第1話 πと教団

 森の中に飛び込んできたのは、幻想的なプラチナブロンドをなびかせた美少女。

 ヘカテリーナ・リーゼロッテ。

 理想の肉体を誇示し、ヘカテリーナはアンネを庇うように颯爽と立っていた。

 剣先を突き付けながらも、彼女は大きく息を吸い、叫んだ。


「おっぱいが──もったいない!!」

「「「……」」」


 空気が、凍った。

 全員が呆気にとられる中で、ヘカテリーナは追われていた少女、アンネへと目を向ける。


「大丈夫でしたかお嬢さん──……ッ!?」


 アンネの姿を見た瞬間、ヘカテリーナは目を奪われた。

 ディアンドルめいた民族衣装。胸元が大きく開き、白いブラウスがはちきれんばかりに張っている。

 布を締め上げてもなお主張をやめない豊かさ。

 土の匂いが残る素朴な美しさの中に、どうしようもないエロスが混じっていた。


(……む、バスト100オーバーですとぉ!?)


 ヘカテリーナの瞳がかすかに光る。

 彼女には特技があった。胸を見ただけで正確なサイズを割り出せる、いわば“胸界のサーチアイ”。

 脳内の測定器がピピッと鳴る。

 ──102、103、104……馬鹿な!? まだ上がるだと!?


 対する自分は、88・55・88。

 末広がりの8とイケイケのゴーゴー。

 対称美と実用性を兼ね備えた、芸術的なバランスである。


 だが、テンプルナイツたちは違う意味でどよめいていた。

 ヘカテリーナの豊満な胸元は、アンネほどではないにせよ十分教義に反している大きさだ。しかしヘカテっぱいに向けられた視線は、敵意と欲望の狭間で揺れている。


「邪魔立てするなら貴様も、魔乳の一味として処断しても──」


 怒号を上げかけたリーダーが、途中で言葉に詰まった。

 兜の奥から、くぐもった「ほぅ……」という感嘆の息が漏れる。


(むむ、どうしたんでしょうか……?)


 ヘカテリーナは改めてじっくりねっとり、テンプルナイツの格好を見た。

 聖なる戦士テンプルナイツとは名ばかりの、ビキニアーマー。

 金属の胸当てには余白が多く、貧相な胸板の上でからん、と虚しく鳴っていた。

 筋肉はしっかりしているのに、どこか頼りない。

 しかし頭部は全員、フルフェイスのバシネット。顔は見えないが、首から下は──激しく露出が多い。

 そして何より──。


(ううむ、悪くないですね。硬派でいて、控えめな胸。守ってあげたくなるタイプです)


 そう。テンプルナイツの面々は皆貧乳であった。

 ヘカテリーナの脳内に「やはりぺたんこもまた尊い」と再確認した瞬間であった。


「くっ……! き、貴様、何用だっ。ゴクリ。その女は、聖乳ちっぱい教の教義に反した魔乳! うほっエロ……! じゃなくてだな! ……ええい、いいからその女を渡せ!」


 糾弾するリーダー。しかし、気のせいか。その鎧兜の奥の視線が、ヘカテリーナのある一点に注がれている気がして──ヘカテリーナは試しに、甲冑越しの彼らに見せつけるように静かに腰をひねり、動いた。


「ごくっ……なんてエロい尻なの……」

「スケベ過ぎんでしょ……」

「というか何、あの服? パツパツ過ぎ」

「あんなのじゃロクに魔力循環できないでしょ?」


 ヘカテリーナが挑発めいた笑みを浮かべると、テンプルナイツの面々はヒソヒソと囁きあった。

 丸二日以上掛けて造ったヘカテリーナの腰から下は、これまた見事な造形だった。

 桃のように丸く、弾力を秘めた尻。大地の恵みのようなふくらみ。

 その“豊臀”こそ、この世界で絶対的なエロスの象徴──巨尻は正義。


「パイの上にパイを作らず。パイの下にパイを作らず。見なさい皆さん。みな誰もがパイは横並びなのです。そう──パイに貴賤なし! 私は清らかな胸も豊かな胸も! 私は等しく愛します!」

「……パイに、なに?」

「貴賎、なし? え、何語?」

「ごめん、私の耳おかしくなったかも」


 裂帛の咆哮に、森の空気がざわめいた。

 テンプルナイツも戸惑いにざわめいた。

 そんな彼らをよそにヘカテリーナは一歩前へ出る。

 陽光が金銀の髪を照らし、鎧の輝きを反射させた。

 そうして堂々と天を仰ぎ、胸を張る。

 その姿はまさに新たな神話の誕生だった。


「くっ、黙れ異端者め!」

「やれぇっ、囲め!」

「お、おう! どりゃー!」


 テンプルナイツが一斉に突撃する。

 剣閃が舞い、鎖帷子が鳴り、森に戦の音が響いた。


 だが──。


(ふふ……見た目だけではないんです、よっ!)


 ヘカテリーナの体は、風のように軽やかに動いた。

 しなやかに、優雅に、そして圧倒的に。


「あちょー!」

「ぐべっ!?」


 金属音がはじける。

 騎士の一人が胴鎧ごと宙に舞う。


「とあーっ!」

「ぐわぁ!?」


 回し蹴りが入る。

 分厚い鉄の籠手を弾き飛ばし、三人まとめて吹っ飛んだ。


「せいっ!」


 裏拳一発で盾がめり込み、


「ちょりゃ!」


 蹴りで地面に叩きつけられる。


 次々と沈んでいくテンプルナイツ。


 彼女は剣を使わない。

 その“理想の肉体”自体が、最高の武器だった。

 均整の取れた筋肉、しなやかに伸びる脚、胸の揺れに合わせて絶妙な重心制御。

 まさに、神が造形した究極のバランス(自画自賛)。


 ヘカテリーナはスカートの裾を翻し、最後の一人に向き直る。

 顔の見えぬ兜が震えた。


「な、なんなんだ貴様……!」

「私は全てのパイを愛し、守護する者! ──騎士様、何があったのか分かりませんが、どうか彼女を赦してくれませんか? 見てください、このたわわに実ったおっぱい! 豊穣と呼ぶに相応しいではありませんか!」

「な、なにを訳の分からないことを……!? その魔乳が問題だと言っている!」

「むぅ、ご理解いただけませんか……。いいでしょう! 聞き分けのないパイは──私がお仕置きしてさしあげます! ほあちゃーっ!」

「な、なにを!? ……あっ、あっ、ひあああぁぁぁぁんっ!?」


 ヘカテリーナが振るった拳は音を置き去りにし、騎士の胸当て(ビキニだけど)を吹き飛ばして胸元を露にさせた。

 そうして現れたちっぱいに、ヘカテリーナは全力の愛を注いだ。

 彼女の掌から、淡い光が走り、森が閃光に包まれる。

 テンプルナイツのリーダーは、バシネットの下でイキ顔を晒し、絶頂。

 ビクンビクンと身体を震わせて地面に崩れ落ちた騎士に、ヘカテリーナは手を合わせて頭を下げた。


「あなたのちっぱいも、また良きものでした……」


 残ったのは、静寂。

 そして、呆然と立ち尽くすアンネ。


「え、なにが……、起こったの……?」


 ヘカテリーナは振り返り、まるで何事もなかったかのように微笑む。


「さ、大丈夫ですかお嬢さん。その大きな胸を張って。──おっぱいに、罪はありません」


 ヘカテリーナにとっては当たり前な、……しかし前世でキモがられていた、彼女の信条から生まれたごく自然な一言だった。

 しかしその言葉に、アンネにとって何よりの救いで──


「う、うああぁぁぁぁぁぁんっ!!」


 アンネの頬を光が伝い、溶けた。

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