『リアリティ・シフター』

@ssasakise

第1話

 1 平凡な日常の終わり


 朝の七時二十分。いつものように目覚まし時計に叩き起こされた俺、桜井ハルは、布団の中でもう一度目を閉じた。あと十分だけ、あと十分だけ寝かせてくれ。そう願いながら再び眠りに落ちようとした時、携帯電話のアラームが無慈悲に鳴り響く。

「うわあああ」

 飛び起きた俺は、時計を見て絶望した。七時四十分。完全に寝坊だ。

 慌てて制服に着替え、歯を磨きながら階下に駆け下りる。母さんは既に出勤していて、テーブルの上にはいつものようにトーストとコーヒーが用意されている。ありがたいけど、今日はそんな余裕はない。

「いただきます、ごちそうさま」

 一瞬でトーストを口に突っ込み、コーヒーを流し込んで家を飛び出した。時計を見ると七時五十分。学校まで自転車で十五分。普通に行けば確実に遅刻だ。

 信号待ちをしながら、俺は今日一日のことを考えて憂鬱になった。一限目は数学。昨日の宿題、やってない。三限目は英語のテスト。全然勉強してない。そして放課後は、図書委員の仕事が待っている。

 桜井ハル、十七歳。県立桜丘高校二年A組。成績は中の下、運動神経は下の下、顔は並以下。特技は特になし、趣味は読書とゲーム。典型的な「その他大勢」の高校生だ。

 こんな平凡な俺にも、密かに憧れている人がいる。同じクラスの天野アオイさんだ。学年トップの秀才で、透き通るような白い肌に長い黒髪。控えめだけど美人で、でも時々見せる不思議な笑顔が印象的な女の子だ。

 もちろん、俺みたいな平凡な奴が話しかけられるはずもない。せいぜい図書委員の仕事で同じ空間にいる時に、遠くから眺めているのが関の山だ。

「はあ」

 大きくため息をついていると、前の信号が青になった。急いで自転車を漕ぎ出す。

 八時七分、なんとか学校に到着。校門をくぐりながら、今日も一日が始まるんだなと思った。平凡で、特に面白いこともない、いつもと同じ一日が。

 まさか、その「いつもと同じ」が今日で終わることになるなんて、この時の俺は知る由もなかった。


 一限目の数学は、案の定散々だった。宿題を忘れた上に、指名されて黒板に出た問題も全く解けない。クラスメイトたちのクスクス笑う声が背中に突き刺さる。

「桜井、もう少し真面目にやりなさい」

 田中先生の呆れた声に、俺は肩を縮めて席に戻った。隣の席の友人、佐藤が小声で話しかけてくる。

「お前、昨日何してたんだよ」

「ゲームしてた」

「だから言ったじゃん、宿題やろうって」

「わかってるよ」

 わかってるけど、どうしても後回しにしてしまう。これが俺の悪い癖だ。

 ふと前を見ると、最前列に座っている天野アオイさんが、先生の説明を真剣に聞いている。時々メモを取りながら、時々小首をかしげながら。その横顔を見ていると、なんだかとても遠い世界の人のように思えた。

 俺なんかが話しかけたら、迷惑だろうな。そもそも何を話せばいいのかもわからない。読書が趣味だから本の話でもしてみたいけど、彼女がどんな本を読むのかも知らないし。

 二限目の現代文、三限目の英語テスト、四限目の日本史と、午前中は散々な結果で終わった。特に英語のテストは、半分も解けなかった気がする。

 昼休み、購買部でパンを買って教室に戻ると、アオイさんがいつものように一人で本を読んでいる。今日は何を読んでいるんだろう。気になって遠くから視線を向けると、表紙が見えた。村上春樹の『ノルウェイの森』だ。

 おお、俺も読んだことある。話しかけてみようかな。でも、なんて言えばいいんだ。「その本面白いですよね」? ありきたりすぎる。「村上春樹お好きなんですか」? 当たり前のことを聞いてどうする。

 結局、何も言えずに自分の席でパンを食べていると、佐藤が戻ってきた。

「おう、ハル。午後も授業あるけど大丈夫か?」

「何が?」

「いや、さっきから天野さんのことガン見してるから」

「してない」

「してたよ。もう十分くらい」

 うわ、バレてた。慌てて視線を逸らすと、佐藤がニヤニヤしながら続ける。

「天野さんか。確かに美人だよな。でもお前には高嶺の花すぎるんじゃない?」

「わかってるよ、そんなこと」

「まあ、でも意外と話してみると普通だったりするかもよ。今度図書委員の仕事で一緒になった時にでも話しかけてみれば?」

 図書委員の仕事。そうだ、今日の放課後も図書室での作業がある。アオイさんも図書委員なので、一緒に作業することになる。でも、いつも無言で作業して終わりなんだよな。

 五限目の体育は雨で中止になり、代わりに自習になった。窓の外を見ると、確かにしとしとと雨が降っている。梅雨の時期だから仕方ないけど、せっかく体を動かして気分転換したかったのに。

 六限目のLHRでは、来月の文化祭についての話し合いがあった。クラスの出し物を決めるのだが、なかなか意見がまとまらない。喫茶店、お化け屋敷、劇、展示発表。どれもありきたりで、特に盛り上がらない。

「桜井はどう思う?」

 突然クラス委員長に振られて、俺は慌てた。

「え、えーと、どれでもいいんじゃないでしょうか」

「どれでもって、それじゃあ決まらないよ」

 結局、多数決で喫茶店に決まった。俺は特に反対する理由もなかったので、それでいいやと思った。

 放課後、図書室に向かう。今日は本の整理と、新刊の受け入れ作業がある。図書室に入ると、既にアオイさんが作業を始めていた。

「お疲れさまです」

「あ、お疲れさまです」

 いつものように軽く挨拶を交わし、俺は返却された本の整理を始めた。アオイさんは新刊のラベル貼りをしている。

 静かな図書室に、雨音が響いている。時々本のページをめくる音や、ラベルを貼る音が聞こえるだけで、会話はない。いつものように。

 でも、今日はなんとなく話しかけてみたい気持ちがあった。昼休みに見た『ノルウェイの森』のことでも。

「あの」

 声をかけようとした時、突然雷鳴が響いた。

 ゴロゴロゴロ……ピカッ!

 稲光が図書室の窓を照らし、その直後に大きな雷鳴。アオイさんがびくっと体を震わせた。

「大丈夫ですか?」

「あ、はい。雷、ちょっと苦手で」

 初めて聞いたアオイさんの弱点だった。なんだか親近感が湧く。俺も雷は得意じゃない。

「今日は激しい雨ですね」

「そうですね。天気予報では午後から晴れるって言ってたのに」

 お互い窓の外を見る。雨脚はどんどん強くなっている。

「帰れるかな」

 俺が呟くと、アオイさんが小さく笑った。

「きっと大丈夫ですよ。雨はいつか止みますから」

 なんでもない言葉なのに、なぜかとても印象に残った。雨はいつか止む。当たり前のことなのに、彼女が言うとなんだか特別な意味があるように聞こえる。

 その時だった。

 また雷鳴が響き、今度は停電した。図書室が真っ暗になる。

「きゃ」

 アオイさんの小さな悲鳴が聞こえた。

「大丈夫、すぐに電気がつきますよ」

 俺がそう言った瞬間、妙な感覚が体を駆け抜けた。なんというか、世界が一瞬ぐらりと揺れたような。でも地震ではない。もっと違う、説明のつかない感覚。

 そして、本当に電気がついた。

「あ」

 アオイさんが驚いたような声を上げる。

「すごいですね、桜井君の言った通りになりました」

「たまたまですよ」

 俺はそう答えたが、内心では首をかしげていた。確かにタイミングが良すぎる。まるで俺の言葉に反応するように電気がついた。

 でも、そんなことがあるはずない。単なる偶然だろう。

「でも、ありがとうございました。桜井君がいてくれて心強かったです」

 アオイさんが微笑む。その笑顔を見て、俺の心臓が大きく跳ねた。こんなに近くで彼女の笑顔を見るのは初めてだった。

「いえ、何もしてませんから」

「そんなことありませんよ。『大丈夫』って言ってもらえただけで、とても安心しました」

 その時、また奇妙な感覚があった。さっきよりも強い。世界がゆらりと傾いて、まるで現実が液体のように揺れ動いている感じ。でも一瞬だけだった。

「桜井君?」

「あ、すみません。ちょっとめまいが」

「疲れているんですね。今日はもう帰りましょうか」

 アオイさんの提案で、その日の作業は早めに切り上げることになった。

 帰り道、雨は本当に止んでいた。彼女の言った通りだった。そして俺が「帰れるかな」と心配した通り、問題なく帰ることができた。

 単なる偶然。そう思うしかなかった。でも、胸の奥に小さな違和感が残っていた。


 家に帰って夕食を食べながら、今日のことを思い返していた。

「ハル、今日は元気がないわね」

「え?」

 母さんが心配そうな顔をしている。

「いつもよりぼーっとしてるわよ。学校で何かあった?」

「いや、別に」

 実際、特別なことがあったわけではない。いつもの平凡な一日だった。強いて言うなら、アオイさんと少し話ができたことくらい。

 でも、あの時の奇妙な感覚が気になって仕方がなかった。停電の時と、その後の会話の時。まるで現実が一瞬だけ曲がったような。

「考えすぎかな」

 自分の部屋に戻って宿題を始めようとしたが、集中できない。結局、いつものようにゲームを始めてしまった。

 スマホゲームの「ファンタジー・クエスト」。魔法使いを操って敵を倒していくRPGだ。魔法使いは様々な魔法を使える。炎の魔法で敵を燃やし、氷の魔法で敵を凍らせ、雷の魔法で敵を麻痺させる。

 魔法かあ。もし現実でも魔法が使えたら、どんなにいいだろう。テストの点数を上げたり、天気を変えたり、好きな人と仲良くなったり。

 そんなことを考えながらゲームをしていると、ふと今日のことが頭をよぎった。

 「すぐに電気がつきますよ」と言った瞬間、本当に電気がついた。まるで俺の言葉が現実になったみたいに。

 いや、そんなばかな。魔法なんて存在しない。これは現実だ。ゲームの世界じゃない。

 でも、もしも。もしもそんなことができるとしたら。

 俺は立ち上がって、部屋の電気のスイッチを切った。暗闇の中で、小さく呟く。

「電気がつく」

 何も起こらない。当然だった。

「電気よ、ついてくれ」

 やっぱり何も起こらない。俺は苦笑した。何をばかなことを考えているんだろう。

 スイッチに手を伸ばした時、またあの感覚があった。世界がゆらりと傾く感じ。そして――

 パチッ。

 電気がついた。

「え?」

 俺は呆然とスイッチを見つめた。確かに手はスイッチに触れていない。でも電気がついている。

 慌ててスイッチを確認すると、ONの位置になっていた。さっき確かにOFFにしたはずなのに。

「おかしい」

 もう一度スイッチを切る。部屋が暗くなる。

 今度は意識を集中して、あの時の感覚を思い出そうとした。図書室で感じた、現実が揺れるような感覚を。

「電気がつく」

 強く願いながら呟く。すると――

 ゆらり。

 世界が液体のように揺れて、次の瞬間、電気がついていた。

「まさか」

 何度か試してみる。スイッチを切って、「電気がつく」と願う。そのたびに、あの奇妙な感覚と共に電気がつく。

 これは偶然じゃない。何かが起こっている。

 俺に、何かが。

 部屋の隅にあった消しゴムを見つめる。

「消しゴムが動く」

 集中して願うと、ゆらりと世界が傾いて――消しゴムが微かに震えた。

 心臓が早鐘を打つ。これは夢じゃない。現実だ。

 俺に、何かとんでもない能力が身についている。現実を変える力が。

 でも、これが何なのか、なぜ俺にこんな力があるのか、全くわからなかった。ただ一つ確かなのは、今日から俺の日常は「平凡」ではなくなったということだった。

 窓の外では、雨が完全に上がって、薄い月明かりが雲間から差し込んでいる。

 新しい世界の始まりを告げるように。


 2 小さな奇跡


 翌朝、目が覚めた瞬間に昨夜のことを思い出した。電気のスイッチ、動く消しゴム。あれは夢だったのだろうか。

 いや、夢じゃない。確かに現実だった。でも朝の光の中で思い返すと、なんだか非現実的すぎて信じられない気持ちになる。

 とりあえず、もう一度試してみよう。

 枕元にあったシャープペンシルを見つめて、「転がる」と心の中で強く願った。あの時の感覚を思い出しながら、意識を集中する。

 ゆらり。

 世界が揺れて、シャープペンシルがコロリと転がった。

「やっぱり」

 これは紛れもない現実だった。俺に何かとんでもない能力が備わっている。でも、この力は一体何なんだろう。魔法? 超能力?

 時計を見ると六時半。まだ時間に余裕がある。昨日とは違って、今朝はなぜか早く目が覚めた。

 身支度を整えながら、今日一日をどう過ごすか考えていた。この能力を使えば、いろんなことができるかもしれない。でも、大げさなことはしない方がいいだろう。まずは小さなことから試してみよう。

 朝食のトーストを食べながら、母さんが新聞を読んでいる。

「今日は雨の予報ね」

 窓の外を見ると、確かに雲行きが怪しい。でも、もし俺の能力で天気を変えられるとしたら?

「晴れるといいね」と何気なく言ってみる。

「そうね。でも天気予報では一日雨だって」

 うーん、天気はさすがに規模が大きすぎるかもしれない。昨日試したのは電気のスイッチや消しゴム程度。もっと小さなことから始めよう。

 学校に着くと、佐藤が青い顔をして俺に近寄ってきた。

「ハル、助けてくれ」

「どうした?」

「英語の小テスト、今日だったんだよ。すっかり忘れてた」

 ああ、そういえばそんな話があったような気がする。俺も全然勉強してない。

「一緒に沈没しようか」

「冗談じゃないよ。これ以上赤点取ったら補習だぞ」

 そうか、佐藤は前回のテストが悪かったんだった。確かにこれは大変だ。

 教室に入ると、みんなが慌てて英単語帳を見ている。小テストは一限目。もう時間がない。

 席に着いて教科書を開いたが、もう遅い。せめて少しでも良い点が取れるように——

 ふと、昨夜のことを思い出した。この能力を使えば、テストの点数を上げることもできるんじゃないだろうか。

 でも、どうやって? カンニングするわけにはいかないし、答えを魔法で知ることもできない。

 いや、待てよ。答えを知る必要はない。「運良く正解できる」ようにすればいいんだ。山勘が当たるとか、うっすら覚えていた答えが出てくるとか。

 チャイムが鳴り、田村英語教師が教室に入ってきた。

「はい、小テストを始めます。机の上は筆記用具だけにしてください」

 テスト用紙が配られる。問題を見ると、案の定さっぱりわからない。単語の意味、文法問題、英作文。全部で二十問。

 でも今の俺には秘密兵器がある。

 一問目を見ながら、心の中で願った。

「この答えがわかる」

 ゆらり。

 世界が微かに揺れて——あ、この単語、確か「美しい」っていう意味だった気がする。beautiful。

 おお、本当に答えが浮かんできた。でも、これは元々知っていた単語だったのかもしれない。

 二問目。「この答えもわかる」

 またあの感覚。今度は文法問題だったが、なんとなく「過去完了形」を使えばいいような気がしてきた。

 三問目、四問目と続けていくと、不思議なことに次々と答えが浮かんできた。完全に確信があるわけじゃないけど、「なんとなくこれかな」という感覚が。

 二十問全部を同じようにして解いた。能力を使うたびに、あの世界が揺れる感覚があった。でも段々慣れてきて、自然にできるようになってきた。

 テストが終わって答案を提出する時、なんだか不思議な充実感があった。いつもなら絶望的な気持ちになるのに、今日は「意外といけたかも」という気分だった。

「どうだった?」

 佐藤が青い顔で聞いてくる。

「うーん、なんとかなったかな」

「まじかよ。俺は全然だめだった」

 昼休み、テストが返却された。俺の点数は——八十二点。

「うわあ!」

 思わず声を上げてしまった。いつもなら良くて五十点、悪ければ三十点台の俺が八十二点。

「すげえじゃん、ハル! 何で急に点数上がったんだよ」

 佐藤が驚いている。彼の点数は四十八点で、ギリギリ赤点回避だった。

「昨日、ちょっと勉強したんだ」

 嘘じゃない。一応教科書は開いた。五分くらいだけど。

 でも、内心では戸惑っていた。本当に能力のおかげなのか、それとも偶然だったのか。もしかして、俺は元々この程度の実力があって、普段は集中していなかっただけなのかもしれない。

 放課後、図書室に向かう道すがら、空を見上げた。朝の天気予報では一日雨だったはずなのに、午後からは薄日が差している。

 まさか、朝に「晴れるといいね」と言ったのが効いたのかな。いや、それはさすがに考えすぎだろう。

 図書室に入ると、今日もアオイさんが先に来ていた。

「お疲れさまです」

「お疲れさまです。今日は早いですね」

「六限目が自習だったので」

 今日の作業は、古い本の修理と新しい本の配架だった。俺は古い本の修理を担当することになった。

 黙々と作業をしていると、アオイさんが小さくつぶやいた。

「不思議ですね」

「え?」

「今日の天気です。朝は雨の予報だったのに、午後から晴れて」

 ドキリとした。やっぱり彼女も気づいているのか。

「天気予報も外れることがありますからね」

「そうですけど。でも昨日も、桜井君が『すぐに電気がつく』とおっしゃった直後に本当につきましたし」

 心臓がドキドキする。まさか、アオイさんは俺の能力に気づいているのか?

「偶然ですよ」

「偶然、ですか」

 彼女の声に、なにか含みがあるような気がした。でも確信は持てない。

 その時、修理していた古い本のページが破れてしまった。

「あ、しまった」

「大丈夫ですか?」

 アオイさんが心配そうに見に来る。

「古い本だから、ちょっと力を入れすぎて」

 破れた部分を見ると、幸い小さな破れだった。でも、図書室の本を破いてしまうなんて。

 ふと思った。この能力を使えば、破れた部分を元に戻すことができるんじゃないだろうか。

「元に戻る」

 心の中で強く願う。あの感覚を意識して——

 ゆらり。

 世界が揺れて、次の瞬間を見ると、破れた部分が綺麗になっていた。

「あれ?」

 アオイさんが不思議そうな声を上げる。

「破れていたページが」

「え?」

 慌てて本を確認すると、確かに破れた跡がない。綺麗な状態に戻っている。

「見間違いだったのかな」

 俺はとぼけたが、アオイさんの表情が変わった。じっと俺の顔を見つめている。

「桜井君」

「はい」

「もしかして」

 その時、図書室のドアが開いて、他の生徒が入ってきた。アオイさんは口をつぐんでしまった。

 それから約一時間、二人で黙々と作業を続けた。でも空気が変わっていた。アオイさんが時々俺の方を見ているのがわかる。

 作業が終わって図書室を出る時、アオイさんが声をかけてきた。

「桜井君、少しお話しできませんか」

 心臓が跳ねる。やっぱり気づかれたのか。

「はい」

 人気のない階段の踊り場で、二人向き合って立った。夕日が窓から差し込んで、アオイさんの横顔を照らしている。

「昨日から、少し不思議なことが続いているように思うんです」

「不思議なこと?」

「停電の時の電気、今日の天気、それに今の本のことも」

 彼女の目が真剣だった。

「桜井君に、何か特別な力があるんじゃないでしょうか」

 ついに言われてしまった。否定すべきかどうか迷ったが、彼女の真剣な表情を見ていると、嘘をつく気になれなかった。

「もし、仮にですけど」

 俺は慎重に言葉を選んだ。

「もし、そんな力があったとしたら、天野さんはどう思いますか」

「どう思うか、ですか」

 彼女は少し考えてから答えた。

「きっと、とても大変なことだと思います。そんな力があったら、使いたくなってしまうでしょうし。でも、使うたびに何か大切なものを失ってしまうかもしれません」

 意外な答えだった。恐がるでもなく、羨ましがるでもなく、心配している。

「それに」

 彼女が続ける。

「一人でその秘密を抱えているのは、とても辛いことだと思うんです」

 その言葉が胸に響いた。確かに、昨日から一人でこの秘密を抱えているのは重かった。

「もし、本当にそんな力があるとしても」

 俺は小さな声で言った。

「大したことはできないんです。電気をつけたり、小さなものを動かしたり、運を少しだけ良くしたり。そんな程度の」

 アオイさんが微笑んだ。

「それでも十分すぎるくらいです。現実を変える力なんて」

「現実を変える」

 そうか、これはそういう力なんだ。現実を変える力。

「でも、なぜ俺にこんな力が?」

「わかりません。でも、きっと意味があるんだと思います」

 夕日が雲に隠れて、踊り場が薄暗くなった。

「天野さんは、恐くないんですか? こんな得体の知れない力のことを知って」

「恐いというより、心配です」

「心配?」

「その力を使うたび、桜井君に何か負担がかかっているような気がするんです。昨日も今日も、時々辛そうな表情をされていましたから」

 確かに、能力を使った後は軽い頭痛やめまいがあった。でも、それは気のせいだと思っていた。

「気づいてたんですね」

「私、そういうことを感じ取るのが得意なんです。昔から、周りの人の違和感とか矛盾とかに敏感で」

 矛盾。その言葉が引っかかった。

「矛盾?」

「現実に小さな歪みが生じる時、なんとなくわかるんです。『あれ、さっきと違うな』って」

 それで俺の能力に気づいたのか。

「でも、誰にも言いません。桜井君が話してくれるまで、私は何も知らないことにします」

 アオイさんのその言葉に、胸が熱くなった。

「ありがとうございます」

「こちらこそ。秘密を教えてくださって」

 その時、チャイムが鳴った。もうこんな時間か。

「今日はありがとうございました。また明日」

「はい、また明日」

 別れ際、アオイさんが振り返った。

「桜井君、あまり無理をしないでくださいね。その力は、きっともろ刃の剣だと思いますから」

 もろ刃の剣。確かにそうかもしれない。便利だけど、危険な面もありそうだ。

 家に帰る道すがら、今日一日のことを振り返った。テストの点数、破れた本の修復、そしてアオイさんとの会話。

 この力を使えば、いろんなことができそうだ。でも、アオイさんの言葉通り、使いすぎは危険かもしれない。

 とりあえず、明日も小さなことから試してみよう。慎重に、少しずつ。

 空を見上げると、雲の隙間から星が見えていた。いつもより星がきれいに見える気がした。もしかして、これも俺の能力の影響だろうか。

 いや、これは考えすぎだろう。でも、もしかしたら——

 そんなことを考えながら家路についた俺は、まだ知らなかった。この力が思っている以上に強大で、そして危険なものだということを。

 そして、俺の能力を狙っている存在がいるということを。


 3 見抜かれた秘密


 その夜、俺は自分の部屋で能力についてもっと詳しく調べることにした。アオイさんとの会話で、この力がただの遊び道具ではないことがわかったからだ。

 まず、能力を使った時の感覚を整理してみよう。

 ①世界がゆらりと揺れる感覚

 ②軽い頭痛やめまい

 ③「現実が少しだけ変わる」という結果

 そして今のところ成功した例は:

 ・電気のスイッチのオンオフ

 ・小物を少し動かす

 ・テストの「運」を良くする

 ・破れた本を修復する

 ・天気に微妙な影響?

 どれも「少しだけ」現実を変えている。劇的な変化ではなく、「あり得なくもない」程度の変化だ。

 試しに、もっと大きな変化を起こしてみようと思った。

「俺の部屋が豪邪になる」

 強く集中して願ってみる。しかし、あの「ゆらり」という感覚が全く起こらない。やっぱり無理なのか。

 じゃあ、もう少し小さな変化では?

「机の上が片付く」

 今度はかすかに「ゆらり」とした感覚があった。見ると、散らかっていた教科書が少し整理されている。完全に片付いたわけじゃないけど、「ちょっと整頓された」程度に。

 なるほど、この能力には明確な限界がある。「現実的にあり得る範囲」でしか変化を起こせないようだ。

 翌朝、学校に向かう途中で佐藤と会った。

「おはよう、ハル。昨日は英語すごかったな」

「まあ、たまたまだよ」

「たまたまで八十二点取れるかよ。何か勉強法変えたのか?」

 何と答えていいかわからず、曖昧に笑ってごまかした。

 教室に入ると、いつものようにアオイさんが読書をしている。今日は何の本だろう?

 席に着いてそっと見ると、『量子物理学入門』だった。すげえ、こんな難しそうな本を読んでるのか。

 目が合うと、彼女が小さく会釈した。昨日の秘密を共有した仲だと思うと、なんだか特別な気分になる。

 一限目の数学。昨日の成功に味をしめた俺は、また能力を使ってみることにした。

 今日は授業中の指名で当てられた時のために、「答えがわかるようになる」と願ってみた。

 すると案の定、田中先生が俺を指した。

「桜井、この問題を解いてみなさい」

 黒板を見ると、二次方程式の問題だった。普通なら全くわからないはずなのに、なぜか解き方が頭に浮かんできた。

 「因数分解して……」

 スラスラと解けた。クラスメイトたちがざわめく。

「おお、桜井やるじゃないか」

 田中先生も驚いている。昨日といい今日といい、急に成績が上がったように見えるだろう。

 でも、問題を解いている最中、いつもより強い頭痛があった。昨日より複雑な現実改変だったからかもしれない。

 休み時間、アオイさんが俺の席にやってきた。

「桜井君、少し話せませんか」

 教室の後ろの方で、二人だけで話した。

「さっきの数学、使いましたね」

 やっぱり気づかれていた。

「わかるんですか?」

「ええ。桜井君が能力を使う瞬間、周りの『現実』が微妙に歪むんです。それを私は感じ取れるんです」

 彼女は昨日言っていた「矛盾感知」の話をもう少し詳しく説明してくれた。

「小さい頃から、『何かおかしい』ことがわかってしまうんです。例えば、誰かが嘘をついている時とか、隠し事をしている時とか。現実と違うことが起こった時も」

「それって、超能力みたいなものですか?」

「どうでしょう。ただの勘がいいだけかもしれません。でも、桜井君の能力については確信があります」

 そして彼女は、心配そうな表情で続けた。

「でも、気になることがあるんです」

「気になること?」

「桜井君が能力を使うたび、現実の『歪み』が大きくなっているような気がするんです。最初は本当に小さな違和感だったのに、今朝は結構強く感じました」

 それを聞いて、俺も思い当たることがあった。確かに頭痛やめまいが段々強くなっている。

「もしかすると、使いすぎると危険なのかもしれません」

「危険って?」

「わかりません。でも、現実を無理やり変えるということは、きっと何かしらの代償があるはずです」

 アオイさんの言葉が胸に刺さった。確かに、そんなに都合のいい力があるはずがない。

「でも、今のところは大丈夫そうですし、少しずつ様子を見ながら使ってみてはどうでしょう?」

「様子を見ながら?」

「私がちゃんと見ていますから。危険な兆候があったらすぐに止めます」

 彼女の申し出に、心が温かくなった。一人でこの秘密を抱えるのは確かに重かったが、理解してくれる人がいるというのは心強い。

「ありがとうございます、天野さん」

「アオイでいいです。秘密を共有した仲ですから」

 アオイさん、じゃなくてアオイが微笑んだ。その笑顔を見て、俺の心臓がドキドキした。

 昼休み、購買部でパンを買って教室に戻ると、佐藤が深刻な顔で待っていた。

「ハル、大変なんだ」

「どうした?」

「来週、クラスマッチがあるだろ? うちのクラス、バスケットボールにエントリーしてるんだけど、メンバーが足りないんだ」

 そういえば、そんな話があった。クラス対抗のスポーツ大会。

「で?」

「お前も出てくれよ。頼む」

「え、俺? 無理だよ、バスケなんてできないし」

「大丈夫、みんな素人だから。とにかく人数合わせなんだ」

 佐藤の必死な頼み込みに、結局俺は承諾してしまった。でも、バスケットボールなんて体育の授業でしかやったことがない。

 その時、ふと思った。もしかして、この能力を使えば上手くなれるんじゃないだろうか? 「シュートが入る」とか「パスが成功する」とか願えば。

 でも、アオイの警告を思い出した。使いすぎは危険かもしれない。

 放課後の図書室。今日は二人だけの作業だった。

「今日は何の作業ですか?」

「新しい雑誌の整理と、古い雑誌の廃棄処分です」

 黙々と作業をしていると、アオイが話しかけてきた。

「桜井君、今日は能力を使ったのは数学の授業だけですか?」

「はい。それだけです」

「よかった。あまり頻繁に使うと心配ですから」

 彼女の気遣いが嬉しかった。でも、正直に言うと、もっと使ってみたい誘惑があった。

「アオイさんは、なぜそんなに心配してくれるんですか?」

「アオイでいいって言ったでしょう」

 彼女が苦笑した。

「なぜって、友達だからです。それに、その能力はきっと桜井君にとって重荷になると思うんです」

「重荷?」

「現実を変える力なんて、普通の人間が持つべきものじゃありません。きっと使うたびに、桜井君の中の何かが削られていくと思います」

 その言葉に、ハッとした。確かに、能力を使った後はいつも疲労感がある。単なる頭痛だと思っていたが、もっと深刻なものかもしれない。

「でも」

 アオイが続けた。

「もし本当に必要な時があったら、遠慮なく使ってください。私がちゃんと見守りますから」

 その優しさに胸が熱くなった。

「ありがとう、アオイ」

 初めて彼女の名前を呼んだ。なんだか特別な気分だった。

 作業を続けていると、図書室のドアが開いた。入ってきたのは生徒会長の白石レン先輩だった。

「お疲れさまです」

 レン先輩は高校三年生で、クールで大人びた美人だ。成績も優秀で、生徒会長としてもしっかりしている。ちょっと近寄りがたい雰囲気があるけど。

「白石先輩、お疲れさまです」

「図書委員の皆さん、いつもご苦労さまです。実は、少しお聞きしたいことがあって」

「はい?」

 レン先輩の表情が真剣だった。

「最近、学校で少し変わったことが起きているようなのですが、何か気づいたことはありませんか?」

「変わったこと、ですか?」

 ドキリとした。まさか、俺の能力のことを言っているのか?

「例えば、停電が急に復旧したり、天気予報が外れたり、些細なことなんですが」

 完全に俺の能力のことだった。アオイと目が合う。彼女も気づいている。

「特に気づいたことはありませんが」

 俺がそう答えると、レン先輩は少し考えるような表情をした。

「そうですか。実は、何人かの生徒から『最近、ちょっと不思議なことが多い』という話を聞いているんです」

「不思議なこと?」

「小さなことなんです。失くしたものが見つかったり、難しいテストが急にできるようになったり、運がよくなったような気がするとか」

 心臓がドキドキする。他の生徒も気づき始めているのか?

「もしかすると、学校に何か『異常』な存在がいるのかもしれません」

 異常な存在。それは俺のことだ。

「でも、まだ推測の域を出ませんし、実害があるわけでもありませんから。ただ、何か気づいたことがあったら教えてください」

「はい」

 レン先輩が帰った後、アオイが小声で言った。

「まずいですね」

「やっぱり、バレ始めてるのかな」

「少なくとも、白石先輩は気づいています。あの方は観察力が鋭いですから」

 確かに、レン先輩は頭がいいし、生徒会長として学校全体のことを把握している。異常な現象があれば気づくだろう。

「どうしよう」

「とりあえず、しばらくは能力の使用を控えた方がいいかもしれません」

 アオイの提案はもっともだった。でも、来週のクラスマッチはどうしよう。バスケットボールなんて、能力を使わずにできるはずがない。

 その日の帰り道、俺は複雑な心境だった。アオイという理解者ができたのは心強いが、同時にレン先輩という監視者もできてしまった。

 この能力は便利だけど、使えば使うほど注目を集めてしまう。そして、アオイの警告通り、俺自身にも何らかの負担をかけている。

 でも、この力を完全に封印してしまうのも惜しい気がした。まだまだ試してみたいことがたくさんある。

 空を見上げると、今日は雲一つない快晴だった。これも俺の能力の影響だろうか。それとも、単なる偶然?

 もうわからなくなってきた。現実と能力の境界が曖昧になってきている。

 でも一つだけ確かなのは、アオイという大切な人ができたということだった。彼女がいてくれる限り、この能力と上手く付き合っていけるかもしれない。

 そう思いながら家路についた俺は、まだ知らなかった。

 俺の能力を狙う、もっと危険な存在が近づいていることを。

 そして、この力の真の正体と、恐ろしい副作用について。


 4 理想の関係


 週末の朝、俺は自分の部屋で能力について考えていた。レン先輩に気づかれ始めているし、アオイも使用を控えるよう警告している。でも、正直に言うとこの力をもっと使ってみたかった。

 特に、アオイとの関係について。

 彼女とは確かに友達になれた。でも、それだけでいいのだろうか? もっと特別な関係になれるんじゃないか? この能力を使えば。

 例えば、偶然を装って一緒に帰ることになったり、雨が降って相合い傘することになったり、文化祭で二人だけの時間を作ったり——

 いや、待てよ。それって結局、嘘の関係じゃないか。能力で作り出した偽物の「偶然」で築いた関係に意味があるのか?

 でも、きっかけさえあれば、本当に仲良くなれるかもしれない。能力は最初のきっかけを作るだけ。その後は自分の力で——

 そんなことを考えていると、携帯が鳴った。佐藤からだった。

「おはよう、ハル。今日、バスケの練習するんだけど来れる?」

「練習?」

「来週のクラスマッチに向けてさ。午後から学校の体育館借りられることになったんだ」

 クラスマッチ。そうだった、バスケに出ることになってたんだ。

「わかった、行くよ」

 午後、学校の体育館に向かった。既に佐藤たちが集まってボールを使って遊んでいる。

「おお、ハル。来たな」

 チームメンバーは俺を含めて七人。佐藤、田村、中島、山田、鈴木、それに俺。みんなバスケは素人レベルだった。

「とりあえず、基本的なパスとかシュートから練習しようぜ」

 佐藤の提案で、簡単な練習を始めた。でも、俺は本当に下手だった。パスはあらぬ方向に飛んでいくし、シュートはリングにすら当たらない。

「ハル、もうちょっと力抜けよ」

「わかってるんだけど」

 三十分ほど練習したが、全然上達しない。このままじゃクラスマッチで完全に足を引っ張ることになる。

 ふと、能力のことを思い出した。「シュートが入る」と願えば入るんじゃないか? 「パスが成功する」と願えば成功するんじゃないか?

 でも、アオイの警告が頭によぎる。使いすぎは危険かもしれない。それに、スポーツで能力を使うのはフェアじゃない気もする。

 結局、その日の練習では能力を使わずに終わった。散々な結果だったけど。

 翌日の月曜日。朝のHRで、担任の山田先生がクラスマッチについて話していた。

「来週金曜日のクラスマッチ、各競技の代表者は頑張ってください。特に我がクラスのバスケチームには期待してます」

 クラスメイトたちの視線が俺たちに向く。プレッシャーだ。

 授業が始まると、俺はアオイのことが気になって仕方なかった。今週末の件を相談したかったし、何より彼女ともっと話がしたかった。

 休み時間、アオイが一人で本を読んでいるところに近づいた。

「おはよう、アオイ」

「おはようございます、桜井君」

「今読んでるのは?」

「『人工知能の哲学』です」

 また難しそうな本だった。こんな本を読む彼女と、ゲームとラノベしか読まない俺。なんだか釣り合わない気がする。

 もしかしたら、能力を使って俺も賢くなれるんじゃないだろうか。「この本の内容がわかる」とか願えば。

「桜井君?」

「あ、すみません。ぼーっとしてました」

「何か心配事でも?」

 アオイの優しい声に、つい本音が出てしまった。

「実は、クラスマッチのことで」

「バスケットボールですね」

「はい。俺、全然できないんです。チームに迷惑かけそうで」

「能力を使うことを考えているんですか?」

 さすがアオイだ。すぐに気づかれた。

「少し、考えました。でも」

「でも?」

「それって、ずるいですよね。フェアじゃないというか」

 アオイが微笑んだ。

「その気持ちが大切だと思います。能力があっても、使わない選択をする。それも一つの強さです」

 彼女の言葉に救われた気がした。

「でも、どうしても必要な時は使ってもいいと思います。例えば、誰かを助けるためとか」

「誰かを助けるため?」

「はい。自分のためだけじゃなく、大切な人のためなら」

 大切な人。それはアオイのことかもしれない。

 昼休み、購買部に向かう途中で、一年生の女子に声をかけられた。

「あの、桜井先輩ですか?」

「はい」

 振り返ると、明るい笑顔の可愛い女の子が立っていた。

「私、一年B組の結城マユです。図書委員をやっています」

「ああ、図書委員の」

 確か、時々図書室で見かける後輩だった。

「実は、お聞きしたいことがあって」

「何ですか?」

「図書室の本の整理の方法を教えていただけませんか? 桜井先輩、とても上手だと天野先輩がおっしゃっていて」

 アオイが俺のことを褒めてくれていたのか。なんだか嬉しい。

「別に大したことしてませんけど」

「そんなことありません。この前、古い本を完璧に修理されたって」

 古い本の修理。あれは能力を使ったんだった。

「今度、詳しく教えていただけませんか? お時間がある時に」

 マユの明るい笑顔に、断る理由もなかった。

「はい、いいですよ」

「ありがとうございます! すごく嬉しいです」

 マユは本当に嬉しそうだった。こんなに純粋に喜んでもらえると、こっちも嬉しくなる。

 午後の授業中、ふとマユのことを考えていた。明るくて素直で、一緒にいると楽しそうな女の子だった。アオイとは違うタイプだけど、魅力的だ。

 でも、俺が好きなのはアオイだ。それは間違いない。

 放課後の図書室。今日は三人で作業することになった。俺、アオイ、それにマユ。

「桜井先輩、本当にありがとうございます」

 マユが本の修理方法を熱心に聞いている。俺は能力を使わない範囲で、できるだけ丁寧に教えた。

「すごいです。こんなに綺麗に直せるんですね」

「慣れれば誰でもできますよ」

 アオイが俺たちのやりとりを見ている。何となく複雑な表情に見えた。

「天野先輩も一緒にやりませんか?」

 マユがアオイを誘った。

「私は新刊の処理があるので」

 素っ気ない返事だった。いつものアオイらしくない。

 作業が終わって三人で図書室を出ると、マユが俺に話しかけてきた。

「桜井先輩、今度のクラスマッチ、バスケに出られるんですよね?」

「はい。でも、あまり期待しないでください」

「そんなことありません。絶対に活躍されますよ。応援してます」

 マユの無邪気な応援に、心が軽くなった。

「ありがとう」

 その時、アオイが口を開いた。

「結城さん、先に帰られてはどうですか? 桜井君と少し話があるので」

「あ、はい。わかりました」

 マユは少し寂しそうな表情を見せたが、素直に帰っていった。

 二人きりになると、アオイが真剣な顔で話し始めた。

「桜井君、結城さんのことをどう思いますか?」

「え?」

 突然の質問に戸惑った。

「可愛い女の子だと思いますけど」

「そうですか」

 アオイの声がいつもより冷たい。

「でも、彼女があなたに好意を抱いているのは明らかです」

「好意って」

「女の子にはわかるんです。結城さんの桜井君を見る目、完全に恋する女の子の目ですから」

 マユが俺に? そんな風には思えなかったけど。

「それで?」

「もし桜井君が彼女と付き合うつもりなら、能力のことは絶対に秘密にしてください」

 なんだかアオイが怒っているような気がした。

「俺は別に、マユと付き合うつもりは」

「本当ですか?」

「本当ですよ。俺が好きなのは」

 そこまで言って、言葉が詰まった。「俺が好きなのはアオイだ」と言いかけたのだ。

「好きなのは?」

 アオイが促す。でも、面と向かって言うのは恥ずかしかった。

「その、特別な人がいるんです」

「特別な人」

「はい。でも、その人は俺なんかじゃ釣り合わないというか」

 アオイの表情が少し和らいだ。

「どんな人ですか?」

「とても賢くて、美人で、優しくて。でも時々不思議なことを言う人です」

「不思議なこと?」

「『雨はいつか止む』とか、『現実を変える力はもろ刃の剣』とか」

 アオイがクスッと笑った。

「それは確かに不思議ですね」

 その笑顔を見て、俺は思い切って言った。

「アオイ、俺はこの気持ちを能力で何とかしたいと思ったことがあります」

「気持ちを?」

「偶然を装って一緒にいる時間を作ったり、相合い傘の機会を作ったり」

 アオイの顔が曇った。

「でも、やめました。そんな嘘の関係に意味がないって気づいたから」

「桜井君」

「もし、その特別な人と本当に仲良くなれるとしたら、能力じゃなくて自分の力でそうなりたいんです」

 アオイがじっと俺を見つめていた。

「その人は、とても幸せ者ですね」

「え?」

「そんなに真剣に想ってもらえて」

 夕日が図書室の窓から差し込んで、アオイの顔を照らしている。その表情がなんだかいつもと違って見えた。

「桜井君」

「はい」

「もしかして、その特別な人というのは」

 その時、図書室のドアが勢いよく開いた。

「失礼します!」

 入ってきたのはレン先輩だった。息を切らしている。

「白石先輩?」

「桜井君、天野さん、ちょうど良かった」

 レン先輩が深刻な顔で近づいてきた。

「実は、緊急事態です」

「緊急事態?」

「学校で異常な現象が多発しています。職員室の電気が勝手についたり消えたり、音楽室のピアノが勝手に音を出したり」

 心臓がドキドキする。俺の能力と関係があるのか?

「それで、全校生徒に聞き込みをしているんです。何か心当たりはありませんか?」

「心当たりって」

「最近、何か変わったことを見たり、不思議な体験をしたり」

 アオイと目が合った。彼女が微かに首を横に振る。

「特に何も」

 俺がそう答えると、レン先輩は残念そうな顔をした。

「そうですか。でも、もし何か気づいたことがあったら、すぐに生徒会室に連絡してください」

「はい」

 レン先輩が帰った後、アオイが小声で言った。

「まずいですね。異常現象が拡大しているようです」

「俺のせいかな」

「わかりません。でも、可能性はあります」

 アオイの表情が深刻だった。

「しばらく、能力の使用は完全に停止した方がいいかもしれません」

「そうですね」

 でも、クラスマッチはどうしよう。能力なしでバスケなんてできない。チームに迷惑をかけることになる。

「桜井君」

「はい」

「先ほどの話の続きですが」

 そうだった。アオイに気持ちを伝えようとしていたんだった。

「その特別な人というのは、もしかして私のことですか?」

 ついに聞かれてしまった。顔が真っ赤になる。

「はい」

 小声で答えた。

「そうですか」

 アオイの反応が読めない。嬉しいのか、困っているのか。

「私も、桜井君のこと、特別だと思っています」

「え?」

「秘密を共有した仲ですし、とても信頼できる人だと」

 信頼できる人。友達として特別ということか。

「でも」

 アオイが続けた。

「今は、その能力のことを最優先に考えるべきだと思います」

「そうですね」

 確かに、恋愛なんてしている場合じゃない。学校で異常現象が起きているし、レン先輩に疑われているし。

 でも、ちょっとだけ期待していた。アオイも俺のことを特別だと思ってくれているなら、もしかして。

 その夜、家で一人になって考えた。

 今日、マユという新しい女の子と知り合った。彼女は俺に好意を持っているかもしれない。そして、アオイは俺のことを「信頼できる人」だと言った。

 複雑な気持ちだった。

 そして、学校で異常現象が起きているという話。これは確実に俺の能力と関係がある。使いすぎた結果、現実に歪みが生じているのかもしれない。

 アオイの言う通り、しばらく能力の使用は控えるべきだろう。でも、クラスマッチが心配だ。チームのみんなに迷惑をかけたくない。

 一度だけ、本当に一度だけなら。クラスマッチの時だけ能力を使っても大丈夫だろうか。

 窓の外を見ると、今夜は星がよく見えた。いつもより多く、いつもより明るく。

 これも俺の能力の影響だろうか。それとも、単なる偶然?

 もう何が現実で何が能力の結果なのか、わからなくなってきていた。


 5 副作用の連鎖


 クラスマッチまであと三日。俺は体育館での練習に参加していたが、相変わらず上達しない。シュートは外れるし、パスは相手に取られるし、ドリブルはすぐにボールを失う。

「ハル、もうちょっと落ち着けよ」

 佐藤がアドバイスをくれるが、焦れば焦るほど下手になっていく。

「このままじゃ、本当にチームの足を引っ張るな」

 俺が落ち込んでいると、中島が声をかけてきた。

「別に気にすることないって。みんな下手なんだから」

「でも、俺は特に下手だろ」

「まあ、それは否定しないけど」

 中島の正直な返事に、さらに落ち込んだ。

 練習が終わって着替えていると、田村が俺に近づいてきた。

「桜井、お前さ、何か秘訣とかないの?」

「秘訣?」

「最近、テストの点数とか急に上がったじゃん。勉強法変えたとか、サプリ飲んでるとか」

 ドキリとした。そういえば、英語と数学で急に成績が上がったんだった。

「別に、特別なことはしてないよ」

「そうか? 何か怪しいんだよな」

 田村の視線が鋭い。まさか、能力のことを疑っているのか?

 その夜、家で宿題をしていると、母さんが部屋にやってきた。

「ハル、最近調子よさそうね」

「え?」

「成績も上がったし、なんだか前向きになったみたい」

 母さんも気づいているのか。確かに、能力を得てから少し自信がついた気がする。

「でも、無理しちゃだめよ。体調管理もちゃんとしなさい」

「わかってる」

 実際、最近は頭痛や疲労感が続いている。能力を使わなくても、何となく体調がすぐれない。

 翌日の火曜日。朝のHRで、担任の山田先生が深刻な顔で話していた。

「最近、学校で不可解な現象が多発しています。皆さんも注意してください」

 クラス中がざわめく。

「具体的には、電気設備の異常、音響機器の誤作動、それに一部の生徒から『不思議な体験をした』という報告があがっています」

 俺の心臓がドキドキする。やっぱり俺の能力が原因なのか?

「何か心当たりがある人は、すぐに先生か生徒会に報告してください」

 休み時間、アオイが俺の席にやってきた。

「桜井君、昨日から能力は使っていませんか?」

「使ってません。でも」

「でも?」

「なんだか体調がよくないんです。頭痛とか、疲労感とか」

 アオイの表情が心配そうになった。

「それは、能力の副作用かもしれません」

「副作用?」

「現実を無理やり変えるというのは、きっと体に大きな負担をかけているんです。使わなくても、蓄積されたダメージが残っているのかも」

 そんなことがあるのか。だとしたら、この能力はもっと危険なものかもしれない。

 昼休み、図書室に行くとマユがいた。

「桜井先輩、お疲れさまです」

「お疲れさま、マユ」

「先輩、なんだか顔色が悪いですね。大丈夫ですか?」

 マユが心配そうに俺の顔を覗き込む。距離が近くて、ちょっとドキドキした。

「ちょっと疲れてるだけだよ」

「無理しちゃだめですよ。明後日のクラスマッチもあるんですから」

 クラスマッチ。そうだ、もう明後日なんだ。

「先輩のバスケ、楽しみにしてます」

 マユの無邪気な笑顔を見ていると、期待を裏切りたくない気持ちになった。でも、このままじゃ確実に期待を裏切ることになる。

「マユは何か応援してる競技があるの?」

「はい、バスケットボールです」

 え?

「先輩が出るから、絶対に見に行きます」

 マユが俺のためにクラスマッチを見に来る。プレッシャーが倍増した。

 その時、図書室にレン先輩が入ってきた。

「失礼します」

「白石先輩、お疲れさまです」

 レン先輩が俺とマユに近づいてくる。

「桜井君、少しお聞きしたいことがあります」

「はい」

「最近、この学校で起きている異常現象についてですが、本当に心当たりはありませんか?」

 レン先輩の視線が鋭い。まるで俺が犯人だと疑っているみたいだ。

「心当たりって言われても」

「例えば、あなたの周りで不可解なことが起きていませんか? 思い通りになることが多いとか、幸運が続いているとか」

 ドキリとした。完全に俺のことを疑っている。

「別に、普通ですけど」

「そうですか」

 レン先輩はまだ納得していない様子だった。

「でも、もし何か知っていることがあったら、必ず報告してください。この異常現象、放置しておくと大変なことになる可能性があります」

「大変なこと?」

「詳しくは言えませんが、専門家に相談したところ、『現実改変系の超常現象』の可能性があると言われました」

 現実改変。まさに俺の能力のことだ。

「そんなものが本当にあるんですか?」

「信じがたいことですが、他に説明がつかないんです」

 レン先輩が帰った後、マユが俺に話しかけてきた。

「先輩、白石先輩の話、怖いですね」

「そうだね」

「でも、現実を変える力なんて、本当にあるんでしょうか」

 マユの無邪気な疑問に、俺は答えられなかった。

 放課後、アオイと二人で図書室の奥で話した。

「レン先輩、完全に気づいてますね」

「専門家にも相談してるみたいだし」

「どうしましょう」

「しばらく、完全に能力を封印するしかないでしょう」

 アオイの提案はもっともだった。でも、クラスマッチはどうする?

「でも、明後日のクラスマッチが」

「桜井君、自分の身を第一に考えてください」

「でも、チームのみんなに迷惑をかけてしまう」

「そんなの関係ありません。あなたの安全の方が大切です」

 アオイが真剣な顔で俺を見つめる。

「それに、結城さんも心配するでしょう」

「マユ?」

「彼女、明らかにあなたのことを好きですから。もしあなたに何かあったら、きっと悲しみます」

 確かに、マユに心配をかけたくない。でも、期待を裏切るのも辛い。

 その時、図書室の本棚の奥から物音がした。

「誰かいるんですか?」

 アオイが立ち上がって確認に行く。

「誰もいませんね。本が落ちただけのようです」

 でも、俺は確信していた。誰かが俺たちの会話を聞いていたんだ。

 翌日の水曜日。クラスマッチまであと一日。俺の体調はさらに悪化していた。朝起きた時から頭痛がひどく、授業中もボーッとしてしまう。

 昼休み、保健室に行った。

「桜井君、どうしたの?」

 保健の先生が心配そうに尋ねる。

「頭痛がひどくて」

「熱はないようね。最近、ちゃんと眠れてる?」

「はい、一応」

「ストレスかもしれないわね。何か悩み事でもある?」

 悩み事。超常的な能力を持ってしまって、学校に異常現象を引き起こしていて、生徒会長に疑われている。でも、そんなこと言えるわけがない。

「クラスマッチのプレッシャーかもしれません」

「ああ、明日ね。あまり気負わずに、楽しくやりなさい」

 楽しく。そうできればいいんだけど。

 午後の授業中、突然異常なことが起こった。

 教室の電気が一斉に点滅し始めたのだ。

「おい、何だこれ」

「電気が変だぞ」

 クラス中が騒然となった。そして、エアコンから突然冷風が吹き出し、窓が勝手に開いた。

 俺は何もしていない。能力を使っていない。でも、明らかに異常現象が起きている。

 その時、激しい頭痛が俺を襲った。まるで脳を針で刺されるような痛み。

「うっ」

 思わず頭を押さえると、教室の異常現象がピタリと止まった。

「桜井、大丈夫か?」

 隣の佐藤が心配そうに声をかけてくる。

「はい、ちょっと頭が」

 でも、俺は確信した。この異常現象は俺が原因だ。能力を使わなくても、俺の存在自体が現実に影響を与え始めている。

 放課後、急いで図書室に向かった。アオイに相談しなければ。

 でも、図書室にアオイはいなかった。代わりにマユがいた。

「桜井先輩、お疲れさまです」

「マユ、アオイは?」

「天野先輩なら、生徒会室に呼ばれて行かれました」

 生徒会室。レン先輩に呼ばれたのか。

「先輩、今日の授業中の出来事、すごかったですね」

「出来事?」

「電気が点滅したり、エアコンが勝手に動いたり。まるで映画みたいでした」

 マユは楽しそうに話しているが、俺は冷汗をかいていた。

「でも、先輩が頭を押さえた瞬間に止まったのが不思議でした」

 マユも気づいていたのか。

「偶然でしょう」

「そうでしょうか」

 マユの表情が少し変わった。いつもの無邪気な笑顔ではなく、何か探るような目つき。

「実は、私も最近不思議なことがあるんです」

「不思議なこと?」

「先輩と一緒にいる時、なんだかいつもより幸せな気分になるんです。まるで、周りの空気が変わるみたいに」

 それも俺の能力の影響なのか?

「それに、先輩の周りにいると、良いことがよく起こるんです。探していた本が見つかったり、テストで良い点が取れたり」

 マユが俺に近づいてくる。

「もしかして、先輩には何か特別な力があるんじゃないですか?」

 心臓が早鐘を打った。マユまで俺の能力に気づいているのか?

「そんなわけないでしょう」

「でも、もし本当にそんな力があったとしても、私は怖くありません」

「え?」

「むしろ、すごいと思います。そんな特別な人が身近にいるなんて」

 マユの目が輝いている。恐怖ではなく、憧れの目だった。

「マユ」

「はい」

「もし、仮にそんな力があったとしたら、どう思う?」

「どう思うか、ですか」

 マユは少し考えてから答えた。

「きっと、とても孤独だと思います。そんな力があっても、誰にも理解してもらえなくて」

 その通りだった。俺は確かに孤独だった。アオイがいてくれるけど、それでも。

「でも、私なら理解できます。先輩がどんな人でも、どんな力を持っていても」

 マユの真剣な表情に、心が動いた。

「だから、もし先輩が何か困っていることがあったら、いつでも相談してください」

 その時、図書室のドアが開いて、アオイが入ってきた。表情が暗い。

「桜井君、大変です」

「どうしたの?」

「白石先輩に、あなたのことを詳しく聞かれました」

 やっぱり。

「それで?」

「とりあえず、何も知らないと答えておきましたが、完全に疑われています」

 アオイがマユに気づいた。

「結城さんもいらしたんですね」

「はい、桜井先輩をお待ちしていました」

 二人の間に微妙な空気が流れる。

「実は、結城さんにもお話があるんです」

「私にですか?」

「ええ。桜井君のことで」

 アオイが何を言うつもりなのかわからないが、嫌な予感がした。

「桜井君には、実は秘密があるんです」

「アオイ」

 俺が止めようとしたが、アオイは続けた。

「とても大きな秘密。誰にも言えない秘密」

 マユが息を呑む。

「もし、その秘密を知ることになっても、絶対に他の人には言わないでください」

「は、はい」

「約束できますか?」

「約束します」

 アオイがゆっくりと口を開いた。

「桜井君には、現実を変える力があるんです」

 図書室が静寂に包まれた。マユが大きく目を見開いている。

 俺の秘密が、また一人に知られてしまった。

 そして、この秘密を知る人が増えるたび、俺を取り巻く状況はさらに複雑になっていくのだった。


 6 四人の関係


 図書室に重い沈黙が流れた。マユが俺とアオイを交互に見つめている。

「現実を、変える力」

 マユがゆっくりと呟いた。

「はい。信じがたいことですが、事実です」

 アオイが真剣な表情で答える。

「それで、最近学校で起きている異常現象は」

「おそらく、桜井君の能力が原因です」

 マユが俺を見つめる。恐怖の表情ではなく、むしろ心配そうな目だった。

「桜井先輩、それって大丈夫なんですか? 体に負担とかかかりませんか?」

 彼女の最初の反応が俺の心配だったことに、胸が温かくなった。

「実は、最近体調がよくないんです」

「やっぱり。顔色もよくないし、今日の授業中も辛そうでした」

 マユが俺の近くに座った。

「詳しく教えてください。どんな力で、いつからあるのか」

 俺とアオイで、これまでの経緯を説明した。能力の発現、テストでの使用、本の修復、そして最近の異常現象について。

「すごい」

 マユが感嘆の声を上げた。

「でも、とても危険ですね」

「危険?」

「だって、現実を変えるなんて、神様がやることじゃないですか。人間がそんなことをしたら、きっと何かしっぺ返しがある」

 マユの言葉に、アオイがうなずいた。

「私も同じことを考えていました。現実改変には必ず代償が伴うはずです」

「でも、代償って何だろう」

 俺が疑問を口にすると、マユが答えた。

「桜井先輩の体調不良がそれじゃないでしょうか。現実を無理やり変えるたび、先輩の生命力が削られているのかもしれません」

 生命力。そんな大げさな話なのか?

「だとしたら、もう能力は使わない方がいいですね」

 アオイの提案に、マユも賛成した。

「私もそう思います。先輩の体が心配です」

 二人とも俺のことを心配してくれている。でも、明日はクラスマッチだ。

「でも、明日のバスケは」

「そんなの関係ありません」

 アオイが強い口調で言った。

「スポーツの結果より、あなたの命の方が大切です」

「でも、チームのみんなに迷惑を」

「先輩」

 マユが俺の手を取った。

「私、先輩が活躍するところを見たいと思ってました。でも、それで先輩が危険な目に遭うなら、見たくありません」

 マユの手が温かかった。

「先輩が元気でいてくれることが、私にとって一番大切です」

 その言葉に、心が動いた。こんなに真剣に心配してもらったのは初めてだった。

「わかりました。能力は使いません」

 そう約束すると、アオイとマユが安堵の表情を見せた。

 その時、図書室のドアが開いた。入ってきたのはレン先輩だった。

「失礼します」

 三人が慌てて離れる。

「あら、皆さん揃って何をしていたんですか?」

 レン先輩の視線が鋭い。まさか、今の会話を聞かれたのでは?

「クラスマッチの話をしていました」

 アオイが機転を利かせた。

「そうですか。桜井君、明日は頑張ってくださいね」

「はい」

「ところで、今日の午後に起きた異常現象ですが、桜井君のクラスでしたよね?」

 来た。やっぱり疑われている。

「はい。電気とかエアコンが変になって」

「その時、桜井君は何をしていましたか?」

「普通に授業を受けていました」

「目撃者によると、あなたが頭を押さえた瞬間に異常現象が止んだそうですが」

 完全にマークされている。

「偶然だと思います」

「偶然。そうですね、偶然というのは不思議なものです」

 レン先輩の口調に皮肉が込められている。

「桜井君、もし何か隠していることがあるなら、今のうちに話してください。事態が深刻化する前に」

「隠していることなんて」

「本当に?」

 レン先輩が俺に近づく。威圧感がすごい。

「白石先輩」

 マユが口を開いた。

「桜井先輩は何も悪いことはしていません」

「結城さん、あなたも桜井君を庇うんですね」

「庇うって、そういうわけじゃ」

「天野さんもそうですが、なぜ皆さん桜井君の味方をするんでしょうね」

 レン先輩の視線が三人を見回す。

「まるで、何か共通の秘密でもあるかのように」

 心臓がドキドキする。完全に感づかれている。

「とりあえず、明日のクラスマッチは注意深く観察させていただきます」

「観察?」

「異常現象が起きないか、桜井君の動向を含めて」

 レン先輩が帰った後、三人とも息をついた。

「完全に疑われていますね」

 アオイが心配そうに言った。

「でも、決定的な証拠はないでしょう」

 マユが楽観的に言うが、俺は不安だった。

「明日のクラスマッチ、本当に能力を使わずに大丈夫かな」

「大丈夫です」

 アオイが断言した。

「私たちが応援しています」

「そうです。私も一生懸命応援します」

 マユも笑顔で言った。

「二人とも、ありがとう」

 その夜、家で明日のことを考えていた。バスケットボールの試合で、能力を使わずに戦う。きっと散々な結果になるだろう。でも、アオイとマユの言葉を思い出すと、頑張ろうという気持ちになった。

 翌日、クラスマッチ当日。朝から学校全体が盛り上がっている。

「おはよう、ハル。今日はいよいよだな」

 佐藤が興奮気味に話しかけてきた。

「頑張ろう」

「おう、優勝目指すぞ」

 優勝なんて無理だろうが、せめてチームの足を引っ張らないようにしたい。

 午前中の授業は集中できなかった。頭の中は試合のことでいっぱい。そして、体調も相変わらず良くない。頭痛は続いているし、時々めまいもする。

 昼休み、体育館で他の競技の試合を見ていた。バレーボール、卓球、テニス。みんな楽しそうに戦っている。

「桜井先輩」

 振り返ると、マユがいた。

「お疲れさまです。調子はどうですか?」

「まあまあかな」

「無理しちゃダメですよ。もし体調が悪くなったら、すぐに言ってください」

 マユの優しさが身に染みた。

「ありがとう、マユ」

「私、ずっと応援してます」

 その時、アオイもやってきた。

「桜井君、準備はどうですか?」

「準備って言っても、特に何も」

「体調は大丈夫?」

「はい、なんとか」

 アオイとマユが並んで立っている。二人とも俺を心配してくれているのはわかるが、何となく微妙な空気が流れている。

「私たち、観客席で応援しますから」

 アオイが言うと、マユも続けた。

「はい、一緒に応援しましょう」

 でも、二人の間には見えない火花が散っているような気がした。

 午後三時、バスケットボールの試合開始。俺たちのチームは二年A組。最初の対戦相手は二年C組だった。

 観客席を見ると、アオイとマユが座っている。少し離れた場所に、レン先輩もいた。完全に俺をマークしている。

「よし、行くぞ」

 佐藤の掛け声で試合開始。

 最初の数分間は、みんな緊張していて思うようにプレーできない。俺も例外ではなく、最初のパスを受けた時にボールを落としてしまった。

「ハル、落ち着け」

 佐藤がアドバイスをくれるが、観客席からの視線が気になってますます緊張する。

 前半終了時点で、十五対八で負けていた。俺は一度もシュートを決められず、パスミスを三回もした。完全にチームの足を引っ張っている。

 ハーフタイム、ベンチで水を飲んでいると、頭がクラクラした。体調がさらに悪くなっている。

「大丈夫か、ハル?」

「はい、なんとか」

 でも、実際にはかなり辛い。このまま後半を戦えるだろうか。

 観客席を見ると、アオイとマユが心配そうにこちらを見ている。マユが何か言いたそうにしているが、アオイが制止している。

 後半開始。相手チームの勢いは止まらず、点差はどんどん開いていく。俺はますます動けなくなり、完全にお荷物状態だった。

 その時、ふと思った。一度だけ、本当に一度だけ能力を使ったら? シュートを一本決めることができれば、チームの士気も上がるし、観客席のマユも喜んでくれる。

 でも、アオイとマユとの約束がある。それに、レン先輩も見ている。

 葛藤している間に、試合は終わった。最終スコア三十二対十八。完敗だった。

 チームメイトたちは落ち込んでいたが、誰も俺を責めなかった。

「お疲れ様」

「また来年頑張ろう」

 みんな優しかった。でも、それがかえって申し訳なく感じた。

 試合後、観客席からアオイとマユが駆け寄ってきた。

「お疲れさまでした」

「先輩、大丈夫ですか?」

 二人とも俺の体を心配している。

「はい、何とか最後まで戦えました」

「よく頑張りましたね」

 アオイが微笑む。

「結果は残念でしたが、能力に頼らずに戦ったことは立派だと思います」

「私もそう思います」

 マユも同意した。

「先輩が一生懸命プレーしている姿、とてもかっこよかったです」

 負けたのに、かっこよかったなんて。マユの優しい嘘が嬉しかった。

 その時、レン先輩が近づいてきた。

「桜井君、お疲れさまでした」

「ありがとうございます」

「今日は特に異常な現象は起きませんでしたね」

 ちょっと皮肉っぽい口調だった。

「はい。普通の試合でした」

「そうですね。では、失礼します」

 レン先輩が去った後、マユが小声で言った。

「白石先輩、まだ疑ってますね」

「でも、今日は何も起きなかったから、疑いは薄れるんじゃないでしょうか」

 アオイの楽観的な意見に、俺もそうであってほしいと思った。

 その日の夕方、三人で学校の中庭にいた。夕日が美しく、穏やかな時間が流れている。

「今日は本当にお疲れさまでした」

 アオイが改めて労ってくれた。

「能力を使わずに最後まで戦い抜いたこと、とても誇らしく思います」

「私も同じ気持ちです」

 マユも続けた。

「先輩の頑張りを見ていて、私も頑張ろうって思いました」

 二人の言葉に救われた気がした。

「ありがとう、二人とも」

「これからも、能力に頼らずに生活していけるといいですね」

 アオイの言葉に、俺はうなずいた。

「はい。もう能力は使いません」

 でも、その誓いが破られることになるとは、この時の俺たちは知らなかった。

 翌週から、学校で起きる異常現象はさらに激化していく。そして、俺の体調も急速に悪化していく。

 能力を使わなくても、現実の歪みは止まらない。それどころか、ますます酷くなっていく。

 俺たちは、この能力の本当の恐ろしさを、まだ理解していなかった。

 そして、俺を狙う新たな敵の存在も。

 しかし今は、アオイとマユという二人の理解者がいることが、何よりの支えだった。たとえどんなに困難な状況になっても、この二人がいてくれる限り、きっと乗り越えられる。

 そう信じていた。

 夕日が完全に沈み、校舎に明かりが灯り始める。三人で肩を並べて歩く影が、長く伸びていた。

 まだ知らない。明日から始まる、もっと深刻な事態を。


 7 大失敗


 クラスマッチから一週間が経った。俺は能力を使わない生活を続けていたが、状況は全く好転しなかった。それどころか、ますます悪化していた。

 まず、体調だ。頭痛は慢性的になり、めまいや吐き気も頻繁に起こる。授業中にぼーっとしてしまうことも増えた。母さんも心配して、病院に行くことを勧めてくれたが、医者に行ったところで原因がわかるはずもない。

 そして、学校の異常現象も止まらない。俺が能力を使わなくても、電気系統の異常、音響機器の誤作動、気温の急激な変化などが毎日のように起きている。

「おはよう、ハル」

 朝のHR前、佐藤が俺に声をかけた。

「顔色悪いぞ。大丈夫か?」

「ちょっと疲れてるだけ」

「最近ずっとそんな感じじゃないか。クラスマッチの疲れがまだ残ってるのか?」

 クラスマッチの疲れなら、とっくに回復しているはずだ。

「桜井君」

 振り返ると、アオイがいた。

「少し話せませんか」

 教室の隅で、二人だけで話した。

「体調、さらに悪くなっているようですね」

「はい。能力を使わなくても、全然良くならないんです」

「それに、異常現象も続いている」

 アオイの表情が深刻だった。

「もしかすると、能力を使わないことが逆効果なのかもしれません」

「逆効果?」

「現実改変の力が体の中に蓄積されて、出口を失っているのかも」

 そんなことがあるのか?

「だとしたら、適度に使った方がいいということですか?」

「わかりません。でも、このままでは桜井君の体が持たないかもしれません」

 その時、HRのチャイムが鳴った。

「とりあえず、放課後に図書室で詳しく話しましょう」

 午前中の授業中、また異常現象が起きた。今度は俺のクラスではなく、隣のクラスだった。窓ガラスが突然ヒビ割れ、黒板に書いてあった文字が勝手に消えたらしい。

 昼休み、廊下でレン先輩とすれ違った。

「桜井君」

「白石先輩」

「最近の異常現象について、新しい情報があります」

 立ち止まって話を聞く。

「専門家の調査によると、この学校には確実に『現実改変能力者』がいるそうです」

 ドキリとした。

「現実改変能力者?」

「現実を意図的に変える力を持つ人間です。そして、その人物は『制御不能状態』に陥っているらしい」

 制御不能状態。それは俺のことだ。

「制御不能になると、どうなるんですか?」

「能力が暴走し、周囲に深刻な影響を与える。最悪の場合、現実そのものが崩壊する可能性もあるそうです」

 現実の崩壊。そんな大変なことになっているのか?

「そうならないためにも、一刻も早くその人物を見つけなければなりません」

 レン先輩の視線が俺を見つめる。

「桜井君、本当に心当たりはありませんか?」

「ありません」

「そうですか」

 レン先輩が去った後、俺は混乱していた。現実の崩壊なんて、そんな大げさな話だったのか。

 放課後、図書室でアオイとマユと三人で話し合った。レン先輩から聞いた話を伝えると、二人とも青ざめた。

「現実の崩壊って、どういうことでしょう」

 マユが震え声で聞いた。

「おそらく、物理法則が機能しなくなったり、時空間に歪みが生じたりすることだと思います」

 アオイの説明に、俺は愕然とした。

「そんなことになったら、みんなに迷惑をかけてしまう」

「いえ、迷惑なんてレベルじゃありません。人類の存続に関わる問題です」

 人類の存続。俺一人の問題が、そこまで大きくなってしまった。

「どうしたらいいでしょう」

「とりあえず、能力をコントロールする方法を見つけなければなりません」

「でも、どうやって?」

 三人で考えたが、明確な答えは見つからなかった。

 その日の夜、家で一人になって考えていた。もう限界かもしれない。このまま異常現象が続けば、学校だけでなく街全体に被害が及ぶかもしれない。

 そうなる前に、自分から正体を明かすべきではないか。レン先輩に全てを話して、専門家に相談してもらう。

 でも、そうなったら俺はどうなる? 研究対象として施設に隔離される? それとも、能力を無理やり封印される?

 悩んでいると、携帯が鳴った。アオイからだった。

「桜井君、大変です」

「どうしたの?」

「今、テレビで見たんですが、明日から一週間、学校が臨時休校になるそうです」

「臨時休校?」

「異常現象の調査のためだそうです。専門家のチームが学校に入って、詳しく調べるらしくて」

 ついに本格的な調査が始まるのか。

「それで、桜井君に提案があります」

「提案?」

「この機会に、能力のことを詳しく研究してみませんか? 休校の間に、コントロール方法を見つけられるかもしれません」

 翌日から一週間の臨時休校。俺は家で能力について考えていた。アオイの提案通り、コントロール方法を見つけられればいいが、何から始めればいいのかわからない。

 とりあえず、能力を小さく使ってみることにした。ペンを少し動かすとか、そういう無害なレベルで。

 机の上のボールペンを見つめて、「右に転がる」と願う。

 ゆらり。

 いつもの感覚と共に、ボールペンが転がった。でも、その瞬間、激しい頭痛が俺を襲った。

「うっ」

 頭を抱え込む。以前より明らかに強い痛みだった。

 そして、部屋の電気が点滅し始めた。

「やばい」

 慌てて能力の使用を止める。すると電気の点滅も止まった。

 やっぱり、能力を使うと異常現象が起きる。しかも、副作用も強くなっている。

 三日目の夜、アオイとマユが俺の家に来た。

「お邪魔します」

「桜井先輩、調子はどうですか?」

 二人を自分の部屋に通す。こんなに女の子が俺の部屋に来るなんて、初めてのことだった。

「実験の結果はどうでしたか?」

 アオイが聞く。

「だめです。少し使っただけで、激しい頭痛と異常現象が起きました」

「やっぱり」

 マユが心配そうな顔をした。

「先輩、無理しちゃだめですよ」

「でも、このままじゃ」

「何か他の方法があるはずです」

 アオイが立ち上がって、本棚を見回した。

「桜井君、超常現象に関する本はありませんか?」

「ちょっと待って」

 本棚を探すと、昔買った「超能力の謎」みたいな本が何冊かあった。

「これくらいかな」

 三人でその本を読んでみたが、役に立ちそうな情報は見つからなかった。

「やっぱり、専門家に相談するしかないんでしょうか」

「それも一つの方法ですが」

 アオイが考え込んでいる。

「でも、その前に試してみたいことがあります」

「何ですか?」

「意図的に大きな現実改変を行って、能力を一気に消費してしまうんです」

「え?」

「体に蓄積された能力を強制的に放出すれば、副作用も軽減されるかもしれません」

 危険な提案だった。

「でも、それって制御不能になりませんか?」

「リスクはあります。でも、このまま放置しておく方が危険かもしれません」

 マユが反対した。

「そんなの危険すぎます。先輩に何かあったらどうするんですか」

「結城さんの気持ちもわかります。でも、他に方法が」

「絶対に嫌です」

 マユが強い口調で反対した。

「先輩を危険な目に遭わせるなんて、絶対に許しません」

 アオイとマユが対立している。

「二人とも、落ち着いて」

 俺が間に入った。

「とりあえず、もう少し考えてから決めよう」

 結局、その夜は結論が出なかった。

 臨時休校の最終日。明日から学校が再開される。専門家の調査結果がどうなったのかはわからないが、きっとレン先輩からまた話があるだろう。

 俺は決心していた。アオイの提案を実行する。大きな現実改変を一度だけ行って、能力を一気に消費する。

 もし成功すれば、能力がなくなって平和な日常を取り戻せるかもしれない。もし失敗しても、このまま苦しみ続けるよりはマシだ。

 夜九時、家族が寝静まった頃、俺は自分の部屋で準備をした。

 何を改変するか。あまり大きすぎると本当に危険だし、小さすぎると意味がない。

 部屋を見回すと、本棚が目に入った。そうだ、本棚の本を全部きれいに整理する。それくらいなら安全だろう。

 本棚に向き合って、深く息を吸った。

「本棚が完璧に整理される」

 これまでで最も強い意識を集中した。

 ゆらり。

 世界が大きく揺れた。いつもとは比較にならないほど強烈な感覚だった。

 そして、本棚の本が宙に浮いた。

「え?」

 本が宙を舞いながら、種類別、著者別に整理されていく。まるで魔法のような光景だった。

 でも、すぐに異変が起きた。本だけでなく、部屋中のものが浮き始めたのだ。机、椅子、ベッド、全てが宙に浮いて回転している。

「やばい、やばい」

 慌てて能力を止めようとしたが、制御できない。まるで暴走した機械のように、能力が勝手に作動している。

 部屋の壁にひび割れが入り、窓ガラスが震え出した。そして、階下から母さんの悲鳴が聞こえた。

 家全体が揺れているのだ。

 必死に能力を止めようとしたが、どうしても制御できない。むしろ、ますます激しくなっていく。

 その時、部屋のドアが開いて、アオイとマユが飛び込んできた。

「桜井君!」

「先輩!」

 二人とも慌てていた。

「やめなさい、すぐに」

 アオイが叫ぶ。

「やめようとしてるけど、できないんだ」

 マユが俺の手を握った。

「先輩、私の声が聞こえますか」

「聞こえる」

「大丈夫です。私たちがいます」

 マユの温かい手に、少し落ち着いた。でも、能力の暴走は止まらない。

 そして、ついに最悪の事態が起きた。

 家の外でサイレンの音が響いた。近所の人たちが異変に気づいて、警察や消防署に通報したのだ。

「これはまずい」

 アオイが青ざめている。

「どうしましょう」

 マユも混乱している。

 俺は必死に能力を抑えようとしたが、もう手に負えなかった。

 ついに、俺の能力が完全に暴走してしまった。

 これで終わりかもしれない。俺の秘密はバレ、みんなに迷惑をかけ、最悪の結果になってしまった。

 アオイとマユの心配そうな顔を見ながら、俺は深い後悔の念に襲われた。

 なぜ、こんなことをしてしまったのか。

 外のサイレンの音がどんどん近づいてくる。


 8 謎の転校生


 サイレンの音が家の前で止まった。俺の部屋では、まだ家具が宙に浮いたまま回転している。能力の暴走は全く収まる気配がない。

「桜井君、とにかく落ち着いて」

 アオイが俺の肩を掴んで言った。

「深呼吸をして、何も考えないで」

 言われた通り深呼吸をしようとしたが、興奮と恐怖で呼吸が浅くなってしまう。

「先輩、大丈夫です。私たちがついています」

 マユが俺のもう一方の手を握った。

 その時、玄関のチャイムが鳴った。きっと警察だろう。母さんが対応している声が聞こえる。

「すみません、お宅で地震のような揺れが報告されているんですが」

「え、地震ですか? 特に何も」

 母さんは俺の部屋の状況を知らないのか。二階まで影響が及んでいないのかもしれない。

「桜井君、今すぐに能力を止めないと」

 アオイが焦っている。

「わかってる、でもできないんだ」

 その時だった。

 部屋の窓が開いて、誰かが入ってきた。

「失礼します」

 現れたのは、俺と同じくらいの年齢の男子生徒だった。黒い髪に鋭い目つき、どこか大人びた雰囲気を持っている。

「誰?」

 マユが驚いて声を上げた。

「後で説明します。今は緊急事態なので」

 その男子生徒が俺に近づいてきた。

「君が桜井ハル君ですね。リアリティ・シフト能力者の」

 リアリティ・シフト。俺の能力に名前があったのか。

「君は誰なんだ?」

「黒崎です。君と同じ能力を持っています」

 同じ能力?

「今は説明している時間がありません。能力を暴走させたままでは、この家が崩壊しますよ」

 黒崎が俺の前に立った。

「よく見てください」

 黒崎が右手を上げると、俺の部屋で浮遊していた家具が一瞬で元の位置に戻った。まるで時間が逆行したかのように。

「すごい」

 アオイが呟いた。

「どうやって」

「コツがあるんです。無理やり押さえつけるのではなく、能力の流れを自然な方向に誘導する」

 黒崎が俺に向き直った。

「桜井君、能力を『止める』のではなく『静める』ことを意識してください」

「静める?」

「そうです。川の流れを堰き止めるのではなく、穏やかな流れに変える感じで」

 黒崎の言葉を聞いて、俺は意識を変えてみた。能力を無理やり止めようとするのではなく、優しく静めるように。

 すると、不思議なことに暴走していた能力が徐々に落ち着いていった。

「やった」

 ついに能力が完全に静まった。部屋は元通りになり、異常な現象も止んだ。

 外でサイレンの音が遠ざかっていく。きっと、異常が止んだので警察も引き上げたのだろう。

「ありがとう」

 俺が黒崎に礼を言うと、彼は軽く手を振った。

「いえいえ。同じ能力者として、放っておけませんでしたから」

 アオイとマユが黒崎を見つめている。

「あの、あなたも現実を変える力を?」

 アオイの質問に、黒崎がうなずいた。

「はい。正式名称は『リアリティ・シフト』。現実を局所的に改変する能力です」

「正式名称?」

 マユが驚く。

「この能力について、詳しく知っているんですか?」

「ええ。実は、この能力を持つ人間は世界中にいるんです。そして、その能力者たちを管理・支援する組織があります」

 組織。そんなものがあるのか。

「僕はその組織から派遣されました。桜井君をサポートするために」

「サポート?」

「この能力は非常に危険です。適切な指導なしに使い続けると、最悪の場合、現実そのものを破綻させる可能性があります」

 レン先輩が言っていたことと同じだった。

「でも、正しく使えば有用な力でもあります。そのために、僕がここに来ました」

 黒崎の話は信じがたいものだったが、さっきの能力制御を見せられては疑う余地がない。

「それで、どうすればいいんですか?」

「まず、能力の基本的なコントロール方法を覚えましょう。そして、この力の本当の意味を理解していただきます」

「本当の意味?」

「リアリティ・シフト能力は、単なる超能力ではありません。世界のバランスを保つための、重要な役割があるんです」

 世界のバランス。ますますわからなくなってきた。

 その時、部屋のドアが開いて、母さんが顔を出した。

「ハル、さっき警察の人が来たけど、何でもなかったみたい。あ、お友達が来てたのね」

「あ、はい」

「はじめまして、黒崎と申します」

 黒崎が丁寧に挨拶した。

「お邪魔しています」

「いえいえ。でも、もうそんな時間だから、あまり遅くならないようにね」

 母さんが去った後、黒崎が続けた。

「とりあえず、今日のところはここまでにしましょう。明日から僕も桜井君の学校に転入することになっています」

「転入?」

「はい。正式に君をサポートするためにです」

「そんなことができるんですか?」

「僕たちの組織は、それなりに影響力があるんです」

 黒崎が窓に向かう。

「それでは、また明日」

 そして、忍者のように窓から消えてしまった。

「すごい人でしたね」

 アオイが感嘆の声を上げた。

「同じ能力を持っているって言ってましたけど、桜井先輩とは全然レベルが違いますね」

 マユも同意した。

「でも、信用して大丈夫なんでしょうか」

「わからないけど、今の俺には他に選択肢がない」

 確かに、黒崎がいなければ今頃どうなっていたかわからない。

 翌日、学校に行くとクラス中が騒然としていた。

「転校生が来るらしいぞ」

「しかも、めちゃくちゃイケメンだって」

 きっと黒崎のことだろう。本当に転入してくるんだ。

 一限目が始まると、担任の山田先生と一緒に黒崎が教室に入ってきた。

「皆さん、今日から新しいクラスメイトを紹介します」

「黒崎レンと申します。よろしくお願いします」

 レン? あれ、生徒会長の白石先輩と同じ名前だ。偶然だろうか。

 クラス中がざわめいている。確かに、黒崎はとても目立つ存在だった。

「黒崎君の席は、桜井君の後ろにしましょう」

 え、俺の後ろ?

 黒崎が俺の後ろの席に座った。

「よろしく、桜井君」

 小声で話しかけてくる。

「こちらこそ」

 休み時間になると、女子生徒たちが黒崎の周りに集まってきた。

「黒崎君って、前はどこの学校にいたの?」

「東京の私立校です」

「へえ、都会っぽい雰囲気だと思った」

 黒崎は愛想よく質問に答えているが、時々俺の方を見て目配せする。

 昼休み、アオイとマユと一緒に黒崎と屋上で話した。

「改めて自己紹介します。僕の本名は黒崎レンです」

「白石先輩と同じ名前ですね」

 マユが言うと、黒崎が苦笑した。

「実は、白石レンは僕の姉なんです」

「え?」

 三人とも驚いた。

「姉も同じ組織に所属しています。彼女の役割は、学校内の異常現象を監視すること。僕の役割は、能力者の直接指導です」

「じゃあ、レン先輩は最初から」

「はい、桜井君が能力者だということを知っていました」

 騙されていたのか。いや、レン先輩なりに学校を守ろうとしていたのかもしれない。

「それで、具体的にどんな指導をしてもらえるんですか?」

 アオイが質問した。

「まず、能力の基本的なコントロール方法。そして、この力の本当の目的について教えます」

 黒崎が真剣な表情になった。

「リアリティ・シフト能力は、世界の『歪み』を修正するために存在するんです」

「歪み?」

「この世界は完璧ではありません。時々、物理法則や因果関係に小さな歪みが生じます。それを修正するのが、僕たちの役割なんです」

「でも、俺は歪みを修正するどころか、歪みを作ってばかりいる」

「それは使い方を知らないからです。正しく使えば、世界をより良い方向に導くことができます」

 黒崎の説明は興味深かったが、まだ半信半疑だった。

「証拠を見せてもらえませんか?」

「もちろんです」

 黒崎が立ち上がって、屋上の端に向かった。

「あの雲を見てください」

 空に浮かんでいる雲を指差す。

「あの雲は、本来なら存在しないはずなんです。気象条件から考えて、この時間にあの場所にあるのはおかしい」

 黒崎が手をかざすと、その雲がゆっくりと消えていった。

「これが、歪みの修正です」

「すごい」

 マユが感嘆する。

「でも、どうして雲が存在しないはずだってわかるんですか?」

 アオイの質問に、黒崎が答えた。

「長年の訓練で、現実の『正しい姿』がわかるようになるんです。そして、それと違うものを見つけて修正する」

「俺にもできるようになりますか?」

「もちろんです。才能はあります。ただ、正しい指導が必要だった」

 午後の授業中、黒崎は普通に授業を受けているように見えたが、時々不思議な行動を取った。

 数学の授業で、田中先生が黒板に書いた数式が間違っていた時、黒崎が軽く手を動かすと、黒板の数式が自然に正しいものに変わった。

 英語の授業では、教科書のページが風で飛ばされそうになった時、また軽く手を動かして風を止めた。

 どれも小さな修正だったが、確実に現実を改善していた。

 放課後、図書室で四人で話し合った。

「黒崎君の能力は、桜井君とは使い方が全然違いますね」

 アオイが感心している。

「僕の場合は、現実を『あるべき姿』に戻すことに特化しています。桜井君の場合は、現実を『望む姿』に変える力が強いようです」

「望む姿?」

「はい。だから、テストの点数を上げたり、思い通りの結果を得ることができる。でも、それが必ずしも『正しい』結果ではないので、歪みを生んでしまうんです」

 なるほど、だから副作用があったのか。

「でも、桜井君の能力も正しく使えば、とても有用です。例えば、災害を防いだり、困っている人を助けたり」

「災害を防ぐ?」

「はい。台風の進路を少し変えたり、地震の規模を小さくしたり。大きな現実改変ですが、多くの人を救うことができます」

 俺の能力にそんな使い方があるなんて。

「でも、そんな大きなことをして大丈夫なんですか?」

 マユが心配そうに聞いた。

「適切な準備とコントロールがあれば大丈夫です。そのための訓練をこれから行います」

 黒崎の話を聞いて、俺の中で何かが変わった気がした。この能力は確かに危険だけど、正しく使えば世界のためになる。

 そして、俺は一人じゃない。黒崎という指導者がいて、アオイとマユという理解者がいる。

「わかりました。黒崎君、指導をお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 黒崎と握手を交わした。

 その時、図書室にレン先輩が入ってきた。

「皆さん、お疲れさまです」

 レン先輩が黒崎を見て、微笑んだ。

「レン、無事に転入できたようね」

「はい、姉さん。おかげさまで」

 やっぱり姉弟だったんだ。

「桜井君、これで安心ですね」

 レン先輩が俺に向き直った。

「実は、私も桜井君のサポートをしたかったのですが、専門知識がないもので」

「白石先輩も、俺のために」

「はい。学校を守ることは、生徒を守ることですから」

 レン先輩の言葉に、胸が熱くなった。

 こうして、俺の周りには四人の仲間ができた。黒崎、アオイ、マユ、そしてレン先輩。

 この能力がもたらした困難は大きかったが、同時に大切な人たちとの絆も生まれた。

 明日から始まる新しい訓練が楽しみだった。

 でも、俺たちはまだ知らなかった。

 この能力を狙う、もっと危険な存在がいることを。

 そして、俺の能力の真の恐ろしさを。


 9 能力者同士


 黒崎との訓練が始まって一週間が経った。放課後、俺たちは人気のない音楽室で能力のコントロール方法を学んでいる。

「桜井君、もう一度やってみてください。今度は『修正』を意識して」

 黒崎の指導の下、俺は机の上に置かれた曲がったスプーンを見つめていた。

「このスプーンは本来まっすぐなはず。それを『元の姿』に戻すつもりで」

 これまでの俺なら「スプーンがまっすぐになる」と願っただろう。でも黒崎によると、それは「現実を望む方向に変える」方法で、歪みを生み出しやすいらしい。

 代わりに「スプーンが本来の姿に戻る」と意識する。微妙な違いだが、重要な違いだと黒崎は言う。

 集中して、ゆっくりと意識を向ける。

 ゆらり。

 世界が軽く揺れて、スプーンがまっすぐになった。そして——頭痛がなかった。

「すごい、先輩」

 マユが拍手した。

「頭痛がないですね」

 アオイも安堵の表情だ。

「その通りです。『修正』の場合、副作用はほとんどありません」

 黒崎が満足そうにうなずく。

「なぜなら、世界の自然な流れに沿っているからです」

「でも、どうして俺には『望む方向に変える』能力の方が強いんでしょう?」

「それは、桜井君の性格と関係があります」

 黒崎が説明を始めた。

「リアリティ・シフト能力は、その人の内面を反映します。現状に満足せず、より良い状況を求める人は『改変型』になりやすい」

 確かに、俺は平凡な日常を変えたいと思っていた。

「一方で、現状を受け入れ、あるべき姿を重視する人は『修正型』になります」

「僕の場合は、子供の頃から『正しいこと』を重視する性格でしたからね」

 黒崎が苦笑する。

「でも、どちらも重要な役割があります。世界には『変えるべきもの』と『守るべきもの』があるからです」

 その時、音楽室のドアが開いた。

「失礼します」

 入ってきたのはレン先輩だった。

「訓練の調子はどうですか?」

「順調です。桜井君の上達は早い」

「それは良かった。実は、皆さんにお話があります」

 レン先輩の表情が深刻になった。

「少し困った問題が発生しました」

「困った問題?」

「他校で、異常現象が起きているんです。この学校で起きていたものと似ている」

 俺たちは顔を見合わせた。

「まさか、他にも能力者がいるんですか?」

 アオイの質問に、黒崎が答えた。

「可能性はあります。でも、それだけなら問題ありません」

「では、何が問題なんですか?」

「その異常現象が、故意に起こされているらしいんです」

 故意に?

「どういうことですか?」

 マユが不安そうに聞いた。

「能力を悪用している人がいるということです」

 レン先輩が続けた。

「具体的には、他の生徒の成績を下げたり、気に入らない教師に嫌がらせをしたり」

 そんなことに能力を使う人がいるのか。

「しかも、その能力者は非常に強力らしく、影響範囲も広い」

「桜井君の暴走時より酷いんですか?」

「いえ、規模は小さいのですが、精密で執拗なんです。まるで確信犯のように」

 黒崎の表情が険しくなった。

「それは問題ですね。放っておくわけにはいきません」

「やはり、対処が必要でしょうか?」

「はい。このまま放置すれば、能力者全体の存在が露見する危険があります」

 能力者全体。そんなにたくさんいるのか。

「それで、桜井君にお願いがあります」

 レン先輩が俺を見る。

「その能力者を説得してもらえませんか? 同じ能力を持つ者同士なら」

「僕が行けばいいんじゃないですか?」

 黒崎が申し出たが、レン先輩が首を振った。

「あなたは『組織』の人間です。相手が警戒する可能性があります」

「確かに」

「桜井君なら、同じような経験をした『普通の高校生』として接することができます」

 俺に、他の能力者を説得しろということか。

「でも、俺なんかで大丈夫でしょうか」

「大丈夫です。黒崎君とアオイさん、マユさんも一緒に行ってもらいますから」

 四人で、か。

「わかりました。やってみます」

 翌日の土曜日、俺たちは隣町の県立北高校に向かった。電車で一時間ほどの距離だ。

「その能力者についてわかっていることを教えてください」

 電車の中で、黒崎に詳細を聞いた。

「名前は田辺ユウキ。二年生の男子です。成績は中位、特に目立った特徴はなかったらしいですが、最近急に性格が変わったそうです」

「性格が変わった?」

「攻撃的になって、他の生徒とトラブルを起こすようになった。そして、そのタイミングで異常現象が始まりました」

 俺の場合と似ている部分もある。

「能力に目覚めたことで、性格が変わったんでしょうか?」

「可能性はあります。リアリティ・シフト能力は、使い方を間違えると人格にも影響を与えることがあります」

 人格に影響。恐ろしい話だ。

「桜井君の場合は、周りに理解者がいたから大丈夫でしたが」

 アオイとマユが微笑む。確かに、二人がいなかったらどうなっていたかわからない。

「でも、一人でこの力を抱え込んだら、確かに性格が変わってしまうかもしれませんね」

 マユが心配そうに言った。

「だからこそ、早めに接触する必要があるんです」

 北高校に着くと、校門の前で待ち合わせをしていた人がいた。女子生徒だった。

「お疲れさまです。桜井さんたちですね」

「はい」

「私、北高校生徒会副会長の松本です。案内します」

 松本さんに連れられて、学校の中に入る。土曜日なので人は少ないが、部活動をしている生徒たちがいる。

「田辺君は、今日も学校に来ています。図書室にいるはずです」

「一人で?」

「はい。最近、友達とも距離を置くようになって」

 やっぱり孤立してしまっているのか。

 図書室に向かう途中、廊下で小さな異常現象を目撃した。ロッカーのドアが勝手に開閉を繰り返していたのだ。

「あ、またですね」

 松本さんが慣れた様子で言う。

「こういうことがよく起きるんですか?」

「はい。でも、田辺君の近くにいる時に多いんです」

 図書室に着くと、確かに一人の男子生徒がいた。黒い髪に痩せた体格、どこか神経質そうな雰囲気だった。

「田辺君、お客様です」

 松本さんが声をかけると、田辺が振り返った。その目に、強い警戒心が浮かんでいる。

「誰だよ」

「僕たち、隣町の桜丘高校から来ました。桜井ハルです」

「桜丘高校? 何の用だ」

 田辺の態度が攻撃的だ。

「実は、田辺君と同じような能力を持っているんです」

 俺がそう言うと、田辺の表情が変わった。

「能力? 何のことだ」

「現実を変える力です。リアリティ・シフト」

 田辺の目が見開かれた。

「まさか、お前も」

「はい。そして、この力がどれだけ危険かも知っています」

 田辺が立ち上がった。

「危険? 冗談じゃない。この力は最高だ」

「最高?」

「そうだ。気に入らない奴らに仕返しができる。成績だって思い通りだ」

 やっぱり、能力を悪用しているのか。

「でも、それって」

「何が悪い? 俺は今まで散々馬鹿にされてきたんだ。やっと反撃できるようになったのに」

 田辺の声が大きくなる。

「誰にも邪魔はさせない」

 その瞬間、図書室の本棚が激しく揺れ始めた。田辺が能力を使っているのだ。

「やめてください」

 アオイが声をかけたが、田辺は聞かない。

「お前らも俺の邪魔をするつもりか? なら」

 図書室中の本が宙に浮き上がった。そして、俺たちに向かって飛んでくる。

「危ない」

 マユを庇って身を屈めた。でも、本は俺たちには当たらなかった。

 黒崎が手をかざして、飛んできた本を全て止めていたのだ。

「すごい」

 田辺が驚く。

「お前、何者だ」

「僕も同じ能力を持っています。でも、使い方が違う」

 黒崎が前に出た。

「田辺君、この力を復讐に使うのは間違っています」

「うるさい」

 田辺がさらに強い力を使う。今度は図書室全体が揺れ始めた。

「このままでは建物が崩壊します」

 黒崎が俺に向かって言った。

「桜井君、力を貸してください」

「はい」

 俺と黒崎で協力して、田辺の暴走を止めようとした。でも、田辺の怒りと憎悪に満ちた力は予想以上に強かった。

「俺の邪魔をするな」

 田辺が叫ぶと、図書室の窓ガラスが一斉に割れた。

「まずい」

 このままでは、学校全体に被害が及ぶかもしれない。

 その時、マユが田辺に近づいた。

「田辺君、やめてください」

「何だよ」

「あなたの気持ち、わかります」

 マユが優しい声で話しかける。

「馬鹿にされるのって、本当に辛いですよね」

「わかるもんか」

「わかります。私も、昔はよく馬鹿にされていましたから」

 マユの言葉に、田辺の動きが少し止まった。

「でも、その力で仕返しをしても、本当の解決にはなりません」

「じゃあ、どうしろって言うんだ」

「一緒に、正しい使い方を覚えませんか?」

 マユが手を差し伸べた。

「その力は、誰かを傷つけるためのものじゃない。誰かを助けるためのものなんです」

 田辺がマユを見つめている。その目に、迷いが見えた。

「本当に、わかってくれるのか?」

「はい。私たちみんなで、あなたを支えます」

 マユの言葉に、田辺の能力が徐々に静まっていった。

「すごいな、マユ」

 俺が感心していると、アオイも微笑んだ。

「結城さんの優しさが伝わったんですね」

「お前ら、本当に俺を受け入れてくれるのか?」

 田辺が不安そうに聞く。

「もちろんです」

 俺が答えた。

「僕も最初は一人でこの力に悩んでいました。でも、みんながいてくれたから」

「一緒に頑張りましょう」

 アオイとマユも笑顔で言った。

 田辺が初めて笑顔を見せた。

「ありがとう。お願いします」

 こうして、俺たちのグループに新しいメンバーが加わった。田辺の能力は確かに強力だったが、正しい方向に向ければきっと世界のためになるはずだ。

 帰りの電車で、マユに言った。

「今日は本当にありがとう。マユがいなかったら、田辺君を説得できなかった」

「そんなことありません。みんながいてくれたからです」

 マユが照れながら答える。

「でも、結城さんの優しさは特別ですね」

 アオイも感心している。

「人の心を動かす力がある」

「私にも、何か特別な力があるんでしょうか」

 マユの疑問に、黒崎が答えた。

「能力者を支える力。それも貴重な才能です」

 確かに、マユの存在は俺たちにとってなくてはならないものだった。

 新しい仲間を得て、俺たちのチームはさらに強くなった。

 でも、まだ知らない。もっと大きな脅威が近づいていることを。


 10 世界の歪み


 田辺が俺たちのグループに加わってから二週間が経った。彼は黒崎の指導を受けながら、能力のコントロールを学んでいる。最初は復讐心に満ちていた彼だったが、今では素直で真面目な青年の本来の姿を見せている。

「桜井先輩、今度の文化祭、クラスで何をやるんですか?」

 昼休み、屋上で一緒に弁当を食べながらマユが聞いた。

「喫茶店だよ。ありきたりだけど」

「私たちのクラスは劇をやります。楽しみです」

 平和な会話だった。能力のことを知らない人が見れば、普通の高校生たちの日常に見えるだろう。

 でも、その平和は突然破られた。

「みんな、大変だ」

 屋上のドアが開いて、黒崎が息を切らして現れた。

「どうしたの?」

「街で異常現象が起きてる。しかも、規模が尋常じゃない」

 黒崎が携帯を見せた。ニュースアプリの画面には「市内各地で原因不明の現象多発」という見出しが踊っている。

「電信柱が勝手に傾いたり、道路に穴が開いたり、信号機が故障したり」

「それって」

「間違いなく、リアリティ・シフト能力の影響だ。しかも、複数の能力者が同時に暴走している可能性がある」

 アオイが立ち上がった。

「でも、私たち以外に能力者なんて」

「実は、僕たちが把握している以上に能力者は多いんです」

 黒崎が深刻な表情で説明を始めた。

「通常は潜在的な状態で、能力に気づかないまま一生を過ごす人がほとんど。でも、何らかのきっかけで覚醒することがある」

「何らかのきっかけ?」

「強いストレス、感情の高ぶり、それに」

 黒崎が言いよどんだ。

「それに?」

「他の能力者の強い力に共鳴することもある」

 嫌な予感がした。

「まさか、俺の暴走が原因で?」

「可能性はあります。桜井君の能力暴走は、この街で過去に例がないほど強力でした」

 俺のせいで、他の人たちの能力が覚醒してしまったのか。

「それで、その人たちが制御できずに」

「はい。田辺君のように、正しい指導なしに能力を使い続けている」

 マユが不安そうに俺を見る。

「先輩のせいじゃありません。誰にも予想できなかったことです」

 マユの優しさが胸に痛かった。でも、現実として街に被害が出ている。

「どうすればいいですか?」

「まず、覚醒した能力者たちを見つけて、説得しなければなりません」

「田辺君の時みたいに?」

「そうです。でも、今度は複数人同時です。しかも、街全体に散らばっている」

 その時、俺の携帯が鳴った。母さんからだった。

「ハル、今どこにいるの? 街で変なことが起きてるって」

「学校です。大丈夫ですか?」

「とりあえず家にいるけど、さっき近所で道路が陥没したのよ」

 道路の陥没。これも能力者の仕業だろう。

「わかりました。気をつけてください」

 電話を切ると、黒崎が提案した。

「まず、レン先輩と合流しましょう。生徒会室で情報を整理して」

 生徒会室に向かう途中、校内でも異常現象を目撃した。廊下の蛍光灯が明滅し、教室のドアが勝手に開閉している。

「学校にも能力者がいるんですか?」

「可能性があります。でも、まず街の状況を把握することが先決です」

 生徒会室には、既にレン先輩と田辺がいた。

「お疲れさまです。状況は深刻ですね」

 レン先輩がパソコンの画面を見せた。市内の被害報告が次々と更新されている。

「今のところ、人的被害はありませんが、物的被害は拡大しています」

「能力者は何人くらいいると思われますか?」

「現象の分布から考えて、少なくとも五人はいるでしょう」

 五人も。

「それに、この現象には奇妙な特徴があります」

 レン先輩が地図を指し示した。

「被害が起きている場所を結ぶと、ある図形が浮かび上がるんです」

 地図上の赤い点を線で結ぶと、確かに幾何学的な模様になっている。

「これは偶然じゃありません。意図的に配置されています」

「意図的って、誰が?」

「わかりません。でも、能力者たちを操っている何者かがいる可能性があります」

 操っている? そんなことができるのか?

「桜井君、覚えていませんか? 初めて能力を使った時のこと」

 黒崎が俺に向き直った。

「雷雨の夜、図書室で」

「はい」

「その時、何か違和感はありませんでしたか? まるで誰かに導かれるような」

 言われてみると、確かにあの時は妙な感覚があった。まるで、能力の使い方を誰かに教えられているような。

「もしかすると、桜井君の能力覚醒も、誰かが意図的に引き起こしたのかもしれません」

「そんな」

「そして、その人物が今度は他の能力者たちを使って、何かを企んでいる」

 恐ろしい話だった。俺は操り人形だったのか?

「でも、なぜそんなことを?」

「わかりません。でも、この図形には見覚えがあります」

 黒崎が別の資料を取り出した。

「これは、過去に世界各地で起きた異常現象の記録です」

 写真には、今回と似たような被害の様子が映っている。

「同じような現象が、十年前にヨーロッパで、二十年前にアメリカで起きています」

「同じ人物の仕業ということですか?」

「可能性があります。そして、その度に現地の能力者組織が壊滅的な被害を受けている」

 田辺が震え声で言った。

「つまり、俺たちも狙われているってことですか?」

「そう考えるのが自然でしょう」

 レン先輩が立ち上がった。

「とりあえず、街の能力者たちを保護しなければなりません。このままでは、彼らも犯人に利用され続けてしまいます」

「どうやって見つけるんですか?」

「現象の中心地を探して、そこにいる人を説得する。田辺君の時と同じです」

 でも、五人も同時に説得するのは不可能だろう。

「分散して行動しましょう」

 黒崎が提案した。

「僕と桜井君がペアで、天野さんと結城さんがペア、田辺君はレン先輩と一緒に」

「わかりました」

 俺たちは三組に分かれて、街に向かった。俺と黒崎は商店街エリアを担当することになった。

 学校を出ると、街の様子がおかしいことがすぐにわかった。歩道のタイルが波打ち、街路樹の枝が不自然に曲がっている。

「ひどい状況ですね」

「これでも軽い方です。中心部はもっと酷いはずです」

 商店街に着くと、シャッターが勝手に上下している店や、看板が宙に浮いている店があった。通行人たちは皆、困惑した表情で足早に通り過ぎていく。

「能力者はどこにいるんでしょう?」

「現象が最も激しい場所にいるはずです」

 商店街を歩いていると、ある喫茶店の前で異常に激しい現象を発見した。店内の椅子やテーブルが宙を舞い、コーヒーカップが空中で踊っている。

「あそこですね」

 店に入ると、カウンターの奥で一人の女性が頭を抱えていた。二十代半ばくらいだろうか。

「すみません」

 声をかけると、女性が振り返った。目が充血していて、とても苦しそうだった。

「助けて」

 女性がかすれた声で言った。

「頭の中で、誰かの声が聞こえるの。『もっと力を使え』って」

 やっぱり、誰かに操られているのか。

「大丈夫です。僕たちも同じ能力を持っています」

 黒崎が優しく話しかけた。

「その声に逆らってください。あなたの意思で能力をコントロールするんです」

「でも、頭が痛くて」

「一緒に頑張りましょう」

 俺も女性の手を取った。

「俺も最初はコントロールできませんでした。でも、仲間がいれば大丈夫です」

 女性の能力が徐々に静まっていく。店内の異常現象も収まった。

「ありがとう」

 女性が涙を流しながら言った。

「でも、まだ他にも」

「わかっています。みんなで助けます」

 一人目は無事に説得できた。でも、まだ四人いる。

 携帯に連絡が入った。アオイからだった。

「桜井君、大変です」

「どうした?」

「私たちが見つけた能力者、完全に意識を失っています。まるで操り人形みたいに」

 状況が悪化している。

「今どこにいる?」

「駅前の公園です。でも、近づけません。周りの現象が激しすぎて」

 駅前の公園は商店街から近い。急いで向かった。

 公園に着くと、確かに酷い状況だった。木々が根っこから浮上し、ベンチが竜巻のように回転している。そして中央で、一人の男性がぼんやりと立っている。

「完全に意識がありませんね」

 黒崎が眉をひそめた。

「これは厄介です」

「どういうことですか?」

「意識を失った能力者は、外部からのコントロールに対して無抵抗になります」

 つまり、犯人の思うままということか。

「でも、近づくことすらできません」

 アオイとマユが合流した。

「この人以外にも、あと三人いるんですよね?」

 マユが不安そうに言った。

「はい。しかも、全員がこの状態だとしたら」

 その時、公園全体が激しく揺れた。そして、空中に巨大な文字が浮かび上がった。

『リアリティ・シフターたちよ、我が前に跪け』

 文字は炎のように燃えながら、俺たちを見下ろしていた。

「ついに正体を現しましたね」

 黒崎が身構えた。

「でも、姿は見えません」

「どこにいるんでしょう」

 その答えは、すぐに明らかになった。

 街のあちこちから、巨大な光の柱が立ち上ったのだ。五本の光の柱が空中で交差し、巨大な図形を形成している。

 そして、その中心に人影が現れた。

 黒いローブを着た、顔の見えない人物だった。

『我は古き者。現実を統べる真の支配者』

 その声が、街全体に響いた。

『お前たちの力を我が物とするため、長い間計画を練ってきた』

 やっぱり、すべてが仕組まれていたのか。

『そして今、計画は完成する。この街の全ての能力者を従えて、新たな世界を創造するのだ』

 新たな世界。そんなことが可能なのか?

「桜井君」

 黒崎が俺の肩を掴んだ。

「あなたの力が必要です。僕一人では、あの存在に対抗できません」

「でも、俺なんかで」

「大丈夫です。私たちがいます」

 アオイが言った。

「みんなで力を合わせれば、きっと」

 マユも頷いた。

「最初は一人で悩んでいた先輩が、今はこんなにたくさんの仲間に囲まれています」

 確かに、俺は一人じゃない。黒崎、アオイ、マユ、田辺、レン先輩。みんながいる。

「わかりました。やってみます」

 でも、相手は街の能力者全てを操る恐ろしい存在だ。本当に勝てるのだろうか。

 空中の人影が笑った。

『来るがよい。お前たちの力も、やがて我が物となるのだから』

 最後の戦いが始まろうとしていた。


 11 失われた信頼


 空中に浮かぶ「古き者」と対峙している俺たちの前で、街の能力者たちが操り人形のように立ち上がった。五人の能力者が同時に力を発動し、周囲の現実が激しく歪み始める。

「まずい」

 黒崎が身構えた。

「五人同時の現実改変は、僕一人では制御しきれません」

 公園の地面が波のように起伏し、木々が宙に舞い上がる。ベンチや遊具が溶けるように形を変えていく。

「桜井君、力を貸してください」

「わかりました」

 俺は黒崎と一緒に能力を発動した。『修正』を意識して、歪められた現実を元に戻そうとする。

 でも、相手の力は圧倒的だった。俺と黒崎の力を合わせても、五人の暴走を完全に止めることはできない。

『無駄だ』

 空中の「古き者」が嘲笑う。

『お前たちの力など、我が軍勢の前では無に等しい』

 その時、激しい頭痛が俺を襲った。能力を使いすぎたのだ。

「うっ」

 膝をついてしまう。

「桜井君」

 アオイとマユが駆け寄ってきた。

「大丈夫ですか?」

「はい、なんとか」

 でも、実際にはかなり辛い。視界がぼやけ、立っているのもやっとだった。

「無理しちゃダメです」

 マユが俺を支えてくれる。

「でも、このままじゃ」

「僕が何とかします」

 黒崎が一人で五人の能力者と戦おうとしている。でも、明らかに劣勢だった。

「黒崎君も限界に近いようですね」

 アオイが心配そうに言った。

 その時、携帯が鳴った。田辺からだった。

「桜井先輩、大変です」

「どうした?」

「白石先輩が倒れました。頭を強く打って、意識がありません」

 レン先輩が?

「今、病院に運んでいるところです。でも、こっちでも能力者の暴走が止まらなくて」

 田辺一人では対処しきれないということか。

「わかった。なんとかする」

 電話を切ると、状況がさらに悪化していることがわかった。公園だけでなく、街のあちこちで現実改変が激化している。

『見よ、これが我が力だ』

 「古き者」が両腕を広げると、街全体が光に包まれた。そして、その光が消えた時——街の様子が一変していた。

 建物の形が歪み、道路が空中に浮かび、空と地面が逆転している場所もある。まるで悪夢のような光景だった。

「これは」

 アオイが絶句している。

「現実そのものが書き換えられています」

 黒崎も青ざめていた。

「こんな大規模な改変は、理論上不可能のはずです」

『理論? そのような矮小な概念に縛られているから、お前たちは弱いのだ』

 「古き者」の声が響く。

『我は数千年の時を重ね、現実の真理を会得した。お前たち程度の力など、我の前では塵芥に等しい』

 数千年? そんなに長い間生きている存在なのか?

「桜井君」

 黒崎が俺に向き直った。

「実は、まだお話していないことがあります」

「何ですか?」

「リアリティ・シフト能力には、もう一つの使い方があるんです」

「もう一つ?」

「『融合』です」

 融合?

「複数の能力者が意識を同調させて、力を完全に統合する技術です。理論的には、個々の能力の単純な合計を大きく上回る力を発揮できます」

 それなら、あの「古き者」にも対抗できるかもしれない。

「でも、極めて危険なんです」

 黒崎の表情が深刻になった。

「失敗すれば、融合した者たちの精神が永久に結合してしまう。個人としての人格を失ってしまうんです」

「つまり、元に戻れないということですか?」

「はい。それに、成功したとしても、融合後の力は制御が困難で、さらに大きな災害を引き起こす可能性があります」

 リスクが大きすぎる。

「でも、他に方法はないんです」

 黒崎が苦渋の決断を口にした。

「このままでは、街が、そしてこの世界が終わってしまいます」

 その時、マユが口を開いた。

「私も参加させてください」

「え?」

「融合に、私も参加させてください」

「結城さん、あなたは能力者じゃありません」

 黒崎が困惑している。

「でも、私にも何かできるはずです。桜井先輩や田辺君の心を動かせたように」

「マユ」

「お願いします。みんなを助けたいんです」

 マユの真剣な表情に、俺は心を動かされた。

「わかりました。やってみましょう」

「桜井君、でも」

「マユがいてくれるなら、きっと大丈夫です」

 アオイも頷いた。

「私も参加します」

「天野さんも能力者じゃありませんが」

「でも、私には『矛盾を感じ取る力』があります。きっと役に立てるはずです」

 四人での融合。前例のない試みだった。

「わかりました。やってみましょう」

 黒崎が決心した。

「でも、失敗のリスクを理解してください。本当に元に戻れなくなるかもしれません」

「わかっています」

 俺たちは覚悟を決めた。

 融合の準備を始める。四人で円を作り、手を繋いだ。

「意識を完全に開放してください。相手を信頼して、心の壁を取り払うんです」

 黒崎の指示に従い、俺は意識を集中した。

 最初に感じたのは、アオイの心だった。俺のことを心配する気持ち、でもそれ以上に——

 恋愛感情。

 アオイは確かに俺のことを好きになっていた。友達以上の感情を抱いていたのだ。

 次にマユの心が流れ込んできた。彼女の気持ちも、恋愛感情だった。俺に対する純粋で一途な想い。

 そして黒崎の心。使命感、責任感、そして——罪悪感?

 どういうことだ?

 融合が進むにつれて、黒崎の本当の気持ちが明らかになってきた。

 彼は俺に嘘をついていた。

 リアリティ・シフト能力者の組織、世界のバランスを守る使命、「古き者」との戦い——全て嘘だった。

 黒崎の本当の目的は、俺の能力を利用することだった。俺を騙して、最大限の力を引き出し、それを奪い取る。

 そして、「古き者」と呼ばれている存在——それは黒崎自身だった。

 全てが一人芝居だったのだ。

「なぜ」

 俺が呟くと、融合が乱れた。

 黒崎が苦笑した。

「気づかれてしまいましたか」

 彼の周りの空気が変わった。優しい後輩から、冷酷な捕食者へと。

「黒崎君、まさか」

 アオイが震え声で言った。

「はい。僕が『古き者』です」

 マユが俺の手を強く握った。

「でも、なぜこんなことを」

「力が欲しかったんです。桜井君の持つ『改変型』の能力が」

 黒崎が立ち上がった。

「僕の能力は『修正型』。現実を元に戻すことしかできません。でも、桜井君の能力があれば、世界を思い通りに作り変えることができる」

「それで、俺を騙したのか」

「最初は単純に力を奪うつもりでした。でも、桜井君の能力は思っていた以上に強力で」

 黒崎が邪悪な笑みを浮かべた。

「だから計画を変更したんです。桜井君自身を操って、最大限の力を引き出す」

 融合の儀式も、罠だったのか。

「でも、おかげで有益な情報を得られました」

 黒崎が俺たちを見回した。

「天野さんと結城さんの桜井君に対する感情、そして桜井君自身の心の弱さ」

 心の弱さ?

「桜井君、あなたは自分に自信がないんですね。だからこそ、他人の期待に応えようとして無理をする」

 図星だった。

「そして、二人の女の子から好かれていることに戸惑って、決断を避けている」

 その通りだった。

「その優柔不断さが、あなたの能力の最大の弱点です」

 黒崎が手を上げると、俺の体が勝手に動き始めた。

「今度こそ、あなたの力をいただきます」

 体の自由が利かない。まるで操り人形のようだ。

「やめて」

 マユが叫んだ。

「桜井先輩を離して」

「残念ですが、もう手遅れです」

 黒崎が俺の額に手を当てた。

「さあ、その力を全て僕に渡しなさい」

 頭の中に、異質な意識が侵入してくる。黒崎が俺の能力を奪おうとしているのだ。

「抵抗は無意味です。あなたはもう僕の一部になるのですから」

 意識が薄れていく。このまま俺は、黒崎の道具になってしまうのか。

 アオイとマユの信頼を裏切って、街を破壊してしまうのか。

 最後に見たのは、二人の涙顔だった。

「桜井君」「先輩」

 二人の声が遠ざかっていく。

 俺は、深い闇の中に落ちていった。

 全てが終わったのかもしれない。

 俺の能力も、仲間との絆も、そして俺自身も。

 黒崎の高笑いが、闇の中で響いていた。


 12 本当の気持ち

 深い闇の中で、俺は自分の声を聞いていた。

『なぜ戦わない?』

 それは俺の心の奥底からの声だった。

『なぜ諦める?』

 諦める? 俺は諦めたつもりはない。でも、黒崎に能力を奪われて、もう何もできない。

『本当にそうか?』

 心の声が続く。

『お前には、能力以上に大切なものがあるはずだ』

 大切なもの。それは——

 アオイとマユの顔が浮かんだ。二人の涙顔。俺を心配してくれる表情。

『そうだ。お前を信じてくれる人たちがいる』

 田辺の顔も浮かんだ。最初は復讐に燃えていた彼が、俺たちと出会って変わった。

 レン先輩の顔も。厳しいけど、いつも俺たちのことを思ってくれていた。

『能力なんて関係ない。お前が本当に守りたいものは何だ?』

 守りたいもの。それは——仲間だ。大切な人たちだ。

 俺の意識がはっきりしてきた。黒崎に奪われたのは能力だけで、心までは奪われていない。

 目を開けると、黒崎が俺の能力を吸収している最中だった。彼の手から光が流れて、俺の体から力が抜けていく。

 でも、まだ完全には終わっていない。

「まだ、終わってない」

 俺が呟くと、黒崎が驚いた表情を見せた。

「意識を取り戻すなんて、不可能のはず」

「確かに、能力は奪われたかもしれない」

 俺は立ち上がった。体に力は残っていないが、心だけは折れていなかった。

「でも、俺にはまだ仲間がいる」

 アオイとマユを見る。二人とも涙を流しながら、俺を見つめていた。

「桜井君」

 アオイが駆け寄ろうとしたが、黒崎が手をかざして制止した。

「動くな。今度こそ完全に能力を奪い取る」

 黒崎が再び俺に向かってくる。でも、今度は何かが違った。

 俺の中で、新しい力が湧き上がってきていた。能力ではない。もっと根源的な、人間としての力だった。

「黒崎」

 俺は彼の目を真っ直ぐ見つめた。

「なぜ、こんなことをするんだ?」

「力が欲しいからに決まっている」

「それだけか?」

「それだけで十分だろう」

 でも、黒崎の目に迷いが見えた。

「本当は寂しかったんじゃないか?」

「何を言っている」

「一人で長い間生きてきて、誰とも本当の関係を築けずに」

 黒崎の動きが止まった。

「だから俺たちを騙してでも、仲間のふりをしたかったんじゃないか?」

「黙れ」

 黒崎が怒鳴ったが、その声は震えていた。

「お前に何がわかる」

「わかるよ」

 俺は一歩前に出た。

「俺も一人だった。能力に気づく前は、特別なことなんて何もない、つまらない毎日だった」

 黒崎が俺を睨んでいる。

「でも、アオイやマユ、田辺君、レン先輩と出会って変わったんだ」

 俺は振り返って、二人を見た。

「一人じゃできないことも、みんなとなら乗り越えられる」

「綺麗事を」

 黒崎がまた俺に向かってきた。でも、その動きに以前のような確信がない。

「綺麗事じゃない。本当の気持ちだ」

 俺はアオイに向かって言った。

「アオイ、融合の時に感じた君の気持ち、嬉しかった」

 アオイが目を見開く。

「でも、俺は決められなかった。君の気持ちに応えるだけの勇気がなくて」

 今度はマユに向き直った。

「マユ、君の優しさにいつも救われていた」

 マユが涙を拭いながら俺を見つめている。

「でも、やっぱり俺は決められなかった。どちらかを選ぶのが怖くて」

 二人とも黙って俺を見ている。

「でも、今なら言える」

 俺は深呼吸をした。

「俺は、アオイのことが好きだ」

 アオイが息を呑む。

「最初に能力のことを理解してくれたのも、いつも俺のことを心配してくれたのも、アオイだった」

 マユの表情が曇る。でも、俺は続けた。

「でも、マユ」

 今度は彼女の方を向いた。

「君がいてくれなかったら、俺は田辺君を救えなかった。君の優しさがあったから、みんなが結ばれたんだ」

 マユが小さく頷く。

「だから、君も俺にとって大切な人だ。恋愛感情とは違うかもしれないけど、かけがえのない人だ」

 その時、黒崎が叫んだ。

「だから何だと言うんだ」

 彼の周りに黒いオーラが渦巻いている。

「そんな薄っぺらい絆など、絶対的な力の前では無意味だ」

「そうじゃない」

 俺は黒崎に向き直った。

「その絆こそが、本当の力なんだ」

 その瞬間、不思議なことが起きた。

 アオイとマユが俺の両手を握ったのだ。

「桜井君、ありがとう」

 アオイが微笑む。

「正直に気持ちを言ってくれて」

「私も、ありがとうございます」

 マユも笑顔だった。

「先輩の本当の気持ちを聞けて、嬉しいです」

「でも、いいのか?」

「はい」

 二人が同時に答えた。

「私たちも、先輩に本当の気持ちを伝えられました」

 アオイが続ける。

「それだけで十分です」

「そして、私たちは仲間です」

 マユが力強く言った。

「恋愛感情があっても、仲間でいることはできます」

 その時、俺の中で何かが弾けた。

 能力が戻ってきたのではない。もっと深い部分で、本当の力が目覚めたのだ。

 それは、人と人との繋がりから生まれる力だった。

「不可能だ」

 黒崎が混乱している。

「能力を奪ったはずなのに」

「能力を奪っても、心は奪えない」

 俺は両手を広げた。

「そして、心と心が繋がった時、能力なんて超えられる」

 公園に、温かい光が満ちてきた。それは俺たちの絆から生まれる光だった。

 そして、その光に導かれるように、田辺が現れた。

「桜井先輩」

 彼は怪我をしていたが、しっかりと歩いていた。

「白石先輩は大丈夫ですか?」

「はい、意識を取り戻しました。そして、僕に伝えてくれました」

 田辺が俺たちの輪に加わった。

「『みんなで力を合わせろ』って」

 さらに、公園の入り口にレン先輩が現れた。包帯を巻いているが、毅然とした表情だった。

「皆さん、遅くなりました」

 レン先輩も俺たちの輪に加わる。

「黒崎レン、いえ、『古き者』よ」

 彼女が弟を見つめる。

「あなたは間違っている」

「姉さん」

 黒崎の声に、初めて人間らしい感情が込められた。

「力だけを求めても、本当の幸せは得られない」

「でも」

「あなたも、本当は知っているはず。私たちと過ごした時間が、どれだけ楽しかったか」

 黒崎の黒いオーラが揺らいだ。

「偽物の関係だったとしても、そこに生まれた感情は本物だった」

 レン先輩が一歩前に出る。

「帰ってきなさい、レン」

 その言葉に、黒崎の中で何かが崩れた。

 彼の周りの黒いオーラが消え、普通の高校生の姿に戻った。

「姉さん」

 黒崎が膝をついた。

「僕は、何をしていたんだ」

「大丈夫よ」

 レン先輩が弟に近づいた。

「間違いは誰にでもある。大切なのは、そこから学ぶことよ」

 黒崎が顔を上げる。その目に、もう邪悪さはなかった。

「桜井君、みんな、すみませんでした」

 彼が深く頭を下げた。

「僕の欲望のために、みんなを巻き込んでしまって」

「黒崎君」

 俺が彼に近づいた。

「君も仲間だ。最初の動機がどうであれ、一緒に過ごした時間は本物だった」

「でも」

「それに、君の指導がなかったら、俺は能力をコントロールできなかった」

 アオイとマユも頷く。

「私たちも、黒崎君から学んだことがたくさんあります」

「そうです。だから、これからも一緒にいてください」

 黒崎が涙を流した。

「ありがとう」

 その時、公園全体を包んでいた異常現象が消えた。街に散らばっていた他の能力者たちも、正気を取り戻したようだった。

 空は元通りの青空に戻り、木々も元の場所に根を下ろしている。

「終わったんですね」

 マユが安堵のため息をついた。

「はい、終わりました」

 俺は仲間たちを見回した。

「でも、これは終わりじゃない。新しい始まりだ」

 アオイが微笑む。

「そうですね。私たちの本当の関係の始まりですね」

 レン先輩が弟の肩を抱く。

「帰りましょう。みんなで」

 六人で公園を後にした。

 俺の能力は、黒崎に奪われたままかもしれない。でも、それでよかった。

 能力がなくても、仲間がいる。本当の絆がある。

 それが何より大切なことだと、やっと理解できた。

 夕日が俺たちの影を長く伸ばしている。

 新しい毎日が、明日から始まる。


 13 四人の協力


 黒崎との対決から一週間が過ぎた。街の復旧作業は順調に進み、異常現象の痕跡もほぼ消えていた。でも、俺たちが直面している問題は、まだ完全には解決していなかった。

 放課後、いつものように図書室に集まった六人。でも、今日の空気はいつもと違っていた。

「桜井君」

 黒崎が重い口調で話し始めた。

「実は、まだ大きな問題が残っています」

「問題?」

「僕が能力者たちを操った時、街の『現実の構造』に深刻な歪みを作ってしまいました」

 黒崎がパソコンの画面を見せた。そこには複雑な図表が表示されている。

「これは街の『現実安定度』を示すグラフです。見ての通り、危険領域に達しています」

 確かに、グラフの多くの部分が赤色で示されている。

「具体的には、どうなるんですか?」

 アオイが心配そうに聞いた。

「最悪の場合、街全体が現実から切り離されてしまいます。別次元に飛ばされるか、最悪消滅してしまうかも」

 マユが青ざめた。

「そんな」

「でも、修復する方法があります」

 レン先輩が口を開いた。

「複数の能力者が協力して、歪みを少しずつ修正していけば」

「でも、僕の能力だけでは限界があります」

 黒崎が俺を見る。

「桜井君の力が必要なんです」

 でも、俺の能力は黒崎に奪われたはずだ。

「実は」

 黒崎が苦笑した。

「完全に奪うことはできませんでした。桜井君の意志が強すぎて」

「意志?」

「はい。能力の根源は、現実を変えたいという強い意志です。その意志が残っている限り、能力も復活します」

 本当だろうか。試しに、机の上のペンを見つめてみた。

「動く」

 心の中で願うと、ペンがわずかに震えた。

「本当に戻ってる」

「ただし、以前より弱くなっています」

 黒崎が説明する。

「僕が吸収した分だけ、桜井君の力は減少しました。だから、一人では街の修復は不可能です」

「じゃあ、どうすれば」

「みんなで協力するんです」

 田辺が前に出た。

「僕の能力と、黒崎君の能力、それに桜井先輩の能力を合わせれば」

「でも、融合は危険だって」

 前回の経験があるから、マユが不安がるのも当然だった。

「今度は違います」

 黒崎が安心させるように言った。

「前回は僕が騙していたから失敗しました。でも、今度は全員が本当に信頼し合っている」

 確かに、今の俺たちには秘密がない。お互いの気持ちも明確になっている。

「それに、完全な融合ではなく『連携』です。個々の人格は保ったまま、能力だけを同調させる」

「それなら安全ですか?」

 アオイが確認した。

「はい。ただし、三人の呼吸を完全に合わせる必要があります。一人でもタイミングがずれると失敗します」

「やってみよう」

 俺が決意を固めた。

「この街を救うためなら、何だってやる」

「僕もです」

 田辺が頷く。

「桜井先輩に救ってもらったから、今度は僕が街を救う番です」

「僕も、自分の過ちを償いたい」

 黒崎も決意を示した。

「それじゃあ、明日の夜にやりましょう」

 レン先輩が提案した。

「場所は学校の屋上。人気がないし、空が広く見えるから能力を使いやすいでしょう」

 翌日の夜、俺たちは学校の屋上に集まった。

 月が明るく、星がよく見える夜だった。

「それでは、始めましょう」

 黒崎の指示で、俺、田辺、黒崎の三人が三角形を作るように立った。

「まず、意識を同調させます。お互いの心を感じ取ってください」

 三人で手を繋ぎ、目を閉じる。

 最初に感じたのは、田辺の心だった。不安と期待が入り混じっている。でも、強い決意があった。

 次に黒崎の心。後悔と罪悪感、そして償いたいという気持ち。

 そして、俺自身の心。街を、仲間を守りたいという純粋な願い。

「うまくいってますね」

 アオイの声が聞こえた。

「三人の心がシンクロしています」

 確かに、三人の心拍が同じリズムになっている気がした。

「それでは、能力の同調を始めます」

 黒崎の指示に従い、俺たちは能力を発動した。

 不思議な感覚だった。自分の能力が他の二人と繋がって、大きな一つの力になっていく。

「すごい」

 マユが感嘆の声を上げた。

 俺たちの周りに、美しい光の輪ができていた。それは三人の能力が調和している証拠だった。

「今です」

 黒崎が指示を出した。

「街の歪みを修正します。僕が場所を特定するので、桜井君と田辺君は力を集中してください」

 俺たちの意識が街全体に広がった。そして、現実の歪みが見えてきた。

 商店街の一角で空間がねじれている。公園の一部で時間の流れが狂っている。住宅街で重力が不安定になっている。

 一つ一つ、丁寧に修正していく。

 最初は順調だった。三人の能力が完璧に調和して、歪みが次々と修復されていく。

 でも、最後の歪みは厄介だった。

「これは」

 黒崎の声が緊張した。

「街の中心部に、巨大な亀裂があります」

 それは俺の能力暴走の時にできた、最初で最大の歪みだった。

「この亀裂を修復するには、相当な力が必要です」

「どれくらい?」

「三人の力を全て使い切るくらい」

 全てを使い切る。それは危険な行為だった。

「でも、やらなければ街が消えてしまう」

 田辺が決意を固めた。

「やりましょう」

「僕もです」

 俺も同意した。

 三人で力を合わせ、最後の歪みに挑む。

 でも、予想以上に手強かった。亀裂は俺たちの力に抵抗するように、さらに大きく口を開けた。

「まずい」

 黒崎の声が焦っている。

「力が足りません」

 その時、背後からアオイの声がした。

「私たちも手伝います」

 振り返ると、アオイとマユとレン先輩が手を繋いで立っていた。

「でも、君たちは能力者じゃ」

「能力がなくても、気持ちで支えることができます」

 アオイが微笑んだ。

「前回の黒崎君との戦いで学びました」

 マユも頷いた。

「私たちの応援が、きっと力になります」

 レン先輩も力強く言った。

「信頼と友情は、どんな能力にも負けません」

 三人の気持ちが俺たちに流れ込んできた。それは能力ではないけれど、確実に俺たちを強くしてくれた。

 再び亀裂に向き合う。今度は六人の気持ちが一つになって。

「いけます」

 田辺が確信を込めて言った。

「今なら、絶対に修復できます」

 三人の能力が再び調和し、さらに大きな力になった。そして、六人の絆がその力を支えている。

 亀裂が少しずつ閉じていく。

 街に平和が戻ってくる。

「やったー」

 マユが飛び跳ねて喜んだ。

 俺たちも安堵のため息をついた。

「本当に終わったんですね」

 アオイが感慨深く言った。

 でも、黒崎の表情がまだ曇っていた。

「どうしたの?」

「実は、まだ最後の問題があります」

「最後の問題?」

「僕の正体がバレたことです」

 そうだった。黒崎は『古き者』として街を混乱させた張本人だ。

「組織にも報告しなければなりません」

 レン先輩が心配そうに弟を見る。

「処罰を受けることになるかもしれません」

 それは困る。やっと本当の仲間になれたのに。

「でも、僕は覚悟しています」

 黒崎が毅然とした表情で言った。

「自分の罪は、自分で償います」

 その時、俺に考えが浮かんだ。

「黒崎君」

「はい」

「もし組織があなたを処罰しようとしたら、俺たちが守る」

「え?」

「君は確かに間違いを犯した。でも、最後は正しい選択をした」

 アオイも頷いた。

「私たちは仲間です。一人の問題は、みんなの問題です」

 マユも手を上げた。

「私も黒崎君を守ります」

 田辺も同意した。

「僕も一緒に戦います」

 レン先輩が弟の肩に手を置いた。

「組織を説得してみましょう。みんなでなら、きっと理解してもらえます」

 黒崎が涙を流した。

「みんな」

「もう一人じゃない」

 俺が言った。

「俺たちがいる」

 六人で輪を作って立った。

 月明かりが俺たちを照らしている。

 今度こそ、本当にすべてが終わったような気がした。

 でも、これは終わりじゃない。俺たちの新しい物語の始まりだ。

 どんな困難があっても、みんなで乗り越えていける。

 そんな確信があった。

 空には満天の星が輝いている。

 まるで、俺たちの未来を祝福しているかのように。


 14 最後の選択


 街の修復から三日後、ついに組織からの使者がやってきた。

 放課後、俺たちが図書室で集まっていると、レン先輩が深刻な表情で現れた。

「皆さん、お話があります」

 いつになく緊張した声だった。

「組織の調査官が到着しました。明日、黒崎の処分について決定が下されます」

 黒崎の表情が暗くなった。

「どのような処分になるんでしょうか?」

「最悪の場合、能力の完全な封印です」

 能力の封印。それは能力者にとって、人格の一部を失うのと同じことだった。

「それに、記憶の消去も行われる可能性があります」

「記憶の消去?」

 マユが驚く。

「能力に関する全ての記憶を消して、普通の人間として生きてもらう。組織の秘匿のために」

 それでは、俺たちと過ごした思い出も消えてしまう。

「そんなの嫌です」

 マユが立ち上がった。

「黒崎君は仲間です。処罰なんて受けさせません」

「結城さんの気持ちはわかります。でも、組織の決定に逆らうのは」

「逆らいます」

 今度は俺が立ち上がった。

「黒崎を守るためなら、組織だろうと何だろうと戦います」

 アオイも頷いた。

「私も同じ気持ちです」

 田辺も拳を握った。

「僕も黒崎君を見捨てるつもりはありません」

 レン先輩が困ったような表情をした。

「皆さんの気持ちはよくわかりますが、相手は世界規模の組織です。逆らえば、皆さんも処罰の対象になってしまいます」

「構いません」

 俺が言い切った。

「みんなで一緒にいられるなら、処罰でも何でも受けます」

 黒崎が立ち上がった。

「やめてください」

 彼の声が震えていた。

「僕のせいで、皆さんまで巻き込むわけにはいきません」

「黒崎君」

「僕は自分の罪を償います。だから、皆さんは普通の生活を送ってください」

 黒崎が俺たちに向かって深く頭を下げた。

「短い間でしたが、本当の友情を知ることができました。ありがとうございました」

「そんな別れの挨拶みたいに言わないでよ」

 マユが涙声で言った。

「まだ何も決まってないでしょう?」

「でも」

「明日の決定まで、まだ時間があります」

 アオイが冷静に言った。

「何か方法があるはずです」

 その夜、俺は家で一人考えていた。

 黒崎を助ける方法はないだろうか。組織と戦うのは無謀だが、何かしら交渉の余地があるはずだ。

 そんな時、窓の外に人影を見つけた。

「誰?」

 窓を開けると、知らない男性が立っていた。五十代くらいで、落ち着いた雰囲気の人だった。

「桜井ハル君ですね。私は組織の調査官、山本と申します」

 組織の人が、直接俺の家に?

「お話があります。少し時間をいただけませんか」

 俺は山本さんを家に招き入れた。

「黒崎レンのことでお話ししたいのです」

 やっぱり黒崎の件だった。

「明日、正式な決定が下されますが、その前に君たちの意見を聞きたいと思いまして」

「意見?」

「君たちは黒崎レンをどう思いますか?」

 突然の質問に戸惑ったが、正直に答えることにした。

「最初は騙されていたので、複雑な気持ちでした」

「なるほど」

「でも、最後は本当の気持ちを見せてくれました。後悔して、償おうとしている」

 山本さんが頷いた。

「それで、君は彼を許せますか?」

「許すも何も、仲間ですから」

「仲間、ですか」

「はい。間違いを犯したけど、それでも大切な仲間です」

 山本さんが微笑んだ。

「実は、他の皆さんにも同じ質問をしました」

「え?」

「天野アオイさん、結城マユさん、田辺ユウキ君、そして白石レンさんにも」

 みんなに?

「全員が同じ答えでした。『黒崎レンは大切な仲間だ』と」

「当然です」

「そうですね。実は、私たちもそう思っています」

 え?

「実を言うと、黒崎レンの行動は組織にとって有益でした」

「有益?」

「彼の起こした事件により、新たな能力者たちを発見できました。君や田辺君も、彼がいなければ見つからなかったでしょう」

 確かにそうかもしれない。

「それに、君たちの結束も確認できました。このような強い絆で結ばれたチームは、組織にとって非常に貴重です」

「つまり?」

「黒崎レンを処罰するつもりはありません」

 本当に?

「ただし、条件があります」

「条件?」

「君たち六人で、組織の一チームとして活動してもらいたいのです」

 組織のチーム?

「世界各地で起こる異常現象の調査、新たな能力者の保護と指導、そして世界の平和を守る活動です」

 スケールの大きな話だった。

「もちろん、学業との両立は可能です。普段は普通の高校生として生活し、必要な時だけ活動してもらいます」

「みんなの意見も聞かないと」

「もちろんです。明日、正式に提案させていただきます」

 山本さんが立ち上がった。

「それでは、失礼します」

 翌日の放課後、俺たちは生徒会室に集まった。そこには山本さんと、もう一人の組織の人がいた。

「皆さん、お集まりいただきありがとうございます」

 山本さんが組織の提案を説明した。

「つまり、黒崎君は処罰されないということですか?」

 マユが確認した。

「はい。彼も含めて、六人でチームを組んでいただきます」

 黒崎が驚いている。

「でも、僕は」

「君の能力と経験は貴重です。ただし、今後は仲間を欺くような行為は絶対に禁止です」

 黒崎が深く頭を下げた。

「ありがとうございます。二度と同じ間違いは犯しません」

「それで、皆さんはどう思われますか?」

 俺たちは顔を見合わせた。

「一つ質問があります」

 アオイが手を上げた。

「その活動は、危険なものですか?」

「時には危険もあるでしょう。でも、君たちなら大丈夫です」

「それと」

 田辺が続けた。

「僕たちの自由は保障されますか?」

「もちろんです。強制ではありません。いつでも辞めることができます」

 レン先輩が組織の人と目を合わせた。

「姉として心配ですが、弟が本当に償いたいと思っているなら」

「姉さん」

「私も協力します」

 俺は決心した。

「やります」

 一人が決めると、他のみんなも続いた。

「僕もやります」

「私も」

「僕も頑張ります」

「私たちも」

 六人全員が同意した。

 山本さんが嬉しそうに微笑んだ。

「それでは、正式にチーム『リアリティ・ガーディアンズ』として任命します」

 リアリティ・ガーディアンズ。俺たちのチーム名だった。

「最初の任務は、この街の完全な復旧確認です。まだ小さな歪みが残っている可能性があります」

「わかりました」

 俺が代表して答えた。

「ところで」

 山本さんが最後に付け加えた。

「君たちの能力ですが、今回の件で大きく成長しています」

「成長?」

「特に桜井君。君の能力は以前より安定し、制御しやすくなったはずです」

 言われてみれば、確かにそうだった。頭痛やめまいがほとんどなくなっている。

「仲間との絆が、能力を安定させたのでしょう」

「それは」

「能力は心の在り方を反映します。君たちのような強い絆があれば、能力も正しい方向に向かいます」

 なるほど、だから俺の能力が暴走しなくなったのか。

 組織の人たちが帰った後、俺たちは屋上に集まった。

「とうとう、正式なチームになっちゃったね」

 マユが嬉しそうに言った。

「責任重大ですね」

 アオイも感慨深そうだった。

「でも、みんなで一緒にいられるなら、どんな任務でも大丈夫です」

 田辺が力強く言った。

 黒崎が俺たちに向き直った。

「改めて、お願いします」

 彼が深く頭を下げた。

「僕を信頼してくれて、ありがとうございます」

「もういいよ」

 俺が黒崎の肩を叩いた。

「これからは本当の仲間として、頑張ろう」

 六人で空を見上げた。

 夕日が美しく、明日への希望を感じさせてくれた。

 これで、俺たちの本当の物語が始まるのだ。

 どんな困難が待っていても、みんなで乗り越えていける。

 そんな確信があった。


 15 新しいスタート


 チーム『リアリティ・ガーディアンズ』が結成されてから一ヶ月が過ぎた。

 その一ヶ月間は、俺の人生で最も充実した日々だった。朝は普通の高校生として授業を受け、放課後は仲間たちと街の小さな歪みを修復する。週末には近隣の町で新たに覚醒した能力者のサポートに向かう。忙しいけれど、やりがいのある毎日だった。

 今日は久しぶりに任務のない週末。秋晴れの気持ちいい日差しの中、俺たちは街の中央公園で、普通の高校生らしくピクニックを楽しんでいた。

「桜井先輩、お弁当どうぞ」

 マユが手作りの弁当を差し出してくれる。蓋を開けると、彩り豊かなおかずがきれいに詰められていた。

「すごいな、マユ。いつの間にこんなに料理が上手くなったの?」

「この一ヶ月、母に特訓してもらったんです」

 マユが照れくさそうに笑う。

「先輩たちと一緒にお弁当を食べたいって思って」

「ありがとう。すごく嬉しいよ」

「私も作ってきました」

 アオイも弁当箱を開ける。相変わらず几帳面で、栄養バランスまで考えられた完璧な内容だった。

「アオイのお弁当も美味しそうだね」

「桜井君の健康を考えて、野菜を多めにしました」

 アオイの優しさが伝わってくる。あの告白の日から関係が変わったかというと、そんなことはなかった。むしろ、お互いの気持ちを知ったことで、より自然に接することができるようになった。

「俺も何か持ってくればよかった」

「気持ちだけで十分ですよ」

 田辺が笑いながら答えた。彼も手作りのサンドイッチを持参していた。

「田辺君も料理するんだ」

「はい。一人暮らしなんで、自炊が基本です」

 そういえば、田辺は両親が海外赴任中で、一人で暮らしていると聞いた。それでも、彼は前向きに毎日を過ごしている。

「黒崎君は?」

「僕はコンビニ弁当です」

 黒崎が苦笑しながら弁当を取り出す。

「料理は本当に苦手で。姉さんがいる時は作ってもらってましたが」

「今度、私が教えてあげます」

 マユが提案すると、アオイも続けた。

「私も手伝います。黒崎君が自炊できるようになれば、レン先輩も喜ぶでしょう」

「ありがとうございます」

 黒崎が嬉しそうに微笑んだ。あの事件以来、彼は本当に変わった。以前の冷たい雰囲気は消え、素直で優しい青年になった。

 レン先輩が紅茶を淹れながら微笑んだ。

「皆さん、本当に仲良くなりましたね」

「そうですね」

 俺も心から同意した。

 確かに、最初に比べると関係がとても自然になった。恋愛感情の整理がついたことで、むしろより深い友情が生まれた気がする。マユは最初こそ少し寂しそうだったが、今では「先輩の恋を応援します」と明るく言ってくれる。そして、アオイとマユは本当に良い友達になった。

 俺とアオイの関係も、まだ「恋人」というほどではないけれど、特別なものになっている。手を繋いだり、一緒に図書室で本を読んだり、そういう静かな時間を共有できるようになった。

「ところで」

 黒崎が話題を変えた。

「来月の文化祭、何をやるか決まったんですか?」

「喫茶店だよ。『カフェ・リアリティ』っていう名前になった」

 俺が答えると、みんなが笑った。

「リアリティって、まさか」

「いや、たまたまだよ。クラス委員長が『現実的な営業ができる店』っていう意味で提案したんだ」

「でも、私たちには特別な意味がありますね」

 アオイが微笑む。

「私たちのクラスは劇です」

 マユが言った。

「シンデレラをやるんですが、私がシンデレラ役なんです」

「似合いそうだね」

 俺が言うと、マユが嬉しそうに笑った。

「桜井先輩も見に来てくださいね」

「もちろん。楽しみにしてる」

 アオイが少し羨ましそうな表情を見せたが、すぐに笑顔に戻った。

「私のクラスは展示発表です。科学実験の成果を発表します」

「アオイらしいね。どんな実験?」

「光の屈折と錯視について。人間の目がいかに簡単に騙されるか、という内容です」

「現実認識に関する研究か。それも俺たちに関係ありそうだね」

「そうなんです。能力を使わなくても、人間の認識は簡単に歪められる。それを証明したくて」

 田辺も興味深そうに聞いていた。

「僕のクラスは合唱です。前にいた学校では絶対に参加しなかったけど、今回は頑張ろうと思って」

「田辺君の歌、聞いてみたいな」

「下手ですけどね」

 田辺が照れくさそうに笑う。

 レン先輩が提案した。

「文化祭の日は、チーム全員で回りませんか?」

「いいですね」

 みんなが賛成した。

「午前中は各自のクラスの出し物を手伝って、午後から合流しましょう」

 黒崎が具体的なスケジュールを考え始めた。相変わらず几帳面な性格だ。

「マユさんの劇が午後二時から、田辺君の合唱が三時から、アオイさんの展示はいつでも見られます」

「じゃあ、劇を見てから合唱、最後に展示を見て、夕方は桜井君の喫茶店で休憩、というのはどうでしょう」

 レン先輩の提案に、みんなが賛成した。

 そんな平和な会話をしていると、俺の携帯が鳴った。組織からの緊急連絡だった。

「どうしたの?」

 アオイが心配そうに聞く。

「隣県で異常現象が発生したみたい。急行してほしいとのこと」

 みんなの表情が真剣になった。この一ヶ月で、俺たちはすっかりプロのチームになっていた。

「詳細は?」

 黒崎が即座に聞く。

「時間系の異常らしい。詳しくは現地で説明するって」

「時間系か」

 黒崎が考え込む。

「高度な能力です。新人の暴走だとすると、かなり危険ですね」

「また任務ですね」

 田辺が立ち上がった。

「行きましょう」

 俺たちは急いで弁当を片付け、現場に向かった。組織が用意してくれた車で、約一時間のドライブだった。

 車の中で、黒崎が過去の時間系異常現象について説明してくれた。

「時間操作は、リアリティ・シフト能力の中でも最も難易度が高いものの一つです」

「なぜですか?」

 マユが質問した。

「時間は現実の最も基本的な要素だからです。空間は歪めても、時間は簡単には歪められない」

 アオイが補足した。

「物理学的にも、時間の操作は膨大なエネルギーを必要とします」

「でも、能力者なら可能なんですか?」

「理論上は可能です。ただし、制御が極めて困難で、暴走した場合の被害も甚大です」

 レン先輩が過去の事例を語った。

「十年前、ドイツで時間操作能力者が暴走した事件がありました。街の一区画が時間的に孤立し、三日間外部から隔絶されました」

「三日間も?」

「はい。その間、区画内では時間が正常に流れていましたが、外部からは完全に観測できませんでした」

「怖いですね」

 マユが震えた。

「でも、大丈夫です」

 俺がマユの手を握った。

「俺たちなら、きっと助けられる」

「はい」

 マユが勇気を出して頷いた。

 異常現象が起きていたのは、隣県の小さな町だった。到着してみると、町の中央に巨大な水晶のようなものが出現していた。高さは約十メートル、透明で美しいが、どこか不気味な輝きを放っている。

「これは」

 黒崎が驚いている。

「見たことのない現象です。時間結晶とでも言うべきか」

 水晶の周りでは、時間の流れが著しく遅くなっていた。近づいた鳥や虫が、まるでスローモーションのように動いている。風に舞う落ち葉も、空中で静止したかのようにゆっくりと落ちていく。

「時間系の現実改変ですね」

 アオイが分析した。

「でも、こんな大規模なものは初めて見ます」

「能力者の仕業でしょうか?」

 マユが不安そうに聞いた。

 その時、水晶の中から人影が現れた。それは十歳くらいの少女だった。長い黒髪に白いワンピース。まるで時間の中に閉じ込められた人形のように、動きが遅い。

「助けて」

 少女の声が聞こえた。でも、その声もスローモーションで、低く歪んでいた。

「たーすーけーてー」

「時間が止まらないの」

 なるほど、この少女が新たに覚醒した能力者で、時間操作能力が暴走しているのか。

「大丈夫」

 俺が少女に向かって声をかけた。

「俺たちが助けるから」

 でも、水晶に近づこうとすると、俺たちの動きも遅くなってしまう。五メートル手前で、もう半分の速度になった。

「これは厄介ですね」

 レン先輩が眉をひそめた。

「直接接触するのは危険です。時間の流れが極端に遅い場所に長時間いると、外部との時間差で老化が進む可能性があります」

「つまり?」

「この場所で一時間過ごすと、外部では数時間、最悪数日が経過しているかもしれません」

 恐ろしい話だった。

「でも、あの子を助けないと」

 マユが心配そうに少女を見つめている。

「能力で対処しましょう」

 俺が提案した。

「みんなで力を合わせて、時間の流れを正常に戻す」

「でも、時間系の能力は高度な制御が必要です」

 黒崎が躊躇した。

「失敗すると、町全体の時間が狂ってしまう可能性があります。最悪、時間的に隔絶されて、二度と元に戻らないかもしれません」

「それでもやるしかない」

 田辺が決意を固めた。

「あの子を見捨てるわけにはいかない。僕たちがここにいる意味を考えてください」

 田辺の言葉に、みんなが頷いた。

 俺たちは連携態勢を取った。三人の能力者が三角形を作り、時間結晶を囲む。

「意識を集中して、時間の流れを感じてください」

 黒崎が指示を出す。

「時間は川のようなものです。今、その流れが淀んでいる。それを正常な流れに戻すイメージで」

 俺たちは能力を発動した。

 でも、今回は今までと違った。少女の恐怖と混乱が、能力の暴走をさらに激化させていたのだ。俺たちの能力が水晶に触れた瞬間、反発するような力を感じた。

「うまくいきません」

 黒崎が汗をかきながら言った。

「少女の感情が能力に干渉しています。恐怖が時間を凍結させている」

 田辺も苦しそうだった。

「これは、僕が暴走していた時と同じだ。感情が能力を支配している」

 俺も必死に能力を使ったが、水晶はびくともしなかった。それどころか、徐々に大きくなっているような気がする。

「まずい。時間結晶が成長しています」

 アオイが警告した。

「このままでは町全体が時間結晶に飲み込まれます」

 その時、マユが前に出た。

「私が話しかけてみます」

「でも、近づくのは危険です」

 俺が止めようとしたが、マユは決意を固めていた。

「大丈夫」

 マユが微笑んだ。

「私には能力がないから、時間の影響を受けにくいかもしれません」

 確かに、能力者でない人間の方が、現実改変の影響を受けにくいことがある。能力を持たないがゆえの強さだ。

「気をつけて」

 俺が心配すると、マユが頷いた。

「任せてください。それに」

 マユが俺を見つめた。

「私にもできることがあるって、証明したいんです」

 マユが水晶に向かって歩いていく。確かに、彼女の動きは俺たちほど遅くならなかった。能力者ではないことが、この場合は有利に働いている。

 でも、それでも時間の影響は受けている。マユの動きもゆっくりになり、一歩一歩が重そうだった。

「マユさん、無理しないでください」

 レン先輩が心配そうに見守っている。

 マユが水晶から三メートルの地点に到達した。そこで、少女と目が合った。

「こんにちは」

 マユが優しく少女に話しかけた。時間の歪みのせいで、声が低く歪んでいるが、優しさは伝わる。

「怖かったでしょう」

 少女がマユを見つめた。その目に、わずかな希望の光が宿る。

「お姉ちゃん、誰?」

 少女の声も歪んでいるが、聞き取れた。

「マユって言います。あなたのお名前は?」

「ユイ」

「ユイちゃんね。素敵な名前」

 マユが少女との距離を縮めていく。二メートル、一メートル。時間の流れはますます遅くなるが、マユは諦めない。

「ユイちゃん、この力、いつから使えるようになったの?」

「今日から。朝起きたら、みんながゆっくり動いてて」

 ユイが涙を流しながら答える。

「お母さんも、お父さんも、みんな止まっちゃって。怖くて、もっと止めようと思ったら、こうなっちゃった」

「怖かったね」

 マユがついに水晶に手を触れた。その瞬間、マユの動きも完全にスローモーションになった。でも、マユは笑顔を絶やさない。

「大丈夫よ。私のお友達が教えてくれるから」

 マユが俺たちを指差した。外部から見ると、マユの腕がゆっくり、ゆっくりと動いている。

「みんな、あなたと同じ力を持ってるのよ」

 ユイが興味深そうに俺たちを見る。

「本当?」

「本当よ。だから、一緒に練習しましょう。でもその前に、この時間を元に戻さないとね」

「でも、止め方がわからないの」

「大丈夫。お姉ちゃんが一緒にやるから」

 マユの優しい声に、ユイの恐怖が和らいでいく。そして、時間結晶の輝きも少しずつ弱くなってきた。

「今です」

 黒崎が合図を送った。

「少女の心が開いた。今なら能力が届きます」

 俺たちは連携して、時間の流れを正常化する能力を発動した。

 今度はうまくいった。ユイの心が落ち着いたことで、能力の制御が可能になったのだ。

 水晶が徐々に透明度を増していく。そして、音を立てて砕け散った。いや、砕けたのではない。時間に溶けたのだ。

 マユとユイが、正常な時間の中に戻ってきた。

「やったね、ユイちゃん」

 マユが少女を抱きしめた。

「ありがとう、お姉ちゃん」

 ユイが涙を流しながら答えた。

 町の時間が完全に正常化した。止まっていた人々が動き出し、鳥が普通の速度で飛び、風が自然に吹いている。

 俺たちはユイのところに駆け寄った。

「大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

 マユが答える。でも、顔色が少し悪い。

「無理しすぎだよ」

「でも、助けられて良かったです」

 ユイが俺たちを見上げた。

「お兄ちゃんたちも、同じ力があるの?」

「そうだよ。でも、君ほど強くはないかな」

 俺が優しく答えた。

「君の能力は、時間を操ることができる。とても珍しくて、強力な力だ」

「でも、怖い」

「最初は誰でも怖いんだ。俺もそうだった」

 田辺が膝をついて、ユイと目線を合わせた。

「僕も最初は、この力が怖くて、憎くて、誰かを傷つけたいと思ったこともあった」

 ユイが驚いた表情で田辺を見る。

「でも、この人たちが教えてくれたんだ。この力は怖いものじゃなくて、誰かを助けるためのものだって」

 黒崎も続けた。

「僕も間違った使い方をして、みんなに迷惑をかけました。でも、仲間が許してくれて、正しい使い方を教えてくれた」

 ユイの表情が少しずつ明るくなってきた。

 その後、俺たちはユイの両親を見つけ、状況を説明した。最初は信じてもらえなかったが、実際に能力を見せると、驚きながらも受け入れてくれた。

「娘は、この力とどう付き合っていけばいいんでしょう」

 ユイの母親が不安そうに聞いた。

「俺たちが教えます」

 レン先輩が答えた。

「組織が全面的にサポートします。学校生活を送りながら、能力のコントロールを学べるように」

「本当ですか?」

「はい。ユイちゃんは特別な才能の持ち主です。正しく導けば、きっと素晴らしい能力者になれるでしょう」

 ユイの父親が深々と頭を下げた。

「お願いします」

 俺たちはユイに、基本的な能力のコントロール方法を教え始めた。最初は時計の秒針を少しだけ遅くする、という簡単な訓練から。

「できた!」

 ユイが喜ぶ。彼女は飲み込みが早く、すぐにコツを掴んだ。

「すごいね、ユイちゃん」

「うん。お兄ちゃんたちが教えてくれるから」

 二時間ほどの訓練で、ユイは基本的な制御ができるようになった。才能があるのだろう。

「ユイちゃんも、私たちの仲間になる?」

 マユが提案すると、ユイが目を輝かせた。

「本当?」

「本当です」

 俺が答えた。

「でも、まだ小さいから、もう少し大きくなってからね。それまで、たくさん練習して」

「わかった。頑張って大きくなる。そして、お兄ちゃんたちみたいに強くなる」

 ユイの純真な答えに、みんなが笑顔になった。

 任務を終えて帰り道、マユが俺に話しかけてきた。

「先輩、私にも何かできることがあって良かったです」

「マユがいなかったら、今日の任務は失敗してたよ」

「そんなことありません」

 マユが謙遜する。

「でも、先輩やみんなの役に立てるのって、嬉しいです」

 アオイも頷いた。

「私も同じ気持ちです。能力がなくても、チームの一員として貢献できる」

 レン先輩が微笑んだ。

「それぞれに得意分野がある。それがチームの強さですね」

 黒崎も同意した。

「僕一人だったら、絶対に今日のような結果は出せませんでした。能力だけでは解決できない問題もある」

 田辺が拳を上げた。

「チーム『リアリティ・ガーディアンズ』、最高だ」

 みんなで笑った。

 夕日が俺たちを照らしている。長い影が地面に伸びていく。

 最初は一人で悩んでいた俺の能力の問題が、こんなに素晴らしい仲間との出会いをもたらしてくれるなんて。

 人生は本当にわからないものだ。

 でも、一つだけ確かなことがある。

 俺は、もう一人じゃない。

 どんな困難があっても、みんなで乗り越えていける。

 そして、この力を使って、もっとたくさんの人を助けていける。

 車の中で、レン先輩が組織からの連絡を受け取った。

「次の任務の話です」

「もう次があるんですか?」

 田辺が驚く。

「はい。でも、今度は海外です」

「海外?」

「アメリカで大規模な現実改変事件が発生しているそうです。現地のチームだけでは対処しきれず、応援を求めているとのこと」

 海外任務。スケールが大きくなってきた。

「でも、俺たち、パスポートとか」

「組織が手配します。来週の三連休を利用して、三日間の予定です」

 みんなが顔を見合わせた。不安と期待が入り混じった表情だった。

「行きますか?」

 俺が聞くと、みんなが頷いた。

「もちろんです」

「楽しみですね」

「初めての海外任務か」

 黒崎が地図アプリを開いた。

「場所は、ニューヨーク郊外の小さな町です。人口五千人程度の」

「何が起きているんですか?」

「詳細は不明ですが、町全体が『ループ』しているらしいです」

「ループ?」

「同じ一日が繰り返される、という現象です。住民は気づいていないようですが、外部から見ると明らかに異常です」

 時間のループ。さっきのユイちゃんの能力と関係があるのだろうか。

「興味深い現象ですね」

 アオイが分析モードに入っている。

「時間が循環するということは、因果律が閉じた系を形成している。物理学的にも非常に興味深い」

「でも、危険でもありますね」

 レン先輩が警告した。

「ループに巻き込まれると、自分たちも同じ日を繰り返すことになります」

「それは困りますね」

 マユが不安そうだった。

「大丈夫です」

 俺が励ました。

「俺たちなら、きっと解決できる」

 みんなが頷いた。

 文化祭、ユイちゃんとの再会、海外任務。これから待っている日々が、とても楽しみだった。そして、少し怖くもあった。

 でも、この六人なら、どんな困難も乗り越えられる。そんな確信があった。

 空には最初の星が見えていた。

 俺たちの未来を照らしてくれる、希望の星が。その星を見ながら、俺はこれまでの道のりを振り返っていた。

 平凡な高校生だった俺が、突然能力に目覚めた日。

 アオイと出会い、秘密を共有した日。

 マユと知り合い、田辺を救った日。

 黒崎の裏切りと、それでも彼を許すことを選んだ日。

 街全体が危機に瀕し、みんなで力を合わせて救った日。

 そして今、チームとして新たな任務に挑もうとしている。

 わずか数ヶ月の出来事だったが、俺の人生を完全に変えた。もう、以前の平凡な日々には戻れない。でも、戻りたいとも思わない。

 この仲間たちと出会えたこと、この使命を与えられたこと、それが俺の人生に意味を与えてくれた。


 エピローグ 半年後


 桜丘高校の文化祭当日。秋晴れの空の下、校舎は色とりどりの装飾で彩られていた。

 俺たちのクラスの喫茶店『カフェ・リアリティ』は、朝から大盛況だった。ウェイター姿の俺は、休む暇もなく店内を動き回っていた。

「桜井君、三番テーブルの注文取ってきて」

 クラス委員長に呼ばれて、俺は客席を回った。お客さんの中に、見慣れた顔を発見した。

「ユイちゃん?」

「ハルお兄ちゃん!」

 ユイが家族と一緒に来てくれていた。彼女は半年でずいぶん背が伸び、表情も明るくなっていた。あの日以来、週に一度は俺たちと訓練を続けている。能力のコントロールも上達し、今では五分程度なら時間を止めることができるようになった。

「お疲れ様です、桜井君」

 ユイの両親が挨拶してくれた。

「娘がいつもお世話になっています」

「こちらこそ。ユイちゃんの成長が早くて、俺たちの方が勉強になってます」

 本当に、ユイの才能には驚かされる。時間操作という高度な能力を、まだ十歳なのに見事に制御している。

「今日は文化祭を楽しんでください。午後にはマユの劇もありますよ」

「うん、楽しみ」

 ユイが嬉しそうに笑った。

「それと、桜井先輩」

 ユイが小声で続けた。

「私も来年、この学校に入学するの」

「本当?」

「うん。ハルお兄ちゃんたちと同じ学校に行きたいって、お父さんとお母さんに言ったら、転校してくれることになったの」

 ユイの父親が苦笑した。

「この子が『絶対に桜丘高校に行く』って言って聞かなくて」

「それで、来年この町に引っ越してくることにしました」

 母親も微笑んでいる。

「大歓迎です。ユイちゃんがいてくれたら、チームももっと強くなる」

「本当?」

「本当だよ」

 ユイの目が輝いた。

「頑張る。もっともっと練習して、お兄ちゃんたちの役に立てるようになる」

 その決意に満ちた表情を見て、俺は確信した。ユイは将来、このチームの中核を担う存在になるだろう。

 注文を取って厨房に戻ると、佐藤が話しかけてきた。

「ハル、さっきの女の子、誰? 妹?」

「いや、知り合いの子」

「へえ。なんか懐いてたな」

「ちょっと勉強を教えてあげてるんだ」

 嘘ではない。能力の使い方という「勉強」だが。

 午前中の営業が一段落したのは正午過ぎだった。クラスメイトに後を任せて、俺は約束の場所に向かった。

 校舎裏の桜の木の下で、アオイが待っていた。

「お疲れさま、桜井君」

「アオイも、展示の準備大変だった?」

「ええ、でも無事に終わりました」

 アオイが俺の手を取った。この半年で、二人の関係は確実に進展していた。まだ「恋人」と呼ぶには早いかもしれないが、特別な存在であることは間違いない。

「桜井君」

「ん?」

「この半年、本当に濃密でしたね」

 アオイが遠くを見つめる。

「あなたと出会ってから、私の世界は広がりました」

「俺もだよ。アオイがいなかったら、今の俺はいない」

「でも、時々不安になります」

「不安?」

「この平和が、いつまで続くのかって」

 確かに、この半年間で俺たちは様々な任務をこなしてきた。海外任務も二度経験した。アメリカでの時間ループ事件は解決に一週間かかったし、先月のフランスでの空間歪曲事件も危険だった。

 そして、組織からは「より大きな脅威が近づいている」という情報も入っている。

「大丈夫だよ」

 俺がアオイの肩を抱いた。

「何が起きても、俺たちにはみんながいる」

「そうですね」

 アオイが微笑んだ。

「私たちには、最高のチームがある」

 その時、マユが駆けてきた。

「先輩、アオイさん、そろそろ劇が始まります」

「わかった、今行く」

 三人で体育館に向かった。マユは既にシンデレラの衣装を着ていて、とても可愛かった。

「似合ってるよ、マユ」

「ありがとうございます」

 マユが照れながら答える。

「頑張ってください」

 アオイも励ました。

「はい。先輩たちが見ていてくれるなら、緊張しません」

 マユが舞台袖に消えていく。俺とアオイは客席に座った。すぐに、黒崎、田辺、レン先輩も合流した。

「間に合いましたか」

 黒崎が息を切らしている。

「今、三年生の出し物を手伝っていて」

「大丈夫、まだ始まってない」

 やがて、照明が落ちて劇が始まった。

 マユのシンデレラは、本当に素晴らしかった。表情豊かで、感情が観客席まで伝わってくる。特に、王子様と踊るシーンは、会場全体がうっとりするような雰囲気だった。

「マユさん、本当に演技が上手ですね」

 レン先輩が感心している。

「人の心を動かす才能があるんだよ」

 俺が答えた。

「能力がなくても、マユには特別な力がある」

 劇が終わると、会場は大きな拍手に包まれた。マユがお辞儀をする姿を見て、俺は誇らしい気持ちになった。

 次は田辺の合唱だった。音楽室に移動すると、既に多くの観客が集まっていた。

 田辺が壇上に立つ。半年前とは別人のように、堂々とした姿だった。

 合唱が始まる。田辺の声は、予想以上に美しかった。他のクラスメイトたちと調和して、素晴らしいハーモニーを作り出している。

 歌っているのは「Tomorrow」。明日への希望を歌う曲だった。

 その歌詞が、今の俺たちの気持ちとぴったり重なった。

 『明日は今日よりも輝いている』

 『一人じゃないから、恐れない』

 『共に歩む仲間がいるから』

 合唱が終わると、こちらも大きな拍手が起こった。

「田辺君、すごかったですね」

 マユが感動している。

「半年前は、あんなに人前に出るのを嫌がっていたのに」

「人は変われるんだよ」

 アオイが言った。

「正しい環境と、支えてくれる仲間がいれば」

 次はアオイの展示を見に行った。科学室に設置された展示は、予想以上に本格的だった。

 光の屈折を利用したトリックや、錯視を体験できる装置がいくつも並んでいる。

「すごいな、アオイ」

「ありがとう。でも、これは私一人の力じゃないの」

 アオイがクラスメイトたちを紹介してくれた。みんなで協力して作り上げた展示だった。

「これを見てください」

 アオイがある装置を指差した。

「二つの物体が同じ大きさに見えますが、実は片方は二倍の大きさなんです」

 確かに、そう見える。でも測ってみると、明らかに違う。

「人間の認識は、いかに簡単に騙されるか。それを証明したかったの」

「現実改変と似ているね」

 俺が言うと、アオイが頷いた。

「そう。私たちの能力も、ある意味では認識の操作なのかもしれない」

「深いな」

 黒崎が感心している。

「能力の本質について、新しい視点ですね」

 レン先輩も興味深そうに展示を見ている。

「組織の研究部門にも、この展示を紹介したいですね」

 展示を一通り見終わった後、俺たちは『カフェ・リアリティ』に戻った。夕方の休憩時間だった。

 六人で一つのテーブルを囲む。それぞれが注文したコーヒーやケーキを前に、今日一日を振り返った。

「楽しい一日でしたね」

 マユが嬉しそうだった。

「普通の高校生として、文化祭を楽しめるなんて」

「本当にね」

 田辺も同意した。

「僕、前の学校では文化祭なんて興味なかったのに」

「環境が人を変えるんだよ」

 黒崎が言った。

「そして、仲間が人を強くする」

 レン先輩がコーヒーを一口飲んで、話題を変えた。

「ところで、皆さん。来週の任務についてですが」

 また任務の話だ。でも、誰も嫌な顔をしない。それが俺たちの日常になっていた。

「今度はどこですか?」

 俺が聞いた。

「日本です。北海道の山奥で、大規模な空間異常が発生しています」

「空間異常?」

「はい。山全体が別次元に接続しているような状態だそうです」

 アオイが興味深そうに身を乗り出した。

「それは興味深い。次元の壁が薄くなっているということですか?」

「詳細は不明ですが、その可能性があります」

「危険度は?」

 黒崎が実務的な質問をした。

「高いです。既に現地調査チームが二組、消息不明になっています」

 緊張が走った。

「でも、私たちなら大丈夫」

 マユが前向きに言った。

「これまでもたくさんの困難を乗り越えてきました」

「そうだね」

 俺も頷いた。

「六人で力を合わせれば、どんな任務も成功させられる」

 田辺が拳を握った。

「リアリティ・ガーディアンズ、出動準備完了です」

 みんなが笑った。

 その時、窓の外に不思議な光が見えた。

「あれは?」

 アオイが立ち上がった。

 空に、巨大なオーロラのような光が広がっていた。でも、ここは北海道ではない。オーロラが見える場所ではないはずだ。

「まさか」

 黒崎が携帯を確認した。

「組織からの緊急連絡です。全国各地で同時多発的に異常現象が」

 レン先輩の携帯も鳴った。

「こちらにも。これは、予想されていた『大規模侵食事象』かもしれません」

「大規模侵食事象?」

「別次元からの侵食。複数の世界の境界が曖昧になり、現実そのものが不安定化する現象です」

 空のオーロラがますます大きくなっていく。そして、その中から何か巨大な影が見え始めた。

「あれは」

 マユが指差した。

 影は徐々に形を成していく。それは、巨大な門のようだった。異世界への入り口のような。

 校庭にいた人たちも、その異常な光景に気づき始めた。ざわめきが広がっていく。

「緊急事態ですね」

 レン先輩が立ち上がった。

「文化祭は中断です。避難誘導を開始します」

「俺たちは?」

「現象の調査です。あの門が何なのか、どう対処すべきか」

 六人で校舎を出た。校庭に立って、空を見上げる。

 門は完全に開いていた。そして、その向こうに別の世界が見えた。

 暗い空、奇妙な形の建物、そして——

「人がいる」

 アオイが驚く。

 門の向こうから、人影が現れた。いや、人ではないかもしれない。人型だが、どこか人間とは違う存在だった。

 その存在が、こちらの世界を見ている。

 そして、ゆっくりと門をくぐってきた。

「来るぞ」

 黒崎が身構えた。

「これは、これまでで最大の危機かもしれません」

 田辺も能力を発動する準備をしている。

 マユとアオイは能力者ではないが、二人も覚悟を決めた表情だった。

 レン先輩が組織に連絡を取っている。

「応援を要請しました。でも、到着まで三十分かかります」

「それまで、俺たちで持ちこたえるしかないね」

 俺が前に出た。

「みんな、準備はいい?」

「いつでも」

 五人が答えた。

 異世界からの訪問者が、地面に降り立った。そして、口を開いた。言語は理解できないが、その意図は明確だった。

 これは、侵略だった。でも、俺たちは恐れない。これまで、数々の困難を乗り越えてきた。この危機も、必ず乗り越えられる。六人で力を合わせれば、どんな敵にも負けない。

「リアリティ・ガーディアンズ」

 俺が叫んだ。

「急送」

 六人が同時に動いた。

 新たな戦いが始まった。これは単なる戦いではなかった。俺たちの世界を守るための戦いだった。人類の未来を守るための戦いだった。

 空に広がるオーロラの光の中で、俺たちは戦った。能力を駆使し、連携し、支え合いながら。

 文化祭の賑わいは、いつの間にか戦場の緊張に変わっていた。でも、俺たちの心は一つだった。

 守るべきものがある。

 大切な仲間がいる。

 愛する世界がある。

 だから、俺たちは戦う。

 どんな強大な敵が現れても。

 どんな困難が待っていても。

 俺たちは、リアリティ・ガーディアンズ。

 現実を守る戦士たち。

 この戦いは、まだ始まったばかりだった。でも、俺たちは知っている。仲間と共にあれば、どんな未来も切り開ける。

 空のオーロラが、七色に輝いている。

 これから訪れる壮大な冒険の予兆なのだろう。

 俺たちの本当の戦いは、今、始まる。

                                     (了)

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『リアリティ・シフター』 @ssasakise

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