〈2-1〉っていうかここにいる奴ら、お嬢さん以外全員吸血鬼

 陰になっている場所から現れたのは長身の男だった。全身を布で覆い隠している他の者達とは違い、その男は黒のジャケットにスラックスと、街中にいても誰も疑問に思わないような服装をしている。

 ただ、その青色の髪は少し目立つかもしれない。くすんだ色味ではあるものの、あまり染める者がいないであろう髪色。しかし全く違和感がないのは男の顔立ちのせいか。日本語のような返事をしたが、外見だけ見れば誰もが西洋人と判断するだろう。それもかなり容姿が整っている部類に入る。

 ほたるは男の姿に見惚れたが、すぐにしっかりしろ、と自分を叱咤した。何故なら男のシルエットは、自宅で最後に見た人物のものとよく似ていたからだ。

 つまり、彼は誘拐犯。それも自分の口を手で塞ぎ、更には腹を殴って気絶させてきた人間。そんな奴に良い感情など抱いてやるものかと、ぐっと拳を握り締める。


 一方で執行官と呼ばれた男はほたるのすぐ近くまで歩いてくると、ゆるりと顔を動かして中央の人物を見上げた。


「このお嬢さんには紫眼しがんによる俺の洗脳が効かなかったっす。以上」


 知らない単語、そして洗脳という言葉。何を言っているんだとほたるは呆れ返りそうになったが、周りは違った。男の発言に騒然となったのだ。

 相変わらずほたるには内容を理解できないが、それでも彼らが文句を言っているのだと語調で分かった。ほたるに、ではない。この執行官の男に対してだ。しかし文句を向けられている男は涼しい顔をして、「だって本当だもーん」とどうでも良さそうに肩を竦めている。


「▓▓▓▓▓▓!」


 中央の人物が鋭い声で言えば、周囲の者達は水を打ったように静まり返った。


「執行官、貴官の序列は?」

「アイリスの系譜、第四位」


 途端、その場がまたざわめきに包まれる。やはりほたるには理由が分からなかったが、しかし周囲の負の感情の向き先が自分ではないと感じるからか、これまでよりも些か気分は楽だった。


「静粛に。意見のある者は被告人に分かる言葉で順番に発言を」


 中央の人物が落ち着いた声で言えば、静かになった聴衆の中から「発言の許可を」と挙手をする者が現れた。


「いいだろう、許可する」


 まるで決められた動きのようだった。あれだけ大勢が怒りを顕にしていたのに、実際に発言しようとしたのはただ一人。そして他の者達もそれが当然とばかりに何も言わず、挙手をした当人でさえもそのことを疑問に思う様子はない。

 一体どういうことだろうとほたるが内心で首を捻っていると、挙手をした者がその場で話し出した。


「執行官殿の洗脳に打ち勝つには、その娘は執行官殿と同等以上の序列に相当する者でなければなりません。しかしその娘は人間です。つまりはシュシモチ! 更にその親は序列最上位の方々である可能性が大いにある! そんな者がクラトス様の従属種に手を出したと言うのなら、我ら全てを巻き込む争いを始めようとしていることになります!!」


 またシュシモチだ、とほたるは苦い表情になった。シュシモチという単語の意味は分からないが、ここ数時間で何度も聞いたせいで覚えてしまった。

 だが、だからと言って相手の話が理解できるわけでもない。流暢な日本語で話しているのは間違いないのに、その意味がさっぱり分からないのだ。更にはその話に合わせて同調するような声も聞こえる。先程まではほたるの知らない言語しかなかった野次は、状況に合わせているのか、日本語も混じるようになっていた。


「まあまあ、そんな興奮すんなって」


 ヒートアップする場内に、執行官の男が呑気な声をかける。


「戦争がどーのこーのって話は一旦置いといて。ついでに今のところ、このお嬢さんはクラトス様の従属種が死んだ現場にいただけで、関与したっていう証拠はない。そこんとこはっきりさせましょうってのがこの裁判だろ? 傍聴席にいる奴らが決めつけで話すんじゃないよ」


 執行官の言葉に野次の声が小さくなる。そのことにほたるは安堵したが、それよりも今この男が言ったことの方が気にかかった。


 この人、今……裁判って言った?


 その単語がほたるに状況を理解させる。最初にここに来た時にもしかしたらとは思ったが、まさか本当にそうだとは思っていなかった。

 しかし観覧席のようなものが傍聴席だったというのなら、自分のいるこの舞台のような場所こそが法廷なのではないか。そしてこれまで話の主導権を握り、時に周りに注意を促している中央の人物は裁判長なのではないか。

 ならば、その裁判長の目の前に立たされている自分は。


『神納木ほたる、お前には殺しの嫌疑がかかっている』


 裁判長の言葉が、ほたるに自分の立場を教えた。


「ッ……」


 何を馬鹿な。そんなおかしなことがあるものか。そもそもこんなのは裁判ではない。自分の知識にある法廷とは違いすぎる。

 そうは思っても、ほたるには浮かんだ考えを否定することも、馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばすこともできなかった。


 何せ自分は誘拐されてここに来た。しかも数え切れないほどの人間がその犯罪行為に関与していて、恐らくは悪いことだと考えていない。それどころか悪意を隠すことなくこちらに向けてくるあたり、彼らが何者であっても、これは本物の裁判ではないと楽観視することもできない。

 辿り着いた答えにほたるが恐怖を感じていると、執行官が「とはいえ序列の件はそのとおりで、」と続けるのが聞こえてきた。


「だから俺は、このお嬢さんがクラトス様んとこの奴の死に直接関わってる可能性が高いって判断したんだよ。ってことでここまで連れてきたってワケ」


 最後の言葉は、ほたるには自分に向けられているように感じられた。顔を上げれば案の定、執行官の男が「分かった?」と首を傾げている。


 何が『分かった?』だ。誰のせいで私はこんな目に遭っていると思っているんだ――ほたるは憤りを感じたが、そういえばこの男は誘拐の経緯を説明しているんだった、と思い出した。

 だとしても苛立ちが収まるわけではないが、ほたるがその感情を表明するより先に執行官は彼女から視線を外して、裁判長に「ってことっす」と話しかけていた。


「まだ何か補足した方がいいっすか?」

「いや、今はいい」


 裁判長が執行官から周りに視線を移す。


「今聞いたとおり、この娘がクラトスの従属種の死に関与している可能性は高い。しかしながらこの娘はシュシモチだ。いくら相手が従属種といえど、人間の力ではそう簡単に殺せるはずがない」


 何を言っているんだろう、とほたるの眉が曇る。シュシモチという単語の意味が分からないことはもういい。しかし先程から〝人間〟という言葉の使い方がおかしい気がする。

 何がどうおかしいのかほたるが考えようとした時、裁判長が「神納木ほたる」と声をかけてきた。


「何があったか説明を」

「せつめい……?」


 何を説明するのか。何を言って良くて、何を言わない方がいいのか。

 戸惑うほたるに、横から執行官が「寝る前のことだよ」と助け舟を出してきた。


「さっき毒に触れたかもって慌ててたでしょ? その時のことを話せばいい」

「その時のこと、って……」


 ほたるの脳裏に浮かんだのは、霧散して消えた男の姿。そんな有り得ない現象のことなどこの場で話していいのだろうか。そこは伏せるにしても、それだけでは不足だとまた怒りを向けられないだろうか。


「だいじょーぶ。信じられないことでも見たまんま話しな」

「で、でもあれは……! あんなの……信じてもらえるわけ……」


 言いながらほたるの声が小さくなっていく。あんなこと、話す勇気などない。自分は確かに目撃したが、同じことを他人が言っていたら嘘や夢を疑うだろう。なんだったら正気かすら怪しいと思うかもしれない。

 それをこの状況で、見知らぬ者達に話す――そんなことをすれば自分の立場が余計に悪くなる気がして、口が動かない。


「大丈夫だって言ってるでしょ。俺らはお嬢さんが吸血鬼と会ったか知りたいんだよ」

「……は?」


 下に落ちかけていたほたるの視線は、ぐんと上がって執行官の顔を捉えた。その整った顔は相変わらずゆるく笑んでいて、彼がどんな意図で今の言葉を発したのか分からない。


「あの、何言って……」

「あれ? 吸血鬼知らない? っていうか俺の日本語が間違ってる?」

「え? いや、そこは大丈夫だと思うんですけど……でも、吸血鬼なんているわけ……」


 きょとんとした執行官の反応に、ほたるは自分が間違っているのだろうかと不安になった。しかし何度考えてみても、吸血鬼なんているはずがないという結論に辿り着く。


 ならば、からかわれているのか。それとも彼らは本当にカルト教団なのか。


 どう反応すべきか決めかねているほたるに、執行官が「いるよ」と迷いなく頷いた。


「っていうかここにいる奴ら、お嬢さん以外全員吸血鬼」


 執行官が両手を広げる。「勿論俺もね」思い出したように付け加えられたその言葉を聞きながら、ほたるは頭が真っ白になるのを感じた。

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