第5話 火の如き噂

 学園の朝。鐘の音が鳴る前から、私は異様な空気を感じ取っていた。

 廊下に並ぶ生徒たちの視線が、刺すように私へ注がれる。

 彼らの口元が、ひそひそと動く。


「セシリア嬢が、夜会で賄賂を……」

「密偵を雇って、相手を嵌めたらしい」

「軍師殿まで抱き込んでいると聞いたわ」


 ――来た。

 三成が予告した「火」、すなわち噂だ。

 火は実体がなくとも燃え広がる。とりわけ、この学園という閉ざされた空間では。


 私は扇を開き、悠然と歩みを進めた。だが胸の奥で、緊張は張り詰めている。

 ここで怯めば、炎は一気に燃え上がる。


 昼休み。

 中庭の噴水に座っていると、見慣れた灰色の筆跡が記された紙片が差し入れられた。


 火は水で制す。

 だが水はただ浴びせるのではなく、

 流れを導く器を作れ。

 ――三成


 私は思わず笑みをこぼす。

 噂を打ち消すのではなく、噂の流れを「器」に導く。つまり――利用するということ。


 数日後。

 学園で学術発表会が開かれた。生徒が自由に研究成果を披露する催し。

 私は壇上に立ち、手に一冊の書物を掲げた。


「本日は“交易と信用”についての考察を述べます」


 ざわめきが広がる。

 噂で「賄賂」や「密偵」という言葉が飛び交う今、私がこの題目を選んだことは、明らかに挑発に映ったのだろう。


 だが私は動じず、扇を掲げて続けた。


「国と国とを結ぶのは剣でも金でもなく、信用。

 賄賂や裏切りで築かれた取引は、必ず破綻する。

 逆に、正しき規律と秩序を重んじるなら、国は豊かになり、民は笑顔を得る」


 観衆の間に、戸惑いと共鳴の波が走った。

 私はさらに一歩踏み出す。


「ゆえに私は誓います。

 この身にどれほど噂が飛び交おうとも、必ず“事実”でそれを退けると。

 ――証拠を求めるのなら、堂々と目の前で突きつけてごらんなさい!」


 声が響き渡る。観衆がざわめき、やがて拍手が湧き起こった。

 噂の火は、いまや「セシリアは堂々としている」「正義を語る令嬢だ」という別の流れに導かれていく。


 発表会のあと、廊下を歩いていると、静かな声が背後から届いた。


「――見事だ」


 振り返ると、そこには石田三成がいた。

 彼は人混みを避けるように歩み寄り、低い声で続ける。


「火をそのまま消せば灰になる。だが、器に流し込めば灯となる。

 君は、火を灯に変えた」


 その瞳には、冷徹さだけでなく、わずかな誇りの光が宿っていた。

 私は微笑み返す。


「あなたが“器を作れ”と教えてくださったからよ」


「いや。器を形づくったのは君自身だ」


 灰色の瞳が、ほんの一瞬だけやわらいだ。

 私は胸の奥が熱くなるのを感じた。


 だが、その温もりを断ち切るように、新たな紙片が差し入れられる。


 火は収まった。

 次は「土」。

 彼らは根を張り、

 君の足元を掘り崩そうとする。

 ――三成


 土――足元を崩す罠。

 つまり、家名や血筋、出自を攻撃してくるということだ。


 私は扇を閉じ、深く息を吸った。

 破滅フラグは次々と姿を変えて襲いかかる。

 けれど、もう恐れることはない。


 私には石田三成という軍師がいる。

 そして何より――私自身が、未来を設計する意志を持っている。

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