第13話【五柱に守られて】


 九条くじょうを出ると、瑞貴はそのまま御所へ戻った。

 謁見はすぐに許され、黎明帝れいめいていは側近しか入らせない奥の院で瑞貴と会った。


「そうか……。では【五柱ごちゅう】はそなたから見て、揺るぎなかったのだな」

「はい。護国結界が破られた痕跡は見れませんでした」


 黎明帝は頷く。

「それが分かっただけでも、少し安堵した。報告は受けていたが、やはりそなたの【天眼てんがん】は常人とは違う領域を見通すからな」

「恐れ入ります」

「しかしこれで外界からの侵入は無いと見ていい。敵は内にいるということだ」


 黎明帝は茶に手を伸ばした。

「これからどうする」


「明日にでも、三人の安倍晴明が殺された現場を見て、敵の痕跡を探します。何かあれば、それを使って潜む敵を探知することが出来るやもしれません。もし痕跡が無ければ、敵を誘き出す呪詛を何か所かに仕掛けてみようかと」


「そうか。全てをそなたに任せる。思うようにやるが良い。人手がいるなら、御所の陰陽部隊を使っても良い。両師団長には報せを送っておく」


「ありがとうございます」


 帝は小さく息をつき、軽く額のあたりを揉むような仕草を見せた。


常葉ときわ様のご様子はいかがでしょう」


 少し声を和らげ、瑞貴が尋ねる。

 子を宿した黎明帝の妃の一人だ。

 四人いる妃のうちで最も黎明帝が寵愛する女性だったが、長らく子が出来ず、ようやくの懐妊となった。


 産み月は数か月後の春だと言われている。


 黎明帝は気遣い、強力な結界に守られた奥の院に常葉女御ときわにょうごを移し、そこで心安らかに過ごさせているが、聡明な女性なので無幻京むげんきょうの不穏は耳に入っているだろう。


「私の前では気丈に振る舞っているが、都の様子は心配している。【安倍晴明あべのせいめい】が殺されていることは伏せていたのだが、誰かが耳に入れたようでな」


「そうですか……、本来我が安倍家は主上おかみの苦難を和らげることが使命。お詫びいたします。御所にいる兄弟子達にも、くれぐれも御所の守りを強化するよう申しますので」


「いや。良いのだ。【安倍晴明】には無幻京が不穏な時に矢面に立ってもらって来た。そなたたちの大事は間違いなく国の大事なのだ。私が気に掛けるなど当然のことだ」


 瑞貴は深く、黎明帝に頭を下げた。


「古の時代より、物の怪たちは、人の世界と自分たちの世界の境界を、人語ではなく楽の音で聞き分けたと言われています。この状況で宴席などと思われること、無理もありませんが御所には物の怪封じの霊器もございます。どうか自粛なさらず、魑魅魍魎が好む月の美しい夜には、簡単な管弦の宴など催して下さい。

 護国結界ごこくけっかいは外敵の侵入を遮断しても、元より無幻京むげんきょうの大地に宿る大妖たちにとって、守護の大樹たいじゅとなるのはこの無幻御所むげんごしょ。我々が古来より用いられてきた霊言れいごんを知る様に、優れた楽師も古の時代の守りの言葉を知っています。それは人の世の宝物に代々受け継がれてきたもの。奏でるだけで意味があります」


 沈んだ様子だった黎明帝は、少しだけ表情を和らげた。

 彼が父親の重用した【安倍晴明】をそのまま側に置かず、年若い瑞貴を自分で見い出し側に置くのは、瑞貴には安倍家の人間には珍しい、こうした情感豊かな感性が備わっているからだった。


 数多の物の怪をこれまで幾つも調伏ちょうぶくしながら、瑞貴には他の陰陽師が持っているような冷徹な雰囲気が無い。若い才気に、道を示すことのできる慧眼。瑞貴が御所に初めて参殿した時から、自分の側に仕えるように命じたのはそれが理由だ。


 今、日夜御所にいる陰陽師や他の【安倍晴明】とも話をしているが、恐れず管弦の宴を催すべきだと進言して来たのは瑞貴だけだった。女御たちの住まう花の院も、最近は静かで空気が沈んでいることに、帝は初めて気づいた。


「そうか。常葉ときわは優れた楽師でもある。昔はよく奏でてくれたのだが【桐壺きりつぼ】に移ってからはいつしか他の女御たちに気を使い吹かなくなった」

「そうでしたか。では主上うえからどうぞ心配は無いとお話しくださいますよう」

 黎明帝は朗らかに笑った。


「そうだったな。今は奥の院にいる故、気安かろう。気張らない管弦の宴など、催してみる。そなたの言葉が常葉に笛の音を所望するいい口実になるであろう。笛と言えばそなたも名手だ。宴席でぜひ聞かせて欲しい」


 瑞貴は懐にいつも入れてある、美しい家伝の笛を取り出し、黎明帝の前に掲げて見せた。


「御所望とあらば、いつでも」


 若き【安倍晴明】の返事に、帝は明るい表情で頷いた。


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