第十一話:ギルドへの報告と疑惑の目

 オーガキングという、このダンジョンにおける最大級の『粗大ゴミ』を掃除し終えた後、俺の身体は、ただひたすらに重かった。全神経をすり減らした激闘の反動だろろう。

 俺はその場に座り込み、しばらくの間、荒い呼吸を繰り返すことしかできなかった。


「……お疲れ様。最高の戦闘だったよ、ジュン」


 俺の隣にそっと降り立ったベルの声は、心からの称賛に満ちていた。その言葉が、張り詰めていた意識の糸を、ぷつりと断ち切った。


「ああ……」


 俺は何も答えず、ただ、笑った。

 元社畜の、記念すべき、初勝利の瞬間だった。

 怒涛のレベルアップ通知が脳内に響き渡り、オーガキングから吸収した莫大なエネルギーが、俺の身体を内側から作り変えていくのが分かる。傷は癒え、消耗した体力と魔力も急速に回復していく。これが、レベル10に到達した者の力か。


「さて、と。長居は無用だね。このダンジョンの主がいなくなったことで、ここの生態系も大きく変わるだろうし。何より……」


 ベルは、俺のポケットあたりをちらりと見た。


「せっかく手に入れたお宝、換金しないと意味ないでしょ?君、無職なんだから」

「……違いない」


 俺は、ふらつく身体に力を込めて立ち上がった。

 俺たちがこの数日間で収集した魔石や素材は、スキル内の亜空間ストレージに、それこそ山のように貯め込まれている。これらを金に換えなければ、俺の新しい人生は始まらない。

 俺たちは、品川ダンジョンを後にすることにした。



  ダンジョンの入り口から一歩外へ出た瞬間、生暖かい夜の空気が、俺の全身を包んだ。最後にこの空気を吸ったのは、いつのことだったか。もはや、遠い昔の出来事のようだ。

 深夜だというのに、街は煌々と輝いていた。ビルの窓明かり、街灯、車のヘッドライト。それらが織りなす光の洪水が、ダンジョンの暗闇に慣れた目には、少しだけ痛かった。


「うわー、相変わらずだね、人間の世界は。無駄にピカピカしてて、落ち着かないよ」


 俺の隣で、ベルが退屈そうに呟いた。彼女の姿は、もちろん他の人間には見えていない。

 俺は自分の姿を見下ろした。会社に行くために着ていたスーツは、オーガキングとの戦いで、もはやただの布切れと化していた。泥と、モンスターの体液と、そして俺自身の血で汚れ、ところどころがビリビリに破れている。革靴も、見る影もない。

 今の俺の姿は、都会の真ん中に不時着した、遭難者そのものだった。


「とりあえず、ギルドに行くか」

「その格好で?職務質問されるのがオチじゃない?」

「他に選択肢がないだろう」


 俺たちは、深夜の街を、探索者ギルドへと向かって歩き始めた。道行く人々が、俺の姿を見て、ぎょっとしたように道を空ける。好奇の視線、憐れみの視線、そして、わずかな恐怖の視線。それらが、無数の針のように、俺の肌に突き刺さった。

 少し前までの自分だったら、羞恥心でその場にうずくまっていたかもしれない。

 だが、今の俺の心は、不思議なほどに凪いでいた。

 他人が俺をどう見ようが、どう評価しようが、どうでもいい。


 俺の価値は、俺自身が決める。


 レベルと、ステータスと、そして、この手にあるスキル。

 それだけが、今の俺にとっての、絶対的な真実だった。


 やがて、見慣れたガラス張りの建物が見えてきた。


『探索者ギルド 東京支部』


 数日前、俺が絶望の果てに駆け込んだ場所。今となっては、ここが俺の新しい職場だ。

 自動ドアをくぐると、深夜にもかかわらず、多くの探索者たちでごった返していた。酒の匂い、汗の匂い、そして、微かな血の匂い。それらが混じり合った、独特の熱気が俺の全身を叩いた。

 俺の場違いな姿に、ギルド内の視線が一斉に集中するのが分かった。ざわめきが、波のように広がっていく。


「おい、なんだあいつ……」

「ダンジョンで野宿でもしてたのか?浮浪者みたいだぞ」

「新人が、無謀なことでもしたんだろう。よく生きて帰ってこれたな」


 聞こえてくるのは、嘲笑と侮蔑の声。

 だが、俺は、そんな雑音には一切構わず、まっすぐに受付カウンターへと向かった。


「いいねえ、その目つき。すっかり、こっち側の世界の住人になったじゃないか」


 ベルが、楽しそうに喉を鳴らした。



  受付カウンターには、数人の職員が並んでいた。俺は、その中の一人、見覚えのある女性職員の前へと歩み出た。

 俺が、初めてこのギルドを訪れた日に、対応してくれた職員だ。『ゴミ箱』スキルを告知された時の、あの、憐れむような視線を、俺は忘れていない。


「ご用件は、なんでしょうか?」


 彼女は、俺の姿を上から下まで値踏みするように一瞥すると、あからさまに顔をしかめ、事務的な声で言った。どうやら、俺のことは、全く覚えていないらしい。まあ、無理もないか。あの時の俺と、今の俺とでは、見た目も、雰囲気も、まるで別人だろう。


「換金を頼む。それと、討伐報告を」


 俺は、無感情に告げた。

 そして、亜空間ストレージから取り出した、ずしりと重い麻袋をカウンターの上に、ドン、と置いた。

 硬質な魔石同士がぶつかり合う、ガシャリ、という音が、周囲のざわめきを、一瞬だけ静かにさせた。


「……魔石、ですか。では、中身を確認させていただきます」


 女性職員は、まだ訝しげな表情を崩さないまま、麻袋の口を開いた。


 次の瞬間。


 彼女の動きが停止した。

 まるで時間が止まったかのように。


「…………え?」


 彼女の口から、間抜けな声が漏れた。

 その目は、信じられないものを見た、というように、大きく見開かれている。

 麻袋の中には、俺たちがダンジョンで狩り集めた、色とりどりの魔石が、それこそ溢れんばかりに詰め込まれていた。ゴブリンの濁った緑色の石、オークの力強い赤色の石、リザードマンの燃えるような橙色の石。それらが、カウンターの照明を反射して、きらきらと輝いている。


「あはは、見てよあの顔。金魚みたいに口パクパクさせてる」


 ベルが、俺の耳元で楽しそうに囁いた。

 職員のただならぬ様子に、周囲の探索者たちも、何事かとこちらに視線を向けている。


「こ、これは……。失礼ですが、お客様……。ライセンスの、ご提示を……」


 女性職員の声は、明らかに上ずっていた。

 プロフェッショナルであろうとする意識と、目の前の現実に対する混乱が、その声色の中でせめぎ合っている。

 俺は、何も言わずに、懐からライセンスカードを取り出し、彼女の前に置いた。

 そこに刻まれた、最低ランクを示す『F』の文字。

 それを見た瞬間、彼女の顔から、血の気が、すうっと引いていくのが分かった。


「Fランク……? そんな……馬鹿な……」


 彼女は、ライセンスカードと、魔石の山を、何度も何度も見比べ、やがてカウンターの奥にある通信機を手に取った。


「……チーフ、お願いします。カウンターまで至急……。ええ、はい……。ありえない量の魔石です。持ち主は……Fランクの新人です」


 その言葉は、静まり返っていたギルドのホールに、思った以上に大きく響き渡った。

 次の瞬間、周囲の探索者たちの間に、どよめきが走った。


「Fランクだと!?」

「冗談だろ!あれだけの量を、新人が一人で稼げるわけがない!」

「盗品か?それとも、どこかのパーティが全滅した現場から、ハイエナしてきたのか……」


 疑惑と、嫉妬と、そして、わずかな畏怖が入り混じった視線が、俺の全身に突き刺さる。

 面倒なことになったな、と俺は内心で舌打ちした。会社組織というものは、どこまでいっても、こういうものらしい。前例のない出来事に対しては、まず疑いから入る。


 やがて、カウンターの奥から、いかにも管理職といった風情の、恰幅のいい中年男性が、険しい顔つきで現れた。


「君が、これを持ってきたのかね?」


 チーフと呼ばれた男は、俺の顔と、魔石の山を、値踏みするように見比べながら、低い声で言った。


「ああ」

「……よろしい。まずは、鑑定させてもらう。不正があった場合は、それ相応の処分を受けてもらうことになるが、構わんかね?」

「好きにしろ」


 俺の素っ気ない態度に、チーフは、わずかに眉を動かした。

 鑑定作業が、始まった。複数の職員が、特殊な鑑定機器を使って、魔石の品質や、ダンジョン内でのドロップ記録との照合を行っていく。

 その間、俺は、壁に背を預け、腕を組んで、ただ、黙ってその様子を眺めていた。周囲の探索者たちの、ひそひそ話が耳に入ってくる。


「おい、見たかよ、あいつのライセンス。山本……ジュン、だったか?聞いたことない名前だ」

「それで、あの量は、絶対にありえない。何か裏があるはずだ」


 そんな雑音を聞きながら、俺は、ぼんやりと考えていた。


 山本ジュン。


 その名前を、俺は、もう何年も自分のものとして感じられていなかった。会社では、ただ『山本』という記号で呼ばれ、歯車の一つとして消費されるだけだった。

 だが、今はどうだ。

 良くも悪くも、俺という『個』が、ここにいる人間たちの興味の対象となっている。


「チーフ!鑑定、終わりました!」


 一人の職員が、慌てた様子で、チーフに報告書を突き出した。


「……どうだった」

「は、はい!魔石は、全て本物です!ドロップ記録とも、完全に一致。不正の痕跡は、一切、見当たりません!」

「……馬鹿な。ありえん」


 チーフは、報告書をひったくるように受け取ると、その紙面に、食い入るように視線を落とした。そして、次の瞬間、その顔が、驚愕に凍りついた。


「……討伐報告も、同時に提出されているな。内容はどうなっている」

「そ、それが……」


 報告に来た職員は、ごくりと喉を鳴らし、信じられない、というように、言葉を続けた。


「スライム、ゴブリン、オーク……浅階層のモンスターは、言うに及ばず……。リザードマン、武装オーク、ゴブリンアーチャー……中層のモンスターも、多数……。そして……」


 職員は、そこで一度言葉を切り、震える声で、最後の名前を告げた。


「……品川ダンジョン、最下層の主。オーガキング……討伐数、1……となっています」


 その言葉が、ホールに響き渡った瞬間。

 水を打ったように静まり返った。

 全ての探索者が、全ての職員が、まるで時間が止まったかのように、動きを止めて、俺のことを見ていた。


 オーガキング。


 その名前を知らない探索者は、ここにはいない。Bランクのベテランパーティが、何度も挑み、そして、返り討ちにされてきた、品川ダンジョンの絶対的な主。


 たった一人で。

 数日前に登録したばかり、Fランクの新人が?


「……ふ、ふざけるのも、大概にしろっ!」


 沈黙を破ったのは、チーフの怒声だった。


「システムのエラーか、何かの間違いだ!こんな報告が通るわけがないだろう!今すぐ、再調査しろ!」

「は、はいっ!」


 職員たちが、慌ただしく動き出す。

 だが、俺は、そんな彼らの混乱を、冷めた目で見ているだけだった。

 これも想定の範囲内だ。

 常識外れの出来事を、常識の物差しで測ろうとすれば、こうなるのは当たり前だった。


「ねえ、ジュン。面白くなってきたじゃない。君、すっかり有名人だね」

「……面倒なだけだ」


 それから、十分ほどが過ぎただろうか。

 ギルドのシステムを、何度、再調査しても、結果は、同じだった。

 俺の報告には、一点の曇りも、不正やエラーも存在しない。

 全ての記録は、ギルドが管理する絶対的なシステムによって正しく認証されていた。


 チーフは、真っ青な顔で、俺の前に、再びやってきた。その顔には、もはや、先ほどの高圧的な態度はかけらも残っていなかった。


「……山本ジュン……君は、いったい何者なんだ……?」


 その声には、戸惑いがあった。

 俺は、その問いには答えず、ただ、短く言った。


「換金とランクアップの手続きを、早く済ませてくれ。こっちは急いでるんでな」


 俺の言葉に、チーフは、はっと我に返ったように、何度も頷いた。

 そして、最初に俺の対応をした、あの女性職員に向かって、叫んだ。


「おい!早く、手続きを進めろ!山本様のランクアップ手続きだ!」


 その言葉に、女性職員は、びくりと肩を震わせ、慌てて新しいライセンスカードの発行準備を始めた。


 俺は、その様子を、ただ、静かに眺めていた。


 数日前、俺に憐れみの視線を向けていた彼女が、今、俺を、理解不能な怪物――恐怖の対象として見ている。


 力とは、こういうことか。


 他者の評価を、感情を、そして、世界の常識さえも、いとも簡単に塗り替えてしまう。


 俺は、これまで決して手に入れることのできなかった、絶対的な力を、今、この手にしているのだ。


 やがて、全ての手続きが終わった。

 俺の目の前に、分厚い現金の束と、一枚の真新しいライセンスカードが置かれた。


「……ご確認ください」


 チーフが、緊張した面持ちで言う。

 俺は、そのライセンスカードを、手に取った。

 そこに刻まれていたのは、もはや、あの忌々しい『F』の文字ではなかった。


『ランク:D』


 Fから、Eを飛び越えて、一気にDランク。

 新人としては、前代未聞の二階級特進。

 俺は、そのカードを、無言でポケットにしまい込むと、現金の束を麻袋に無造作に突っ込んだ。


「……じゃあな」


 俺は、誰に言うでもなく、そう呟くと、まだ呆然と立ち尽くしているギルドの職員たちと、遠巻きに俺を見ている探索者たちに背を向け、ギルドを後にした。

 俺の背後で、誰かが、ごくりと喉を鳴らす音が、やけに大きく聞こえた。


 外に出ると、深夜の冷たい風が、火照った身体に、心地よかった。


「どうだった? 久しぶりの人間社会は」


 ベルが、楽しそうに、俺の顔を覗き込んできた。


「……相変わらず、ゴミ溜めだったよ」


 俺は、そう吐き捨てると、歩き出した。

 行き先は、決まっていない。

 だが、やるべきことは、決まっている。

 このくだらない常識に縛られた世界で、俺は、俺だけのルールで、生きていく。


 俺の背後では、ギルドから漏れる光の中で、探索者たちが、まだ、俺の噂話をしているのが、見えた気がした。


『単独でオーガキングを討伐した、謎の新人』

『ゴミのような格好で、山のような魔石を持ち込んだ、Fランク』


 これから、俺は、彼らに、何と呼ばれることになるのだろうか。

 まあ、何と呼ばれようと、どうでもいいことだった。


 俺の仕事は、ただ一つ。


 この世界に蔓延る、ありとあらゆる『ゴミ』を掃除すること。

 ただ、それだけなのだから。

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