第21話「動く路(みち)、待つ面、換わる舟」
朝、旧塔の温と光がゆっくり解け、晒(さらし)の柱の白が運河の肌色を拾った。北の浅瀬からは風がポトと低く鳴る音を運び、港の舟底はまだ眠たげに水を撫でている。胸の輪は一度、深く鳴り、余白の声が落ちた。
――第十五。動く路(みち)を描け。舟と足と車を、同じ紋で渡せ。
同じ紋。足裏、舟底、車輪――形は違うのに、面の上で一緒に動ける記号。俺は写し板の余白に新しい列を立てた。路(みち)――渡(わた)/曲(まが)/待(ま)/換(か)。
渡は渡し方、曲は曲げ方、待は待ち合わせの面、換は舟と足と車の乗り換えの仕組みだ。
商会の大広間で皆に示す。ハルドは簿冊に路費を足し、短く言う。
「**幅(はば)と口(くち)**を合わせる。舟幅、車輪幅、足の列幅――**同じ“口”にすれば、揉めない」
司祭は白壁を見上げ、「待祈(まちいの)を作る」と微笑んだ。
「待(ま)を“祈り”にする。『丸に息、矢を三、甘を添え』」
レグルスは棒の先で砂に図を引く。「路の秤がいる。早さではなく揃い。拍で測る“拍秤(はくばかり)”だ」
エイベルは粉袋を弾いて頷く。「滑(なめ)粉と固(かた)粉を配る。舟底は“滑”、車輪は“固”、足は“砂縫い”。面の肌を使い分ける」
ダリオは影の耳を数え、「**嘘標(うそしるべ)**が来る」とだけ言った。
フィリスは柄を肩に乗せ、歯を見せる。「**曲杭(まがりぐい)**を打とう。折らずに向きだけ替える杭」
王家の監査官は頷く。「まず**路市(みちいち)**だ。待の面、渡の台、換の壇、曲の垣――選ばせて晒に載せる。押しつけるな」
◆路市(みちいち)、“待”の面から
商会前、市場、港、聖署、監査台――五箇所に待面(まちおも)を敷いた。
丸/矢・矢・矢――丸の中に矢を三つだけ刺す。三拍待ちの紋だ。
面の端には甘の小さな刺繍。待ちは燃料と一緒がいい。
子どもらは面の上で跳ね、司祭が短い待祈を置く。
「丸に息、矢を三、甘を添え」
息を一つ、拍を三つ、甘を一口。待が儀式になると、怒りの角は早く丸くなる。
拍秤の台では、レグルスが“三拍の約”を示した。
「来た順に“拍札(はくふだ)”を一枚。丸の端で三拍**。矢は三つまで。矢四つ目は緩の面へ」
“早さ”ではない。“揃い”を秤にかける。
晒の柱の“路”の列に「待:丸矢三/拍:揃」の黒が灯り、人の肩がすっと落ちた。
◆渡しの台、“浮枕(うきまくら)”と“滑台(なめだい)”
港の渡し台には、浮枕(うきまくら)と滑台(なめだい)を据えた。
浮枕は油紙で包んだ水袋。舟底と浅瀬の間に滑り込ませ、竜骨の重さを水で受ける。
滑台は丸太を渦に組んだ回(まわ)し床。車輪は固粉で、足は砂縫いで、舟は滑粉で、それぞれ同じ面に違う肌を持つ。
「同じ面で三つ動く」
俺は写し板に「渡:浮枕・滑台/面:同」と記し、晒に渡した。
曲杭は幔幕で覚えた曲げの道具だ。杭の首に小さな回金(まわしがね)を付け、柄で軽く叩けば向きが半拍だけ変わる。折らない。曲げる。舟も車も列も、角ではなく膝を折る。
◆換の壇、“換写(かんしゃ)”と“二筆(ふで)”
換は揉めやすい。荷を移し、乗り物を替え、人の列を入れ替える。
俺たちは換写(かんしゃ)を作った。二枚の写し板を格子の上に置き、同じ数字を二筆で同時に書く。十声法と十光法で声と灯を二重に刻む。
片方は王都の晒、片方は帝国の黒板へ。数字が揃わない限り、荷は動かない。
「早いより、揃い」
晒の柱に「換:二筆・換写/揃:必」の黒が灯る。偽は揃いに弱い。
◆嘘標(うそしるべ)と曲杭、幔幕の影
路市二日目、嘘標が現れた。黒い板に白い矢が描かれ、待面を素通りさせるように立てられていた。
走らない。曲杭を一本、嘘標の前に打つ。杭の首を半拍だけ曲げると、列の膝が自然に折れて待面へ流れる。
エイベルは標の白に粉を吹き、偽を灰に変える。
晒の柱に「隠:嘘標・一/返:曲杭」と載せると、人の顔から力が抜けた。
午後には水面に釘縄。浅瀬に張られた細い縄に釘が立ち、舟の腹を裂く仕掛けだ。
フィリスが柄で浮枕の角度を変え、竜骨の重さを水へ逃がす。釘は刺さらない。
ダリオが影の耳を数え、縄の根を見つける。レグルスが曲杭で向きを替え、縄は自分の釘に自分で絡んだ。
晒に「隠:釘縄・一/消:自絡」。折らずに、ほどく。
◆待の秤、拍で測る
拍秤は歌になる。合図唱の節に合わせ、待面では三拍で一組、矢は三つまで、矢四つは緩へ退く。
「タ・コ、ア・ア・ア(十・零・一・一・一)」
十と零で面の位を示し、一を三つで“三拍”。
子どもらが先に覚え、大人が真似る。待は遊びに強い。
待の秤を嫌ったのか、古印の残り火が“拍盗(はくぬす)み”を仕掛けた。拍札を前の列から引っこ抜く。
司祭が待祈に一語足す。
「丸に息、矢を三、名を添え」
名が拍に縫われると、盗みは重い。名は重石だ。
晒に「隠:拍盗・二/返:名添」。居合わせが勝つ。
◆浮舟(うきふね)、竜骨の歌
北の浅瀬で、大荷の平底舟が腹をついた。上には王都と帝国の結の荷――露布と芥。人々の肩が強張り、怒りの角が少し見える。
走らない。
待面を舟べりに敷き、甘の屋台を丸の端へ寄せる。拍秤で三拍、合図唱が薄く回る。
エイベルと若い神官が浮枕を両舷に差し込み、温笛のウで空気の入れ具合を揃える。路の秤と火の秤が合奏した。
レグルスが曲杭で滑台の向きを半拍だけ替え、ダリオが影の長さで押し手を立てる。
「一、二、三――“拍”で押す」
舟はポトと低く鳴り、腹が紙一枚分だけ浮く。
その瞬間、対岸で嘘標が跳ねた。“換は不要”の白い字。列がそちらへ寄りかける。
フィリスが嘘標の前に曲杭を一本。半拍だけ向きを替え、“待”へ返す。
「拍で返す、拍で渡す」
舟は渦の面へ滑り、換写の二筆が揃い、荷は面の上で半歩ずつ移った。露布と芥は、怒りより軽い。
晒の柱に「渡:浮枕・滑台・拍押/待:丸矢三・甘/換:二筆・揃」と黒が立ち、赤は一つも灯らない。角が消える音がした。
◆換の喧嘩、折らずにほどく
市場の換壇で小さな揉め事が起きた。王都の車輪と帝国のそり板、どちらが先か。
走らない。
待面で三拍。合図唱で位を示し、換写で二筆。
「“先”じゃない。“揃い”だ」
司祭は待祈で名を添え、ハルドは路費の帳に「揃い優先」の短い句を記した。
制度に入った“揃い”は、旗よりよく立つ。
両者は甘を半分こにし、矢三つで笑った。角が腹の中でほどけるのが分かる。
◆帝国の標、黒板の会釈
境路から黒板。「幅、口、揃。待、笑。」
続けて、「“拍秤”、良。返:舟幅尺・輪幅尺」。
幅の標を交換する申し出だ。
俺は「結:幅尺↔換写板/緩・常」と返す。道具が結ばれると、人が楽になる。
カシアが最後に一語。「うかつ、路に効」
胸の輪が小さく鳴った。うかつ――先に灯すの別名だ。
◆夜の静砂(せいさ)、光と待の二重
夜、静砂煙が流れた。風の音を殺す薄い砂の霧。灯は生きている。声は鈍る。
灯路を立て、待面に薄灯を点し、拍秤を光で打つ。
「点・点・点――三拍」
十光法が路で歌い、待が光に変わる。
嘘標は光に弱い。白の上に灯を置けば、重ねが足りないのがばれる。布の秤が夜を助けた。
◆“換”の歌、二筆の子守
換写の二枚板は、夜には子守歌になった。片方を王都の子が、片方を帝国の子が持って、同じ数字を同じ拍で書く。
「タ・コ、ア・ウ(十・零・一・三)」
笑い声が面に落ち、荷が角を失う。換は遊びで軽くなる。
晒の柱に「換:二筆・子守」と黒。ハルドが帳に甘をもう少し足し、司祭は待祈を一拍短くした。短いほうが、長く効く。
◆第十五の試練、通過
翌朝。晒の柱の“路”の列は、渡:浮枕・滑台/曲:曲杭・幕/待:丸矢三・拍秤・甘/換:二筆・換写・揃で黒に満ち、赤は「教材」の棚へ積まれた。
胸の輪が、深く、柔らかく鳴る。
――動く路が描かれた。
――舟と足と車が、同じ面で渡った。
――第十五の試練、通過。
輪の鼓動は、港のポトと市場の拍に重なって、街ののんびりを少しだけ速く、でも角なく回した。
フィリスが俺の肘に自分の肘を“緩”で絡める。
「“待休”、出そ。甘は二つ」
「丸矢三の上で食べよう」
甘は薄い。薄いほうが路に合う。噛むたびに拍が揃い、肩の力が抜ける。待は、進むの一部だ。
◆次の余白、名と影
甘の袋を結び直したとき、黒板が短い文を吐いた。
「北、名で裂。仮(か)名(めい)、要」
帝国の北で、名が派を裂いている。名は重石であり、旗にもなる。俺たちは名で居合わせを学んだが、名は人を固くもする。
胸の輪が、低く、澄んで鳴った。
――第十六。名を軽くせよ。名を晒し、影を渡せ。
名は在る。影は余白。ときに仮名――借りる名が橋になる。
俺は写し板の余白に細い列を立てた。名(な)――晒(さら)/仮(か)/縫(ぬ)/解(と)。
晒は名の置き場、仮は借りる名、縫は名と名をたとえで縫う、解はほどく句。
フィリスが拍札を指で鳴らし、片目をつぶる。
「仮名なら、私“甘狐(あまぎつね)”がいい」
「似合う。甘を咥えて走るやつ」
「走らない。“待”で踊る」
笑いが待面に落ち、矢が三つ、軽く揺れた。名の次の稽古は、きっと遊びから始まる。
王都の屋根で温と光が頷き合い、北の空から薄い影がやわらかい音で近づいてきた。
(第21話 了)
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