023 神殿図書館のリビと、魔の属性

 神官のハンナに別れを告げ、俺は神殿の奥へと続く廊下を進んでいった。


 広々とした神殿の祭壇とは違い、廊下は薄暗く、ひんやりとした空気が肌を撫でる。歩を進めるごとに、足音が床に響く。


 やがて、その薄暗い廊下の先に、ほのかに光が漏れる入口が見えてきた。


 重い扉を押し開けようと、近づいていく。すると、そこから漏れ出す光と同時に、ふわりと古びた紙とインクの匂いが漂ってきた。


 それは神殿の静謐な空気とも違う、まるで何千年もの時が凝縮されたかのような、知識の重みが押し寄せてくる感覚だった。


 扉自体は木製で古びており、表面には緻密な彫刻が施されている。


 この先に、この世界の叡智が集まっていることを、俺の心の奥底が告げていた。


 扉を開けると、そこは広々とした空間だった。年代物の紙とインクの匂いがふわりと漂い、背の高い本棚が幾重にも立ち並ぶ。


 天井近くまでびっしりと書物が並べられ、その圧倒的な知識の海に、俺は思わず息をのんだ。

 

 頭上を見上げると、光が差し込む天窓から、幾筋もの光の帯が舞い降りてくる。


 その光の中に、無数の塵が星のようにきらめき、まるで過去の叡智が形となって舞っているかのようだった。

 

 部屋の中央、本棚の間に置かれた小さな机の上に、何者かが座っていた。その存在は、大きな本を広げ、熱心に何かを読んでいる。


 時折、「メモメモ」と小さな声で呟きながら、羽ペンを走らせていた。


 多分あれがリビだろう。


 俺はそっと近づいていく。


 すると、その存在が顔を上げてこちらを見た。身長15cmほどの、まるで妖精のような小さな女の子だった。


 紫銀のボブカットで、ふんわりと巻かれた髪は花びらのよう。髪留めはパンの形をしており、半透明な羽が背中に生えている。左


 目に光る小さなモノクルが、彼女の知的な雰囲気を際立たせていた。


「あら、あなたが村で噂のモフモフの猫様?」

 

 リビと思われる少女は、俺をじっと見つめてそう尋ねてきた。

 

(ハンナによればリビは妖精族って話だったな! そんなことより──なんだ!? このウズウズする感覚は!?)

 

 しかし、リビの言葉が耳に入るや否や、俺の体は言いようのない衝動に駆られていた。目の前にそびえ立つ、天井まで届く本棚。それは最も登り甲斐のあるキャットタワーだ。多分。


「にゃーっ!!」


 俺の体が勝手に動いた。


 一目散に駆け出し、本棚の木枠に爪を立てる。足に力を込め、一段、また一段と、軽やかに駆け上がっていく。体が重力に抗うかのように宙を舞い、毛並みを風が撫でる。


 本棚の最上段、見下ろす視界に、小さなリビが、より小さい点のように見えた。

 

 そして──何やら脳内でピコンと通知音が鳴った。




スキル習得!

・キャットタワー LV1

高所への到達速度UP。不安定な足場でもバランスを維持し、高い場所での恐怖心消失。




 …………スキル!?


 まさか本棚をよじ登っただけで、スキルを習得するとは。


(しかも『キャットタワー』って! 俺は登る側なんですが…………?)







 本棚の上でちょっとした達成感を味わっていると、下から猛スピードで飛んでくるリビの姿が見えた。


「こらーっ! 勝手に本棚の上に乗ってはいけませんーっ!!」


 怒り心頭の小さな体を震わせながら、リビはふわふわと浮遊し、俺の目の前に止まった。するとリビは何かを小声で詠唱すると、俺の足元から淡い光が発せられる。


「…………え、何か体が宙に浮いてるんですけど!?」

 

 俺が宇宙猫みたいな顔で驚いていると、ふよふよと宙に浮かされながら、先ほどの小さな机の方にゆっくりと移動させられる。俺が机の上にやさしく着地した途端、リビはガミガミと説教を始めた。  


「ここは貴重な書物がたくさん置いてある場所です! 無断で触ったり、本棚に乗ったり、ましてやそこで爪とぎなんて言語道断です!」

 

(いや、爪とぎはしてないけど!?)


 と思いつつも、俺は平身低頭で謝罪するしかなかった。


 まさか神官のハンナの言う通り、本棚に勝手に登って怒られることになるとは──ハンナは、エスパーか何かかな?

 

 その後改めて自己紹介を終えると、リビは「ふぅ……」と息を吐き、何のためらいもなく、俺の頭の上にちょこんと座り込んだ。

 

「……ここモフモフで落ち着くわね!」


「…………どうも」

 

 俺はもう諦めに近い感じで軽く反応するしかなかった。


 そして、脳内で静かに通知音が鳴った。




経験値獲得!

・リビとの出会い 30EXP


レベルアップ!

・LV13→14(10/440)




(さっきのリビの力は魔法なのかな……? 確か神様によれば、魔法は魔法系スキルがないと使えないと言っていたからな……つまり……? 気にはなるけど、今日はいいか!)







 リビは「それで、何か困りごと?」と、俺の頭の上という新しい特等席から用件を聞いてきた。


 俺は「魔の属性について知りたい」と伝え、パン作りにおけるその役割と、神官ハンナに聞いた「理の魔力」や「バランサー」について、もう少し詳しく知りたいと話した。

 

 リビは俺の話を聞きながら、彼女が使うにはかなり大きめの羽ペンで「なるなる」とつぶやきながらメモを取っている


 その真剣な表情からは、先ほどの怒りは微塵も感じられなかった。

 

「ちょっと待ってて!」


 そう言うと、リビは俺の頭からふわっと飛び立ち、ばびゅーんと少し遠くにある本棚へと向かっていった。


 しばらくすると、彼女は『ちがいない・第六版』という本を空中に浮かばせながら戻って来た。

 

(『ちがいない』って…………)

 

 俺は本のタイトルに心の中できちんとツッコミを入れつつ、リビの説明を待った。

 

「ハンナの言う通り、魔は他の五属性をつなぎ合わせる役割があるわ。でもそれだけじゃないの」


 リビはそう言って、『魔ちがいない・第六版』のページをめくる。


「魔には、『変化』と『影』を司る役割もあるんだけど……」


 リビは本を見つめたまま、困ったように眉をひそめた。


「あら……この先のページ、かすれて読めないわ。古い本だから仕方ないけど……」


 俺も『魔ちがいない』を覗き込むと、確かにページの半分以上が褪色してぼやけており、文字が判読できなくなっていた。


「『変化』と『影』……」


 リビは本を閉じて、少し残念そうに呟く。


「詳しいことは、この本では確認できないみたい。でも、魔はバランサーとして、他の五属性を調整する役割があるのは確かよ。使い手次第で、パンの良さを引き出すこともできれば、台無しにしてしまうこともある」


「変化と影……気になるな」


 俺がそう呟くと、リビは「私も気になるわ」と頷いた。


「この図書館にも、魔属性について詳しく書かれた本は少ないの。古い時代の知識は、失われてしまったものも多いから」


(変化と影、か……いつか、その意味が分かる日が来るのかな)





経験値獲得!

・パンタニア世界を知る 100EXP







 俺とリビはその後も、彼女が持つ古文書や、パンにまつわる様々な逸話について語り合った。


 パンの起源に関する伝説、特定の素材に宿る特別な力、そして、パンがこの世界の人々の生活に深く根付いている理由。

 

 リビは時に熱心に、時に茶目っ気たっぷりに、尽きることのない知識の泉を俺に披露してくれた。


 彼女は時折、モフモフと毛並みを堪能していたので、俺の頭の上で本を読むことに魅了されているようだった。しめしめだ。

 

 気付けば、窓から差し込む光の角度が変わり、部屋の隅々に長い影が伸びていた。



「それにしても、モフ君が来たのも『変化』の兆しなのかもね…………」

 


 「モフ君」呼びに落ち着いたリビはそう呟くと、再び本に目を落とした。



 俺は、彼女の言葉が持つ響きを心の奥で反芻しながら、この世界のパンの奥深さに、改めて心を奪われるのだった。


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