第8話 魔将軍と究極のパン
魔王軍の将――漆黒の甲冑をまとった巨体は、戦場の喧噪をひと息で押し黙らせた。
頭上の角は雷雲を裂き、目の奥には血のように赤い光が宿る。
その足音ひとつで、大地は震え、王都の城壁が軋んだ。
「ひと噛みで千を屠ると噂の魔将軍……!」
ザイラスが青ざめ、兵士たちがざわめく。
だが私は窯の前から一歩も動かなかった。
戦場の炎と、窯の炎。その熱が重なり合い、耳元で風の精霊ミルが囁く。
『レオン。これが最後の“試練”だよ。焼ける?』
「ああ。焼いてみせるさ」
◆戦場に立つ窯
私が粉袋を開けると、兵士たちの目が驚きに見開かれた。
戦場のど真ん中で、パンを焼こうとしている――常識では考えられない行為。
けれど、彼らはもう信じていた。パンの香りが剣にも盾にもなることを。
小麦粉、塩、水。そこにオズが託した岩塩とハーブを加える。
さらに、ミルが風に乗せて運んできた精霊草の花粉を振りかけた。
それはほのかに光を放ち、生地に溶け込んでいく。
「究極の……パン……」
自分の口から漏れた言葉に、胸が震える。
生地を叩く。折り返す。練り上げる。
剣を振るうときよりも力強く、祈るときよりも真剣に。
戦場の音が遠のき、聞こえるのは生地が息づく音だけになった。
◆魔将軍の咆哮
「人間風情が……窯を前に何を戯れている」
魔将軍の声は雷鳴のようだった。
その巨腕が振り下ろされ、地面が裂ける。
兵士たちが悲鳴を上げる。
「レオン! 下がれ!」
アルドが叫び、剣で衝撃を受け止めようとするが、その力に押し負けそうになる。
「下がらない!」
私は窯口を閉じ、焼き上がる瞬間を待ちながら叫んだ。
「俺は勇者じゃない! ただのパン屋だ! けど、このパンで――世界を守る!」
◆究極のパン、焼き上がる
ごうっと炎が舞い上がった。
窯の口から溢れ出す光は、ただの熱ではなく精霊の輝きだった。
焼き上がったのは、黄金を超えて白銀に輝く一本のバゲット。
その姿に、兵士たちが息を呑む。
「……聖剣?」
「いや、パンだ……!」
私はそのバゲットを両手に取り、戦場に掲げた。
風が巻き、香りが広がる。癒やしでも勇気でもない――魂そのものを震わせる香り。
兵士たちの瞳が一斉に燃え上がった。
「うおおおおおおおおお!」
魔将軍が嘲笑する。
「パンで我を倒すだと? 愚か者!」
私は深く息を吸い、バゲットを振り抜いた。
◆パンと剣の共鳴
バゲットが空を切ると同時に、アルドの聖剣が光を放った。
マリアの祈りと、ザイラスの魔法が重なり、三人の力が一つに束ねられる。
そして、その中心にあったのは――パンの香りだった。
白銀のバゲットと聖剣の光が共鳴し、巨大な斬撃となって魔将軍を呑み込む。
轟音。衝撃波。夜空を裂く閃光。
魔将軍の甲冑に亀裂が走り、赤い光が溢れた。
「馬鹿な……パンごときが……!」
巨体がよろめき、膝をついた。
兵士たちが一斉に叫ぶ。
「勝てるぞ! 聖なるパン職人がついている!」
◆最後の一撃
魔将軍が最後の力で腕を振り上げる。
私は残りのバゲットを抱え、窯の前に立った。
「行くぞ、みんな!」
アルドが剣を振るい、マリアが祈りを重ね、ザイラスが魔法を放つ。
兵士たちがパンを掲げ、声を合わせる。
「パン屋の軍勢、突撃!」
私が投げた白銀のバゲットは風に乗り、魔将軍の胸を貫いた。
香りと共に広がった光が、巨体を包み込み――やがて爆ぜるように霧散した。
静寂。
残ったのは、夜風に舞うパンの香りだけだった。
◆戦場の余韻
兵士たちが歓声を上げる。
「勝った! 魔将軍を倒したぞ!」
アルドが剣を掲げ、マリアが涙を流し、ザイラスが呆然と天を仰いだ。
私は窯の前に腰を下ろし、深く息を吐いた。
「……剣じゃなくても、勝てるんだな」
『うん』
ミルが微笑む。
『あなたの焼きは、誰よりも強い。だって人を立ち上がらせるんだから』
私は笑い、窯の灰を撫でた。
「まだ焼けるさ。魔王がいる限り――パンは尽きない」
👉 次回「第9話 魔王の影、迫る」
魔将軍を倒した王都に歓喜が広がる。だが、ついに魔王そのものが動き出す――!
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