
「ここのシステムは…さっき話したな。木下は俺に負けた。俺は、もっと強い奴に負けた。そいつも、誰かさらに強い奴に負けている…うちのカジノのボスが、辿って行った先にいる」
「……」
「強いぞ」
「いいじゃないか」
枇杷島が積み上げた点棒溜まりに手をガッと突っ込んで、手のひらいっぱいに点棒を掴み、笑う。
「このカジノを食ってやる…ってのも」
「大馬鹿野郎が…こき使ってやる、覚悟しろ」
俺も、いつの間にか笑っていた。
枇杷島は、点数の清算をすると次の遊戯へと去っていった。八万四千九百点に、ガキの八千点。更に黒点、九万六千点。初期の負債の六千万を差し引き、締めて六億九千五百六十万。俺の損失は、サンマルマルのMの実行費を考えるとそれをゆうに越える。
「…殴らないのか」
木下は、枇杷島とやり取りをし、俺が枇杷島の会員証に約七億を付与するのを、静かに眺めていた。
「名は折れません。見事な敗北でした」
「…喜べるか。バーカ」
「換金をしてくれないか」
俺たちは、石上に打ち勝ったのち、フリー・ギャンブルスペースにきていた。これまでいたカジノとは、厚い扉を一枚隔てて、階段を下ったところにある。たどり着いた瞬間、その騒がしさに少しびっくりした。さっきまでとは違い、雰囲気が競馬場なんかに近い。金を持っていそうなやつもそれなりにいるが…貧乏人を隔離していると言ったところだろうか。
「お兄さん!引き出し終わったらウチにきなよ!」
金髪の男が、急に俺達に話かけてくる。一階くだっただけでこうも繁華街のようになってしまうのか。
「いくぞ」
俺がアタフタしている間に、枇杷島さんは引き出し機を見つけていた。
ここでは、余り多額の金は動かないことからか、会員証ではなく、現金で勝敗時のやり取りをする。
「いくらになさいますか」
「二億と五千二百万円頼む…五千二百万円分だけ、別にしてもらえるか」
「かしこまりました」
会員証を渡すと、ディーラーが機械を操作し出した。ATMのような、俺たちより少し小さい機械だ。
しばらくすると、機械が鳴動して、下部からトレーに乗った札束が現れた。
「五千二百万円でございます」
トレーにスッポリと蓋を被せ、側面に取手を取り付けてアタッシュケースのような状態のそれを、ディーラーが枇杷島さんに渡した。
「少々お待ちください」
残りに取り掛かるらしいディーラーが、俺たちに背を向けると、俺は枇杷島さんに聞いた。「何でこれだけ分けて貰ったんですか?」
枇杷島さんは俺に、そのケースを差し出した。
「一万三千点。お前の取り分だ」
「ええっ!?いやいや…いいですよ!そんなの…」
「いいってこともないだろう…大してもらっちゃない癖に。俺と同じで…」
「でも…そもそも俺自身、枇杷島さんに一億借りて打ってたわけですから。理屈で行くと俺が借金することになっちゃうじゃないですか。俺を助けると思って収めてくださいよ」
「…お前は借金をしたというが、別に保証を何かしたわけじゃない。俺が負けた時、お前の損失まで保証する確証はなかった。違うか?」
「でも…枇杷島さんはそういうことしないですよね?」
「つまりお前は、俺に賭けたわけだ。信頼という名の賭けをした…一億の借金を負うリスクを負って」
「…いや、まぁ…」
口で戦い、勝てる自信はない。しかし、このままでも困る。場を進めるために、一旦受け取っておくことにした。
「それで…どこに行くんですか?枇杷島さん…」
ずっしりとした重みを感じながら、俺は聞く。
「既に決まっている…あそこだ」
枇杷島さんは、最も盛り上がりを見せている一角を指差した。
入ったばかりの、呼び込みをされた所よりも奥まったところ、ブルーシートの敷かれた区画には、数人カジノ側らしいバウンサーと、生まれ持ってのものではないことが見てわかる高級服を身につけた卑しい顔の中年男が立っている。奥の壁には、なにも写っていないスクリーンが貼られていて、天井にはそのスクリーンのためであろうプロジェクターがある。
「一千万や。まからんで」
俺達が歩み寄るのを見ても、さっきの呼び込みのようにやかましく騒ぎ立てることをせず、ニヤニヤとしながら、眼の前に来た俺達に話しかけた。
枇杷島さんは、あらかじめ持っていた二千万円をその男に渡し、二つのバッヂを受け取った。刺々しく書かれた、金色の縁取りに緑色で、高松と書かれている。床に敷かれたブルーシートからは考えられないほどずっしりとしていて、作りも綺麗だ。
「ほら」
枇杷島さんに促されるままに、胸にそのバッヂをつける。
「これは?」
「ここでギャンブルをする権利のようなものだ。フリーギャンブルスペースに登録したスペース主がギャンブルの元締めを行い、俺たちはその元締めに参加料を払うーこの胸の印がなければここでギャンブルはできない」
この精巧さは偽造防止のためか。
「それで…ここで何ができるんですか?」
枇杷島さんは、さっきの中年男に手渡されたパンプレットを取り出して俺に見せてくれた。スーパーのチラシじみた、ビビットな彩りがなされている。
「へ~…一つじゃないんですね」
見たところ、高松という男が元締めらしいこのエリアでは複数の遊戯があり、その中でもチンチロリンとその派生形が多いようだ。一つだけ異色なのが、ケイバクチというギャンブルだ。上の階で、このカジノのオーナーが勝負に出てきたりすると賭場が開かれて、勝敗に金を賭けるということらしい。
「チンチロリン系ですか?」
「ああ…まず、こいつをやろうと思う」
枇杷島さんが指差したのは、六連チンチロという遊戯。ブルーシートの上にはいろんな遊戯の名前を看板に書いた男たちが座っている。軽く見回せば、六連チンチロという看板をかかげている男をすぐに見つけることが出来た。
「あいつじゃないですか?」
「ああ…本当だな」
騒がしい人ごみの中、俺たちは連れだって座っている男のそばまで歩いて行った。
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