第41話【六芒星】


 実際は一時間ほど時間は経っていたのだが、

 溌春は朝方、目を覚ました。


 目を覚まし、自分は夢を見ていたのだと自覚を持つ。




「そうか……【六芒星ろくぼうせい】だ……」




 腕の中で眠っていた蛍が目を覚ましたようだった。

「……晴明さま……?」

「すみません、蛍殿。起こしてしまって。まだ夜は明けない。眠ってください」

 溌春は優しくそう言ったが、自身は布団から起き出したので、蛍もゆっくりと身を起こした。

「どうかなさったのですか?」

「少し思いついてしまって……本当にどうかお気になさらず。瑞貴殿に伝えなければ」

 手早く、上衣を羽織って溌春は急いだ様子で出て行った。

 蛍は目を瞬かせてから、くすくすと笑ってしまう。

 稲荷山いなりやまでは見せたことのない溌春の忙しない様子が新鮮だった。


 あの山での暮らしはゆったりとした時間が流れている。


 薬師としての仕事はしていたけれど、ほとんどのことを自給自足で出来たから、畑なども料理なども自分たちでしていれば、なんやかんやとやることはある。

 それでも雨が降れば屋敷に戻って止むまで待ち、

 夕暮れが綺麗だったら縁側でそれを眺め、

 夜中に目が覚めて星が瞬いていれば、ぼんやりと見上げながら時を過ごす。


 溌春は決してそういう暮らしを持て余してはいない。

 蛍もあの暮らしは好きだった。


「でも……御所で過ごす溌春様も楽しそうです」


 いつも瑞貴といて、兄弟のようだと思う。

 溌春は同年代の知り合いや友人がそれほどいない。

 都を去ってからは、九条大雅くじょうたいがという人が時々訪ねて来たり、文を送ってくるだけだ。

 陰陽道のことを対等に話せる相手などというと、更に限られるのだろう。


 多分安倍機才あべきさいを失ってから、ああいう風に気兼ねなく陰陽道のことを話せる相手に会ったのは、溌春は初めてなのだ。



◇    ◇    ◇


 温明殿うんめいでんを出て、隣接する綾綺殿りょうきでんにある瑞貴の部屋に行こうとすると、まだ夜も明けてない暗がりの回廊にその姿があった。


「瑞貴殿」


 瑞貴も溌春にすぐに気づいたらしく、回廊の休息場に座って池の方を見ていた瑞貴がやって来る。

 足早に来るなり、




「「【六芒星】だ」」




 手で三角を作り、彼は言った。

 今まさに溌春もそう言おうとして手で同じ三角を作ったまま、瑞貴を驚いて見る。

 瑞貴は溌春の手を見て、彼も少し驚いたようだった。

 しかし、すぐに青い瞳が輝く。


「お前もそう思ったか」


「はい。瑞貴殿もですか?」


 瑞貴は頷く。


「寝てたんだが、どうも音羽おとわが何故すでに【三界呪さんかいじゅ】内にいるのに更に結界を作ろうとしているのかが気になって、ずっと考えながら眠りについたら、急に閃いた」


「私も今しがたです。

 音羽が作ろうとしているのは【三界呪】ではない。

六芒星ろくぼうせい】を象る【六界結呪ろっかいけつじゅ】です。

 恐らく音羽は元ある【三界呪】を利用して【六界結呪】を作る気なのです。

 あれは理論上では【五柱】を使った護国結界も凌ぐ」


「しかしあれは【冥王法めいおうほう】だぞ」


 物の怪など、位の高い闇の眷属が使う術だ。

 魔力で彼らに必ず器として劣る人間には使えない術なのだ。


 確かに六芒星が頭に浮かび、まさかとは思っていたが、迷いなくそう言って来た溌春に驚く。


「瑞貴殿は閃きとおっしゃいましたが……私は閃きではありません。

 機才きさい殿が記された【妖魔伝ようまでん】で読んだことがあったのです。

 人の身で【冥王法】を使った例があると」


「なに?」

「蛍殿の【妖魔伝】はお持ちですか」

「部屋にある」

 すぐに二人で瑞貴の部屋に向かった。

 棚にしまっていた箱を出し、その中にある【妖魔伝】写本を取り出す。


 溌春は卓の上で紙を捲った。

 そこに描かれている、蛍の描いた妖怪たちの姿に思わず手が止まった。

 異形の者たちもいるというのに、本当に機才から教えられた詳細を忠実に描き出している。

 美しい辞典のような書だ。

 溌春が見た原本には、蛍の挿絵が無い。


「美しい絵だな。

 闇の者たちだというのに、蛍姫は本当に恐怖より興味や好奇心で彼らを捉え、

 特徴を掴んで上手に描いておられる。

 驚くばかりだ」


「……はい。私が見た原本には蛍殿の絵が付いていなかった。思わず手が止まります」


「お前も後で見せてもらうといい」

「はい」


 記憶を頼りに更に書を捲って行くと、ある所で溌春が手を止めた。

 それを瑞貴に見せる。


 そこには【冥姫めいき】という名と、美しい人間の女が描かれていた。

 腹に子がいる証である腹帯ふくたいをしているが、美しい打掛うちかけを羽織っている。


「【冥姫めいき】……」


「【冥姫】は稀な物の怪です。というのも、彼らが存在出来るのは、腹に子供がいる時だけ。出産後はただの人に戻る。つまり腹の子の霊力をも取り込み、通常の人間が持つものより多くの霊力を保有した状態になっている時にしか存在出来ない。

 女の陰陽師は非常に珍しい故、【冥姫】になる者自体が少ない。

 しかし音羽おとわは陰陽師の血脈、【冥姫めいき】の資質を知っていてもおかしくはない」


「【妖魔伝ようまでん】に書かれているということは、機才殿も対峙したことがある物の怪か」


「ここには、無自覚に【冥姫】となったため、祓うに至ったと書いてあります。

冥王法めいおうほう】に触れ、人とは異質な術を使って来ると」


 瑞貴が腕を深く組む。

「通常の陰陽道の封印呪ふういんじゅも効かない可能性があるということか」


「非常に不安定な存在であるため、実際に対峙してみなければ分からない物の怪であるとここには記されております」


「子が宿った時に、【冥王法】に触れるようになるのか」


「かと思いますが、それも女性の身のこと故、我々には知り様もありません。

 子を宿した瞬間に、母はそれが分かることなのか、子の霊力を己の中に感じるということが、どういう感覚なのかも謎です」


「確かにそうだな。我ら男には知り様もない。

 だが音羽には確信があるのだろう。俺が奴の術を捉えきれなかったのも、すでに【冥王法】に触れているからだ。あれは人の世の術とは明らかに異なる。

 しかし未熟な術ならば綻びが現われるはずだ。


九尾きゅうびの狐】が出現した時のことを覚えているか?

 あの魔力。


 目の前に現われなければ、あれほどの魔力でも我らには捉えきれない。

 自然の精霊を使役し、世に溶け込む術は、【冥王法】を操る闇の眷属たちは神の領域に達している」


 溌春は眉を寄せた。

 瑞貴も押し黙ったが、しかし彼は腕を解いた。


「だが……二人分の魔力を保有しているとはいえ、奴らも器は生身の人間だ。

 奴らが【冥王法】に触れられたとして、それはこの場合においては邪法になる」


「確かに……そうです」


「【九尾】が音羽のことを問題視しなかったのはその為だろう。

冥姫めいき】は子が宿った一時のものであって、闇の眷属ではない。

冥王法めいおうほう】を邪法に落とせば、無幻京むげんきょうの闇のことわりを揺るがす。

 大きな術を完成させればいずれは因果を食らうことになる」


「だから下らないことに時間を使うなと言ったのか……」


 瑞貴は首を振った。


「物の怪の見方はそうでも、人の世にも理がある。

 奴はすでに二人を殺し、私の兄弟子たちも殺している。

 物の怪が因果を食わせるまでと、放っておくことは出来ない。

 それに……」


 溌春は瑞貴を見る。

 名高い貴公子は強い横顔を見せていた。


「それに奴を【冥姫めいき】にし、邪法に手を染めさせた理由は、

 人の世の中にあるはずだ。

 それを世に知らしめてただしておかなければ、第二の音羽おとわがいずれ御所に現われる。

 元々蓼原たではら家も、神楽岡かぐらおか家も、安倍家が無幻京むげんきょうにおいて陰陽師の名門として栄え、他流の生きる隙間もないほどになったという背景に関わっている。

 盛者必衰じょうしゃひっすいの理にもあるように……安倍家は無幻京において強くなり過ぎた」


 驚いた溌春の表情を見返して、瑞貴は小さく笑む。


「なんだ。安倍家の私がそんなことを言うと変か」


「いえ……」


「機才殿は安倍家の子供達だけに養育を施したわけではなかった。

 桔梗院ききょういんでは優れた才があれば、他流の者も学ぶことが出来たのだろう」


「はい」


「……あの方は気づいていたのかもしれない。守りの力は、御所や安倍家が独占するだけでは駄目なのだ。闇の兆しは無幻京の至る所から現われる。人がそこにいる限り、闇もまた生み出される。広く、無幻京全体のことを考え動ける人間が必要なんだ。

 それに血のしがらみは必要ない」


 機才殿が生きていたら、きっとこの青年に喜んで教えを施しただろうと、溌春はそう思った。


「【冥姫】【冥王法】……双子の女……双子か……」


 考え込んでいた瑞貴が呟く。


「溌春。【妖魔伝ようまでん】の原本が御所にもしあるとしたら――お前ならば【水脈すいみゃくの術】で探索出来るか?」


「原本を……ですか?」


「そうだ。私は機才殿の遺品ならば、厳重に扱われたはず。

 しかし御所には持ち込まれた形跡もない。

 恐らく宇治の家から御所に遺品が運び込まれる過程で持ち去られたのだ」


音羽おとわが関わっていると?」


「【冥姫】の例があるように、何らかの知識をそこから得ようとしたのかもしれん。

 お前は幼い頃に【妖魔伝】を手に取ったことがある。

 探し当てることが出来るかもしれない。機才殿が自ら書いた書であるし」



「探し当てることが出来たとして……どうなさるおつもりです?」



「音羽が【妖魔伝】を盗んだのなら、盗品を通してこちらの呪詛をかけられる可能性がある。

 奴の方が俺の霊力を凌いでも、先手を打って仕掛けられるのなら手はあるはずだ」



◇    ◇    ◇


 鳥の声が聞こえて、蛍は目を覚ました。

 まだ完全な朝ではないようだが、今日は管弦の宴がある。

 御所での管弦の宴などは、蛍は少女時代以来見たことがない。

 それを今日は、溌春と一緒に見られるという。

 あまりに楽しみで、目が覚めてしまった。


 ふと、側にいた溌春がおらず、蛍は寝所から出てみる。

 広い館の別の部屋に歩いて行き、彼女は立ちどまった。


 火鉢が側に置かれた客間で、一体何を話していたのか、溌春と瑞貴が卓に伏せて眠っていたのだ。

 思わず彼女は笑ってしまった。

 起きて話せばいいのに。


 蛍の笑う声に、二人の男は目を覚ました。


「溌春様、瑞貴様もそんな所でうたた寝をなさって。

 寝る間も惜しいほど楽しいお話をなさっていたのですか?」


「いや……違うのです蛍殿……少しだけ瑞貴殿と話があったのは事実ですが、もうすぐ朝になりますし、今更戻って蛍殿を起こすのも申し訳なく……」


「私はこやつがこんな所で待っていたら必ずうたた寝をするから部屋に一度帰れと言ったのですが、寝たりしないなどと強情を張るので」


「稲荷山の庵は寒いのでこんなところでとてもじゃないけど寝れませんよ。

 ですが御所はどこへ行っても部屋が暖かい」


「暖かいと言いながらくしゃみをするな。大事な日だぞ」


「今のはくしゃみではありません。ただ鼻がなんとなくむずむずしただけです」


 起きるなり言い合いを始めた二人を目を瞬かせて、交互に見遣った蛍は、もう一度笑ってしまった。


 本当に、兄弟みたいな二人だなと思ったのである。



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