少女/ノックの音/夜明け前

さなこばと

少女/ノックの音/夜明け前

 トントントン、と音がする。

 ノックの音だ。

 でも、これは、ボクの鼓膜を揺らす音じゃない。

 これは、ボクの心をたたく音。

 深くて真っ暗な奥底に閉じこもった、弱くて脆いボクを呼ぶ音。

 ボクはベッドの上で毛布にくるまり丸くなる。

 並び合わせた膝を抱きしめるように、両腕の力を強くする。

 ノックの音の場所を押しつぶすように。

 何もかも聞こえなくするために。

 ボクは、何も聞かない。

 ボクは、何も聞きたくない。

 心を強固にふさぐ。

 強い力で、強い意思で……。



 薄目を開けると、正面の壁際には小ぶりの本棚があって、下の段には様々な図鑑と風景写真集が隣り合ってしまわれているのがわかる。

 ここはボクの部屋。

 かつて外のまぶしさに憧れ、調べて、踏み出して、手ひどく失墜し、それ以来ここは唯一の安息の地だ。

 閉ざされた扉は、一日に数回開くだけ。生理現象には抗えないから。

 ここは、とても薄暗い。

 真夜中だ。

 窓辺は分厚いカーテンが下ろされ、天井の蛍光灯は使わず、ささやかな室内灯のみが淡い光を広げている。

 ここが城だと言うのなら、ボクは籠城戦をしているのかもしれない。一人きりの。

 でもそれなら、対峙している敵は何なのだろう?


 そんなボクの安寧は、しかしここで崩された。


 窓ガラスをガタガタと揺するような音が、ボクの伏し目を引きつけた。

 不安を誘う大きな音だ。

 地震だろうか。でも部屋の中を見回すと、床も本棚も、使い古した勉強机も静止したままだ。小物が転がり落ちる音もしていない。

 その空隙で強く主張するかのような、止まず鳴るガタガタ音。

 ボクはのそりと立ち、窓辺に寄って、ゆっくりとカーテンをめくる。

 窓の外を巨大な何かが走っている。

 それは生き物ではなくて――列車? いや、もっと的確な表現をするのなら、これは過去に図鑑で見たことがある貨物列車だ。

 ということは、窓のすぐ外に線路が敷かれていて……でも、そんなこと皆目知らないし、部屋のそばで設置作業でもしていたら音で気づくはずだ。

 貨物列車が通り過ぎていって、室内は静けさを取り戻した。



 音を潜めた窓から、ボクは振り返った。

 勉強机の上で何かが明るく光っている。心当たりはまったくない。


 今いるここは、夢の中なのかもしれない。


 机に歩み寄ると、発光のおおもとは一冊のノートだ。これもまた見覚えがない、高価そうなノートが置かれている。

 ボクが指先でそっと触れると、輝きを放つその光は、ノートの表面から沈み込むように潜っていく。

 部屋は再び薄暗くなる。

 徐々に好奇心が芽生えてきた。

 ボクはそのノートの端をつまんで、そっと開く。

 ページは真っさらで何の記述も見当たらない。

 一枚一枚めくっていくと、その中間辺りで、ボクの目は突如として光の奔流に突き刺された。先ほど潜った光の在り処を引き当てたみたいだ。

 ボクは目を強く閉じて、手探りで光に触れた。

 小さくて金属製の凹凸ある小物――鍵?

 光はその中心へと収束していく。

 まぶたをゆっくりと開いた。そこに残されていたのは、ノートの開いたページの真ん中に置かれた、何の変哲もない鍵だ。

 その鍵をボクは慎重に掴み取る。

 まじまじと見て、指で表面をなぞってみたりする。

 解錠が必要な場所なんて、ボクの周りには家の玄関以外にない。

 でも、使い道がない物をこんなに意味深に出現させるわけがないのだ。

 それに。

 この鍵は、何だか触れていると、すごく、すごく温かくて優しい気持ちになる。

 ボクは一旦鍵を机に乗せると、服を着替え始めた。全身を確認する術を持たないまま、髪を軽くとかして、緩く結ぶ。

 この不思議を、追ってみたいと思う。

 こんなにきちんと身支度を整えるなんて、何年ぶりだろう。

 小さな鍵を、ポケットにしまう。


 心を閉ざしたボクは、もうずっと、一生どこにも行けず、憧憬のようにまぶしい地にたどり着くことなんかできないと思っていた。

 暗い路地で野垂れ死ぬことも、ふとしたときに考えるくらい、ボクはひどく弱々しかった。


 もしこれで外に出たら。

 怯えを振り切って、外に出られたなら。

 そうしたらボクはいろんな風景を目に焼き付けたい。

 波乱と興奮に満ちた旅をしたい。

 そして、光っては輝く尊いものを存分に見てまわって、聞いて、触れて、いっぱい味わいたい。

 ボクがまだ見たことがない、この広い世界の素敵なものとたくさん出逢いたい。


 きっとこれは、夢だ。

 寝ているときに見る、荒唐無稽な夢。

 そして、それと同時に、こうなったらいいなと願う、ボクの内なる憧れが生み出したなのかもしれない。



 トントントン、と音がする。

 これは、閉じられたボクの心をノックする音だ。


 ボクは、それに応じようと思う。

 手にしたばかりの小さな鍵を取り出して、両手で胸に押し当てて――


   〇


 不安そうな眼差しでこちらを見上げてくる小さな彼女に、近くて遠いところにいるは愛しさが込み上げた。

 私もきっと、夢を見ている。


 私がそばで見守る彼女と、いつの日か、どれほど素敵なことだろうって。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

少女/ノックの音/夜明け前 さなこばと @kobato37

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ