第2話「黄金の大地の呼び声」

 王都を離れて三日。道は泥濘み、空は薄灰色に曇っている。馬車の窓から見える景色は、次第に人の気配を失い、木々の間に放置された石の祠や、倒れた柵ばかりが目につくようになった。

 クラリスは膝の上に母の遺した小箱を抱え、静かに指で縁を撫でていた。


「お嬢様、そろそろ休まれては……」

 マリナが気遣わしげに声をかける。


「大丈夫よ。今は眠ってはいけない気がするの」

 そう答える声には、疲労と同じだけの昂揚が混じっていた。


 馬車の反対側では、ユリウスが古い地図を広げている。羊皮紙に描かれた線は薄れていて、ところどころ墨が滲んで判別しにくい。

「ここが塩湖の入り口にあたる集落です。住人は……記録が十年前で途切れている。逃散か、疫病か。あるいは――」


「資源を奪い合って、争ったのかもしれないわね」

 クラリスの言葉にユリウスは頷いた。


 馬車が大きく揺れた。御者が叫ぶ。

「盗賊だ!」


 次の瞬間、矢が馬車の木壁に突き刺さった。

 クラリスはすぐさま身を低くし、マリナを抱き込む。外から粗野な笑い声が響く。


「金持ちの箱入り令嬢が辺境に? いい土産だ!」


 御者が剣を抜いたが、多勢に無勢。馬車を囲んだのは十人以上の盗賊。粗末な鎧、しかし目は血走っている。


「マリナ、荷の中に“灯りの宝石”があるわ。手に取りなさい」

「で、でも……」

「大丈夫。私が合図したら、床に投げて」


 クラリスはユリウスに目配せをする。彼は黙って腰の袋から粉末を取り出した。銀色の微粒子が、彼の掌で淡く光る。


 馬車の扉が蹴り破られた瞬間――

「今!」

 マリナが宝石を床に叩きつけた。まばゆい閃光。盗賊たちの目が潰され、叫び声が広がる。


 ユリウスが粉を空気に散らす。閃光に反応して粒子が青く輝き、視界は一瞬で白銀の霧に覆われた。

「退け!」

 御者が鞭を振るい、馬車は霧を突き破って疾走する。


 しばらくして、追手の声が遠のいた。

 クラリスは深呼吸を一つして、落ち着いた声音で言った。

「やはり、この辺境は放棄されて久しいのね。治安も秩序も崩れている」


「だからこそ、あなたが必要なんです」

 ユリウスの声は熱を帯びていた。

「ここは“空白”だ。法律も、権威も、誰も持っていない。ただの無法の土地。だからこそ、新しい秩序を植え付けられる」


 クラリスは窓の外を見つめる。遠くに、淡く輝く水面が見えた。

 それは湖――しかし青ではなく、夕陽を浴びて黄金に染まっていた。


「……これが、母の言っていた黄金の大地」

 クラリスは思わず呟いた。胸の奥で何かがはじける。

 断罪も、追放も、婚約破棄も、この瞬間のために用意された舞台に過ぎないのかもしれない。


「ユリウス。ここで、国家を作りましょう」

 その言葉は、夢でも冗談でもなかった。

 彼女の中で確かに響く、決意の鐘の音だった。

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