017 マイア登場、ぱんぱかぱーん!
◆
──『蜂の子みたいに落ち着きのない、ぱんぱかぱーん娘』
グレインの言葉を反芻しながら、俺は村の西側にある小高い丘を目指して歩いていた。
足元の草を踏むたびに、ふんわりと土の香りが立ちのぼる。
心地良い風が頬を撫で、どこからか甘い花の香りが漂ってくる。なるほど、この辺りが養蜂場なのだろう。
(「ぱんぱかぱーん」ねぇ……どんな子なんだろうな)
少し身構えながら、丘の頂に立つ。
視界いっぱいに広がるのは、陽光を浴びてきらめく色とりどりの花畑と、そこに点々と置かれた蜂の白い巣箱だった。
そして──
「ちょちょちょっ! 見て見て!! これこれ!!」
突如、澄み切った空気を切り裂くような、甲高く、そして異常にテンションの高い声が、頭上から降り注ぐように響き渡った。
まるで、花畑のすべての蜜蜂が一斉に飛び立ったかのような、圧倒的なエネルギーだった。
その声は、三角の猫耳に突き刺さるような勢いで、俺の思考を一時停止させた。
「今朝の蜂蜜めっちゃ香ばしいの! ねぇ嗅いで嗅いで! パンに塗るとね、もう幸せ! ぱんぱかぱーん!」
声の主は、俺の目の前に、まさに
明るめの褐色肌に、ぱっちりとした大きな目。
ハニーブロンドの髪は二つのお団子にまとめられ、小さな蜂の飾りが揺れていた。
その小さな体からは、どこからそんなエネルギーが湧いてくるのか、とんでもない勢いがほとばしっていた。
「わ、わ、わあ!?」
あまりの勢いに、俺は一歩後ずさる。マイア、とグレインは言っていたか。
確かに『蜂の子みたいに落ち着きのない』という形容が、これほどまでにしっくりくる人間も珍しい。まるで、目の前に巨大なエネルギーの塊が出現したかのようだ。
マイアは俺の反応など気にする様子もなく、手にした小さな瓶を俺の鼻先にぐいっと突き出した。
その中には琥珀色の液体がとろりと輝いている。
「ねえねえねえ! 嗅いでってば! パンの香りがさ、これでぐっっっと! 化けるのよ! もう最高なんだから! ねえねえねえ!」
「え、あ、はい……」
恐る恐る鼻を近づけると、ふわっと甘く、それでいて奥深い香りが広がった。
それは、ただ甘いだけでなく、どこか草原の緑や、土の匂い、そして陽光の温かさまでが凝縮されたような、複雑で豊かな香りだった。
花畑の清々しさと、太陽の温かさ、そして微かに焦がしたような香ばしさが混じり合っている。
その瞬間、俺の視界がわずかに歪み、蜂蜜の瓶が鮮やかな光を放って見えた。いつもの《ロックオン(食)》が発動する。
俺の意識は、瓶の中の蜂蜜にだけ集中する。
蜂蜜の色、粘度、そして複雑に絡み合った香りの粒子一つ一つが、まるで顕微鏡で覗いたかのように鮮明に浮かび上がった。
その香りが、パンに与える影響までが、ぼんやりとだが理解できる気がした。
(これは、スキルレベルが上がった効果かな? ……すごい!)
俺は、目の前の蜂蜜の持つ無限の可能性に、思わず息を呑んだ。
俺の目が見開かれた。グレインの粉。そして今、マイアの蜂蜜。
一つ一つの素材が、パンという終着点に向かって、それぞれが持つ無限の可能性を広げている。
「この香り……まるで、歌ってるみたいだ」
俺の口から、素直な感想が漏れた。
「え、うっそ! ちょ、あんたちょっとセンスあるじゃない! そうそう! ハチの子たちも歌ってんだからね!」
マイアは俺の言葉に目を輝かせ、その小さな手を伸ばして、躊躇なく俺の頭をわしわしと撫で始めた。
「んもう! この毛並みも最高! ふわふわ! 蜂蜜みたいにとろけるわ! あんた、モフモフの達人ね! ぱんぱかぱーん!」
(まただ……またモフられている……!)
俺は内心で悲鳴を上げたが、マイアの弾けるような勢いの撫で方には、もはや身を任せるしかなかった。
マイアの勢いに押され、何とか絞り出したような通知音が鳴った。
経験値獲得!
・マイアとの出会い 30EXP
(本当に元気な女の子だな! 前世で俺は暗いオフィスで黙々と仕事してたから……眩しい! 眩しすぎる! でも全然嫌な感じはしないね!)
◆
マイアは満足すると、くるりと身を翻し、軽やかなステップで蜂の巣箱の間を縫うように移動し始めた。その動きは、まさに蜜蜂のように小柄で機敏だ。
周囲を埋め尽くす花々の上を、無数の蜜蜂がブンブンと羽音を立てて飛び交っている。
その花々の間を縫うステップは柔軟で軽やかで、まるで花畑全体がそのリズムに呼応しているようだった。
「ねえねえねえ! あんたも手伝ってくれる!? 今ね、ちょうど新しい巣箱から蜜を採ってるとこなんだ! ハチの子たちもすっごく頑張ってくれてて!」
そう言って、マイアは嬉しそうに巣箱の一つを指さした。周囲をブンブンと飛び回る蜜蜂たちは、マイアの周りだけは、まるでダンスを踊るように優雅だ。
不思議と俺にも敵意を向けてこなかった。
俺は素直に、マイアの作業を手伝った。
マイアの手つきは驚くほど素早く、迷いがなかった。次々と蜂蜜が採取され、彼女の情熱がそのまま蜜蜂たちに伝わっているかのようだ。
彼女は蜂蜜を採るだけでなく、蜜蝋や、花粉、プロポリスといった副産物についても、早口で情熱的に語る。
「これね、お肌つるつるになるのよ! パンに塗るだけじゃないんだから!」
マイアは小さな瓶に蜜蝋を詰めながら、キラキラと目を輝かせた。
彼女の持つ素材の一つ一つが、パンだけでなく、この世界の様々なものに「色」と「香り」と「潤い」を与えているのだと、俺は感じ入った。
マイアとの作業を続けるうち、俺は自身の嗅覚が、以前にも増して鋭くなっていることに気づいた。
蜂蜜の微妙な品種ごとの違い、花の香りの変化、さらには、それぞれの蜜蜂が持つ個性のようなものまで、微細な「匂い」として感じ取れるような気がする。
これは《感覚強化(視・聴)》のレベルアップで、感覚がより鋭敏になっているからだろうか。
そして、蜂蜜だけでなく、周囲の空気中の湿度や、花の咲き具合、土に含まれる栄養素といった、目に見えない情報までが、香りのように俺の脳裏に流れ込んでくる。
まるで、世界が「匂い」と「香り」で満たされているようだ。
俺は、ただ匂いを嗅ぐだけでなく、その匂いから、物語が紡ぎ出されるような感覚に、深い興奮を覚えていた。
「そういえば、あんた、サラと知り合いなんだって?」
マイアがふと思い出したように尋ねた。
「うん。最近牧場で会ったよ」
「あの子、無口だからね~! でも、すごーく優しいんだから! ほら、見て見て! あれ、サラが育ててる蜜蜂ちゃんなの!」
マイアが指差した先には、他の巣箱とは少しだけ違う、深く澄んだ瑠璃色の『ルリバチ』たちが飛び回っていた。
彼らは一般的な蜜蜂よりも体が大きく、羽ばたく音が「ブゥゥゥン」と低く響く。
「サラはね、魔物と話せるんだよ。この子たちも、サラが特別にお世話してくれてる蜂ちゃんなの!」
魔物
・ルリバチ(香・C)
性格は極めて温厚な瑠璃色の蜂。攻撃性はほとんどなく、花の周りをブンブンと飛び回り、のんびり蜜を集めている姿が多く見られる。
俺は驚いて目を丸くした。魔物と共生できるということは知っていたが、まさかサラが魔物と話せるとは。
常識を覆されるような事実に、俺の思考は一瞬停止した。
「ルリバチの蜜はね、ちょっと特別な香りがするんだ! 普通の蜂蜜と混ぜて、隠し味に使うと、パンの味がぐっと深まるのよ!」
マイアはいたずらっぽくウインクした。
彼女の語る「香り」の世界は、俺にとって想像以上に奥深く、探求心を刺激するものだった。
◆
夕暮れ時、マイアは俺に、早朝に採ったという香料と蜂蜜を持たせてくれた。
二つの素材が、夕日の光を浴びて、まるで小さな宝石のように輝いている。
「また来てね! ユウマっち! あんたのモフモフ、最強なんだからね! ぱんぱかぱーん!」
マイアに満面の笑顔で見送られ、俺は養蜂場を後にした。
手にした瓶からは、甘く、そしてどこか神秘的な香りが漂ってくる。
その香りは、これから作られるパンの可能性を無限に広げてくれるような、確かな予感に満ちていた。
(グレインの粉、サラのミルク、そしてマイアの蜂蜜……。パンの深みは、この村のみんなの想いが織りなすものなんだな)
俺は瓶を見つめ、ふと胸に温かい余韻を感じた。
その琥珀色の光は、これから作られるパンが、ただの食べ物ではなく、村の絆を象徴するものになる予感を、俺にそっと伝えているようだった。
素材
・朝露の雫(香・C)
ルリバチが早朝に採蜜する、希少な高濃度の香料。冷気と香気を帯びており、口に含むと爽やかな甘みと花の余韻が広がる。品質補正+1。
・ルリ蜜(香・C)
ルリバチの巣から採れる、希少性の高い蜂蜜。一般的な蜂蜜と異なり、甘さよりも香りの広がりに重きがあるため、「香り蜜」とも呼ばれる。
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