ひいおじいちゃんだと思ってついて行ったら、顔の半分が骸骨だった、知らないおじさんだった。

Gerolian

イントロ

第1話 知っている人だと思ってついて行ってはいけない

百合は、小さい頃から曽祖父の松治郎が大好きだった。


弱くて、でも温かい手で頭をぽん、と撫でてくれるたび、胸の奥がふわっと落ち着いた。


髭の奥の笑顔。古いアルバムを一緒にめくるときの、あの穏やかな息づかい。

その全部が好きだった。


百合は、同じ高校に行けることを誰よりも曽祖父に伝えたかった。母や父より先に真っ先に報告したい相手だった。


でも、松治郎は百歳を前に急に寝たきりになってしまった。


「……ひいおじいちゃん、起きたら何て言おう?」

胸の奥がきゅっと痛んだまま、百合は夏休みを迎えようとしていた。



放課後、蝉の声が落ち着き始めた教室で、百合は友達の楓<かえで>と薫<かおる>と夏休みの計画を立てていた。


「ねぇ、今年さ、肝試しとかどう?」

楓がニヤッと笑う。


薫がメガネを押さえて震える声で返した。

「で、でもあの“トンネル事件”とかのことを……」


“ トンネル事件 ”。

深夜、車を運転していた男性が、道路に突然現れた「何か」と衝突し、片脚を失った事故。

なのに車にはねられたはずの“ 被害者 ”はどこにも見つからなかった。

血も一滴も流れていなかった——それが噂を怪談に変えた。


百合は肩を竦めた。

「幽霊とか、怖いと思ったこと、ないなぁ」


この歳になるまでずっと、そういうものに対する恐怖を抱いたことがない。

以前、友達とお化け屋敷に行った時も、驚きもせず、出口へ着く頃には、みんな百合の腕や脚に絡みついて離れなかったものだ。


きっとこんな奴、脅かしたところで楽しくもないと、向こうから呆れられるだろうから。


「小さい頃、夜トイレ行くのとかも?」

「気づいたら朝だったし」

「……あんたって平和だよね」と楓。

そんな他愛もない会話の中で、楓がふと思いついたように言う。


「じゃあさ、トンネルのこと、自由研究にしよ! 百合、ちょっと見に行ってきてよ!」

「えぇ……わかったよ。でも霊感ないから期待しないでね」


そう言った百合は、その日の帰り道、曽祖父の家に行くついでにトンネルを遠目から見ようと決めた。あのトンネルについて、証拠として通学カバンにはカメラを仕込んでいる。


夕日が沈みかけ、街の影が伸び始めたころ。

信号待ちの人混みの中で、ひとりだけぽつんと浮かぶ後ろ姿があった。

銀髪。


背筋の伸びた姿勢。


どこか懐かしい肩の形。


息が止まる。


——曽祖父に、似ている。

「……ひいおじいちゃん?」


心臓が跳ねた。


いや、そんなわけはない。今の彼は寝たきりで、ここにいるはずがない。

けれど、どうしても目が離せなかった。


信号が青になり、男は歩き出す。

百合も無意識に後を追っていた。


距離を縮めるたび、胸が痛くなる。


“ 似ている ”というより、“ 思い出の中の後ろ姿 ”そのままだったから。


やがて家の近くの分かれ道に差しかかった。


右へ行けば松治郎の家。

左へ行けば、例のトンネル。

男は迷わず、——左へ曲がった。


「……なんで?」

男の行方が気になり、階段の途中の茂みに隠れ、動向を伺おうとカバンからカメラを取り出し、レンズを向ける。


風がざわつき、周囲の草木がざわざわと彼の足元に寄っていく。

まるで、彼を歓迎するように。


百合の背筋に冷たいものが走る。


男は振り返らず、まっすぐトンネルへ向かっていった。


胸の奥がざわつく。


“ あれが曽祖父の魂だったら? ”

“ それとも、死神……? ”


どれも馬鹿な考えだと頭ではわかっていた。

それでも——気付いたら百合は走っていた。


「待って!」


男の腕を掴んだ。


掴んだ瞬間、男がぴたりと動きを止めた。


ギロッと横目だけが百合を捉える。


その目は、百合の知る彼の姿ではなかった。

優しさのかけらもない、真っ黒な深い穴みたいな目だった。


「……ごめんなさい! 知ってる人かと思って!」

心臓がバクバクして、手の震えが止まらない。


男はゆっくり口を開いた。


声は低く、冷たかった。

「いいんだ。手を……ゆっくり離してくれますか」

声も松治郎と、全然似ていなかった。


やっぱり、やっぱりそうだよね。


百合は息をのみながら手を放そうとした。


その時。


「君、僕のこと……見えてるんだね。驚いたよ」


意味がわからなかった。

いや、目の前にいるじゃん。 “ 見えてる ”って何?


男が近づき、百合の顔をのぞき込む。


「僕の姿、怖くないの?」


その言葉が、何より怖かった。

ゆっくり顔を上げた百合は、——凍りついた。


暗がりの中、男のマスクの影でよく見えない。

けど、その奥で、白いものが見える。

普通の人間にないはずのものが見えた気がする。


喉が塞がれたように声が出ない。


逃げなきゃ。

逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ——

足が動かない。


周囲の闇が渦を巻き、地面から冷たい“ 手 ”のようなものが百合の動きを封じ込むように掴んでくる。

「ご、ごめんな、さい……!」


男は百合の前に屈み、静かに微笑んだ。

その笑みは、人のものではなかった。


伸びてくる指。


何かが、カチリ、と鳴る。


百合は確信した。


——ひいおじいちゃんだと思ってついて行ったら。

顔の半分が骸骨の、知らないおじさんだった。

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