第11話 学級委員長のソウル

教室に入る前に、百合はロッカーに通年使うであろうものを押し込んでいく。


縦に長いロッカーは百合が丸々入りそうなくらいのサイズだ。それもそのはず、そのロッカーの形が棺の形をしていたからだ。扉を開けると、中には空のハンガーがぶら下がっていた。それにブレザーや体操着、白衣をかけていく。


その様子を見ていた男子生徒が百合に声をかけた。


「おはよう」

「お、おはよう」


振り向くと、昨日ちょうどここで会った男子生徒だった。



——じゃあ、注意するついでに聞いてくれば? 学級委員長



スピリットの言葉が脳裏によぎる。

今一度、本当にそれが正しい行動なのかと、葛藤している。


なんて話を続ければ良いだろうか。


百合は挨拶を返すと、ロッカーの整理の続きを始めた。ソウルは彼女の名前を知らないふりをして、名前を尋ねることにした。


「あの、君......名前は? 俺はソウル」

「百合です、よろしくね。えっと......同じクラスだっけ?」

「あぁ」


また話の続きがわからなくなり、振り出しに戻ってしまった。

ソウルは、彼女の匂いについて、女性に対して質問の内容によっては失礼だと思う気持ちもあれば、今ここで注意しなければ一瞬で教室の匂いが彼女のものになってしまう気持ちでいっぱいだった。


百合は、彼が黒羽属だったのを知っていたから、できるだけ自分の素性を見せないように、距離を保つようにしていた。



距離の詰め方がわからない一方で、距離を取りたいと思っている二人の間に、見えない壁ができる。


「さ、さてと」


とりあえず一通りロッカーに詰め終わった百合は、立ち上がってソウルの横を通り過ぎようとした瞬間、ギロッと刺すような視線を感じた。これから親しくなろうという雰囲気ではなさそうだった。


「あの、私に何か用かな」


百合は思い切って彼に質問をした。


「申し訳ない、ちょっといいかな」


彼女から切り出したチャンスを逃すまいと、ソウルは彼女を呼び止め、人気のない場所へ誘導した。百合はここで断れば怪しまれると感じ、仕方なくついていくことにした。


「単刀直入に聞く。その、君がもし気にしているならそんな必要はないと思う」


単刀直入という割には、なんとも遠回しなことを言っているように聞こえた。


「......ソウル君が何を言っているのかよくわからないけど、私は何も気にしていないつもりだよ」

「俺は鼻が効くんだ。隠しても無駄だぞ」


そう言って彼は、自分の鼻を指差しながら彼女に近づく。


「へ、へえ、そうなんだ」


ソウルが一歩踏み出す度、百合は一歩後ろへ下がる。


「鼻が効くって、例えばどんな感じなの?」


「例えば君の朝食を当てようか。コーヒーとオムレツだろう。当たってる?」


百合は驚いた。コーヒーを飲んだのは父である司牙なのにそこまでわかってしまうなんて。


「すごい、本当に鼻が効くのね」


百合は、もうこれ以上下がれないところまで追い詰められてしまった。壁に背中をつけると、ソウルは腕を伸ばしてきた。


「まって、お願い。誰にも言わないで!」

百合は懇願する。


——ヤバい、バレたかも。


百合は、自分の顔を両手で覆った。人間と悟られたのなら、いっそ血を吸わせて、2人だけの秘密にすればいい。自分の血を与える代わりに黙っててもらえるなら。


 “バサッ” 


横を何かが通り過ぎた風圧を感じだ。目を開けると、ソウルは倒れていた。


「え、ソウル君、大丈夫!?」


百合は急いで幕本を呼びに行った。



「......ここは」

目が覚めたソウルは、真っ白い天井と、かけられた毛布をみて、保健室にいるとすぐわかった。

ゆっくり起き上がると、カーテン越しに、女と男の話し声が聞こえた。


「はい、そしたら彼が倒れてしまったところを偶然見つけまして。顔色が少し悪そうでした」

「そうか、そしたらいろいろ確認しないとだね。ありがとう、ここは一旦僕に任せて、君は教室に戻ってください。お名前は?」


「百合です。彼と同じクラスです」


ソウルは自分を恥じた。まさか初日でもう保健室に通う羽目になってしまったことに、プライドが許せなかった。


カーテンが開くと、幕本が皮膚圧計をもって彼の横に座った。


「どう? 少し具合は良くなったかな」

「はい......あの、彼女は」

「百合さんは君が倒れているところを見つけてすぐ僕を呼んでくれたんだ。大丈夫、特に騒ぎにはなっていないよ。彼女が特に君のことを気にかけてくれていたんだ」


幕本は聴診器をつけ、皮膚圧計をソウルの腕に巻く。


「今朝は何を食べたのかな」

「サンドイッチを10切れと、昨晩のスープの残りを兄と分けて食べました」

「そっか、じゃあ次、口開けて」


ソウルは言われた通りに口を開く。幕本は、ハンドライトを口腔内に照射する。上あごと下あごにある長く鋭い牙も折れてはいない。


「うん、大丈夫そうだね。君の種属は、よく空腹が原因で倒れることがあるようだけど、朝食は適正量、良好。顔色も真っ青で、実に君たちらしい。何か悩みでもある?緊張してるかな」


幕本の表面的な診断に、いまいち腑に落ちないソウルは、割り切ってその道の専門家に相談を持ち掛けた。


「僕は、彼女のその、エチケットだと思うんですが、匂いがあまり得意じゃなくて」

「匂い?」


幕本は脇に挟んでいたボードに彼が口にしたことについてメモを取っていく。


「どんな匂いがしたかな」

「彼女から、香水みたいな匂いがしたんです。あんなひどい香水どこで売ってるんだか......先生は気になりませんでしたか?」


ソウルの症状を聞くと、ボールペンの頭を自分のこめかみに押し当てる。


「いや、なにも......もしかしたら、君の年齢に多くみられる『酔い』かもね」


ソウルとしては、今までこんな経験はなかった。とすると鼻が効くソウルにとって、成長期によく見られる自分の能力が不安定な時期が始まってしまったと思っていた。


「恐らく、彼女の体質と君が反応してしまったんだろう。だが彼女は、骸骨属だ。匂いが強いと言われる種属ではないんだが......なんだろうね」


ソウルは幕本の一言に耳を疑った。


「え、彼女が骸骨属、ですか?」

「知らなかったかい?」

「はい、全然」


「もし『酔い』が酷くなるようだったら、一度病院で診てもらうことをお勧めするよ。まだ休んでいくかい?」


「いえ、だいぶ落ち着きました。ご迷惑をおかけしました」


百合が保健室から出た瞬間から、彼女から溢れ出る匂いがピタッと止んで、気分はすっかり良くなっていた。ベッドから起き上がったソウルは、ハンガーにかけられたブレザーを羽織り、保健室を出た。


「あ、どうも」


ソウルは保健室を出ると、警備員として配属された渡目が立っていた。まるでソウルが保健室から出てくるのを知っていたかのようだった。


「幕本先生に御用ですか?」

「いえ、君に用があって。ソウルさんが『防犯教室』の模範生徒に抜擢されまして、具合はどうですか?」


「はい、ていうか何故それを?」


自分の夢を、ましてや入学して間もないのに知っている人なんてスピリット以外いないはずだった。だが、思い当たるとしたら、同じ中学のクラスメイトだった鷹魏<たかぎ>という男子生徒がいたことを思い出した。


「実は今度の『防犯教室』における候補生に鷹魏さんが立候補されていて、相方として君の名前が出ました。彼は君にどうしてもでて貰いたいと。でも保健室に運ばれたと通りすがりの女子生徒から聞いて、それで様子を見にきました」


女子生徒なら、きっと百合のことを言っているだろうとソウルはわかった。


「俺は絶対出ます。将来、渡目さんと同じ道を辿りたいんです」


彼の目は鋭いものだった。黒飛属特有の上から見下ろすような目ではなく、下から真っ直ぐな視線。それを浴びた渡目は口角を上げた。


「じゃあ、明日の放課後。体育館でお待ちしています」


そう約束を交わし2人はそれぞれの場所へ戻った。



その日の夜。


百合は今日のことを司牙に正直に話した。


やっぱりこの子は家にいた方が良かったかと心配しながらも、それでも彼女は、家にいるより、この世界のことをもっと知りたいと以外にも前向きだった。


「君は度胸があるね、たまに人間ではないんじゃないかと思うよ」

「もしかしたら、学校へ通っている間に、あの事件のことが何かわかるかもしれませんし。なにより、司牙さんが心配するほど私はヤワじゃありませんよ」


吸血鬼の末裔と言われる彼に後一歩のところまで詰められたにも関わらず、百合はどうやら少しだけ自分に自信がついたようだ。


彼は百合に近づくだけで倒れてしまうんだと。


彼女は、ここで暮らす種属について調べながら学校へ通い続けていくつもりだ。


「じゃあ、君のこれからの暮らし、調査の上で助けになるものをあげよう。ちょっといいかな?」

「はい、なんでしょう?」


司牙は、百合の後ろに立つと、彼女の後ろの首に何かを取り付けた。


「え、なんですかこれ。まさか発信機ですか?」

「いや、違う。でもこれで僕と同じだ」


司牙は娘の後ろ首に、 “自分と同じ” パーツをつける。


それは——骸骨属である証。


「あぁ、そういうことですね」

「きっとこれで問題ないはずだよ」


明日から、百合はそれをつけたまま登校する。



怪警察本庁舎では、会議室に司牙と渡目が今度学院で実施される『防犯教室』についての打ち合わせをしていた。


渡目が犯人役で、いくつか想定されている『不審な人物にあったら』とよくある内容で、生徒役となるソウルと鷹魏との打ち合わせを終えていた。


「候補生2人との打ち合わせでは問題なさそうです。念の為、彼らの能力も教えてくれる範囲で聞いてきました」


渡目が話した『能力』について、司牙は話を持ちかけた。


「そういえば昨日、その男子生徒が倒れたと娘から聞いたんだけど、大丈夫かな」

「はい。体調は全く問題ないようです。ただ、お嬢さんと何かあったのでしょうか」


渡目は、百合とソウルの間で何があったのか一瞬だけだが百合の頭を読んでいた。読めたのは、『バレる』の一言だけ。だが、ソウルは心の声がダダ漏れだった。肝心なキーワードとして『匂い』が1番多く頭で語られていた。


「彼は、匂いにとにかく敏感なんだとか。お嬢さんから特にそういう匂いを強く感じた記憶がありませんが......」


「なるほどね、そこまで見えてるんだ。実は、彼女にちょっとした小細工を仕込んでみたんだ。当ててみてよ」


渡目は左手を額に巻かれた帯をなぞった。感じ取ったキーワードをそのまま口にした。


「においを消す、ですか?」


司牙は昨夜、百合に首の骨を模したパーツの中に消臭剤を入れたものをつけてあげていたのだ。これは、彼女が骸骨属である証であると同時に、匂いに敏感なソウルのためにとった救済措置だった。


「古典的だけど、恐らくそれが効くんじゃないかなって。娘にお願いしたんだ。今日の夜、結果はどうだったか聞いてみるつもりだ。じゃあまた、学校で」


「お疲れ様っス......」


会議室を後にした司牙を見送ると、渡目は1人会議室に残り、窓辺に寄りかかった。


「なに考えてんだあの人は......」

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