ロストタウンの獣~東雲学園高校怪奇録~
ゆうねこ
廃都探索 壱
東雲市郊外旧市街廃棄地区、通称ロストタウンは、数年前ロストタウンの大災害と呼ばれる大規模な爆発事故が発生し、その地区一帯が放棄された。大規模な住民避難が行われ、今となっては住人はおらず、いつしか忘れられてしまった場所。いわゆるゴーストタウンなのだ。
区画の外周は丸ごと有刺鉄線で囲われており、立ち入りは市によって禁止されている。しかし、そんな応急処置じみた杜撰な防壁では完全に人の出入りを阻む事は到底できていない。
ロストタウンは今や素行不良の者や得体の知れない者の巣窟となっているのだ。
「目、覚めたようじゃねえか?」
「ひっ…!」
ぼんやりと意識を取り戻した私は、その悪意に満ちた男の声に身の危険を感じて震え上がる。
どうやら手足を拘束されているようで、身動きが取れない。恐怖で思考はままならず、歯はガチガチと鳴り続け、身をよじることもできずにひたすら震えているしかない。
思い出そうにも現在に至るまでの記憶は朧気で、いまだ意識も明瞭ではない。多分殴られたのだろう、ズキズキと頭が痛む。
部屋には何やら甘ったるく毒々しく咽せるほど退廃的な臭いが充満しており、それも相まってこの場所に強烈な忌避感を覚えた。
「そう怯えんなって、東雲学園二年の守田佳奈子ちゃん。ちょっと俺達のお願いを聞いてもらいたいだけだからさぁ。」
「ちょーっとお願い聞いてくれたら、俺たちがいい思いさせてやっからな。」
「いい思いしすぎて、帰って来れなくなっかもな!」
下品な笑い声が鉄筋コンクリートの壁に反響し、身動きの取れない私の脳内に許容しきれないほどの恐怖が流れ込んだ。
なぜ、私は襲われなければならないのだろう。どうして彼らは私を襲ったのだろう。いつから、どこで、何のために。そんな疑問ばかり頭を巡り、思考は鈍化し、視野は狭窄し、いつまでも完結しない。
「これ、なーんだ?」
男の取り出した物は赤く薄い紙のような切れ端。知らない者からすると塵にしか見えないその欠片は、しかし記憶から強烈にフラッシュバックされる。
「まさか、…それは!?」
私には見覚えがあった。その麻薬を使い、破滅した人間を見た事があったのだ。
「うっ…。」
そうだ、あの夜もこんな甘ったるく蠱惑的で厭な臭いがしていた。それはかつての恋人の部屋からーーー。
そこまで思い出して胸の奥から込み上げたものをえずき、堪らず吐き出した。
「うわ、こいつ吐きやがった。」
「きったねー!」
恐怖と嫌悪感で目は泳ぎ、まともに焦点が合わない。胃の中はもう何も入っていないようでえずいても胃酸のみが込み上がってくるばかりだ。
「散々言いふらしやがって、こちとら商売上がったりなんだよボケ!」
「落ちた売上の分、お前が補填してくれるんだろうな?」
口を噤み、口元に押し付けられるその赤い紙に必死で抵抗する。それを飲み込んでしまえば最後、二度と地獄から戻ってくる事はできないのだから。
無理やり口を開けさせることなど容易いだろうに、男はまるでその抵抗を愉しんでいるようだ。
「やめ、て…。」
「は、命令してんじゃねえよクソ!やめて欲しけりゃそれなりの態度ってもんがあるだろうが!」
男の平手が頬を打つ。
加減のないその衝撃に堪らず倒れ込み、しかし縛られた手は熱を持ち痛む頬を押さえることもできない。
「やめてください…ッ!お願いします!」
胸ぐらを掴まれ、無理やりに起こされた彼女の顔は涙に濡れ、鼻血と切った唇からの出血、腫れた頬でぐしゃぐしゃになってしまっている。
「嫌、嫌です…それだけは嫌!死にたくない、私まだ死にたくないよぉ…。」
「うるせえ死ね!」
痛みと吐き気、止まらない嗚咽でもう固く口を噤むこともままならない。
「いってええええええ!?」
刹那、衝撃が走り、突然解放された私は受け身を取る間もなくそのまま地面に倒れ込む。
いったい何が起こったのかさっぱり理解できず恐る恐る目を開けると、先ほどまで胸ぐらを掴んでいた男は悲鳴をあげて血の滴る腕を押さえ蹲っており、その足元には凶器だろう血濡れの小刀が転がっていた。
「大の男が一々喚くなよ、まったく。」
そのため息混じりでも凛と通りの良い声のする方を見る。廃屋の窓枠に腰掛けるその姿は月明かりの逆光によく見えないが、小柄なシルエットと粗野な口ぶりに反して可憐な声からどうやら少女であるようだ。
「あんたらさ、女一人に男が寄ってたかってカッコ悪いとは思わないの?」
「クソがッ!ぶっ殺してやる!」
「よせ、迂闊だ!」
拾った小刀の切先が少女の影を捉えたと思った。しかし次の瞬間には小刀は少女の手に再び収まり、男は地面に倒れ込み頭を踏み付けられていたのだ。
あまりの早業に茫然としている男に対して、少女は余裕そうな笑みを浮かべたまま手元の小刀を弄んでいる。
「え、なに今の。もしかして攻撃だった?わざわざ返しに来てくれたのかと思った。」
「やめ…ッ。」
今度は勢いよく蹴り飛ばされた男はそのまま数メートル飛び、悲鳴を上げる間もなく壁に叩きつけられ、意識を失った。
「そこまでだ。」
「ひっ!?」
部屋の隅に移動して少女から十分距離を取ったもう一人の男は、拘束されたままの私を盾に少女に銃口を向けた。
「それ以上近付くな。」
月の光に照らされ、少女の容姿が映し出される。
小学生ほどにも見えるような小柄な体躯に、腰丈程もある黒の長髪と、頭頂部をすっぽりと覆う大きなキャスケット帽。そのつばの下には獰猛な肉食獣のような大きな目と縦長の瞳孔。その瞳は鮮やかに輝く赤色だ。
「なにそれ、脅してるつもり?」
「喋るな、さっさと後ろを向いて持ってる武器を捨てろ!」
少女はまるで聞き分けのない子供と相対しているかのように皮肉げに肩をすくめた。
距離にして四メートルはあり、近付くより早く引き鉄を引き攻撃を肉盾で受けるには十分だろう。それが、常人であるならば。
くるりと後ろを向いてナイフを手放し、それが地面に落ちたと思ったその刹那、離れていた少女との距離は無くなっていた。
「クソッ!」
火薬の炸裂音がコンクリート造りの室内に響き、続いて何度か金属がぶつかる音が連続すると、硝煙の臭いを残して静まり返った。男は手首を取られ銃口は天井を向いている。少女はその細腕からは想像もつかないような力そ男の手首を捻り、背後から羽交い絞めにして制圧する頃には、いつの間にか私は男の手の内から解放されていた。
「危ないな。当たったらどうするんだよ、この馬鹿。」
少女はそのまま拘束した男を締め上げると、程なくして男は意識を失った。そして私を拘束していたロープを解くと、呆然と眺めている間に今度は気絶している男達を手際よく縛り上げてしまった。
「これで良し、と。じきにケーサツが来るから精々大人しくしてなよ、お嬢さん。」
「あ、あの、あなたは…?」
「ん?ああ、私のことか。そうだな、通りすがりのしがないケダモノだとでも言っておくか。」
少女はそう言い残すと、入ってきた窓から颯爽とどこかへ行ってしまった。この部屋は廃ビルの四階だったことに気が付いたのはしばらくたっての事だったのだが、まさか飛び降りたのだろうか。
それからどれくらい時間が経っただろうか、男たちが意識を取り戻すよりも早く私はその後駆けつけた警察官に保護され、そのまま入院することになった。
私を暴行していた男達はどうやら逮捕されたようだ。
警察から形式的な事情聴取を受けた時に、加害者側が既に拘束されていた事について、背の低い長髪の少女が助けてくれた事を伝えると、どうやら警察官の想定していた通りだったらしく、それ以上の事は特に聞かれなかった。
小柄な少女が武器を持った男二人相手に圧倒するなど荒唐無稽な話を信じてもらえるか不安だったが、実際はあっさりと受け入れられてしまい、なんだか拍子抜けしてしまった。
その時に彼女が何者なのか尋ねたのだが、警察官も調査中の一点張りで詳しいことはわからなかった。
その少女がロストタウンの獣と呼称されるお尋ね者だということを知ったのは、その後退院した後になるのだった。
◆
坂本雄一郎の通う東雲総合大学附属市立東雲学園高校は東雲市中央区に位置する巨大な高等学校だ。
東雲市の政策で特に学校教育には注力しており、さらに東雲学園高校には東雲市内の資産家である名家大刀洗家、一条家、医療法人神代会が出資している。
そのため、東雲学園高校は市立高校としては珍しく複数の学科を抱えており、さらに市の支援は学業だけでなく部活動などの学内活動に対しても手厚く行われているのだ。
とはいえ坂本雄一郎自身は特別学力が高いわけではない。所属は普通科、部活動にも入っていない。平凡な生徒だ。
「おっす、早いな。なにしてんの?」
「よう、坂本。」
まだ朝のホームルームまでは時間のある普通科一年二組の教室。窓の外には朝練をする部活動生の姿が見え、吹奏楽部の演奏が聞こえてくる穏やかな時間。
普段ならばその静かな時間を独占している坂本雄一郎が教室に入ると、珍しく数人が集まっており、何やら話し込んでいた。どうやらクラス外の生徒もごちゃ混ぜという事らしい。
「今日も彼女と一緒に登校か?羨ましい奴だな。」
「だから、そんなんじゃないって。いつも言ってるだろ。」
雄一郎が朝練をしている部活動生に紛れて朝早くから登校するのは、幼馴染であり駅伝部員である雪丸花火の登校時間に合わせているからだ。それはお互いの家が近く、幼い頃から一緒に登校するのが習慣になっているというだけなのだが、そこにどうやら根も葉もない噂が立っているらしい。
「つーかさ、坂本も行かね?肝試し。」
「肝試し?」
「そうそう、今何人かに声かけてんだよ。夏休み入ってすぐなんだけどさ。」
「へえ、面白そうだな。どこに行くんだ?」
「坂本って地元だろ?なら噂のロストタウンつったらわかるんじゃね?」
ロストタウンは東雲市の定める立ち入り禁止区域である廃棄地区のことだ。昔は工業地帯だったが、雄一郎が幼い頃に大きな事故があり、今では封鎖されている区域である。
不良達の溜まり場にもなっており、自衛のできる余程の腕利きか余程の馬鹿、あるいは市の関係者でなければ、東雲市民なら普通はまず立ち入らないような場所だ。
「噂は知らないけど、あそこ本当に出るからやめた方がいいと思うぜ。」
「えーなに、坂本って霊感あるタイプなの?」
「少しな。」
雄一郎にはいわゆる霊感というものがある。とは言っても、かなり集中しないとその姿を目撃することはできないのだが。
もっとも霊感があろうがなかろうが、ロストタウンには近寄らない方がいいのだが、それを言っても無駄なのだろう。
「ほんと!?じゃあ絶対行こうよ、肝試し!誰か連れてきてもいいからさ!」
「ま、気が向いたらな。」
「それ、行かないやつじゃん。」
「じゃあ坂本も頭数に入れとくからな!」
「おいおい、勝手に…っと悪い、また後で。」
ふと雄一郎の視界の端に漆黒が映った。
夜の帷を下ろしたかのような深い色をした瞳、艶やかに光る腰丈まで伸びた見事な濡烏。その静かで瀟洒な佇まいに、自然と背筋が伸びるようだ。
「なんだあいつ、付き合い悪いな。」
「ほら、あの子が来たから。」
「あー…じゃあこの話もまた後でな。」
彼女は大刀洗桜。東雲市民でその名を知らない者はいないほどの名家、大刀洗家の令嬢だ。
しかしその近寄りがたい独特な雰囲気に多くの生徒が敬遠しており、クラスでは浮いた存在となってしまっている。
「坂本、よく話しかけられるよね。暗いし、私ちょっと苦手。」
「やめろって、聞こえるだろ!」
「まあ、暗いのは否定しないけどな。あれでなかなか面白い奴なんだよ。」
「えー…。」
聞こえているのかいないのか、窓際の席に座った桜はすぐに文庫本を読み始めてしまったため、クラスメイト達は安堵すると共に散り散りになってしまった。
特に気にした様子はないが、多分聞こえているのだろう。そんなこと彼女は気にも留めないだろうが。
大刀洗桜に友人と呼べる相手はほとんどいない。それに積極的に会話をするタイプでもないため、放っておいたら一日中無言で過ごしていることもあるくらいだ。
雄一郎と桜は二人が遠縁の親戚関係にある。遠縁とはいえ、幼い頃からよく一緒に遊ぶような仲で、互いの事はよく知っているのだ。
「や、お嬢。今日もいい感じに気怠げだな。」
「…ご機嫌よう、雄一郎。…あなたは朝から気楽そうでいいわね。」
気安く声をかけられた桜は、手元の本に視線を向けたまま、鬱陶し気に応える。凛と背筋を伸ばしているというのに、声にはまるで覇気がない。
「どうせまた夜更かししたんだろ?いい加減秋月さんに怒られるぞ。」
表情は変わらないが、目線を向けず大きなお世話とでも言いたげだ。
「…それで、あなたも参加するのかしら?…その肝試しとやらに。」
「ああ、ばっちり聞こえてんのね。まあ、お嬢が止めるなら行かねえけどさ。」
廃棄地区は不良の吹き溜まりになっており、危険な区域であるにも関わらず、クラスメイト達のように肝試しに足を運ぶ若者が後を絶たない。それはまるで何かに呼ばれてでもいるかのように。
「…そう、素直なのは良い心がけよ。」
「俺だって、いつまでもガキのままじゃないからな。」
「…あら、まるでもう大人になったような言い草ね。…ふっ。」
「あっ、今鼻で笑いやがったな。」
確かに坂本雄一郎は過去、正義の味方への憧れから親友と共に数々の喧嘩や大立ち回りを繰り広げ、その悪名を東雲市中に轟かせた青臭い過去がある。
しかし、高校入学を皮切りにそんな子供じみた活動からは足を洗ったのだ。…いや、今でもあの頃の憧れを完全に捨てきれたわけでもないのだが。
「…とはいえ、廃棄地区だなんてまた面倒な事になりそうね。…噂の真偽も確かめないといけないし。」
「噂?」
「…呆れた、知らないで肝試しの話に乗っていたのね。」
「いや、乗ってたわけじゃないんだけどな…。」
そういえば確かにクラスメイトもロストタウンの噂だとか何とか言っていた事を雄一郎は思い出した。
「…廃棄地区で暴れ回ってるって噂の“ロストタウンの獣”よ。」
「なんだそれ、また物騒な通り名だな。」
「…活躍もなかなか凄いわよ。…暴走族十数人相手に単騎で大立ち回りして制圧、銃を持った暴漢を一方的に制圧、…それに、巻き込まれた市民の救助。…他にも色々と噂が立っているけれど、ロストタウンの獣の襲撃を恐れて廃棄地区の治安は一時改善しているほどだそうよ。」
「なんだ、いい奴じゃん。」
「…あなたはお気楽でいいわね。」
あからさまに呆れたようにため息をつくと、桜はさらに続ける。
「…確かに廃棄地区が犯罪の温床になっているのは認めるわ。…だから定期的に調査と介入をしているのは雄一郎も知っているでしょう?…あの場所が霊的な爆心地になっている事も。」
廃棄地区が廃棄地区たる所以。それが彼女の言っている霊的な爆心地と表現されているその土地の不安定さにある。
ロストタウンの大災害と呼ばれる事件の真実。それはかつて廃棄地区がまだ市街地として稼働していた頃、大規模な霊的衝撃が原因で発生した未曾有の大災害だ。廃棄地区はまるで何か大きな怪物が暴れ回ったかのような凄惨たる状態で、さらには霊的存在が寄り付く吹き溜まりと化してしまった。
大刀洗家は廃棄地区を立入禁止区域として鉄柵で囲い、定期的に土地の調査を行なっているそうだが、土地の安定には長い年月がかかるそうだ。
「…素人に好き勝手に散らされてどんな影響が出るかわかったものではないのよ。…それに、ロストタウンの獣だけが問題なわけではないのだから。」
大刀洗系は代々霊媒師の家系で、かく云う桜も女子高生の傍ら霊媒師として活動している。界隈ではそれなりに名が通っているらしい。
「調査はいつ行くんだ?」
「…夏休みに入ってすぐよ。…付いてくるのなら相応の準備をなさい。」
昔から何かと面倒ごとに首を突っ込もうとする雄一郎を、もはや止めることはない。それに、桜にとっても男手があるに越したことはないのだから、多少の荒事もこなす彼の存在は非力な桜にとってむしろ好都合だとも言える。
「了解。じゃあ放課後、いつもの所で作戦会議だな。」
「…ええ、そうね。」
しかし、足を洗ったはずの『正義の味方』へ舞い戻ろうとしていることに気付いているのだろうか。面倒くさそうに小説へ視線を戻す桜は、変わらず無表情なものの、少しばかり口元が綻んでいるようだった。
◆
「よっ、ロリ丸。」
「うっさい、白川の馬鹿。」
駅伝部の朝練を終え、シャワーで汗を流し制服に着替えた雪丸花火は軽薄に声をかける聞き馴染みのある声に、呆れながら半ばお約束のように応えた。
筋肉質で大柄な体格にガラの悪いオールバックのヘアスタイルの男子生徒、白川龍斗とは小学生の頃から付き合いがあるいわゆる腐れ縁で、彼が花火の小柄な体躯を揶揄うのはもはや挨拶のようなものだ。
しかし、言い返す花火の表情はいつもと比べて浮かないようだった。
「何かあったのかよ。」
「えっとね、今日先輩が来てなくて。珍しいなって思っただけ。」
雪丸花火の交友関係はそれほど広くない。長い付き合いである龍斗相手には遠慮のない性格を見せるが、基本的には引っ込み思案で、同じ駅伝部内でもやっと周囲と打ち解け始めているほど。それも、普段から良くしてくれている部長のお陰なのだそうだ。
そしてその先輩とやらの不在に、龍斗は思い当たる節があった。
「ああ、駅伝部の部長ってそういや守田佳奈子の事だったな。」
「え、なに?知ってるなら教えてよ。」
「ここじゃ何だ、ちょっと付き合えよ。」
「ちょっと!」
慌てて荷物を纏めた花火は、さっさと歩いて行ってしまう龍斗を走って追いかけた。
白川龍斗はその風貌から不良のレッテルを貼られており、行き交う生徒達は彼の通る道から逃げるように道を開ける。
「待ってよ、もう!」
ようやく追いついた花火との体格差は大きく、隣に並ぶとまるで大人と子供のようだ。
「ねえ、何かあったの?」
「なんだよ、結構必死じゃねえの。」
「はぁ!?白川が教えないのが悪いんでしょ!」
「ったく、うるせえな。朝っぱらから喚いてんじゃねえよ。」
普段は大人しく、口数も少ない花火の大声に、近くにいた駅伝部のチームメイトは少し驚いた様子だ。しかし、これでは内緒話のしようもない。
龍斗は腰をかがめると、不機嫌顔の花火に耳打ちをした。
「…今は療養してるけどな、昨日攫われたんだってよ。」
「えっ…。」
「だから言ったろ、人に聞かせる話じゃねえんだよ。」
部活生や登校してきた生徒がごった返す昇降口を抜け、人通りの少ない中庭に入ると、周囲に他の生徒がいないことを入念に確認した。
「攫われたって、先輩は大丈夫なの?」
「軽傷を負ってるが、無事だ。正義のヒーローが華麗に救出したらしいからな。今は東雲中央病院で入院してる。」
「…まさかそれ、坂本じゃないよね。」
「はは、そりゃ傑作だ。だが、残念ながら違うな。」
それもそうか、と花火は思い直した。もう一人の幼馴染である坂本雄一郎のその名前を広く知らしめることになった活躍も、高校生となった今ではすっかり鳴りを潜めているのだから。
「なんでも、“ロストタウンの獣”ってのが件のヒーローの通り名だそうだぜ。」
「ふーん。なんか物騒ね、獣なんて。」
「そりゃ暴力沙汰なんだ、碌でもないやつには違いないだろうぜ。お前も狙われないよう精々気をつけるこったな。」
「狙われないわよ。大体、ロストタウンなんて危ないとこ行かないし。」
「おう、そうしとけよ。」
龍斗のやけにあっさりした態度に、花火は嫌な予感を感じ取る。
「まさか、もう首突っ込んでない?」
「なんだ、察しがいいな。面白そうだから大刀洗の仕事に乗っかることになってな。当然、あいつも乗り気みたいだぜ。」
やはりそういうことか、と花火は額に手を当てた。危険なことばかり首を突っ込む坂本と白川に、事前に相談するように口酸っぱく言いつけたのは花火自身だが、相変わらずの無鉄砲ぶりに頭を抱えるばかりだ。
「…私も行くから。」
「おっと、ロストタウンなんて行かないんじゃなかったのか?」
「白川たちが行くなら別。仲間外れにしないでよ。」
「悪かったって、そう拗ねんなよ。放課後、いつもの喫茶店でだとさ。メッセージ来てんだろ?」
花火は学生鞄の奥底にしまってあるスマートフォンを開く。確かにグループチャットに新着のメッセージが来ているようだ。
「白川は行かないの?」
「俺は野暮用。」
「あ、遥ちゃんのお見舞い?私も行く。」
「は?なんで分かるんだよ。」
「私、部活休むから。お見舞い行って、白川も喫茶店行こ。」
「ったく、…勝手にしやがれ。」
白川龍斗の妹、白川遥は身体が弱く、長いこと東雲中央病院で入退院を繰り返している。花火は久しぶりに彼女の顔も見ておくことにした。
「あんた達、何コソコソしてんの?」
声の方を振り返ると、見覚えのある生徒が一人。燃えるような赤い髪を両側で三つ編みに結び、翡翠色の目をした彼女は、日本人離れしたその端麗な顔を不機嫌そうに顰めていた。
「不知火…。」
その顔を見るや否や、花火もまた明らかに嫌そうな表情をした。彼女とは高校に入る前からの因縁があり、花火は口も聞きたくないというほど不知火朝の事を嫌っているのだ。
「なんだ、不知火かよ。別に、お前には関係ねえからさっさと失せな。」
「ちょっと、白川。」
花火の静止には耳も貸さず、白川は嘲るような口調で煽る。不知火朝は衝動的な性格をしており、一度火がついてしまえば手に負えないというのに。
「は、それが怪しいっての。ていうか、何舐めた口聞いてんの?ぶっ殺すぞ。」
「おっと、ヒス女は怖え怖え。だがな、そりゃこっちのセリフだ。態々出しゃばってきて、怪しいったらねえな。」
「殺す。」
直後、龍斗の頭に衝撃が走る。躊躇いなくフルスイングされた不知火朝の学生鞄が龍斗の側頭部に直撃。何か金属製の硬いものが入れてあるのか、痛々しい金属音が鳴った。
「おい朝、何をやっているんだ。」
「お兄ちゃん!」
朝はつい先程まで燃え上がっていた怒りが冷め、まるで何事もなかったかのように振る舞う。
不知火夜は、顔立ちが整っておりすらっと細身で背が高く、年子の妹である不知火朝とは違い黒髪黒眼だ。
「ねえお兄ちゃん聞いて、そこの筋肉ダルマが喧嘩売ってくるの!」
「いってえな…鞄に何入れてんだよ。」
「そうか、…お前は相変わらずタフだな。」
龍斗は悪態をついてはいるものの、軽傷すらも負っていない。当たる寸前に腕で防ぐことができたのも功を奏したようだが、その頑強さには殴った本人も呆れ顔である。
「白川、大丈夫?」
「ったく、いきなりぶん殴るとかマジでありえねえ。おい不知火、お前の妹、いつになったら更生するんだ?」
心配する花火をよそに文句を言いながらもさっさと起き上がると、龍斗は警戒して不知火兄妹の正面に立ち塞がった。
「白川、廃棄地区には近付くなよ。死にたくなければな。」
「は?なんだよ藪から棒に。」
「さっさと死ね、バーカ。」
しかしこの場で事を構えるつもりはないらしく、不知火夜はそれだけ言い残して立ち去ってしまった。
「相変わらず食えないヤローだ。」
「もう、ほんと馬鹿!」
「悪い悪い、そんな怒るなって。ま、怪我もしてねえんだしいいじゃねーか。」
「よくない!」
昔から龍斗と朝は犬猿の仲で、顔を合わせるとすぐに売り言葉に買い言葉で口喧嘩が始まる場面を花火は何度となく見てきたが、これまではこんなに早く手が出る事があっただろうか。花火は、不知火朝の様子に焦燥感とも言うべき違和感を感じていた。
「どうするの?」
「別にどうでもいいけど、あの様子じゃユウが黙って見てるとは思えねえな。」
「…同感。」
すでに片足を突っ込んでいるとはいえ、もう一人の幼馴染が彼らの忠告で手を引くことはないだろう。むしろ面倒ごとに喜び勇んで首を突っ込むタイプだ。
それに、花火も気になる事ができてしまった。
「じゃあな雪丸、俺は帰って寝るわ。」
「またサボり?いい加減にしないと単位落とすよ。」
「問題ねえよ、お前と違ってテストは取れてるからな。」
「…うるさい。学校、たまにはちゃんと来てよね。」
「へいへーい。」
やる気のない生返事と共に、龍斗は登校する生徒たちの流れに逆行するように行ってしまった。
◆
神代会東雲中央病院は東雲市中央区に位置する巨大な総合病院であり、千をゆうに超えるその病床の数はもちろん、多岐に渡る診療科の数々に最新の医療設備、そして最先端の医療研究を行う研究施設など、そこには医療のための全てが揃っていると言える。
花火と龍斗は放課後すぐにこの場所を訪れていた。
龍斗の妹、白川遥は一つ年下で、何度も入退院を繰り返すほど身体が弱い。花火とは幼い頃から面識があり、以前はよくお見舞いに来ていたものだ。しかし高校に入学してからというもの、何かと忙しく、いつしか足も遠のいていた。
「ハルちゃん、調子がいいんだ?」
「まあな。あのお節介な主治医から、経過が良いから見舞いに来いって連絡が入ったんだよ。」
「ちーちゃん先生も相変わらずみたいだね。」
面識のある看護師に面会の受付を済ませて、白川遥の病室へ向かった。巨大な病院だけあって、病室の階層に続くエレベーターから降りると、長いリノリウム床の廊下にはびっしりと病室の扉が並んでいる。
やっと病室が見えてきたところで、ちょうど見知らぬ女の子がその部屋から出てきた。
背は花火と変わらないくらい小柄で、腰丈まで伸びる長い黒髪。そして特徴的な大きなキャスケット帽を被っている少女は、楽しげな様子で病室の中に向かって手を振り、廊下を歩く花火たちとすれ違って行ってしまった。
「誰だろ、ハルちゃんのお友達かな?」
「さあ。」
「もう、興味ないなー。」
「興味ねえからな。妹の友人なんて一々覚えてらんねえよ。」
「白川と違ってたくさん友達いるもんね。」
「はは、ぼっちのロリ丸に言われてもな。」
「なにおう!」
「騒ぐなよ、病院だぜ。」
「ぐぬぬ…。」
ふっかけたのは自分だが、なんだか釈然としない花火だった。そもそも、彼に口喧嘩をふっかけて勝った試しがないのだが。
「邪魔するぜ。」
そんな花火を放っておいて、龍斗は個室の扉を乱暴に開け放つ。広い個室にポツンと置かれた病床の上には、痩せっぽちの少女、白川遥が身を起こして座っていた。
肩で切りそろえられた艶やかな黒髪に陶器のような白い肌はさながら市松人形のようだ。彼女の左脚は大腿部から先が欠損しており、病床の横には無造作に義足が立てかけられている。包帯に覆われた目は光を失っており、花火達の姿を写すことはない。
遥はぶっきらぼうな挨拶に気がつくと顔をこちらに向け、悪戯っぽく微笑むと、骨ばった手をひらひらと振った。
「やあ、兄貴。麗しい乙女の個室なんだから、ノックくらいしなよ。」
「あ?そんなのがどこにいるってんだよ。」
「そうだぜ龍ちゃん。デリカシー無いとカワイイコに逃げられちゃうからね。」
病床の隣の椅子には白衣を着た猫背の女医が腰掛け、こちらに顔だけ向けていた。
「なんだ、あんたもいたのかよ。内科医って案外暇なのか?」
「暇なわけないだろう。回診中だ馬鹿たれ。」
東雲中央病院の小児科・内科医である椎名千歳は、長いこと入院している白川遥のかかりつけ医だ。それに龍斗や花火とも付き合いが長く、お互いに軽口を言い合うような親しい間柄である。
「や、花ちゃん。今日もノンデリ男のお世話ご苦労様。」
「ちーちゃん先生こんにちは。相変わらずお元気そうですね。」
「え!花火先輩来てるの!?」
遥の嬉しそうな反応に、忙しくしていたとはいえ見舞いにあまり行けていなかったことを花火は申し訳なく思った。
「ハルちゃん久しぶり。よかった、今日は調子がいいみたいだね。」
「最近はずっと絶好調だよ。昨日だって病院の中庭まで散歩していたくらいさ。」
「もー、絶好調すぎて昨日は熱出して倒れたんだから気を付けてよ。まったく、しーちゃんが一緒じゃなかったらどうなってたことやら。」
「ふふ、シキさん、倒れた私をお姫様抱っこしてくれたんだ。…なんだか王子様みたいだったね。」
「笑い事じゃないよまったく…。」
病弱で身体も不自由だというのに、遥は昔から好奇心旺盛でじっとしていられない性格だ。何度無茶をして千歳の世話になったことか数えきれない。龍斗も半ば諦めているほどお転婆なのだ。
「そのシキさんって?」
「ああ、そういえば花火先輩は面識なかったね。ここのリハビリ仲間でね、よく会いに来てくれるんだ。丁度さっきまで遊びに来てたんだけどね。」
「廊下ですれ違ったあのガキのことか?」
「おいおい、ガキじゃねーよ。僕の友達だぜ龍ちゃん。」
「医者が患者を友達呼ばわりするのはいいのかよ。」
「しーちゃんはいいんだよ。」
昔から千歳は診察する子供と距離の近い医者で、付き合いの長い花火達への態度は友人さながらに砕けている。そんな彼女が特別に友達扱いする相手はどんな人物なのだろうか。
「つーか、君らと同い年だからな。今度そっちに転入するから、仲良く頼んだよ。」
「へえ、そりゃよかったじゃねえかロリ丸。」
「一応聞くけど、それはどういう意味かしら?」
「どうもこうもねえよ、おチビの仲間が増えてよかったなってこった。」
「まったく、シキさんに失礼な事言わないでよね。」
「バーカ、お前にしか言ってねえよ。」
「ねえハルちゃん、ちょっとこのデカい人黙らせてくれない?」
「いやはや、久しぶりに夫婦漫才が見れてとてもありがたい限りだよ。ね、ハルちゃん。」
「うちのデカいのを末長くよろしくね、花火先輩。」
「だからそんなんじゃないってば!」
花火の必死の抗議も虚しく、その様子を見ておかしそうにケラケラ笑っている。どうやら体調が良いというのは聞いている以上のようだ。これなら心配も要らないだろう。
「ハァ、アホらし…。行くぞ雪丸、病人は大人しく寝てろよ。」
「えー、もう帰っちゃうの?退屈なんだよ。」
「うるせえな、お前の相手ばっかしてるほど暇じゃねえんだよ。」
「ぶーぶー!どうせ花火先輩といちゃついてるだけのくせに。」
「もう、やめてよハルちゃん。そんなんじゃないってばー!」
「わははー、良いではないか良いではないかー。」
遥はノリの悪い兄に頬を膨らませて不満を漏らす。とんだとばっちりを受けた花火は、赤面して抗議するが、どうやらその反応を見て面白がっているだけのようだ。
「そうだ、ねえ兄貴、次はゆうちゃんも連れてきてよ。久しぶりに会いたいなー。」
「勝手に行けって伝えとく。」
「ふふ、うん、よろしく。今日は楽しかったよ、花火先輩もまた来てねー。」
「うん。またね、ハルちゃん。」
包帯で隠れた瞳の奥、なんとなく遥は寂しそうな表情をしているように見える。ひらひらと手を振って病室を後にした花火は、今後は定期的に会いに来ようと心に決めたのだった。
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