第6話「公開演習・開幕」

 鐘が三打、広場の空気が粟立つ。白線は二重に輝き、鈴窓のドレミがゆっくりとタン・タン・タンタンへ移ろう。板には仕様書、足元には白線、頭上には旗。都市は説明された戦場になった。


 「――開幕」


 アリシアが宣言する。声は高くないが、よく通る。宣言の語尾に合わせて、観客の拍が立ち上がる。孤児院チームの子どもたちが「拍の見本」を先導し、老人列には椅子と足踏み板が配られた。足踏みの低音が、地面の下の橋守の小骨に伝わる。


 勇者隊は二列。正面は青羽織の公開隊、外縁は茶装束の検証隊。カイルは馬を降り、白線の内側ぎりぎりに立った。今日の彼は剣ではなく、旗を持っている。


 「俺たちは“囮”を混ぜる。混ぜるだけだ。壊しには来ていない」


 短い挨拶を残し、彼は視線を集計板に移した。俺は頷き、開幕の合図を橋守の印に指で打つ。温度が一度だけ吸われ、片列停止の待機が点灯する。


 *


 序盤は、設計通りに進んだ。

 観客の拍は整い、声「ま・も・る」は低音から中音へなめらかに遷移する。旗の切替は白から青へ、青から白へ、誤読なし。

 勇者隊の疑似侵入は白線外を滑るように走り、鈴窓が一拍遅れで気づく。遅れは意図通り――観客に「拾う感覚」を与えるための余白だ。孤児院チームの少年が手を上げ、「B区画速い、C区画遅い」と板に書く。見える遅速は、すぐに修正に変わる。


 「――いいテンポだ」


 カイルの口元に、わずかな熱が戻る。彼の隊の足は、都市の学習を確かめるように外縁を回る。


 そのときだ。

 鳴き砂のような微かな音が、拍の下に紛れ込んだ。最初は、気のせいだと思う程度のチリチリ。次に、耳の奥でかゆくなる。


 「音が――増えてる」


 ミラが眉を寄せた。耳に手を当て、鈴窓の鍵をたぐる。「誰かが音虫(おとむし)を放った。拍と似た倍音。拍を崩すための音」


 音虫。湿地に棲む甲虫に細工した妨害具。見えず、踏んでもつぶれにくい。囮の中には、勇者隊以外が混じっている――商人ギルドの手癖だ。


 「B区画の下、白線の縁に撒かれている」


 「拾えない。踏めない。――歌で締める」


 ミラが息を吸い、短く三音を立てた。上・下・下。鈴窓の穴がその合図で狭まり、観客の拍の帯域をひとつ細くする。音虫のずらしが弾かれ、拍が一本を取り戻す。


 「観客、手を足に! 足拍で揃える!」


 俺が叫ぶと、老人列が最初に応じた。足踏み板がドン・ドンと低く鳴る。子ども列には影旗が配られ、旗頭の角度と拍のスイッチを目で合わせる。手拍は乱れるが、足拍は揃う。地面は味方だ。


 「火矢、来る!」


 勇者隊の公開隊が空へ細い火を上げた。湿に強い油。変調も混ぜている。

 「声を二拍で切る! 合言葉を息にして!」


 「ま・も/る・る」

 合唱が短くなり、湿が厚くなる。ミラは温度を一度落として戻し、火の舌の腰を折った。火は学ぶ。だが都市も学ぶ。


 ――その時、広場の反対側で紙が舞った。

 配られた薄葉。王家の印に似せた刻印。文面は短い。「通行札、有料化。徴収開始」。

 周到だ。演習の最中に疑いをばら撒く。拾った手が凍る。拍が薄くなる。


 アリシアが一歩前に出て、印璽を高く掲げた。「触って確かめて!」

 孤児院チームが走り、無徴収証印の凹凸を観客の掌に押す。目では偽印に似ていても、指は嘘をつかない。

 「王家印は冷たくて沈む。偽印は軽い。触覚で学んで!」


 拍が戻る。足が揃う。紙は踏まれ、泥に沈む。


 「――侵入、左外列!」


 勇者隊の検証隊が静音で滑り込む。鈴窓は半拍で拾い、旗は白から青へ斜めに切り替わる。裏列が開く。観客の拍が逃げを作る。

 ガロスが低く叫んだ。「押すな、弾け!」

 群れの得手が生き、列は膨らまずに広がる。速度は落ちない。


 「――ここまでは予定内だ」


 俺が呟いた瞬間、地面の脈が逆に走った。

 橋守の関節が、身震いするように一度縮み、次に古い音を鳴らした。懐かしいのに冷たい音。鈴窓が勝手に音程を変える。


 ミラの顔色が変わる。「古プロトコルが上がってきた。誰かが言葉を投げ込んだ――古い合言葉」


 古い合言葉。王家が昔、緊急時に外敵を判別するために使った硬い言葉。

 「“渡り人以外、敵”」

 観客は渡り人ではない。都市の民だ。プロトコルが誤読すれば、観客が敵になる。


 「緊急停止 条件、前倒し。――全列白、裏列閉鎖、鐘三打、王女宣言!」


 俺は板を叩き、橋守の印に打つ。白線がすべて白に変わり、裏列が閉じる。鐘が三打、広場にひびを走らせる。

 アリシアが前に出て、宣言した。「観客は都市の一部。敵でない。王家の名において」

 橋守の関節の震えが一拍だけ止まる。だが、古プロトコルの尾が絡みつく。石は昔をよく覚えている。昔はときに残酷だ。


 「どうやって外す?」


 ガロスが低く問う。鈴窓は不規則に鳴る。拍が崩れ、声が割れる寸前。三条件の二つまで迫っている。


 「二人契で上書きする。――でも今日は三者だ」


 俺はアリシアの手を取り、橋守の印に重ねた。グレイスが即座に自分の掌を足す。王家、設計者、監査。三位一契。

 ミラが短い歌を放つ。「今の鍵に、今の歌を」

 印が熱を奪い、次に返した。古プロトコルが薄皮みたいに剥がれ、表面に今の仕様が浮く。


 「観客、名前を言って!」


 俺は叫ぶ。「自分の名前を、声で! 対象を人に戻すんだ!」

 「斎橋ハナ!」「ルード!」「カナメ!」――広場の四方から固有名が立つ。合言葉は物に向けるが、名は人に向ける。橋守の敵味方の判別が溶け、鈴窓が等間に戻る。


 カイルが旗で角度を切り、「戻れ」の合図を検証隊へ送る。勇者隊は一斉に外縁へ退く。

 「……もつな?」


 「もたせる」


 俺は印から手を離さず、もう片方の手で板に太い線を引いた。

 > “名の帯”――観客が自名を連呼する帯を白線沿いに走らせ、橋守の敵判別を人間中心にリセット。

 ミラが鈴窓の穴を「名の帯」用に並び替える。鈴が不規則に聞こえ、次に規則を取り戻す。乱れは、仕様の余白で飲み込める。


 鐘が静かになり、白線の白が息を吐く。緊急停止の解除。観客の足がまた揃う。

 広場の端で、薄緑に金の糸の旗が縮んだ。誰かが舌打ちをした気配だけ残して、影は薄くなる。


 「――再開」


 アリシアが短く言い、旗が青に跳ねる。拍が戻り、声が低く響く。勇者隊は距離を保ち、攻めではなく測りに徹する。

 カイルの目が、さっきよりも深くなっていた。

 「見た。支援が守った。剣じゃなく、設計で」


 「剣は、居場所へ」


 短い応酬の間にも、板の曲線は伸び続けている。往来+四割、事故ゼロ、苦情「音がうるさい」→耳栓布配布で即応。見える都市は、すぐ変わる。


 ――そこへ、地の底からもう一つの音が上がってきた。

 湿でも火でも雷でもない。呼吸でも拍でもない。低い潮のような、しかし固い音。

 ミラが青ざめる。「核が笑った」


 核――封印ダンジョンの最下層。

 笑い、という言い方は比喩だ。だが、そうとしか言えない波形が、白線の奥から押し寄せた。橋守の関節が快とも不快ともつかない震を見せ、塔の上の風見が方向を定められずに回る。


 「暴走じゃない。――招待だ」


 俺は喉の奥で言い、アリシアと目を合わせる。

 公開演習は続いている。観客は拍を、声を、旗を使えるようになった。勇者隊は運営を理解し、商人ギルドの手は読み切りつつある。

 そのときに限って、都市は次を見せてくる。


 「下が、開きたがってる」


 ガロスが唇を噛む。「今開けたら、祭が試練になる」


 「祭は試練でいい。見せる覚悟で来た」


 アリシアは印璽を握り、わずかに笑った。

 「二人契、もう一度。――核と話す」


 「勇者隊、観客保護を継続。法務官、記録を。査察官、証人に」


 カイルは旗を肩に乗せ、短く頷いた。アウステルは顎でわずかに合図し、グレイスは既に筆を走らせている。


 俺とアリシアは印に掌を重ね、ミラの短歌が鍵を合わせる。白線の奥、湿地の底で、古い門の蝶番が笑い、沈黙が形を持つ――。


 階層が、こちらを見た。


 白線が三度、知らない音で鳴った。

 演習は、交渉に変わる。

 都市は、次の設計図を欲しがっている。


作者より

読んでくれてありがとう!手に汗の回でした。ブクマ・★評価・感想が続きの燃料です。

次回予告:「核との交渉」――封印ダンジョンの“意思”に仕様書を見せる。勇者隊と共同の降下、そして商人ギルドの“第三の手”。

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