第3話【鴨川のせせらぎ】



 御所を発ち、一度東の方に馬を走らせると鴨川かもがわに出た。

 向こうに東山ひがしやまの峰がすっきりと見える。

 少しずつ花の色を各地で見るようにはなったが、山から吹き下ろす風は、川べりではまだ冬の気配がした。


 瑞貴みずきは白い息を一つ零すと、そのまま鴨川沿いを南へと下って行く。


 今朝死体が見つかった五条ごじょうの辺りを通りがかったが、すでに場は清められていて野次馬などは集まっていなかった。


「瑞貴」


 兄弟子の死体が見つかった場所に馬を止め、騎乗したまましばし眼を閉じていると、不意に声を掛けられた。


九条大雅くじょうたいがではないか。珍しいな。お前が工房から出て来るとは」


「今朝うちに来た商人から話を聞いてな。お前が来るかもしれんと思ってそこの茶屋で待っていた。出掛けるところか?」

「うん。少しな」

「急ぐのか」

 瑞貴は小さく笑った。

「急ぐといえば急ぐな。しかしどれだけ俺が急いでも間に合うか間に合わぬかは分からん」

「やはり物の怪のたぐいか……」


 人の世のことわりでは、物の怪の世の理は動いていない。


 人には決められないことなのだ。

 そういう意味では物の怪の出現は、天災の方に似ている。


「お前は相変わらず、ただの人間の割に鼻が利くな。大雅たいが、俺のところにいる見習いより余程お前は陰陽師として見どころがあるぞ。弟子入りするか?」

 九条大雅は苦笑した。 


「天下の【安倍晴明あべのせいめい】にそう言ってもらえるのは光栄だがな。悪いが、遠慮する。

 お前らみたいに夜の都を徘徊する不良になりたくない。俺は夜はぐっすり寝たいんだ」


「失礼な奴だな。守護職の公務だぞ。お前らが夜安心してぐっすり寝れるのは誰のおかげだと思ってる。場末のチンピラみたいに言うな」


 瑞貴は友の肩を馬の鞭で軽く突いた。

「いや……二番目の犠牲者の死体を見たから。少し心配になって出て来た」

「そうか。桓水かきみず殿の遺体は九条のあたりで発見されたと報告書で読んだ」

羅城門らじょうもんの近くだ。まるで猛獣に食い荒らされたようだった。酷いもんだ」

「その傷だが……、獲物は何か判別出来たか?」

「真っ当な剣じゃないことは確かだな」


 武器工房を営んでいる九条大雅は頷いた。


「しかし手入れされてない鈍らも力で叩けば、ああいう野蛮な切り口になる。今朝の死体はお前も改めたのか」

「ああ。遺体は全部見たが。他の二人はよく分からなかったが今朝の遺体は紛れもなく物の怪にやられたものだったよ。猛獣のような大妖だな」


「どんなものを想像している?」


 瑞貴みずきは首の後ろ辺りを手で軽く撫でた。


無幻京むげんきょうをこよなく愛する【五大妖ごたいよう】のどれかかもしれん。しかし物の怪の世というものは存外奥が深い。若輩の俺など想像を超えた奴がまだまだ潜んでいるのかもしれんし……」 


 何かを考えて押し黙った瑞貴だが、すぐに側の友を見た。

 安心させるように笑う。


「心配するな。主上おかみに報告も済ませ、朝廷の紅白両陰陽部隊が増員され、無幻京の巡回を強化している。黎明帝れいめいていは我々の任務を常に支援してくださるし、陰陽おんみょうに理解の深い御方だ。安倍家の私兵団である【瑠璃るりころも】も探索に入ってる。お前たちの暮らしは脅かされないよ」


【安倍晴明】が三人も殺されるのは前代未聞だ。

 彼らに調伏出来ない魔物はいないと言われている。その彼らが無幻京にいて守護職についていることで、都の民は安堵して暮らすことが出来るのだ。


「一族の使命はよく理解している。これ以上安倍晴明を殺させるわけにはいかん」

「瑞貴……」


 あくまでも一人で引き受けようとする友を、大雅たいがは心配した。


 若くして才能を発揮し、異能揃いの安倍家の中でも神童と呼ばれてきた男である。

 瑞貴みずきは生まれながらに【天眼てんがん】を開眼し、幼いころから怪異を見極める高い能力があった。

 よって、十七歳という若さで歴代最年少の安倍晴明になったことも道理であるわけだが、大雅は瑞貴の純朴な性格もよく把握していた。

 使命感が強く矜持も高いため危険なことがあるとまず自分が、と引き受けるが助けを求めることが極力苦手な男なのだ。


「まだ分からないことが多いならば、人手があった方がいいだろう」

「みんなそう言うがそうとは限らん。まずは自分の目で見定めることが重要だ」


「瑞貴。お前がこの無幻京で最も才能を持つ陰陽師であることは揺るぎない。だからこそお前はもっと自分を大事にしろ。今度のことは……言葉に出来んが、どうも嫌な予感がする。今までとは違う何かだ」


 瑞貴は川の方を見ている友に視線を向けた。

 瑞貴の【天眼てんがん】は見えざるものを見る目である。

 常人には見えない物の怪もそうだが、人の持つ特別な霊性れいせいを見抜くこともある。


 九条大雅くじょうたいがは三百年続く刀工房の職人であり、少年時代に弟子入りしてひたすら刀を打って来た男だったが、実は陰陽師おんみょうじとしての適性があった。


 それは見えざるものを感じ取る力だったり、強い刀を作るために時も忘れて槌を打ち込んでいる時に、陰陽師が霊力れいりょくと呼ぶ力を身にまとって発露していることがあることで分かる。

 無論それは術として使えるほど修行も研磨もされてないものだが、凡人には無い力を保有していることを、本人もまともに自覚していなかったが瑞貴は見抜いていた。

 無幻京で長く続いてきた名門の中には職に関わりなく、非凡な才を持って生まれる者がいる。


 九条大雅は今回、何かを感じ取っているのだろう。

 それは瑞貴も感じるものだ。

 何かはまだ分からない。しかし、確かに今までとは違う何かだ。


「……例えばどうしろと言うんだ?」


 試しに聞いてみると、大雅が苦笑する。


「知り合いに良い薬師がいる。薬草を摘むために、無幻京各地の地理や風土を熟知しているし、万が一お前が怪我した時は助けてくれるだろう」


「【安倍晴明あべのせいめい】の薬術は帝のお墨付きであることを知らんのか?」


「知ってるが……いいだろ! 才能ある者は何人いても困らんはずだ! たまには年上の言うことを聞けよ」

「年上といって俺と二歳しか違わんくせにそんなに威張る奴おらんぞ」

 大雅は懐から何かを差し出してきた。


「訪ねてみろ。奴の住む屋敷の地図だ」


 文を受け取る。そこに挟まっていた。

「これは……こうがいじゃないか。お前、いつの間にこんな洒落たものを作るようになったんだ?」

「なんで俺が作ったものだと分かるんだ」

「作る者には作り手の念が籠るんだよ」


 銀色に輝く笄には、水に咲く蓮の花が彫られていた。


 九条大雅くじょうたいがは刀しか打たないし、刀身は見事なものを作り上げるが、刀の仕上げの飾りはいつも武骨な仕上がりになって、それが理由でいい刀なのに宮廷人に人気が無かった。


 飾りの仕上げは他所で頼めと前から助言している。それなのにこの男は自分の刀を例え飾り一つでも他人に任せるなど嫌だと頑固なのだ。


 花の彫刻などを彫ってるところは一度も見たことが無かった。


「お前も隅に置けんな。どこの娘の為に作ったんだ?」

「穿って物を見るな。俺の意中の女じゃない。友の為に依頼されて作ったんだよ。見本の図をもらったから、俺は彫っただけだ」


 もう一度手の中の笄を見る。

 彫っただけだと言ったが、繊細で見事な彫刻だ。


「お前刀を打ち固める以外のことも出来たんだな」

「うるさい早く行け」

 からかうように言った瑞貴を、大雅は五月蠅そうに追い払った。



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