追放騎士の大男、最強の娘と《赤い病》を追う
日諸 畔(ひもろ ほとり)
第1章【レイズとサチ、そしてシス】
第1話 とーさんと養女の朝
朝日が昇る。彼らの日常が始まる。
陽光を受け、向かい合って立つのは一組の男女。長く伸びた影は、二人の身長差を誇張するようだった。
「うっし、始めるか」
左目を眼帯で隠した男の名は、レイズ・レーズリー。自称二十八歳。
巨躯という言葉は、まさに彼のためにあるようだった。成人男性の平均をゆうに超える長身と、着古した肌着を盛り上げる筋肉。誰が見ても強者とわかる風格だ。
レイズはその荒々しい雰囲気に不似合いな、優しい笑みを浮かべる。
「うん、よろしくお願いします」
やや緊張した面持ちで頭を下げたのは、サチ・レーズリー。町民登録の年齢は十三歳。丸く青い瞳とやや厚めの唇が、将来は美人になると言外に告げていた。
同年代の少女よりは若干小柄で、レイズの鳩尾あたりに頭の頂点が位置する。肩甲骨のあたりまで伸びた金髪は、髪紐を使い後頭部でひとつに括ってある。
似ても似つかぬ二人には、血の繋がりがない。
ある事件で孤児となってしまったサチを、レイズが引き取り養女としたのだ。それが約四年前。遠い過去にも、つい先日のことにも思える微妙な期間だ。
サチは第二の父を見据え、右足を引き半身に構えた。
「とーさん、今日こそ一撃入れるよ」
「おう、来い」
彼女がレイズを【とーさん】と呼ぶようになったのは、引き取ってから二年ほど後のことだ。亡くなってしまった本物の父親とは別物だが、特別な呼び名だ。初めて呼ばれた時のことを、レイズは一生忘れないだろう。
「おっと」
養父としての感傷にふけっていられるのは、ほんの一瞬だった。瞬きほどの間に距離を詰めたサチの姿が、レイズの眼前に迫る。
「ふっ!」
小さな呼気と共に、サチの左拳が突き出される。小さな身体からは考えられないほどの、重く鋭い一撃だ。
「ほっ!」
並の人間なら悶絶してしまうような攻撃を、レイズは体ごと半回転して右側に避けた。続けざまに放たれた右拳には、側面から軽く触れて軌道を逸らす。
おそらく二撃目が本命だったのだろう、足の踏ん張りが違って見えた。
「鋭くていいぞ」
「………はぁっ!」
レイズの褒め言葉を遮るように、左の足刀蹴り。多少体勢が崩れていても、正確に首元を狙ってくる。日頃の鍛錬と、サチの持つ特異性が合わさってこその動きだ。
レイズは上体を軽く反らして、蹴りから逃れる。大きな体格差はこういう時に、小柄な方に不利となる。
「よっ、と」
「うわっ」
レイズは地に残った軸足を軽く蹴る。サチは軽く宙を舞い、女性らしく膨らみ始めた尻を地面に落とした。
「まだまだ!」
サチは飛び上がるように身を起こし再び養父へと襲いかかる。レイズは微笑みを浮かべ、時折アドバイスを交えつつ養女の攻撃を受け流し続けた。
レイズとサチはこの町に住み着いてからほぼ毎日、格闘技まがいの手合わせをしていた。サチに自身の護身と力の制御を覚えさせることが目的だ。
サチは四年前、人ならざる【モノ】と繋がりを持った。その結果として、その身に余る強大な筋力を得た。レイズの気持ちとしては『得てしまった』と表現した方が正しい。
大きすぎる力は、己も他者も滅ぼしかねない。恵まれすぎた体格を持つレイズは、そのことを痛いほど理解していた。
だからこそ、サチには力の使い方を徹底的に叩き込んだ。単なる技術だけではなく、力を持つ者の責任や心構えも根気強く言って聞かせた。
「今日こそはいけると思ったんだけどな」
「最初の方の蹴りは良かったぞ」
「あれはー、もうちょっと足が長ければぁー」
「そのうち伸びるさ」
首にかけた手ぬぐいで汗を拭きつつの反省会。これも二人にとっての日常だ。
単純な力比べだけであれば、サチは既にレイズより強い。培った経験と技術に頼り、猛攻をなんとか凌いでいるだけなのを、サチは知らない。
「早く素手は卒業しちゃって、剣を教えてもらいたいのになー」
「まだまだ、刃物は早いな」
「料理の時は包丁を使わすくせに」
「それとこれとは別だ」
「うわー、適当なことで」
心に大きな傷を抱えているはずなのに、朗らかに健全に育ってくれている。実の娘ではなくも、その成長は嬉しく、少しさみしい。
「一回でもとーさんに攻撃当てたら、何でもお願い聞いてもらう約束、覚えてるからね」
「ああ、わかってるよ」
日は少しずつ昇り、町の住民も動き始めている。
「ねぇ、とーさん、車だ」
「ああ、珍しいな」
サチの指差す先で、【キューブライト】と呼ばれるものを動力とした車が道路を走っている。行商人が奮発して買ったのだろうか、見慣れた馬車よりもはるかに速い速度で通り過ぎていった。
「キューブライト、広まっていくね」
「便利だからな」
ここ近年で発掘されるようになったキューブという淡く光る鉱石。その光から取り出す力、キューブライト。それは、ただ非常に便利なものとして一般に認識されていた。火をつけずに熱を発したり、逆に冷やしたり。
さらには、馬や水車に代わる動力にもなるらしい。力を取り出す方法は国王直轄の機関が独占し、一般には開示されていない。
「キューブライトは、今でも怖いって思っちゃうよ」
「そうだな」
「また、あの時みたいなことになるのかな」
「大丈夫だ、きっと」
うつむくサチの背中を叩き、レイズは笑ってみせた。今の自分たちが心配しても仕方のないことだ。
できることがあるとすれば、可能な限り関わらないことだ。
「よし、そろそろ準備始めるぞ。かまどに火を入れねぇと」
「はーい」
ここは、大陸のほぼ全域を支配する、レゴルーと呼ばれる王国。その名の通り、絶対君主である国王が治めている。
レイズとサチが暮らすのは、広大な国土の西端近く。街道沿いにあることだけが取り柄の、名もなき小さな宿場町だ。
この町でレイズは、安い料理屋を営んでいた。前職の退職金がそれなりにあるので、さほど儲けがなくてもやっていけている。ありがたい話だ。
サチは調理補助兼ウェイトレス。いわゆる看板娘という立場である。言い寄ってくる男が現れる程度には人気がある。レイズとしては心配しつつも、多少は誇らしい。
「とーさん、待って」
「あん?」
店に向かい歩き出したレイズをサチが引き留める。左耳を軽く押さえ、目を細めている。
「シスがとーさんと話したいって」
「……そうか」
この日常は今朝で終わりかもしれない。
レイズは東の空を見上げた。
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