王都2

馬車は、石畳の大通りから緩やかな坂を上り始めた。周囲の建物が次第に背を低くし、開けた視界の先に、外城壁とは比べ物にならない威容を誇る白い城が姿を現す。


それはまるで、小高い丘の上で凍結した瀑布がそのまま凝固したかのようだった。

青白い石材が何層にも重なり、塔と壁が複雑に絡み合い、巨大な彫刻群となって空を突き刺している。

その塔の一つひとつの先端には、優美なドームが天を仰ぎ、細部にまで施された無数の彫刻が、これを建てた者の途方もない権力と財力を物語っていた。


宮殿を守る内城の城門は、ただの門ではない。両脇にそびえる巨大な円塔は、まるで神話の巨人が城を守護しているかのようだ。門枠の上では、金の鷲が今にも飛び立とうと翼を広げている。

警備も厳重だった。金具で補強された扉。全身メイルの近衛兵だろうか。だがルナが顔を見せると、衛兵たちは槍を下げて一斉に頭を垂れた。

王女サマが便利すぎて笑えてくる。最高に中世って感じだ。


馬車は石畳を鳴らし、やがて広場へ。

広場を取り囲むように、宮殿と比べれば華美ではないが、大邸宅と見まがうほどの大きな建物が立ち並び、兵士や侍女の往来が絶えない。

全員が俺たちに注目している。いや、血まみれのボロ布を纏った俺にか。そりゃそうだ。自分でもこの情景にそぐわないと思う。

 

「セト、王宮です」


ルナが少し緊張したように告げる。心なしか声が震えていた。


「王宮、ねぇ……近くにユニクロかしまむら、ないかな」


日本語でぼそり。もちろん誰にも通じない。ノアだけが、横目で俺を見て小さく息を吐いた。通じていないのに呆れられた気がする。


馬車が進む。広がるのは整然とした庭園。刈り込まれた樹木と花壇。石畳の道は磨かれ、さきほどの街中の悪臭もここにはない。

文明、あるところにはあるらしい。


やがて馬車は石造りの大階段の前で止まった。

正面玄関には、色鮮やかな衣を纏った従者たちがずらりと並んでいる。彼らの視線が一斉に俺に注がれる。血まみれの襤褸切れ男に。


――まるで見世物だな。芸でもして見せたほうがいいのだろうか。


ルナが先に降り立つと、従者たちが一斉に跪いた。その光景は息を呑むほど整然としていて、少なくとも俺の日常には存在しない種類の秩序だった。


次にノアが降りる。

俺は――どうすんだこれ。

血塗れの服を晒したまま、場違いもいいところの階段を上るのか?


「服、これで、大丈夫?」


シャツの端を摘みながらカタコトで言う。ルナはただ振り返り、微笑んで立ち止まっている。俺も降りて来い、ついて来いということだろうか。


階段を見上げる。白く輝く王宮本体の正門。

こっちに来てから人も殺した。魔物とも戦った。今度は王様のお城に入場するらしい。


少し戸惑っていると、ルナがなにやら指示を出し、俺は使用人らしき男たちに馬車から降ろされ連行される。


案内された部屋には鏡台と浴槽、整えられた衣服が用意されていた。

使用人に促され、俺は血と汗で固まったシャツを脱ぎ捨てる。泉で流したはずなのに、改めて見るとやっぱり悲惨だな。


体を洗わずに入っていいものかと少し躊躇う。しかし洗い場のようなものはない。湯に浸かり、血と埃を洗い流す。ぬるま湯が心地良い。文明最高。でもシャワーとシャンプー、ボディーソープも恋しい。


あまり映りの良くない鏡に映る顔を見る。歪んでいるが、やはり“俺の顔”ではないと分かる。元の面影を残しつつ、微妙に違う異世界仕様の顔。洗えば洗うほど“誰かの顔”を撫でている感覚が強まる。

満足に動かなかったはずの左腕は、いつの間にかほぼ違和感なく使えるようになっている。


「……本当に、どうなっちまったんだ俺の体」


独り言は湯気に溶けて消える。


用意された衣服は、おそらく上質な麻と絹の混合で仕立てられたチュニックとレギンス。手の込んだ刺繍入り。袖を通すと、不思議と体に馴染む。ちなみに下着は、紐を通したボクサーパンツタイプだ。


ただ、脱いだ衣服がない。財布もスマホもない。


「……勝手に持ってくなよ」


ぼやきながらも、意外と悪くない着心地に苦笑する。

財布もスマホも使い道はないしな。


風呂から上がると、簡単な食事も用意されていた。

白パンとチーズ。肉と香草が入ったスープを黒パンにぶっかけたもの。いずれも木のテーブルに直置き。皿もナイフもフォークもスプーンもない。


(手づかみで食えってか。文明、なかったかも)


かなり野趣あふれる風味ではあるが、シンプルゆえに味はそう悪いものではなかった。良くもないが。

給仕が金属のカップにワインをついでくれる。辛うじて文明を感じた。


あっという間に皿を空にすると、少し横になりたい気分に。だが、そうもいかないらしい。

今度は使用人達が、俺の服装や髪を整え始める。


支度を終えて部屋を出ると、すでに着替えを終えたルナとノアが待っていた。ルナは純白のドレスをまとい、まるで光そのもののように見える。兵に囲まれ、赤絨毯の敷かれた長い廊下を進む。


高窓から射し込む陽光、壁を飾るタペストリー、石の床を打つ靴音。重苦しい荘厳さに、思わず背筋が伸びた。


「セト、緊張していますか?」


ルナが振り返り、小さく笑みを浮かべる。


「少しだけ」


――いよいよ、王様にご挨拶か。

俺は無意識に、自分の掌を握りしめていたことに気づく。


重厚な扉が開かれると、視界の先には広大な謁見の間が広がっていた。

高い天井にはシャンデリアが灯り、壁面には王国の歴史を描いたとおぼしき大きなタペストリー。赤い絨毯が真っ直ぐに延び、その先には玉座が据えられている。


兵士が左右に整列し、長い槍を床に突き立てて無言で睨んでくる。

ああ、帰りたい。おうちに帰して。


「王女ルナ・アグディス・アストライア、入廷!」


廷臣の声が響き、俺たちは赤絨毯の上を進んでいく。

ルナは気品ある微笑みを浮かべ、ノアはいつも通り無表情で警戒を怠らない。そして俺はというと――裸一貫で異世界就職の面接会場に来た気分だ。


(アピールできるのは人体破壊に猛獣駆除……前職ではSEシステムエンジニアをやってました……)


半分本気の心臓バクバクと、半分は自分への軽口で誤魔化す。

あまり面白くないなと自嘲することで、少しだけ落ち着きを取り戻す。


やがて玉座の前にたどり着き、膝をつくよう促される。ルナとノアが恭しく頭を垂れるのに倣い、俺も片膝をつく。


「面を上げよ」


低く落ち着いた声が響いた。声の主――この国の国王だろう。

髭を蓄え、年齢は四十代ほどか。威厳あるその姿に、周囲の空気すら張り詰めているように感じる。


ルナが紹介を始める。

俺の名前を告げるが、その先は聞き知らない単語が多く、よく分からない。きっと堅苦しい表現で話しているのだろう。


国王の視線がこちらに注がれる。静かに、しかし重く。

射抜かれるような眼差しに、背中の産毛が総立ちになる。


「セト……」


王が口を開いた瞬間、背後で兵士たちの槍がわずかに動く気配がした。俺を威嚇するのか、それとも刺す準備なのか。


(……俺の立ち位置がよく分からねえ)


王が何か俺に問いかけ、ルナが横からすかさず『はい』と答える。

俺はまだ言葉が十分に通じない。黙っているしかないのが幸いだった。

おそらくは俺のこの先を左右するような内容を話している。

その上で、何を話しているのか分からないのが恐ろしい。

しかし下手に喋ったら、たぶん失点だ。


国王はしばらく俺を見据え、それからゆっくりと頷いた。

なにか言っているが、やはり、なにを言ってるのか分からない。しかし、その目には探るような色がある。まだ判断を保留している――そんな眼差し。

そして俺は――場違いな異邦人として、玉座の前で冷や汗を流していた。


(人体実験の素体にされるとかないよな……人権意識とか無さそうだし……粗相があったら死刑とかは普通にありえそう……)


そう心の中でぼやいた瞬間、玉座の間に再び緊張が走った。

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