第7話「王都への初商隊」
湖畔の広場に、二十袋の塩が積まれていた。袋口は二重に縫い、紋章は鮮やかに染められている。輪の中に三つの点、周囲に八つの線――「契・灯・風」を示す新しい国の印。
クラリスは袋の一つを両腕で抱き上げ、皆の前に掲げた。
「これが“辺境塩・第一号”です。今日、王都に向けて商隊を出します。目的はただ一つ――この味を王都に知ってもらうこと」
人々の間にざわめきが走った。誇らしげな笑みと、同時に不安も混じる。ドミトリが剣を腰に差し、前に出た。
「護衛は我ら傭兵団が務める。塩袋二十、商人三名、御者二人。途中の賊は俺たちが叩き潰す」
ルーカスが補足する。
「だが賊よりも危険なのは“王都の眼”だ。宰相派は必ず嗅ぎつける。袋の紋章は彼らの鼻を刺激するだろう」
「構いません」クラリスはきっぱり答えた。
「彼らに恐れられるなら、それは“力を持った”証です」
出発
日の出とともに、馬車三台の商隊が動き出した。
先頭はユリウスが乗る計測車。風向と距離を記録するため、簡易な測定器が取り付けられている。二台目には塩袋十を積み、三台目には残り十袋と麦袋を少し載せた。これは隣領との取引に備えてのものだ。
村人たちが手を振り、子どもが契り袋を掲げて見送る。クラリスは胸の奥で誓った。――必ず、この塩を王都に届ける。
道中は荒れ果てていた。かつての交易路は草に覆われ、橋は半ば崩れている。だがドミトリの団員たちは慣れた手つきで修繕を手伝い、荷を押し、馬を導いた。
「剣を振るより重労働だな」
「それが国を守る剣よ」
クラリスの言葉に、男たちは笑い声を上げた。
襲撃
三日目の午後、峡谷に差しかかったときだった。岩陰から矢が飛び、先頭の馬が嘶いた。
「盗賊だ!」フェンが叫ぶ。
十数人の男たちが飛び出し、馬車を囲む。だがドミトリは剣を抜かず、声を張った。
「灰を撒け!」
傭兵団の一人が袋を破り、灰を風に投げる。矢を射た男たちが目をこすり、混乱する。フェンは旗を掲げ、風向を叫ぶ。
「南東、強!」
ユリウスが即座に計算し、クラリスが指示を出す。
「馬車を南に寄せて! 風を背に受ければ煙が広がる!」
煙と灰に包まれ、盗賊たちは怯んだ。ドミトリは剣を半ば抜きかけたが、クラリスが制した。
「抜かないで! “剣を抜かずに勝つ”のが私たちの誇り!」
その声に応え、傭兵たちは棍棒で盗賊を追い払い、誰一人殺さずに退けた。
塩袋は一つも失われなかった。
隣領での取引
峡谷を抜けた翌日、商隊は隣領の小城に入った。城主はまだ若く、倉庫の管理に追われていた。虫害で麦の半分を失い、困り果てていたのだ。
クラリスは塩袋五を差し出し、契約書を広げた。
「塩五袋で、麦二十袋。収穫後に倍を返す。欠配なら利付五。これが条件です」
若き城主は驚き、ためらった。だがルーカスが口を挟んだ。
「今、確実な契約を結ばねば冬は越せない。これはただの塩ではない、“辺境塩”だ。粒は揃い、袋は偽造できない。来年には王都で高値がつく」
結局、城主は同意した。印を押し、契約は成立した。クラリスは胸を撫で下ろす。――これで冬の備蓄に一歩近づいた。
王都の門前
一週間後、王都の高い城壁が見えた。白い石が陽を反射し、塔の尖端は雲を突き抜けるようだ。
門前には商人や旅人が列をなし、衛兵が検分を行っている。
「辺境の塩か?」衛兵が袋を突いた。
「はい」クラリスは堂々と答える。
衛兵は眉をひそめ、袋の紋を見て目を細めた。
「妙な印だな」
「契約の印です。偽物は作れません」
衛兵は小さく鼻を鳴らしたが、通行を許した。
王都の空気は、辺境と違って湿り気を帯びていた。石畳を踏む馬車の音が響き、商人たちの声が飛び交う。クラリスは袋を一つ取り出し、深く息を吸った。――ここが、本当の戦場だ。
交易院での試練
ルーカスに導かれ、商隊は王都交易院の一角に入った。石造りの大広間には秤と記録台が並び、商人や役人が忙しなく動いている。
クラリスは塩袋を台に置き、宣言した。
「これは辺境塩です。粒を三段に揃え、紋章を押してあります。偽物は作れません。――これを王都で売ります」
役人たちがざわめき、秤に塩を載せた。粒の大きさを確認し、匂いを嗅ぎ、水に溶かして味を見る。
やがて一人が驚きの声を上げた。
「……不純物が少ない。舌に刺さる辛さがない!」
「この規格は、王都でも例がないぞ」
しかし別の役人が冷笑した。
「辺境でこの品質? 信じられん。裏に誰かついているのでは?」
その声に、クラリスは一歩前に出て答えた。
「裏には誰もいません。あるのは、この大地と、人々の手だけです」
場が静まり返る。ルーカスが小さく頷き、囁いた。
「今の一言で十分だ。――王都は、辺境を侮れなくなる」
宰相派の影
その夜、宿舎に戻ったクラリスのもとに、一通の手紙が届いた。封蝋にはオーベルン伯の紋。
内容は簡潔だった。
『辺境塩は興味深い。取引したければ、私の館へ来られよ。拒めば、王都での商いは難しかろう』
クラリスは手紙を火にくべ、灰になるまで見つめた。
「来ましたね……」
ユリウスが顔を曇らせる。
「伯は危険です。あなたを利用し、国ごと飲み込むつもりでしょう」
「わかっています」
クラリスは立ち上がり、窓から王都の街並みを見下ろした。
「けれど、逃げる気はない。――私は、この大地の“契りの守り手”。ここで退けば、辺境の国は夢で終わる」
翌朝、クラリスは塩袋を一つ抱きしめ、商隊の仲間たちに告げた。
「行きましょう。オーベルン伯との対決が、この国を次の段階へ押し上げるはずです」
黄金の大地から運ばれた塩は、今や王都の権力を揺るがす武器になろうとしていた。
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