ずいぶんたくさんの男やおんなと……。

 俺と東さんは、静かにお互いの目の中を見つめ合っていた。

 「どっちがましかしら。」

 くすり、と唇を笑わせながら、東さんがさほど冗談でもなさそう言う。

 「どっちもたいして変わらないよ。」

 俺にはそう言うことしかできない。多分、俺と東さんは同じようなものをなくして、同じような傷つき方をして、その欠落の発露の仕方が正反対だったのだろう。

 「辛かった?」

 東さんが俺を見上げ、俺は辛うじて笑みを返した。

 「そこそこ。東さんは?」

 「私もそこそこ。」

 「でも、俺、東さんにそういう無茶はしてほしくないかな。」

 彼女の顔色を窺うような、恐る恐るの物言いになった。ひとと交われなかった俺と、ひとと交わりすぎた東さん。自傷の方法としては似てはいて、俺がそんなことを言える立場にいないことも分かってはいた。でも、それを言わずにはいられなかったのはやっぱり、東さんが明日美と同い年の女の子だったからだと思う。

 「私も先生に、そんな悲しいことはしてほしくないのよ。」

 東さんの物言いも、俺のに似ていた。彼女がひとの顔色を窺うような話し方をするのは、俺が知る限りはじめてだった。俺と東さんは、少しだけ笑いあった後、駅に向かって歩き出した。

 家に帰るのは、正直怖かった、そんなふうに思うのははじめてだった。これまでは、どんな場合でも、咲子さんと耕三さんと明日美が俺の家族で、あのマンションが俺の家だったから。でも今日は、そして今後はおそらく毎日、俺は怖れずにはいられなくなる。自分の欲が咲子さんに向くこと。ずっと自分の中でさえ有耶無耶にして正面から向き合うことなく、そんな欲なんて全くないみたいな顔をしてきた。でも、正面からそれを突きつけられてしまえば、もう否定はできない。俺は、咲子さんが好きで、母親に向けるものではない感情を向けている。

 「先生。」

 「なに?」

 「怒ってる?」

 「なんで?」

 「私が余計なことを言ったから。」

 「余計じゃないよ。死ぬまで嘘をつき続けるわけにはいかないんだから。」

 「本当に?」

 「……。」

 「本当に、嘘はつき続けられないの?」

 「……少なくとも、俺は無理かな。」

 いつの間にか、咲子さんに向けた欲は膨れ上がっていて、このまま抑え込み続ければどこかで爆発してしまいそうだった。こうやって東さん暴かれなければ、俺は必死で欲を抑え込んで、取り返しのつかない事を仕出かしていたかもしれない。なにか、咲子さんや明日美を、決定的に傷つけるようなことを。

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