第6話 黒い塔からの呼び声
翌朝の村は、奇妙な静けさに包まれていた。昨日の《返縫》で切り落とした“手首”の余波がまだ残っているのだろう。空気が少し澱んで、音の届き方が鈍い。鳥の声も遠くにしか聞こえない。
「村が呼吸をしてないみたいだな」
井戸の縁に腰をかけ、俺はそうつぶやいた。指先に絡ませた糸は、普段なら小川の流れのように穏やかだが、今日はざわつきが強い。
「返した衝撃は、向こうだけじゃなく、こっちにも残ってる」
ユナが風を読んで言う。「だから、今日は静かなんだと思う」
広場の真ん中では、子どもたちが板に文字を書いている。昨日始めた“学校”の続きだ。ルオが「しらたま」と大きく書き、白い獣が得意げに尻尾を振ると、子どもたちの笑い声が響いた。村の重さが少し和らぐ。
◇
昼過ぎ、シアラが羊皮紙を抱えて駆けてきた。
「鳥便から返答が来た!」
広げられた紙には、王都の印章が押されている。しかし内容は短く、冷たい。
《報告感謝。黒紡会の件は確認中。村の守りは各自に任せる》
「……それだけ?」
ユナの声は怒りを含んでいた。
「王都は本気で動く気がない」シアラは肩を落とした。「神殿の中も、もう黒紡会に食われてるのかもしれない」
俺は紙を丸め、糸で結び、火にくべた。白い煙が昇り、すぐに風に散る。
「なら、俺たちで段取りを作るしかない」
◇
その夜、俺は夢を見た。
黒い塔の頂に、巨大な織り機がそびえている。人の姿をした糸が無数に縫い込まれ、うめき声を上げていた。塔の奥から低い声が響く。
《雑用の糸。お前は戻れ。墓標に眠るはずの針を返せ》
声に呼応するように、俺の針が熱を帯びた。しらたまが枕元で低く唸り、針の光を抑え込む。
「俺は……もう戻らない」
夢の中でそう答えると、塔の影が裂け、無数の黒い糸が俺に伸びてきた。
――目が覚めたとき、指先に細い切り傷が走っていた。
◇
翌朝。ユナとシアラに夢のことを話すと、二人は顔を見合わせた。
「呼ばれてる」ユナが言う。
「黒紡会は、あなたを“織り機”の核にしたいんだ」シアラが続ける。「だから夢に糸を送り込んだ。普通は受け取れないけど……あなたは《神鋳》だから」
俺は針を見つめた。柄の文字がうっすらと赤く光っている。
「呼ばれたなら、逆に近づける」
「行くつもり?」ユナの声に驚きが混じる。
「いずれ村ごと刈られるなら、先に段取りを仕掛けるしかない」
沈黙。やがてユナが息を吐いた。「なら、私も行く」
「わたしも」シアラが羊皮紙を抱き締める。「神殿の裏切りを、記録として残す」
しらたまが尻尾で俺の手首を軽く叩いた。まるで「俺もだ」と言うように。
◇
夕暮れ。村の広場に人が集まる。村長が前に立ち、深く頭を下げた。
「リオ。お前が来てから、この村は変わった。鍬も、畑も、子どもたちも。だから……必ず戻ってこい」
「戻るさ。雑用は、途中で投げ出さない」
村人たちの声が重なり、夜風に乗って広場を包む。その“重さ”を背に受けながら、俺は針を握りしめた。
黒い塔へ。
追放された雑用係が、今度は自分の段取りで物語を縫うために。
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