第7話 軸の泉
柚雲と頼一郎が、護森の運転で流珠倉洞から更に裏山に続く林道を登り始めてから数十分。
さほど距離は走っていないが、かつて降った雨による
この道路の状態では、普段誰も通らないような場所だと分かる。
どこかもどかしい
そうしている内に、裏山を回り込んでちょうど流珠倉洞の上側辺りであろう、開けた場所に出た。
広場の先の中央、適度に古ぼけた赤い鳥居の先に、広めの泉らしき反射が見える。
停車した車から降りた柚雲が鳥居まで近付くと、泉に違和感を覚えた。
「!、これ?···水じゃ無い!」
液体では無く、氷でもない個体。
その透明な樹脂は、夕方の太陽光のせいだけで
直径百メートル程のスケートリンクのような樹脂…琥珀の泉が、表面に落ち葉を散らして静かにそこにあった。
「この【泉】は、ここに御神体として一応“今は„奉られています。ここの山の上から、下の洞窟に向かって長い棒状の巨大な琥珀のようなものが突き刺さっていて、密かに軸泉市の呼び名の由来になっている所です」
護森が二人に解説する。
「これは···こんな所があったなんて、洞窟には何度か来てるが知らなかった。ご、護森さん、しかしここにウルくんは······」
頼一郎が護森に尋ねる。飛行機が飛ぶような音がしていた。
「やはり···来た!」
護森は空を見上げる。釣られて二人も護森の視線を追った。
そこには夕日を浴びて金色に輝き、空を飛ぶ全身琥珀の巨人、アンバーニオンが、ゆっくりと琥珀の泉に向かって降りて来ていた。
思わず鳥居の柱にしがみつく柚雲と、孫娘を守ろうと寄り添う頼一郎。護森は鳥居の正面やや右側に立ち、
降臨の風圧で泉の落ち葉は全て吹き飛び、泉は輝きを増している。
その泉の表面に巨人の爪先が付いたかと思うと、まるで霞と霞が重なり合うように、自然と巨人は泉に吸い込まれて消えた。
風が遠ざかる音が消えても、状況が掴めず動けないでいる二人に、護森の方から切り出す。
「須舞さん、大丈夫。今のは味方です。お孫さんも恐らく無事でしょう」
「護森さん、あなたァ一体?」
それでも二人は唖然として動けなかった。
ゴデッ!
「あでっ!」
宇留は低い所から落ちて少し頭をぶつけた。我慢出来ない痛みでは無かった事が不幸中の幸いである。
明るい洞窟に透明な天井。琥珀の少女と出会ったあの通路に、宇留は仰向けで横たわっていた。
「ん?」
透明な天井は何故か低くなっていた。五十センチも無いだろう。
「うおー!」
閉所恐怖症不可避の感覚に宇留が驚く。
(オツカレサマ)
何故か
頭が痛い、夢では無かった。と、言うことは、先程見た気がする柚雲と頼一郎はここの上に居るのか?
琥珀の天井の内部には最初に見た時とは違い、確かに下から見上げた巨人のようなシルエットが増えていた。
アンバーニオンは確実に自分がここまで連れて来たのだ。
しかし宇留は、物思いが思わず気まずい沈黙になってしまった事に気付き会話を探した。
「えっと············名前?」
(?)
「俺の名前は、須舞 宇留、本当はウリュウの方が良かった
宇留は自分でも何をワケノワカラナイ事を言っているんだ?と思った。しかし当の琥珀の少女も、宇留に負けず劣らずな返答をした。
(···············名前?···本当の名前は忘れたような気がする)
「ぇえ?」
(でも“最近„はヒメノナマエヒメノナマエってたくさん言われたから簡単にしてもらってヒメナにしたような気がする。スマイ·ウル·ホント·ウワ·ウリュウノ·ホウガ·ヨカッタウル殿…)
「あはは······俺も、簡単にしてもらっても、いいかなあ?」
(ウリュ…)
「う、う~ん、まぁいーか!でさ、ここからどう出れば······」
その時、天井が一センチ程ゴソンと下がる。その恐怖で声が上ずる。
「!…いいーんですかねぇーーーー!」
(上に触ってここから出るって考えて)
「え?そんな感じで?」
宇留は天井に手を触れた。
アンバーニオンに転送された時とはまた違う感覚。一瞬体が重くなると同時に視界が変わる。
明るさの減りつつある青空と、夕日でピンクオレンジ色に染まった流れる雲。宇留は手を伸ばした同じ姿勢で洞窟の外、琥珀の泉の中央に居た。
かなり久しぶりのような気がする空気の感触と心地いい寒さだったが、いつまでもこのままこうしている訳にはいかないのでムクリと起き上がると、すぐに柚雲の声が聞こえた。
「ウルーーーーー!」
「うわぁ!宇留くんが生えたァ!」
泉の
宇留は立ち上がりフラフラと泉の畔まで歩くと二人に抱えられるようにして鳥居の前に
首からジャランとぶら下がったヒメナの琥珀に、護森が驚いていた。
「良かったよ~戻ってこれて~どうしようかと思ったー!」
「良かった良かった、ケガとかしてないか?」
「うん、ごめんね?ビックリしたし、させたしもう······」
半泣きの柚雲と頼一郎に、宇留が肩や背中をワシワシ撫でられていると、護森が宇留の前にしゃがみこんだ。
「須舞…ウル…君?体はなんともないかい?」
「え?あ、は、はい」
「それは良かった······」
護森はヒメナの琥珀に視線を移す。ヒメナは護森の目を一瞬見つめてハッとした。
(ナツユキ!)
「···ヒメちゃん、久しぶり···また会えると思って無かったよ!」
「え!この
ヒメナの声は宇留と護森にしか聞こえないらしく、柚雲と頼一郎は噛み合わない奇妙な会話にキョトンとしている。
「昔のね、仲間なんだ」
「昔?」
宇留はヒメナの琥珀を見る。気のせいか表面が曇り始めていた。
「あ、!」
「太陽が沈んじゃうし、なんか今日頑張ったみたいだから、明日までおやすみかな?そうしたら、またみんなで話そう」
「え?」
(うん、そゆことで·····またね···)
(···ウリュ!···ありがとうね··········)
ヒメナは眠りにつく前に柚雲と視線を合わせた。そして瞳を閉じると同時に光沢のあった琥珀のペンダントの表面が艶消しになって曇り、中が見えなくなった。
「ヒメナ?」
「え?ウル!なにこのペンダント、キレー、で!今この中に見えたコなに?カワイー!」
「ど、どこから説明しようかなあ?」
チャポン と音がした。
全員が振り返ると琥珀の泉は、風で波打つ普通の池になっていた。落ち葉が飛んで来て池に浮かび、更に表面を流れる。
異変に次ぐ異変の動揺を膨らませない為か、護森が口を開いた。
「まあ、話は追い追い···とりあえずここを降りましょうか?日も暮れますし······」
宇留達は護森の車に乗り込み、鳥居の広場を後にした。山の影には逢魔時の帳が黒く滲んでいたが、その影が呼ぶ冬の静寂はアンバーニオンに一時の安らぎをもたらしていた。
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