いっぱい食べるキミが好き!
海星めりい
いっぱい食べるキミが好き! プロローグ
夜の街を、
「……あーあ。ほんとにクビになっちゃったのか、俺」
アスファルトに響く靴音も、どこか力なく重い。料理人見習いとして修行していたはずの自分が、料理長との相性が悪いことを理由に厨房を追い出されたせいだろうか。
料理の腕前には自信があっただけにまさか、こんなところで躓くのは完全に予想外だった。
自分に言い聞かせるように「困った困った」と呟いてみても、胸の奥の虚しさは晴れない。
そんなとき、不意に同じ言葉が別の方向から聞こえてきた。
「困った困った……。一週間も動画を上げられてない……登録者、減っちゃう……」
ケイは思わず立ち止まった。夜風が二人の間を通り抜ける。
その声は、どこか焦りを帯びているが、妙に親しみやすさを含んでいた。振り返ると、同い年くらいの少女が困ったように頬をかきながら立っている。
「……今、同じこと言った?」
少女ははっとして、少し早足で近づいてきた。栗色の髪が揺れ、慌てた様子の声が飛んでくる。
「わっ、ごめんなさい! 聞かれてた!? えっと……独り言なの、癖みたいなもので!」
笑いながら自己紹介をする彼女は、水無月リリと名乗った。
大食い配信をしているらしい。彼女の言葉によれば、いつも料理を担当していた人が急な入院で不在になり、それから一週間もの間、動画の更新ができていないのだという。焦りと不安が入り混じった声色が、そのまま彼女の状況を物語っていた。
ケイは思わず苦笑いを浮かべた。
「……奇遇だな。俺も困ってるんだ。料理人見習いやってたんだけど、今日クビになったところでさ」
その瞬間、リリの瞳がぱっと輝いた。夜の街灯を映したその瞳は、星のようにきらきらしている。彼女は一歩、ぐっとケイに近づいた。声の響きが耳に直接届くほどの距離だ。
「えっ、料理人!? 本当!? ねぇねぇ、料理できるの? 和食も洋食も中華も、なんでも?」
あまりに距離が近すぎて、ケイは思わず身を引いた。彼女の吐息が頬に触れるようで、心臓が無駄に高鳴る。
「い、いや……まぁ、一通りはできるけど。そんな急に顔近づけなくてもいいだろ」
リリはおかしそうに笑って、さらに一歩踏み込んでくる。
「じゃあさ、私と契約しない? 専属シェフ! 今日から!」
「契約って……いやいや、初対面でそんなこと言われても」
ケイの戸惑いをよそに、リリは声を落とし、囁くように続ける。
「……だって私は困ってる。君も困ってる。だったら、助け合いっこすればいいじゃない?」
耳元で響く柔らかな声が、夜の空気に溶け込む。ケイはしばし黙り込み、街の遠いざわめきに耳を傾ける。
やがて、観念したように息を吐いた。
「……まぁ、そうだな。困った者同士、組んでみるのも悪くないかもしれない」
リリの顔に花が咲いたような笑顔が広がった。ぱん、と自分の手を叩いて小さく拍手をする。
「やったーっ! じゃあ決まり! 契約成立!」
嬉しさを隠しきれない声は、周囲の空気まで明るくする。彼女はすぐに次の話題を持ち出した。
「これから毎日、美味しいご飯を作ってもらって、いっぱい食べて、配信でみんなに見せるんだ~。ねぇ、最初の料理は何にする?」
ケイは少し考え込む。彼女の期待に応えるなら、料理は見栄えも大事だ。
「……そうだな。出会いの記念なら、やっぱりオムライスとかどうだ? 見た目も華やかで、配信映えするし」
その提案に、リリはまるで子どものように飛び跳ねた。スカートの裾がふわりと揺れ、声が弾む。
「いいね! オムライス大好き! それで決まり!」
自然と二人の足が同じ方向に向かって歩き出す。夜風が頬を撫で、重なった足音が未来の始まりを告げるようだった。
「……じゃあ、これからよろしくな、水無月リリ」
「うんっ! よろしく、明星ケイくん!」
彼女の明るい声が夜空に響き渡り、ケイの胸に小さな希望を灯した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます