第3話 狩人の罠、補助の陣
門前に立つ三人の《狩人》は、影のように痩せていた。灰の外套は風に鳴り、胸元に縫い付けられた縁飾りは黒曜石めいて鈍く光る。近づくほど、彼らの足音は薄くなり、村の土に吸い込まれるようだった。普通の賞金稼ぎではない。痕跡を消す術を心得ている。
ユナが一歩進み、短杖で地面を軽く叩く。乾いた音が響いた。「この村は通行は拒まないが、脅しは許さない。名を」
「名は捨てた」
左の狩人がフードを外す。頬に細い切り傷、目は乾いた砂色だ。「俺たちは《縫目潰し(シーム・ブレイカー)》――縫う者を狩る」
視線が、俺の指先の針に絡む。
逃げる選択肢は、最初に潰した。ここで退けば、村は狙われ続ける。俺は深く息を吸い、意識を糸に乗せる。
「ユナ、合図を出したら風を。村の人は家の中へ」
「了解」
ユナの声は短く、強かった。村長が腕を振り、子どもたちが抱き上げられていく。鍛冶場の火は消され、代わりに井戸のそばの鉦が鳴った。村全体が一つの身体になって、呼吸を整える気配。
俺は針を構え、見えない布に初手を打った。《補助》は土台から積むのが基本だ。まずは足場――《基盤糸(ベースライン)》を村門前の広場いっぱいに水平に走らせる。目に見えないが、地表に薄い格子が生まれ、踏めばわずかな反発が返る。つぎに《導風糸(ガイドフロー)》を幹線に通し、風の道筋を設定。ユナの《風見》と同期すれば、衝撃も煙も一方向に流せる。
狩人の真ん中が、指を弾いた。乾いた「カッ」という音の直後、俺の頬を虫の羽音ほどの鋭利な何かがかすめた。空間の縁が切られ、切断面の光がチカチカと瞬く。ナイフではない。《空間断ち》の術式だ。
「やっぱり、縫う側か」
俺は《補助》の手を早める。格子の交点に《緩衝糸(バッファ)》を落とし、切断の衝撃を吸収する膜を張る。見えない刃がそこへ触れるたび、淡い水紋が広がって消えた。
「連れていく」
左の狩人が一歩。足首までの歩幅で、距離を詰める。右手の掌がこちらに向くたび、空気がへこむ。圧が寄る。俺は《偏重糸(モーメント)》を滑り込ませ、寄った圧を横に逃がす。見えない拳風が干し草の山を崩し、藁屑が舞った。
ユナが足元を蹴るように杖を振る。「いまだ!」
俺は合図と同時に《導風糸》の流路を切り替え、広場の右から左へ強い気流を作る。ユナの風術がそこへ乗り、狩人の外套を大きくはためかせた。フードがめくれ、砂色の目が一瞬だけ眩しげに細められる。視界の乱れ。そこへ――。
「《張式・斜交網(ダイアゴナル・ネット)》」
俺は斜めに走る糸を三重に交差させ、狩人の膝から腰へかけての動線を束ねる。網は捕らえず、誘導する。わずかな段差を膨らませ、重心をずらし、転ばせるのではなく「踏み替えざるを得ない場所」を作る。
狩人は転ばなかった。だが、膝が半歩遅れる。その遅れを、ユナの風が叩く。短杖の先から、圧縮した空気の杭が打ち出され、狩人の胸を穿つ直前――空間がくるりと裏返り、杭は別の方角へ跳ねた。裏返したのは真ん中の狩人。掌で空を裏表に撚り、進路をずらす。
俺は舌打ちを飲み込み、糸の層を一段深くする。《副経糸(サブ・ワープ)》を地下に通し、地盤の微振動を拾って狩人の踏み替えの癖を読む。左は踵から、真ん中は母趾球から、右はつま先を残す――よし。
「ユナ、右に跳ぶ癖」
「了解」
ユナが地を滑るように回り込み、右の狩人の逃げ道を風の壁で塞ぐ。俺はその壁の縁を《吸い糸》で曖昧にし、壁と見せかけた穴にする。狩人が半身を預けた瞬間、足場が抜けたような錯覚に陥り、膝が落ちる。そこへユナの杖が肩口を叩き、外套の中の金具が鈍い音を立てた。
「一人、止めた」
ユナが息を吐く。右の狩人は肩を抑え、動きが鈍る。それでも致命傷は避けた。村で血を流すのは最終手段だ。
残る二人は、距離を取った。真ん中の狩人の唇が薄く歪む。「《補助》で戦うのか。珍しい」
「雑用は、段取りで勝つんだ」
挑発ではない。ただの事実。だがその事実が、彼らの眉間にわずかな皺を刻んだ。彼らはきっと、圧倒で物事を終わらせる術に慣れている。段取りに負ける経験は少ない。
真ん中が指を鳴らすと、空の色が一段階暗くなった。雲ではない。《光量調整》。広場の光が奪われ、影が濃くなる。濃い影は、切断の刃となる。地面に落ちた囲炉裏の鉄輪が、音もなく二つに割れた。
「ユナ、影の濃度を下げる」
「できる」
ユナが歌うように風を呼び、広場全体に微細な乱流を生み出す。影の輪郭が揺れ、刃の連続性が崩れた。俺はそこへ《縫止め糸(タック)》を落とし、揺らぎを固定する。刃は刃でなくなり、ただの暗がりに変わる。
「鬱陶しい」
左の狩人が低く吐いた。
俺は、あえて一歩前に出た。狩人たちの視線が俺を中心に寄る。その瞬間、広場の格子のいくつかを切り離し、彼らの足元から《起倒》の力を立ち上げる。外から押すのではない。足の中から、立ち上がる力を少しだけ狂わせる。人は自分の体内の段取りの破綻に弱い。
左の狩人の膝が折れ、真ん中が腕を振るった。空間が二度、めくれた。俺の胸が冷たくなる。二重の《裏返し》。慣性が反転し、俺の踏み込みが逆方向へ引かれ――
「《復位糸(リセット)》」
予め自分の腰骨と踵に結んでおいた復位の糸を引き、内側の基準点を引き戻す。空間がどれだけ撚れても、身体の「中」の段取りは守れる。俺は滑るように体勢を戻し、針の腹で真ん中の手首を打った。打つといっても、実際に触れてはいない。手首と空気の間の「間」を薄く整え、腱の動きを一瞬止めたのだ。真ん中の指が止まる。指が鳴らない。術が遅れる。
ユナの風杭が、今度は正しく胸板にめり込んだ。真ん中が大きく息を吐き、膝をつく。
左の狩人だけが残る。彼は目を細め、俺とユナを見比べ、それから笑った。「退く」
その笑みには余裕があった。退くというより、目的を果たした者の顔だ。
「目的は俺を連れ去ることじゃないのか」
「いや。お前の《糸》の匂いを嗅ぎ、印を付けることだ」
左の狩人は外套の内側から、黒い薄紙を取り出した。紙には目に見えないはずの印が浮かび、次の瞬間には消えた。だが俺の「手」には、その消えたはずの印の感触が残る。糸に反応する符――。
「追跡符か」
「これで《上》が動く。俺たちの仕事はここまで」
逃がすわけにはいかない。俺は《張式》をもう一段階上げ、広場の格子全体を《収縮》させた。網の目が一気に密になり、左の狩人の足首を絡め取る。彼は躊躇なく外套を切り落とし、素早く後退した。網は外套を締め上げ、布は粒子になって砕け、消えた。外套にも同じ《空間断ち》の織りが入っていたのだ。
「上、とは?」
問いは届かない。彼は自分の胸元を軽く叩き、そこに縫い込まれた小さな徽(しるし)を見せた。黒曜石の縁飾りの中心、八弁の花に似た形。しかし花弁は矢じりで、中心は針孔。
ユナが小さく息を呑む。「《黒紡会(こくぼうかい)》……」
「知ってるのか」
「糸と針の古いギルド。王都の登録から外れ、神前の誓約も捨てた。縫う者を“資源”扱いする連中」
左の狩人は肩を竦め、踵を返した。足元の影が一瞬だけ深くなり、その中に身体が沈む。逃走用の簡易門だ。俺は《縫止め》を投げたが、門縁の織りは俺の糸を弾いた。逃げられた。
残った二人は気絶していた。縄をかける間、広場の上空を、薄く震える気配が往復した。見えない鳥が、糸の上を試し歩きするように。符の印を辿る「上の目」かもしれない。
「一旦、屋内へ。補助の網は残すけど、表の目印は全部消す」
「わかった」
村人たちが散り、ユナが門の周りに結界を張る。俺は広場の格子のうち、目につきやすい節を解き、代わりに地中へ《潜在糸》を潜らせる。見えないが、踏めば反応する安全網。
村長が深く頭を下げた。「助かった」
「まだ途中です」
俺は気絶した狩人の一人の袖口をめくった。刺繍糸で細かく縫い込まれた符が、汗でほつれ、文字の一部が読み取れる。《転写》《儀》《器》――嫌な語だ。人を器にする術。ユナが歯を噛みしめる。
「《黒紡会》は縫う者を拾っては“織り機”にする。大規模儀式の礎(いしずえ)だよ。王都では噂だけど、境界地帯では実話だ」
「俺を狙った理由が、それか」
「それだけじゃない」
ユナは窓の外、遠い黒い塔の方角を見た。「昨日、あなたが村の広さ全域を一瞬で“触った”。あれは神域の術に近い。神殿に記録されている《補助》の最大範囲は町ひとつ分が限界――でも、あなたは山一つと言った。なら、あなたの糸は《神鋳(かみい)》。神前で鋳られた道具か、神代の技法を継ぐ者」
俺は針を見た。柄の古い祈り文字。墓標の上で拾った時、理由のわからない鳥肌が立ったのを覚えている。
「神、ね」
遠くで、糸がわずかに鳴った。薄紙の印がどこかで燃やされ、煙が空間の目地へ吸い込まれていくイメージが走る。時間はない。
「準備する」
俺は決めた声で言った。「村を“畳む”」
ユナが目を丸くする。「畳む?」
「生活はそのままに、構造を畳む。道、畑、家、井戸、鍛冶場――全部を《縮地縫い》で最短連結し、外からは“迷う”村にする。目的地だけが遠ざかる構造だ。追う者は歩くほど元の場所に戻る」
ユナの目が輝いた。「いける?」
「いける。段取りは重いが、村が協力してくれれば一晩で仮構築くらいは」
「協力するとも!」
村長が即座に言い、若者たちが頷いた。年寄りも、子どもも、藁縄を運び、杭を打つ。俺は中心点を広場の井戸に置き、四方へ基準糸を伸ばした。
夕焼けが藁屋根を赤く染める。俺は《畳縫い》の基本手順を呼吸と同期させ、一つ一つの交点に「暮らしの重さ」を結び付ける。重さは数ではなく、人の手の跡、鍋底の煤、子どもの笑い声。そういうものを媒にすると、縫いは強くなる。ユナが風の層を重ね、香と音を導く。香りは人の道標だ。
日が落ちるころ、村は一枚の見えない織物になっていた。外から見れば普通の地形。だが一歩入れば、足はやわらかく方向を誤り、追跡符の「線」は曲げられる。
完成の合図を出そうとしたとき、空が低く鳴った。地平の向こう、黒い塔の上に、線のような雷が走る。雷は音を立てず、ただ世界の目地を焼く光だけを残した。
「来る」
ユナが囁いた。俺の糸が、塔の方角から伸びる別の巨大な糸に触れ、きしむ。こちらへ向かう、太い縫いの気配。人の手ではない。ギルドの「上」――そのさらに上。
「神官級?」
ユナが自分の胸元の護符を確かめる。俺は針を握る。
「段取りを上げる」
俺は井戸の縁に針を立て、静かに宣言した。「《全域補助(オールレンジ)》――村規模、展開」
風が、一瞬止まった。次の瞬間、村中の戸が微かに鳴り、鍛冶場の鎚が震え、畑の麦の穂が揃って首を垂れた。糸は家々の梁を渡り、道を跨ぎ、井戸の深みへ降り、鉱の火の層を撫で、山肌の苔の呼吸と結び合う。村が、ひとつの身体になる。
俺の声は、もう囁く必要がなかった。糸が村に“声”を配ったからだ。「――みんな、静かにしていて。来客だ」
夜の始まりと同時に、門の外に“それ”は現れた。人の形に似ているが、関節の角度が逆で、歩幅が一定だ。外套は白、胸の徽は黒。八弁の花の周りに、光の糸がゆっくり回っている。
ユナが息を飲む。「《使徒機(アポスル)》……機械の神官」
俺は針を握り直し、村の織物の端を軽く引いた。井戸水の温度が上がり、鍛冶場の火が自ずと強くなり、家々の屋根が一枚の盾の角度に変わる。段取りは整った。
「いらっしゃい」
俺は門前へ歩み出た。使徒機の視線――いや、センサーが俺に向く。胸の徽が微かに回転を速め、俺の糸の周波数に合わせて侵入を試みる。甘い。ここはもう、雑用係の職場じゃない。俺の現場だ。
「この村は、俺の作業場だ」
針先が、夜気に小さく光った。
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