推理合戦バー シリーズ
佐渡 寛臣
テーマは『えいが』
死者のメッセージ 問題編
死者のメッセージ
気持ち悪い、と思う。
私は不愉快な気持ちを隠しながら、この映研の監督、横山良太の様子を伺う。また自分の親指をしゃぶって、にやついている。
今日は秋の大学祭へ向けて作られた、自主制作映画の試写会だった。
部員のほとんどがすでに部室に集まっていた。壁に掛けられたスクリーン。それに向けて設置されたプロジェクタ。そしてつながれたパソコン。もう準備自体は整っているようだった。
先ほどから、せっせと準備していたカメラ兼編集担当の前川はじめが一息ついてパイプ椅子に腰掛けた。
スクリーンが入り口から見て一番奥の壁にかけられている。そこから三つのテーブルが並んでおり、一番前にプロジェクタとパソコンが置かれ、そこには前川が座っていた。二番目のテーブルに監督が座り、その横は空いている。神経質な監督の隣に座るのを、みんな避けているのだ。今日は部室に着いてから、監督はずっと席に座って前川が準備を終えるのをじっと待っている。
「――ねぇ、あの癖、なんとかならないの?」
三番目の席に座る私は隣のメイク担当の佐藤二美に小声で話しかけた。ちらりと横山を見る。白いハンカチで唾液のついた指を拭いている。その姿もどこか気味悪く思う。
「慣れだよ慣れ。横山さん、あの癖のこと言われると機嫌悪くなるからさ。ちょっとだけ我慢しててよ」
二美は苦笑いして言う。
私はこの映研の部員ではない。そんな私がなぜここにいるかというと、今回の映画で、女優の代役をすることになったからだった。
私に代役を頼んできたのは二美だった。アップのシーンは撮り終わっているから、顔が出ることもない、背格好が近いので代役を頼めるのは自分だけだと、しつこく頼まれたのだ。
「――綾瀬先輩、結局戻ってこなかったね」
ぽつりと私が呟くと、二美はほんの少しだけ俯く。
綾瀬志保はこの作品の本来の主役だった。彼女は今ここにはいない。
この夏、彼らは撮影旅行に出かけた。そもそも無関係だった私はもちろんその旅行には参加していない。
二美の話によると、撮影は順調に進んだのだが、すべてのシーンを撮り終えたその晩、綾瀬志保がふらりといなくなった。
部員全員で捜索し、警察にも捜索願いを出したが、綾瀬は見つからなかった。
こちらに戻ってから撮る予定だったシーンも女優の不在により活動を停滞していたのだが、監督とカメラ担当の前川がどうしても作品を完成させると言い出し、代役探しをすることになり、私に白羽の矢が立った。
撮影は本当に大変だった。監督は細部にまでこだわるし、私が演技の素人であろうとなかろうと容赦なくNGを飛ばしてくるのだ。
脚本も変わっていた。ワープロ書きされた脚本に、監督からの変更点がちらちらと殴り書きされていた。監督はパソコンを使うのを嫌うらしく、原本はすべて手書きだった。映像編集ソフトなどは使えるにも関わらず、ワープロソフトは使わないのが彼の拘りらしい、と二美から教わった。
「あと来てないのは川添くんだけかな?」
メンバーの顔を確認しながら、菱田さつきが言った。彼女は部費の管理から撮影時の雑用、時には役者にもなるオールラウンダー。今日も、彼女がこの場を仕切っているようだ。
その役職のためか、皆が嫌がる監督の傍らにいつも立っている。だけど席には着かない。恐らくは部屋の脇にあるスチール棚を置いているテーブルの椅子に座るのだろう。
「そうですね。でももう少しで来ると思います。さっきメールきたんで」
前川が答える。菱田は眉をしかめて、鞄から携帯を取り出す。菱田は身につけるものすべてを鞄に入れているらしく、ハンカチやティッシュ、リップクリームなんかもポケットには入れずに鞄にしまいこんでいた。きっちりした性格が出ていて、そういうところは二美とは正反対だな、と思う。
この性格だからこそ、色々な雑務も一手に引き受けている。この間のクランクアップ祝いの飲み会も、全て段取りしたのも彼女だ。途中参加だった私も参加して、一緒にお寿司を食べたのがすでに懐かしくある。
「喉かわかない?」
二美が明るい調子で言った。
「ジュースとってくるよ」
立ち上がると、二美は監督の座るテーブルまで行って、2リットルのオレンジジュースのペットボトルを手に取った。
テーブルの前では横山が相変わらず指をしゃぶっている。
「――あ、オレのも淹れてくれない?」
前川が二美に言って紙コップを差し出した。
「うん、いいよ」
そう答えて、二美がペットボトルを傾けた瞬間、二美の手からペットボトルが滑り落ちた。
ばたん、と音を立てて、テーブルの上にペットボトルが落ちる。口からオレンジジュースが溢れ、テーブルに広がる。テーブルの上に置かれた横山のハンカチにもジュースの染みがつく。
「わわっ」
二美が慌ててペットボトルを拾い上げる。
「あー、やっちゃった」
前川が言いながら笑う。
「ねぇ、江藤さん、そこのティッシュ投げて」
菱田に言われて、私は横にある棚の中の箱ティッシュを取り、菱田に手渡した。菱田はティッシュでテーブルを拭いていたが、こぼれたジュースの量が多すぎるのか、中々片付きそうになかった。
「あぅー、横山さんー……ごめんなさいー」
二美はどうしてこうも誠意の篭らない謝罪が出来るのだろうか、と私は横でふと笑ってしまいそうになる。横山は軽く舌打ちをして、また指をしゃぶる。
二美は自分のハンカチでテーブルを拭き始めた。
「はいはい、佐藤さん。気にしなくっていいからいいから」
菱田がそういいながら二美の頭を軽く撫でる。こういうときのフォローもするのだから、菱田は凄いな、と思う。
二美は真剣な面持ちでジュースを紙コップに注いでいた。人数分注ぎ終えると、一仕事終えたぁーと言いたげに出てもいない額の汗を拭った。
二美はすぐに私の隣に来た。同い年なのに、どこか妹のような感覚がある。実際彼女は末っ子で、いつもみんなに可愛がられている。
私は注がれたオレンジジュースを適当に手に取ると、少し口に含む。柑橘系の甘酸っぱさが舌に広がる。みんなも同じように適当にコップを取り、それぞれジュースを飲む。
「それじゃあ、もう時間だし始めましょうか」
菱田が携帯を鞄に直して、棚の置かれたテーブルから椅子を引き出して座った。
各々が適当に席に着く。私も二美と並んでパイプ椅子に座る。ちらりと横山をみると指をしゃぶるのをやめたところだった。さすがに上映中は集中するらしい。ハンカチで一度指を拭い、テーブルの上に真っ白なハンカチが置かれたところで、後ろの扉が開いた。
「おそくなりましたー」
この映画の俳優である川添雄三だ。まるで役者の雰囲気もなく、だらしないTシャツにぼさぼさの髪。
「あくびしながら言わない」
菱田が言う。
「すんませんしたー」
へらへらと言いながら、椅子に腰掛けた。
全員が揃ったところで、電気が消えた。パソコンの青い光だけになり、前川が操作を始めると、プロジェクタから映像が流れ始めた。
僅かに舞う埃がプロジェクタの光に移る。無音で真っ暗な部屋の中、雑木林の映像がスクリーンに映し出された。
「――何だこれ?」
川添が言った。
二美がその言葉に反応するように首を傾げる。
「こんなシーン撮りましたっけ?」
音が入る。衣擦れの音、草木を踏む足音が少しずつ近づく。誰かの白い足が前を横切った。カメラは随分低いところに設置されているのか、膝が映る。白のスカート。ワンピースだろうか。
「あれ?」
二美がスクリーンを指差す。
「あれ、綾瀬先輩じゃないですか?」
言われてみると、私が着た衣装に似ている。確か彼女は衣装を着たままいなくなったから、新しく買ったものだといっていた。
「――ちょっとやめてください。その話はもう終わりにしましょうよ」
画面の中で、綾瀬志保の声が響いた。どこか苛立っているような、そんな声だ。
「もう終わってるんですよ。いいかげんにしてください。はっきり言いますと、迷惑だっていってるんです」
誰に言っているのだろう。
「この綾瀬先輩の服装って……」
首を傾げる私の横で、二美が呟くように言った。
「私が最後に先輩をみたときの服装だ」
「――え、それってもしかして……」
私がそういいかけたときだった。
画面を何かがふさいだ。ジーンズの生地が見えた。駆ける足。先輩に向かって伸びた手。
男が先輩に圧し掛かっていた。男の手は、先輩の首にかけられていた。
くぐもった声をマイクが拾っていた。なんと言ってるのかはまったくわからなかった。暴れる手足が次第に弱くなり、やがて、糸が切れたようにぱたりと地面に落ちた。
男は、先輩に圧し掛かったまま指をしゃぶっていた。
「どうしよう……どうしよう……」
男が何か呟いている。
「――これ、なんなの……」
二美が私の腕に手を絡めていた。震えているのが分かる。私も何が何だかわからずに、その映像を見つめていた。
スクリーンの中の男。横山良太は、ぶつぶつと先輩のことを非難しながら、その薄っすら目と口を開いたままの先輩を引きずってどこかに消えた。
「――ひぐっ」
変な声が響いた。瞬間、激しい音が部屋に響き渡った。パイプ椅子が倒れ、すぐに音の方向を見ると、誰かが苦しそうに声を上げていた。
「誰か! 電気をつけて!」
菱田の声に私は我に帰り、すぐに入り口近くの電気をつけた。
「きゃあ!」
二美が叫んだ。私は近寄り、二美の肩を抱いて、その現場を見下ろした。
監督が、白い泡を吹いていた。手は喉元を引っ掻くような格好で、体はまだびくびくと痙攣していた。
「きゅ、救急車だ!」
川添が叫んだ。前川は急いで携帯電話を取り出して、電話をかけ始めた。
「横山くん! 大丈夫!?」
菱田が言いながら、次第に痙攣を鈍らせる監督に駆け寄る。座り込み、触れようとするが、どうしていいのかわからずうろたえていた。
「ね、ねぇ……あれ……」
二美が震える声で、スクリーンを指差した。
スクリーンにはテロップが流れ始めていた。
この映像は、すべてをみていたことの証である。
見てもらった通り、彼女はもうこの世にはいない。
何故このようなことになったのか、もはやそんなことはどうでもいい。
ただ一ついえることは、この事実を明らかにし、償わなくてはならないということだ。いや、償うべきなのだ。
それが使命だと感じた。
よって私はこのことを、ここにいる皆に伝えようと考えた。
彼女の遺作であるあの作品は、これによって完成となる。
彼女の本当の、最後の姿を映した、この映像をもって。
ただ一つ残されたことは、その罪を償うこと、それだけだ。
そこで映像は終わっていた。
「救急車、すぐ来るって」
前川が言った。
「警察にも電話して」
菱田が立ち上がって言った。
「呼吸も止まったわ」
「それって……死んだってこと……ですか?」
私が溢れてくる唾液を飲み込んでいった。心臓が震えるように脈打ってるのが分かる。菱田はこくりと頷きそのまま俯く。
「さっきのって、遺書?」
誰に言うでもなく二美が言った。
オレンジジュースの染み込んだハンカチが落ちていた。恐らく監督が倒れたときにテーブルから落ちたのだろう。
「これって自殺……だよな?」
川添が監督の傍により、恐る恐る開いたままの監督の目を閉じた。テレビでみたことのある行動そのままだった。
「あんまり部屋のもの触らないようにしようぜ。ドラマとかであるだろ?」
警察に電話している前川を川添はちらりと見る。同じ内容のことを警察に指示されているのだろうか、前川はこくりと頷く。
それからしばらくして、警察がやってきた。私たちは隣の部屋で待機することになり、それぞれ事情聴取を受けることになった。
調べた結果を少しだけ耳にした。監督は毒物を飲んで死んだのだという。オレンジジュースやコップからは毒は検出されず、右手の親指に毒が付着していた。それと遺体のそばに金魚型のしょうゆ入れがあり、その中に監督の指に付着していた毒と一致した。恐らく毒を口に含んだ際、指に付着したのだろう。
それと不思議なことに、棚から一枚の封筒が出てきた。綾瀬先輩を殺したことと、その罪の償いのために映画を完成させたこと、そしてこの日に自殺を決意していたことなどがワープロ文字で記されていた。
分かりやすいように、そのときの行動をもう一度記しておこう。
昼過ぎ、私が来たときには、監督、前川、菱田、二美がすでに部屋に集まっていた。私が来てしばらく後、川添がやってきた。この中で、映像を編集したり、カメラの操作が行えるのは監督と前川、そして川添で、残る二人の女性はあまりパソコン操作が得意ではない。恐らく、あの映像を作ることができたのはこの男性陣だろう。
部屋には長テーブルが三つ並んでおり、一番前の席、プロジェクタとパソコンの置かれていたテーブルにいたのは前川一人で左側に座っていた。彼がプロジェクタとパソコンの操作をしていた。彼はあのとき、一度も席を立っていない。
テーブルを挟んでいるため、彼はもちろん私や二美、川添も監督に触れることは出来ない。
前日のリハーサルまでは間違いなく、本来の映像が流れていた。問題の映像に差し替えられたのは恐らくその後なのだが、鍵の管理をしている人の話によると、この試写会が始まるまではこの部屋を開いたものはいないらしい。
二番目の席には監督が右側に座っていた。隣には誰も座らず、傍には菱田が立っていた。彼女は横にあるスチール棚の置かれたテーブルにある椅子を出して座っていた。ちなみにこの棚から封筒が発見された。
菱田さつきはずっと監督の傍にいたが、監督には一度も触れることはなかった。
三番目には私と二美、そして後から来た川添が並んで座っていた。二美は事件の前後、常に私の傍にいて、離れたのはオレンジジュースを入れたときくらいだった。
映写が始まって、しばらくして、監督が突然苦しみだし倒れ、亡くなった。ハンカチの近くに落ちていたしょうゆ入れには毒物が入っていた。表面がざらざらであったため、指紋は検出されなかったが、恐らくこれに毒を入れて持ち歩いていたのだろう。
問い
この事件は監督による自殺なのだろうか。
自殺でないのなら、二つの遺書があったのは何故だろうか。そして誰が、監督を殺害したのだろうか。
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