ハンター

「鮎川さん、今帰りですか。」

 

 夕月が病院の職員玄関から出ようとすると、自動販売機の脇のベンチに座っていたスーツの男が、サッと立ち上がった。

 

「早坂さん…、お疲れ様です。」

 

 声をかけて来たのは事務の早坂だった。

 

「これ、間違えて買っちゃって。良かったら貰ってもらえませんか。」

「え?あ、すみません。」

 

 手渡されたのは、温かいカフェオレの缶だった。

 反射的に受け取ってしまった夕月に早坂は頷いて、もう一方の手に持っていたブラックコーヒーの缶を開けた。

 

「冷めちゃうと勿体無いから、早めに飲んで下さいね。」

「はい。ご馳走様です。」

 

 受け取った手前、なんとなくそのまま立ち去り辛くて、夕月もカフェオレを開けた。

 

「鮎川さん通ってくれて良かったです。俺甘いの飲めなくて。」

「……そうなんですか。」

 

 自動ドアのセンサーが反応しないように、少し脇にそれて並ぶ。

 缶に口をつけると、じっと見られている気がした。

 

「あの、何か?」

「ああ、いえ。この間、インフルエンザだったって聞いたので。……元気そうで良かったなと。」

「あ……、すみませんでした。復帰したばかりなのに、ご迷惑をお掛けしちゃって……、お休みの処理とか、大変でしたか?」

「いえ、」

 

 早坂はぐっと黒い缶を呷った。

 

「それが仕事ですし、よくある事ですよ。」

 

 ゴミ箱に缶を捨てて、彼は小さく手を上げた。

 

「じゃあ、また明日。お疲れ様でした。」

「はい、お疲れ様です。」

 

 夕月も頭を下げ、手の中の温くなったカフェオレを飲み干した。

 つい先日、忘年会の帰りに早坂に送られたことで夫の翔吾に酷く叱られたが、やはり彼を悪い人だとは思えなかった。


 

 

 次の日、夕月がコピー用紙を事務所に取りに行くと、対応したのは早坂だった。

 

「あ、早坂さん!昨日はどうもありがとうございました。」

「……いえ。A4ですよね。」

「え?あ、はい。ありがとうございます。」

 

 昨日の打ち解けた様子とは打って変わって、早坂は淡々と仕事を進めていた。

 別に無駄話がしたい訳ではないが、何か気に触ったのだろうか。

 夕月は自分が早坂の背を眺めて首を捻っていることに気づいて苦笑した。

 別に友だちという訳ではないのだ。

 業務に支障が出なければ、相手の虫の居所が多少悪くても問題はない。


 

 その日の昼休憩。

 院内のコンビニに飲み物を買いに行った夕月は、たまたま再び早坂と行き会った。

 

「あ、鮎川さん!お疲れ様です。さっきはどうも。」

「お疲れ様です……?」

 

 先程とは違い、気さくに声をかけられて面食らってしまう。

 

「俺の顔がどうかしましたか?」

「あ、ごめんなさい。さっきとは、随分様子が違うので……。」

「さっきは仕事中でしたからね。」

 

 早坂は微笑んだ。

 そういえば、昨日もこれまでも、あまり彼の笑顔を見た事がなかった事に気付く。

 

「事務って女の人が多いでしょう。あんまりヘラヘラすると怒られちゃうんですよ。」

「ああ、そうなんですか。大変ですね。」

 

 翔吾の職場も異性関係には気を使うらしい。

 早坂の言葉がよくわかる気がした。

 目当ての紅茶を手に取ってレジに並ぶと、早坂も後ろに並ぶ。

 

「鮎川さんはいつもお弁当なんですよね。自分で作ってるんですか?」

 

 問いかけた彼の手には惣菜パンが2つとまたブラックコーヒーがある。

 

「ええ、もちろんです。」

「旦那さんもでしょう?いいなぁ。旦那さん、幸せですね。」

「そんな……、大した物は入れてないんですよ。」

「それでも俺は独り身ですから、羨ましいですよ。」

 

 臆面なく褒められて面映い。

 意味もなく傍らの棚の商品に目を向けてしまう。

 

「あ、レジ空きましたよ。」

 

 その途端だった。

 早坂が夕月の手から紅茶を抜き取った。

 

「え、ちょっと!」

「俺、ポイント貯めてるんです。一緒に払わせて下さい。」

 

 夕月を追い抜かした早坂はさっさとレジへ向かい、スマホで決済してしまう。

 

「困ります……!」

 

 追いかけて小さな声で抗議した夕月に紅茶を渡しながら、早坂は片目を瞑った。

 

「ごめんなさい。鮎川さんもポイント貯めてました?」

「そういう訳じゃないですけど……!昨日だってコーヒー頂いたのに。」

「あれは、俺が間違えたから、鮎川さんに助けて貰ったんですよ。」

「でもこれはお支払いします……!」

「とりあえず今日は良いですよ。俺財布持ってないですし。……じゃあ、また今度何か買って下さい。」

 

 悪びれない早坂の様子に、夕月は戸惑いながらも財布をしまう。

 ここで無理矢理小銭を押し付けるのは大人気おとなげない気がした。

 出て来たばかりのコンビニのレジにはまだ長蛇の列ができているし、スマホで少額のやり取りは出来ない。

 

「じゃあ、また、明日にでも……。」

「約束ですよ。」

 

 約束。

 それは職場にはあまり似つかわしくない響きだと思った。

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