第2話
「バンドってもさ」
週末恒例になった
「どういう編成でやる?」
「編成?」
「編成っていうのはさ、どういう楽器構成でやるか、みたいな話さ。ほら、バンドだと例えば、キーボードがいるのかとか、ボーカルはなんか楽器弾きながら歌うのかとか、ギターは一人なのかとか、そういうやつ。なんか空楽の中にイメージある?」
「そうだな」
空楽はポテトチップを唇に挟んで少しずつ噛みながら考えた。
「わたしのイメージでは、ボーカルもギター弾きながら歌ってて、ギター専門のギタリストが一人いて、あとドラムとベース、っていう感じだった」
「なる。じゃけっこうロックだね」
「そうだね。ギターロックのバンドが好きなんだよねわたし」
琴那は個包装の小さいドーナツがたくさん入った袋を開けて座卓の上に出すと、そこから一つ取り出してかじった。
「でさ。うちはドラムでさ、まあこれは固定じゃん。ドラムはだいたい一人だから。で空楽はギターだけどさ、どっちのギター? 歌う方? それとも歌わない方?」
空楽もドーナツを手に取り、個包装を開けかけて手を止めた。
「あんま考えてなかったな。なんとなくボーカルは探すつもりだったんだけどさ。わたしがギターだけの方のギターをできる気はしないんだよね、今のところ」
「そこはさ、まあ頑張って練習すればできるかもしれないけどさ。うちはね、空楽は歌ったらいいんじゃないかなと思うんだよね」
「ギターボーカルってこと?」
「そそ。空楽のギターは自分ではわかんないかもしれないけどリズムがいいんだよ。リズムのいいギター弾ける人は多分ちょっとぐらい難しいバッキングでも弾きながら歌えるような気がするんだよね」
空楽は琴那の言葉ににやけながらドーナツをほおばった。
「おだてると調子に乗るぞ」
「バンドマンなんて調子に乗ってナンボだよ」
「言えてる」
ひとしきり笑ったあと、琴那は真顔になった。
「問題は。空楽はどの程度歌えるのかってことなんだよ」
空楽は頷きながらグラスにコーラを足し、口の中に残っていたドーナツを流し込むとウェットティッシュで手を拭いてギターに手を伸ばした。
「ではちょっと、やってみますか」
床にあぐらをかいた状態でエレキギターを抱え、そのままどこにもつながずにいわゆる
「おほん。ギター生音で寂しいし、すぐやって見せられるような歌ほとんどないんだけどさ」
空楽はそう言うと、ギターロックで比較的有名なバンドの代表曲を歌い始めた。琴那はコーラのグラスを持った手を止めて歌っている空楽を見ていた。最初は遠慮がちなストロークだった空楽のギターは次第にビート感を増し、ギターがのってくるにつれて声も伸び始めた。空楽は次第に曲の世界に入り込み、サビでは豊かな声量を披露した。
「やばい。気持ちよくなりすぎた。うるさいよね、こんな大声出したら」
空楽はワンコーラス分歌って演奏を止めた。
「ちょっとあんた。マジで? 歌うますぎじゃない?」
「そっかな。まあカラオケとか行くとさ、空楽うまーいとか言われてさ。調子に乗るタイプ」
「バンドマン調子に乗ってナンボだってば。空楽すごいじゃん。なんでこんな歌うまいのにボーカル探そうとしてるんだよ。ぜったい空楽がボーカルでしょ。空楽よりうまいボーカルなんかそうそういないよ。うちは空楽のボーカルでバンドやりたい」
「ほんとに? 褒めすぎだって」
空楽は掌で顔に風を送りながら言った。
「空楽それ歌習ったりとかしてなくてそれなの?」
「習ったことはないよ。歌は好きで幼稚園ぐらいから家にいるときずっと歌ってるけどね」
「やっぱ天才だわ。空楽」
「天才かな?」
「天才、天才。うちも天才だけど」
二人は笑いあいながら座卓の上に並べた二人分には多すぎるお菓子を食べ続けた。
*
放課後、教室に来た琴那が部活へと去った後、校内で誰よりも目立つ風貌をしたクラスメート、
「ねえ空楽。あ、いきなり空楽呼びでいい? 気にする?」
空楽は幾分驚いてとっさに声が出なかった。
「あ。ああ。いいよ。ぜんぜん気にしない。うん。空楽でいいよ」
「よっし。僕のことも雫でいいよ」
雫はその名前からは想像できないような風貌をしていた。空楽の髪もよくボーイッシュと言われるぐらい短いけれど、雫の髪は短いどころではなかった。数ミリまで刈りつめた髪はいわゆるスポーツ刈りと呼ばれるようなスタイルで、極端に細く整えた眉、名簿では女子だけれど男子の制服、170センチ近くある長身で自分のことを僕と言うなど、あらゆる要素が尖っていた。入学式の時にその見かけから強い印象を受け、ずっと知ってはいたのに一度も話したことがなかった。空楽はどこかで、この人と仲良くなるようなことはあり得ないと思っていた。
「ね、空楽たち音楽やるの?」
「音楽?」
「そう。さっきのあの子。吹奏楽の子でしょ?」
「ああ。琴那。うん。吹部でパーカスやってて、家ではドラム叩いてる」
空楽は戸惑いながらも相手のペースに合わせた。
「じゃ二人はバンドやってるんだ」
「うん。でも正確にはまだバンドやろうって言ってる段階で、わたしと琴那以外のメンバーは探し中」
「へえ。空楽は歌うの?」
「うん。わたしはギターボーカルで、ギター弾きながら歌うよ」
空楽は見かけによらず気さくな雫に次第に慣れてきて、その顔をゆっくり眺めた。外見の印象が強すぎて誤解していたけれど、こうしてじっくり見てみるととても人懐こい目をしていた。左の耳たぶにピアスの穴が2つあり、今はどちらの穴にもなにも通っていなかった。
「雫はなんか勝手にもっと怖い人かと思ってたよ」
「僕に話しかけられた人はみんなそう言うね。このナリだから仕方ないのかな。こっちが黙ってると誰も話しかけてこないからさ。僕から話しかけていくようにしてるんだ」
「ありがと、話しかけてくれて」
「なんも。僕が空楽と話したかったんだよ。僕は音楽やる人はみんな友達にしたいんだ」
雫は無邪気な表情を見せた。
「雫も音楽やるの?」
「うん。バンドじゃないけどね。僕がやってるのはビートメイクとかそういうやつ。ジャンルでいうとテクノの一種かな」
「テクノってなんか電子音とかでやるやつでしょ?」
「五十代のおじさんみたいな認識だな」
雫は豪快に笑った。
「とはいえ、そう大きく間違ってもない。僕がやってるのはシンセとかサンプラーを使ってビートを作ってくような音楽だよ。テクノはほんといろんなのあるんだけど、僕が好きなのはちょっとロックっぽくてハウスっぽくもあるようなやつ」
「へえ。ロック以外はわからない言葉だらけだでそれがどんなのかあんま想像できてないよ」
空楽が答えると雫はまた大笑いした。
「いろんな音を操って、なんか踊れそうなのとか、気だるい感じのとか、チルなのとかを作るやつだよ」
「チルなのっていいね。よくわかんないけどいい」
「よくわかんないけどいいのがチルだね。サンプラーあったら実際やってみせるんだけどさ。学校に持ってくんなって言われちゃって」
「あ、持ってきたことあるわけね」
空楽は笑いながら言った。
「財布忘れてもサンプラーは持ってるようなやつだからね、僕は。フツーに入学式の日にも持ってきてたけど、翌日そっこー怒られた。それは学校での学習に必要ありませんよね? っつって」
「そこで逆らったりはしないんだ、雫」
「だって、そこは先生のおっしゃるとおりでございますからね。学校生活に必要ないと言われればまあそうだなとは思う。僕が生きるのには必要だが」
雫はわざとらしくおどけながら言った。
「その格好はいろいろ言われないの?」
「髪型は言われた。それは高校生らしいのか、とか。だけどこの髪型男子がしててもダメって言いますか? って言い返したらおっけーになった。僕のこの見た目はさ、女子だと思って見るからヤバいんで、これ男子だったら別になんもおかしくないわけよ」
「ほんとだ。言われてみればそうだね。わたしもきっとどっかで勝手に女子だからこういう感じみたいな先入観あったんだろな」
空楽は口では軽めに言いながら反省した。
「きっとそれは誰にでもあるよ。僕はそれを気づかせたいからこういうカッコしてるってのもある」
「カッコイイな、雫は。わたしよりよっぽどロックだね」
「やってるのはテクノだが」
雫は両手の人差し指と小指を立てて胸の前に掲げて見せた。
「その手はメタルって話もあるよ」
空楽も人差し指と小指を立ててメロイック・サインを作って笑った。
「ごめん、帰るとこだったよね。家どっちの方? 途中まで一緒に帰ろ」
雫が誘った。
「平気。なんも予定ないから。家は東光だよ」
空楽は答えながら大きな四角いバックパックを背負った。
「ほんと? うちも東光なんだけど」
「ほんとに? どのへん?」
「かなり端っこの方」
二人は教室を出た。
「環状の向こう側か」
「そ。空楽んちは環状の内側?」
「そう。古い方の東光」
「でもバス同じ方向だよね。駅で乗り換えてくんでしょ。途中までっていうかかなり一緒に帰れるね」
並んで歩くと雫は空楽よりもだいぶ背が高く、見上げて話す形になった。
「うちの学校は軽音が無いからさ。音楽部は実質合唱部だし。で、合唱でも吹奏楽でもない音楽をガチでやる人はだいたい帰宅部なんだね。そこが僕のねらい目。帰宅部で音楽やってる人を見つけて友達になる」
「音楽部とか吹部の子たちも音楽やってるけどそこは友達にならないの?」
「なれる子もいるんだけどさ。音楽部とか吹奏楽にいる子は僕みたいなのと合わない感じの子が多い」
「あー。なんかわかる」
空楽はそう言いながら、そこにもなんらかの先入観が入り込んでいるような気がした。
「でもあの空楽とバンドやってるドラムの子は大丈夫な気がする」
「もちろん。琴那は雫みたいな子好きそうだなあ。あの子ああ見えて休みの日は休日のお父さんみたいな感じなんだよ。クタクタのジャージに頭ボッサボサで出てくる」
「へえ意外。いつもきちんとポニテ結ってるイメージなのに」
「明日紹介するよ」
ついこのあいだまでほとんど知らなかった琴那のことをこんなふうに他の人に話していると、空楽は身体の中が温かくなった気がした。
二人は学校の前からバスに乗り、自宅方面へのバスに乗り換えるため、まず中心部の駅へ向かった。
「それで、わたしの他にも帰宅部の音楽勢見つけた?」
「今のところうちのクラスで一人だけ。
「へえ。友成君ってあのおとなしい感じの?」
「そ。彼いまのとこ僕しか友達いないらしいよ」
「一人しかいない友達が雫なのすごいインパクトだし、友成君と雫が交流あるの意外過ぎだよ」
空楽は言いながら、なぜ意外だと感じるのだろうと考えた。とても仲良くなれなさそうに見えるとして、そんなものは余計なお世話でしかない。意外だと感じること自体にゆがみがあるような気がした。
「僕は見かけがヤバすぎるからねえ。よくロシアの柔道選手みたいとか言われるもんね。だけど別に怖い人じゃないから、一応。友成君も最初超ビビり散らかしてたけど、今はちょいちょい話すよ」
「ロシアの柔道選手ってウケるね。なんかロシアの柔道選手よく知らないけどそう言われるとぴったりな感じするのはなんでだろ。金髪の刈り上げですごい強そうなイメージある」
「実際ロシアの柔道選手を検索してもスポーツ刈りみたいな人はめったにいないんだけどさ。なんか昔の柔道漫画に僕みたいな見た目のロシア選手が出てきたんだって。うちの父さんが言ってた」
「そうなんだ。柔道選手じゃそりゃ友成君もビビるね。わたしだってビビったからね」
「でもどっちももう友達だ」
雫はいたずらな目をした。空楽はそれを見てまた自分の中に温かいなにかがにじむのを感じた。
「ところで空楽のバンドはあとどのパートが足りないの?」
「ベースとギター」
「ギターもう一人必要なのか」
「うん。わたしがギターボーカルするから、ギターだけ弾くギタリストを入れたい。ギターソロとかわたし弾けないし、なんかそういうのできるギターが入ってくれるといいな」
そこまで言って空楽は勢いよく雫の顔を覗き込んだ。
「そうだ。雫音楽やる友達多いならさ、誰か思い当たる人いない?」
「いるわ。ぴったりの子が。僕の中学んときの友達にかなりうまいのがいる。東高行ったんだけど」
「へえ。でも東高だと軽音あるもんね。きっと軽音でバンドとかもう組んでるよね」
「どうだろ。なんかちょっとよくわかんないぐらいうまいからさ。そのへんの軽音じゃレベル低いとか言って帰宅部してる可能性あるよ」
「キャラ濃いんだね。さすが雫の友達。でもさ、そんな人だったらなおさらわたしごときじゃ軽音以下で話にならないかも」
空楽は笑いながら言った。
「そこはなんかさ。一回話してみたらいいかもよ。とっつきにくい感じだけど嫌な子じゃないから」
「そう? じゃ紹介してもらおっかな」
「僕も最近連絡とってないけど、駅前商店街の島沼にしょっちゅういるから適当に行けば会える可能性高い」
「島沼? フィーヴの?」
「そ」
空楽がすごい勢いで訊き返しても雫はまったく動じずに答えた。
「わたしこの前そこの島沼で東高の制服着た超うまいギターの子見たよ」
「それがそいつだった説あるな。長い黒髪だった?」
「うん」
「ビンゴだな。あいつほんとにいつも島沼にいるんだな」
雫は呆れ気味に言った。
「そっかあ。あの子かあ。めちゃくちゃうまかったよ。琴那と二人で、あれ天才だよねって話したんだよ」
「たしかになんかの天才だろね。ただ、あいつがギターうまいのはめっちゃ弾いてるからだよ。起きてる時間ほぼギター弾いてるんだよあいつ。だから僕から見るとあいつがうまいのは至極当然。周りの誰よりもうまいけど周りの誰よりも練習してるからね」
「そっか。そうだよねやっぱ」
「でも天才ってのは練習しなくてもうまい人のことじゃないと思うよ。たいして辛さを感じずに誰よりも練習しちゃうようなことだと思う。そういう意味であいつも天才だろね。するとまったく同じ理屈で僕も天才なわけだが」
雫はまたおどけた。
「わたしと琴那も天才だから、やたら天才がたくさんいるね、この町には」
空楽が真面目な顔で言うと雫は大笑いした。
「ね、なんも予定無いんなら寄ってくか、島沼」
中心部の駅前で降りたときに雫が提案した。
「いいね。いるかな、あのスーパーギタリストは」
「これでいたらほんと笑えるんだけどな」
いつものエスカレータを降りて売り場に入っていくと、雫はまっすぐ練習スタジオの受付へ行った。
「こんちは。
「ああ。水無川さん。いらっしゃい。瑠海ちゃん来てますよ。ちょっと待ってね」
声をかけられた店員は雫のことを知っているようだった。店員はカウンターテーブルにおいてあったリストを人差し指でなぞり、リストの下の方のところで何度か叩いてから腕時計を確認した。
「えっと、ちょうどもうすぐ出てくるところですね」
「ありがとうございます」
雫は店員に礼を言ってから空楽の方を向いた。
「やっぱりいたわ。ほんとウケるなあいつは。僕ら来たタイミングも完璧だったっぽい」
「へえ。スタジオ借りて練習してるんだね」
「いつもじゃないんだろうけど。デカい音鳴らしたいとか、なんか新しいエフェクター買ったとかさ。あとは録音したいとかかな。そういうなんかあるとスタジオ借りてるみたいだし、そうじゃなくてもしょっちゅう来てて店員さんとしゃべったりとかしてるみたいね。たいして買うあてのない機材を試奏したりとか。ま、僕も機材好きだからなにも買う予定がなくてもしょっちゅう来るんだけどさ」
雫は話しながら邪魔にならない壁際に移動した。
「スタジオ借りるのってけっこうお金かかるよね」
「バンド練習じゃなくて個人練習だったら少し安いよ」
「そうなんだ。知らなかった」
空楽と雫が話していると、スタジオの扉が開いて人が出てきた。
「おっす。瑠海。久しぶり」
雫は右手を上げながら近づいた。瑠海はしっかりしたセミハードのギターケースを背中に背負い、けっこうな大きさのあるエフェクターボードを提げていた。
「あれ? 雫じゃん。どしたの?」
「相変わらずここに来れば会えるね、瑠海は」
「なに、あたしに会いに来たの?」
「そ。紹介したい子がいて」
瑠海はそう言われて雫の肩越しに空楽を覗き込んだ。空楽は慌てて会釈した。
「はじめまして。わたし北高の御奏空楽です」
空楽は改めてお辞儀をした。
「はじめまして。そんなあらたまらなくていいよ。
瑠海は雫と空楽を見比べながら言った。
空楽は顔を上げて「うん」と答えた。
「じゃ遠慮いらない。あたしは
「うん。よろしく」
「雫が連れてきたということは、空楽はなんか音楽関係なんでしょ?」
「うん。高校入ってギター始めて、バンドやりたくて頑張ってるんだけどさ。北高は軽音部がなくて。メンバー探すのが大変なんだよね」
「軽音部があってもまともなのがいるとは限らないけどね。基本ゆるいノリの子が多いから。あたし東高で、東高には軽音あるけどさ。微妙すぎるから入ってないよ」
瑠海がそう言うと雫が空楽に目配せした。瑠海はそれを見逃さず、「なによ」と言った。
「いや、ちょうどそう言ってたんだよ。瑠海は軽音相手にならなくて入ってないかもしんないってさ。なもんだから、空楽たちとバンドやったらどうかなってことで連れてきてみた」
雫の言葉を受けて瑠海は雫と空楽の顔を交互に見比べた。空楽は曖昧に笑って見せた。瑠海は周りを見回してギターの売り場でなにやら作業をしていたみっちーに駆け寄った。
「みっちーさん、ちょっと今音出せますか?」
「お。瑠海ちゃん。なんかの試奏?」
売り場に出すギターの調整をしていたみっちーは手を止めて答えた。
「試奏ってわけじゃないんですけど」
みっちーは売り場を見渡した。
「今他にお客さんいないみたいだからちょっとならいいよ。自分のギター弾くの? なに用意したらいい?」
「なんでもいいです。ちょっと音が出れば」
みっちーは笑いながら「そりゃ音は出ますよ。いい音の出るものを取り揃えてございます。お客様」と言った。
試奏コーナーに椅子が用意され、小さめのギターアンプの電源が入れられた。瑠海はエフェクターケースを床におろし、背負っていたケースを下ろしてギターを取り出した。派手なピンク色をしたギターが姿を表した。
「はい、ここに座る」
瑠海は空楽の方を向いて言った。空楽は促されるままに椅子に腰掛けた。座った空楽に瑠海は自分のギターを手渡した。
「はい」
「え?」
空楽はギターを受け取りながら戸惑った。
「え、じゃなくて。弾いてみて。なんか、空楽たちがバンドでやろうとしてるようなやつ。どんなのやるか見たいから」
瑠海はそんなことを言いながら、みっちーから受け取ったシールドケーブルを空楽の持っているギターにつなぎ、反対側をアンプにつないだ。
「ええ? 今? ここで?」
「うん」
瑠海にはいつか聴いたあの日のギターのように、わずかな迷いも感じられない迫力で言った。空楽はそんな瑠海を見て覚悟を決めた。
「わかった。やってみる。けど、まだバンドとしてどんなのやるとかも決まってなくてさ。なんとなくこんな感じのをやりたいっていうやつ、やるね」
空楽は瑠海のギターのストラップに身体を通して大切に抱いた。空楽のギターのような落ち着いた色ではなく、目に刺さり込んでくるような蛍光ピンクのギターだった。左手をネックに添えてみると、空楽のギターよりもだいぶ薄く感じられた。大変な時間弾き込まれていることが、そのネックの様子を見るだけでわかった。よく指が通るのであろう部分が変色していて、どのぐらいの時間弾くとギターがこんなふうになるのか、空楽には想像もできなかった。空楽はケーブルの接続が終わったのを確認してから、ギターのボリュームを上げた。
「はい」と言って瑠海がピックを手渡した。空楽はそれを受け取って軽くコードを鳴らしてみた。すごい密度の音が鳴った。アンプの音量は抑えめになっているのに、空楽のギターよりも重い低音が塊となって飛び出してくる感じがした。空楽は猛獣を抱きかかえているような気分になった。
「すごいギターだね」
「ちょっと音がやりすぎだね。アンプのゲイン下げよっか。あとそのセレクタースイッチ、後ろから二番目のとこがいいかも」
瑠海はアンプの前にしゃがみ込み、なにやら操作をした。空楽は言われたとおり、セレクタースイッチを動かした。そのままコードをいくつか鳴らしてみた。空楽のギターみたいに歩み寄ってくれる感じはしなかったけれど、なんとか制御できる音になった。空楽は少し弾いてみて、このギターはケースから出してそのままだというのに、まったくチューニングの狂いが感じられないことに気づいた。
「じゃちょっとだけ。人の曲のカバーだけど」
空楽はそう前置きしてから、このあいだ琴那に見せたあの曲を歌った。お店なので少々遠慮がちに、あまり声を出しすぎないように気をつけて歌った。ワンコーラス歌って手を止めると、拍手が聞こえた。驚いて音のした方を向くと、みっちーが拍手をしていた。
「すごい。このあいだぜんぜん弾けないって試奏もせずにギター買っていったばかりなのにもうそんなに弾けるの? それに歌、超うまいね」
みっちーは少し興奮気味に言った。雫が瑠海の顔を覗き込んだ。
「どう、かな?」
空楽は椅子に座ったまま瑠海を見上げて訊いた。
「空楽のバンドにあたしも入れて」
「え? 合格?」
空楽が言うと瑠海は驚いて束の間止まった。
「は? なに、違うよ。どんな方向なのか知りたかっただけだよ。どっちかというとオーディション受けるのはあたしのほうだよ。入れてもらえるか、見てもらわないと」
「実は、瑠海の演奏はこないだここでエフェクター試奏してたのを見たよ」
「え? いつだろう」
「ちょっと前だよ。先週ぐらいかな」
「この人は毎日のようにここでギター弾いてるからわからないのであった」
雫が横から茶化した。
空楽は椅子から立ち上がってギターを瑠海に返した。瑠海はそれを受け取ってストラップを肩にかけると、ボリュームを上げて立ったままギターを鳴らした。空楽が弾いたときよりもはるかに芯のある音が響いた。空楽の手には負えない猛獣を、瑠海は猫のように手なづけていた。
「今の曲ってこれでしょ」
瑠海はそう言うと、元の曲のギターリフを演奏してみせた。空楽はコードだけを追って歌の伴奏として弾いたのだけれど、瑠海の演奏は本物の演奏を忠実になぞっていた。
「すごい。本物みたい」
「歌ってみて。あたしギター弾くから」
空楽はギターを持たないと手持ち無沙汰で落ち着かなかったけれど、瑠海の奏でる音に合わせて歌ってみた。聴き慣れた本物のギターフレーズの上で、空楽は自分の声がどこか自分ではないところから出ているような感覚を覚えた。瑠海のギターは不安定なところが一切なく、安心して寄りかかっていられそうだった。
ワンコーラス分歌い終えるとあたりが静まり返った。少し間があってから、拍手が上がった。みっちーだけでなく、雫も、他の店員さんも、居合わせたぜんぜん知らないお客さんまでもが拍手していた。
「なんか僕は今、とてもすごいシーンに立ち会ったんじゃないの?」
みっちーが瑠海のところへ近寄りながら言った。
「ヤッバ。僕の功績がデカすぎてヤバいわ」
雫もそんなことを言いながら二人に近づいた。
「決まりじゃんね。空楽のバンドのギターに瑠海。間違いないっしょ」
雫は両手を二人の肩に乗せながら言った。瑠海が右手を差し出し、空楽がその手を握り返した。わずかに汗ばんだ二人の手が重なり、空楽は心臓から打ち出されたなにかが全身に行き渡るのを感じた。
「でもさ、勝手に決めていいの? 他にもメンバーいるんでしょ」
「ドラムの琴那って子がいるけど、この前一緒に瑠海の演奏見たんだ、ここで。そんとき琴那もすごいうまいって褒めてた。どんなジャンルもちゃんと弾けてるのがすごいって言ってたよ」
「その子も雫の友達なの?」
瑠海は雫の方を向いて言った。
「ううん。僕はまだ話したことないんだな実は。明日空楽に紹介してもらうことになってるけど。今日瑠海に会える予定じゃなかったし、まさかこういうスピード感で話が進むとはさすがの僕も思ってなかったからさ」
「明日の放課後は、あたしもその子に会えそう?」
瑠海の言葉を受けて雫も空楽へ視線を投げた。
「あ。えっと、多分明日は難しいかな。琴那は吹奏楽部に入ってるから、基本平日は毎日部活あるんだよね。この前ここに来たのはたまたま部活が休みだった日なんだよ」
「ということは、二人は週末に練習してるの?」
瑠海はギターをケースにしまいながら訊いた。
「うん。土日はだいたい琴那の家にわたしが遊びに行って練習してる」
「なるほど。その子んちにはドラムがあるわけだ」
「電子ドラムがね。それでわたしのギターを一緒にミキサーに入れて、二人でヘッドホンで練習してる」
瑠海は頷きながら視線を下ろして少し間をおいてから口を開いた。
「あのさ、そのドラムの子って名前からしても女子だよね?」
空楽は瑠海の質問に驚いて、それが自分にとって意外な質問だったことに気付かされた。
「え。うん。女の子だよ」
「ね、バンドって全部女子じゃないとダメとかある? ほら、ガールズバンドとしてやりたいみたいな」
空楽は答えに詰まった。まったく考えたこともない部分だったけれど、なんとなくメンバーは女子で探すことを無意識のうちに決めていたような気がして、そんな自分が少し嫌だった。
「いや。性別はべつになんでもいい」
「それなら。ね、次の土曜日、ドラムの子も呼んでさ。待ち合わせて出かけない?」
「いいよ。どこに行くの?」
「あるところ。空楽はギターとシールド持ってきて。あと、ドラムの子はスティックだけでいいから持ってきてもらって」
「なにするの?」
空楽は身を乗り出しながら訊いた。
「目的は二つ。ひとつはあたしがドラムの子に会ってちゃんと正式にバンドに入れてもらうこと。もう一つは、ベーシストを誘うこと」
「おお。ということはそのベーシストは男子なんだね?」
「うん。東高の一年生。あたしとはクラスが違うけど、その子も帰宅部でベースやってる。週末におじさんたちと集まってジャズ演奏したりしてるんだよね。その練習してるところに、会いに行こう」
「え。大人の人たちが練習してるところにお邪魔するの?」
空楽は乗り出した分下がった。
「もちろん前もってベースの子に見学しに行くって言っておくよ。その練習場所が東旭川のほうにあるメンバーの誰かの家の倉庫なんだよ。大きい倉庫にドラムとかアンプとか置いてあって、週末に集まって音出してるんだよね。前に一度遊びに行ったことがある」
「へえ。そこに行くのかあ。ちょっと、緊張するなあ」
「大丈夫。みんな楽器やる人だから。おじさんたち、高校生で楽器やってるような子のことはめっちゃ可愛がってくれるよ」
空楽はそれを聞いて頬を緩めた。
「ね、瑠海はそのベースの子とは中学から一緒なの?」
「いや、中学は別だったけど、中三ときにここで知り合ったんだよ。今もう辞めちゃったんだけど、その子中学のときはここでベース習っててさ。あたしは短期レッスンとか受けたぐらいなんだけどよく来てるからちょいちょい会ってて仲良くなった」
「へえ。ここすごいんだね」
「この辺で楽器やってる人はたいていここに来るだろうからさ。田舎ならではのつながり方だよね」
瑠海はギターケースを背負ってエフェクターケースを持ち上げ、みっちーに「ありがとうございました。また来ますね」と声をかけた。
「おう。いつでもまたおいで。完璧な品揃えでお待ちしておりますよ」
みっちーは調整を終えたギターを壁にかけながら肩越しに振り返って答えた。
「ね、空楽。連絡先交換しよ」
瑠海に言われて空楽は慌てて携帯端末を取り出した。まだ会って一時間も経っていないのに、もうずっと前から仲良くしているような気がして、まだ連絡先も知らなかったことを忘れていた。
「おっと、僕も交換させてくれ」
雫が二人の間に割り込みながら言った。
「え? なに、雫まだ空楽と連絡先交換してなかったの?」
「うん。僕だって今日の帰り際にはじめて空楽と話したんだもん」
「うっそ。なに、それじゃその流れでそのままあたしに紹介しに来たの?」
「そうだよ」
瑠海の驚きをよそに、雫は飄々と答えた。
「ちなみに言うとね、瑠海さま。僕は瑠海さまの連絡先も存じませんです」
「は? そうだっけ?」
「実はそうなんだな。携帯で連絡取り合うみたいなことはしたことないんだな実は。だいたいここで会って話してるだけだったりする」
瑠海は自分の携帯端末をスクロールした。
「ほんとだ。ないわ」
二人のやり取りを見て空楽は笑った。
「雫がこんな人だったとはなあ。わたしついさっきまで雫は怖めでクールな人と思ってたのに」
「そっか。空楽はいきなりこの状態の雫に会ったんだもんね」
瑠海はそう言うと空楽の頬に顔を近づけて少し声のトーンを下げた。
「あたし、雫がこうなる前の状態を知ってるよ」
瑠海がそこまで言うと雫が両手で二人を引き離しながら、「はい、そこまで」と言った。空楽はそんな様子に笑いながら、雫がこうなる前の姿を想像しようとした。もう少し髪の長い状態さえ、想像するのは難しかった。
三人は笑い合いながら楽器店をあとにし、土曜日に会う約束をしてそれぞれの帰路についた。
最寄りのバス停を降りて歩きながら、空楽はまだ低いところで光っている月に向かって拳を差し出した。
「あーっ。この町にはいくらでも天才がいるぞー」
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