第3話 赤色病
よろりと店内に入る男の名はジンジ。店を開いた当初から、十日に一度は夫婦で来店する常連だ。ただし、今はその妻の姿は見えない。
「おいおい、どうしたんだよ」
レイズは崩れ落ちそうになるジンジの体を支え、椅子に座らせる。特に右腕からの出血が酷い。まるで獣に噛みちぎられたような傷だ。
他には背中の引っ掻き傷が目立つ。裂けた服の背中側には、人の爪のようなものが引っかかっていた。
レイズは止血のため、店内に干していた手ぬぐいでジンジの腕を縛る。
「レイズさん、あんた強いんだろ? ヨウを、妻を止めてくれ」
「止めてくれって、何が……」
「頼むよ。昔、治安維持部隊にいたって言っていたよな?」
「待ってくれ。奥さんに何があったんだ?」
ジンジとヨウ夫妻は、レイズから見ても仲睦まじかった。つい最近初めての子供ができたとも聞いた。そんな二人が、こんな血なまぐさいことになるなんて、想像もできない。仮に夫婦喧嘩だったとしても、度が過ぎている。
レイズは嫌な予感がした。この異常な事態に心当たりがあるのだ。忘れられもしない、四年前の惨劇が頭に浮かぶ。
「レイズ」
介抱する様子を見守っていたシスが、レイズの肩を叩いた。
「うん?」
振り向くレイズを押しのけ、シスはジンジに詰め寄った。サチと記憶は繋がっているため、シスもジンジのことは知っているはずだ。
「ジンジさん、奥さんはこんな色の目をしていなかったか?」
シスはジンジに向かい、自分の目を指差した。サチの青とは違い、シスの瞳は真っ赤な色をしている。
「ああ、そんな色だ。突然目の色が赤く」
「そうか、残念だ」
ジンジの答えに、シスは言葉通り心底残念そうにうつむいた。彼女がこんなにも感情をあらわにする姿を、レイズは初めて見たかもしれない。だからこそ、確信できた。
とどめを刺すように、シスがレイズに向かって口を開く。
「【赤色病】だ。近付いてようやくといった程度だが、彼からもキューブライトの残滓を感じる」
この世に運命というものがあるのならば、それは自分を放っておいてはくれないらしい。レイズは深いため息をついた。そして大きく息を吸い込んだ。
弱音や未練を吐き出し、覚悟を吸い込む。戦いに向かう前に心を落ち着ける手順だ。
「ジンジさん、聞いてくれ。ヨウさんは恐らく赤色病だ。聞いたことはあるかい?」
「あ、赤色病って、人が人を食うって?」
ジンジは自分の右腕に目を向けた。
「いや、食うは言い過ぎだが、人が人でなくなる病気だ」
レイズは苦々しい記憶を呼び起こす。四年前の、集団発生した赤色病の討伐任務のことを。
赤色病になった者は、まず瞳が赤く染まる。その後、ゆっくりと肌も赤に近い色になり、最終的に自我を失う。この時点で異常な筋力を発揮するようになり、体を動かすたびに骨が折れ、皮膚が裂ける。
自我を失ったとは言っても、ある程度行動パターンは決まっている。まずは近しい人を襲い殺す。そして次の獲物を探すように徘徊を始める。その行為は肉体が崩壊するまで続く。
「ヨウさんはどこに?」
「わからない。家から逃げてきたんだ。それより、赤色病って、なんで?」
「すまん、わからない」
レイズはジンジに嘘をついた。赤色病の原因はキューブライトを過剰に取り込むことだ。ただしその情報は、国王直轄機関により秘匿されている。
それを知ってしまったレイズは治安維持部隊から追放されてしまった。そして、今は王都から西に遠く離れた宿場町で料理屋を営んでいる。処刑されなかっただけ良かったと思うしかない。
「ジンジさん、本当に申し訳ないんだが、ヨウさんはもう……」
「なんとか、なんとかならないのか」
赤色病になった者を救うには、肉体を破壊しきるか、首と胴を切断するしかない。そうすれば、それ以上の破壊をすることがなくなる。ただし、その命は戻らない。
つまりは、瞳と肌が赤く染まり自我を失った時点で、死を迎えたと考えられているのだ。
必死の形相ですがるジンジを、レイズは無言で押し返した。傷だらけの常連は、ただ項垂れるだけだった。
「レイズ、これ」
「お?」
シスが持ってきたのは、レイズが前職で愛用していた剣だ。
「隠してたのにな」
「バレバレって、サチが言ってる。我も同意」
「そうかよ」
シスから受け取ったレイズは、鞘から半分ほど剣を抜いた。欠かさず手入れをしていた片刃の輝きは、レイズの未練を見ているようだった。
「やるしか、ないよな」
救うために首を落とす。覚悟をする以外の選択肢は存在しない。わかってはいても、剣を鞘に収めたレイズの指先は、小さく震えていた。
「待て、剣を抜け」
「あん?」
腰にベルトを巻き鞘を引っ掛けた時、シスがレイズを呼び止めた。
「なんだよ」
「いいから、抜け」
「わかったよ」
レイズは鞘から剣を抜き出す。一般的な物より長く、彼の体格でなければ引っかかって抜くことはできないだろう。
シスはその片刃の剣に、そっと触れる。
「うおっ」
シスの指先が赤く光り、それが剣全体にも伝播する。見事な銀色だった剣は、一瞬で赤色に変わってしまった。薄く透けて見えているのにかかわらず、重さはそのままだった。
「なんだこれ?」
「先ほど言いかけていたことだ。お前様の剣を、生き物は斬らず、生き物とキューブライトの繋がりを断つ剣に変えた。生き物以外は斬れる」
「ということは……」
「赤色病になった者の命は救えないが、残った者の悲しみは多少なりとも減らせるだろう。お前様の罪悪感もな」
シスの言う通りだと思う。救えなかったとしても、首を落とされた妻を見せるよりはましだ。
「そうか、ありがたい。いつの間にこんなものを?」
「ふっ、こんなこともあろうかと、だ。お前様が人を斬りたくないのは、よくわかっているつもりだ」
シスは唇の端を吊り上げた。
「ただし、何の実験もしておらんから失敗しても恨むなよ」
「ああ、わかった」
「それと」
「注意事項、多いな」
思わず言葉を遮ってしまったが、シスの目つきは真剣そのものだった。
「間違っても、それでお前様達と我の縁は、斬ってくれるなよ」
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