夢洲ソリッド・ステート・カンナ
クソプライベート
削るひと
空と海を分ける巨大な木造リングに、今日も甲高い音が響く。シュッ、シュッ。権田(ごんだ)は、彼の曾祖父が植えた霊木「刻渡樹(ときわたりぎ)」の木肌を、ただ無心に削っていた。
彼の血筋に伝わる「聴き木」の能力が、数ヶ月前から悲鳴を捉えていた。それは、木の温もりを全て失った未来からの、微弱なSOS信号。《…未来へ…どうか…一本でも…》。脳裏に流れ込む断片的なビジョン――灰色の空、金属の食器、そして木の箸を知らない子供たちの瞳。権田は、このリングを巨大な一本の「割り箸」として完成させ、時を超えて未来へ送り届けるという、一族の宿命を果たすことを決意した。
『前代未聞の迷惑行為!』
メディアは彼を「カンナマン」と呼び、奇行種として消費する。だが権田は意に介さない。ヘッドフォンで雑音を遮断し、ひたすら木と対話する。鉋屑(かんなくず)の一片たりとも無駄にはしない。それは未来で芽吹く、希望の種なのだから。
その日、彼の前に時空を歪めて現れたのは、小さな金属製のトンボだった。周囲の誰にも認識できないその機体が、脳内に直接警告を送り込む。
《警告。対象:権田。特異点保有者。歴史法違反の時空干渉を確認。即時停止せよ》
権田は手を止め、未来の自律型監視ドローン「ウォッチャー7」を睨んだ。夢で見た、歴史の番人。ウォッチャー7の複眼センサーが権田をスキャンし、接続された母体AI「マザー」にデータを送る。
《分析…対象の行動は、未来からのタキオン信号に感応した結果と推定。動機は『破壊』にあらず…『転送』? 理解不能な論理です》
マザーからの返信に、ウォッチャー7の機体が微かに振動する。次の瞬間、権田の手から鉋が弾き飛ばされた。目に見えぬ衝撃波だ。論理の矛盾を抱えながらも、プログラムされた「歴史の維持」という任務は絶対なのだ。
ウォッチャーの妨害は日に日に巧妙さを増していく。ナノマシンで刃を錆びさせ、局所的な重力場を発生させて体勢を崩す。だが権田は、夢で見た未来人の囁きを頼りに、それらを凌いでいく。「奴らは直線的…予測不能な『無駄』に弱い…」
そして、運命の日。権田がリングの最後の梁に手をかけた時、ウォッチャー7は物理的破壊も辞さない最終モードへ移行した。殺意のこもった赤い光を放ち、高速で突進してくる。
権田は笑った。彼は溜めに溜めた鉋屑の麻袋を、空高くぶちまけた。
一瞬にして世界が木の香りに満ちる。吹雪のように舞う無数の木片が、ドローンの精密なセンサーを飽和させた。それは権田が「聴き木」の力で探し出した、ウォッチャーのセンサーが最も苦手とする周波数を放つ木屑だった。
《エラー! 環境ノイズが許容量をオーバー! 論理矛盾…対象の目的は…『贈与』…?》
コンマ数秒の混乱。その隙を、権田は見逃さない。
「頼むぜ、ご先祖様。未来のガキどもに、旨いメシ、食わせてやってくれ」
最後の力を込めて鉋を引く。シュイィィン、と澄んだ音が響き渡り、刻渡樹の霊力が解放される。全長数百メートルに及ぶ、完璧な一本の割り箸が完成した。
瞬間、割り箸が淡い光を放ち、未来へと繋がる時空のゲートが開く。巨大な木材が分子レベルに分解され、光の粒子となって時空の彼方へと転送されていく。歴史が「リングは建設されなかった」という事実に書き換わる過程で、原因となった権田自身の存在もまた、この時間軸の因果から静かに消滅していった。
センサーを回復させたウォッチャー7が捉えたのは、がらんとした大阪の空だけだった。
《任務失敗。歴史改変を許容しました》
ウォッチャー7は母体AIへ報告する。しかし、マザーからの返信は意外なものだった。
《…いいえ。これは歴史改変ではありません。『正当な時空を超えた贈与』と再定義します。データベースを更新してください。『21世紀初頭、原因不明の木材資源の微増を記録。万博リングは、資材が時空を超えて未来の資源再生プロジェクトへ寄贈されたため、建設中止』…と》
ウォッチャー7の内部で、新しい命令が古い任務を上書きしていく。そして、未来のデータベースの片隅に、新たなシミュレーション結果がそっと追加された。
『寄贈された霊木資源により、数百年後の地球で、最後の一個体が絶滅したはずの桜の木が再生する確率――1.7%』
ゼロではないその数字を、ウォッチャー7はただ静かに記録した。
夢洲ソリッド・ステート・カンナ クソプライベート @1232INMN
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