第9話「王都の動乱」
翌朝。王都の街はざわめきに包まれていた。広場の露店から貴族の館に至るまで、話題はただ一つ――「辺境塩」である。
商人たちはこぞって噂を拾い集めていた。
「伯爵家の宴で出された塩が絶品だったそうだ」
「肉の味を変え、葡萄酒を高めたと聞くぞ」
「だが専売はオーベルン伯に握られたらしい。あの伯が黙っているはずがない」
クラリスは宿舎の窓からそのざわめきを聞いていた。ユリウスは帳面に次々と数字を書き込み、イングリットは剣帯を締め直す。
「伯との交渉は成功した。だが殿下の怒りは計り知れない」ユリウスが低く言う。
「殿下はプライドを傷つけられた。……それは権力者にとって、命より重い傷になる」
「ならば備えるだけです」クラリスは冷静に答えた。
「辺境の国を守るためには、ここで退けません」
宮廷の陰謀
昼過ぎ、ルーカスが戻ってきた。表情は険しい。
「王宮で宰相派と王太子派が激しく衝突している。殿下は『辺境塩は偽物』と叫び、伯は『国益に資する』と主張。……ついに陛下の耳にも届いた」
「陛下が動けば、私たちの未来も決まる」クラリスは息を整えた。
「だが、今のままでは伯の庇護下に縛られるだけ」
ルーカスが机に地図を広げる。
「王都には交易院の倉庫が三つある。もしそこで辺境塩が一般に売られれば、伯の専売権は形骸化する。だが、それをするには“市場の証明”が必要だ」
「市場の証明……」クラリスの瞳が光る。
「ならば、庶民に口で語ってもらいましょう。味覚は何よりも早く広がる」
市場での試み
翌朝。クラリスは人々の集まる南市へ向かった。果物や野菜、香辛料が並ぶ露店に混じり、傭兵団が運んだ小さな屋台を設ける。
袋を開き、肉片に辺境塩を振りかけ、焼き上げる。香ばしい匂いが漂い、群衆が集まってきた。
「これはただの塩ではありません。“辺境塩”です」クラリスは声を張った。
「粒が揃い、不純物が少ない。――どうぞ、味を確かめてください」
庶民が恐る恐る肉を口にし、目を見開いた。
「うまい……! 肉の臭みが消えている!」
「葡萄酒が甘く感じる!」
歓声が広がり、列ができた。
その様子を、貴族の従者が遠巻きに見ていた。噂はさらに加速する。
襲撃
だが夕刻。群衆の熱気が最高潮に達したとき、突然、暴漢が飛び込んできた。黒布で顔を覆い、刃を抜いて屋台を叩き壊す。
「辺境塩など偽物だ!」
「この女を捕らえろ!」
市は混乱に陥る。だがイングリットが即座に立ちはだかり、暴漢の腕を受け止めた。ドミトリ率いる傭兵団が群衆を守り、フェンが走って合図の笛を吹く。
灰が撒かれ、煙が広がり、視界が曇る。その中で暴漢たちは次々と倒され、逃げ去った。
クラリスは息を切らしながらも群衆に向かって叫んだ。
「見てください! 剣を抜かずとも、我らは立ち続けます! ――この塩は偽物ではない!」
群衆の中から拍手が起こり、歓声が上がる。人々は逆に結束を強めていた。
王宮からの召喚
その夜。宿舎に王宮の使者が現れた。
「クラリス・アーデルハイト殿。陛下がお召しである。明朝、謁見の間に参れ」
場に緊張が走る。ユリウスは口を結び、ルーカスは眉をひそめた。
「陛下直々の召喚……これはただの商談ではない。おそらく裁定が下される」
クラリスは静かに頷いた。
「ならば、逃げるわけにはいきません。明日こそ、辺境国家の名を刻む日です」
夜の決意
人々が眠りについたあと、クラリスは一人、塩袋を抱きしめた。
母の遺した言葉が蘇る。――「黄金の大地は、人の手で光を生む」。
婚約破棄された悪役令嬢が歩んできた道は、ここで王国そのものとぶつかろうとしている。
窓の外、王都の塔が月明かりを浴びて白く輝いていた。
「明日、私は裁かれるでしょう。だが、裁かれるのは私ではなく、この塩、この国の価値です」
クラリスは拳を握り、心に誓った。
「――辺境の国を、必ず守り抜く」
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