第9話 王都手前の影

 王都へ続く街道は、かつてならば行商人や巡礼で賑わっていた道だった。けれど今は、車輪の跡すら見えない。風が砂を運び、石畳の隙間に草が伸び放題に生えている。


 「王都がこんなに静かなんて……」

 ユナの声は低く、不安を含んでいた。


 「黒紡会が道を封じたんだろうな」

 俺は糸を走らせ、遠くの地形を探る。だがすぐに指先にざらつきが伝わった。どこかに“縫い目潰し”が仕込まれている。


 「気をつけろ。先で待ち伏せだ」


 ◇


 半刻ほど歩いたところで、それは現れた。

 崩れた橋の上に、三つの影。黒い外套、灰色の縁取り。見覚えのある徽が胸に光る。《黒紡会》の狩人だ。


 「またお前らか……」

 針を構える俺に、真ん中の狩人が笑った。以前峠で逃げた男だ。

 「よくも仲間を倒してくれたな。だが今日は違う。俺たちには《器》がある」


 狩人の背後から、鎖に繋がれた人影が引き出された。顔を布で覆われ、両腕は糸で吊られている。体は震えていたが、呼吸はまだある。

 「まさか……人間を?」

 シアラが蒼白になる。

 「そうだ。《器》に縫い込めば、術は倍になる」

 狩人が鎖を引くと、人影の背に刻まれた符が淡く光った。


 「やめろ!」

 ユナが叫び、風の壁を作ろうとする。だがすぐに狩人が指を鳴らし、空間が裏返る。風は逆流し、俺たちの足元に叩きつけられた。


 ◇


 「リオ!」

 しらたまの鳴き声に支えられ、俺は立ち上がる。針を走らせ、地形の目地をつなぐ。

 「《偏重糸》!」

 地面の傾きを操作し、狩人の立ち位置を崩す。だが彼らは即座に影へ飛び退いた。


 「無駄だ。お前の糸は全部、器を通してこっちに流れる」

 鎖に繋がれた人影の符が強く輝き、俺の糸が吸い込まれる。まるで黒い井戸に針ごと飲み込まれる感覚。


 「なら……吸い込ませてやる」

 俺は全域補助を広げ、あえて大量の糸を“器”へ流し込んだ。

 狩人が勝ち誇る笑みを浮かべた瞬間――器の背に縫い込まれた符が破裂する。


 「なっ……!」

 「お前らは知らないだろう。雑用係は、縫い目の“裏側”まで確認するんだよ!」


 符の縫い目は粗かった。吸い込ませすぎれば、耐え切れず崩れる。それが“段取り”の穴。

 爆ぜた符から光が溢れ、人影を縛っていた糸が解けていく。


 「今だ、ユナ!」

 「《裂風》!」

 ユナの風杭が狩人の外套を裂き、シアラの声が式文を響かせる。「《封縫》!」


 三人の狩人は糸に絡まれ、橋の上で倒れ込んだ。


 ◇


 鎖から解放された人影の布を外すと、まだ若い青年の顔が現れた。蒼白で気を失っていたが、呼吸は安定している。

 「黒紡会に……攫われたんだな」

 俺は彼の腕に補助糸を通し、循環を整える。命は繋がった。


 「リオ……やっぱりお前は雑用じゃない」

 レオンが呟くように言った。その顔に、昔にはなかった尊敬の色がわずかに浮かんでいた。


 橋の向こうに、王都の城壁が霞んで見える。黒い塔の影が、その上に覆いかぶさるように聳えていた。


 「次は……本丸だな」

 針を握る手に、力を込めた。


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