第10話「灯の柱、見える祭」
王都三日目の朝、写し板の上で新しい列が静かに点った。晒の列――昨夜、屋上で描いた“見える柱”の設置予定地だ。港の倉庫前、職人街の広場、聖署の回廊、そして王都商会前の石畳。点は四。胸の輪は、その四つを一本の糸で結びたくてうずうずしている。
戸を叩く音。ハルドが入ってきた。黒衣の上に薄い外套、声はいつもより低い。
「王家からの通達だ。見える審判を制度化するため、三日後に“市門祭”を前倒しで行う。王都中の『晒の柱』を同時に立て、帳の公開を一斉にやる。……つまり、舞台を大きくする」
「三日後?」
「敵も味方も、その日に照準を合わせ始める。県伯は動くだろう。代官は酒で震えを止めているかもしれないが、震えながらも噛みつく。港のスパーラは噛みつく前に舌を隠す。……こちらは路を先に引こう」
俺は頷き、写し板に路の図を重ねた。四つの晒の柱を、水路/風路/光路/声路で繋ぐ。港の水、職人街の風切り道、聖署の白壁の反射、商会前の鐘楼。四路を合わせれば、目と耳と息が同じものを見て、数えて、呼吸できる。
「足りないのは“声”だな」
フィリスが椅子の背にひじを掛ける。
「鐘は遠くへ届くけど、合図ばかりじゃ言葉は伝わらない。声路をどうするの」
「運河に沿って、呼び管を置く。紙漉きの薄紙を巻いた竹筒だ。風に乗せれば、短い文を各柱へ回せる」
「面白い。港の船頭に頼めば、昼までに竹が集まる」
午前は走りっぱなしだった。港の舟着きで竹を選び、職人街で薄紙を漉き、神官たちと祈りの呼吸で“声の節”を合わせ、商会の前で鐘楼の綱を新しくする。子どもたちが手伝いたくて集まってきたので、写し板で役わりの図を見せ、呼び管係を任せた。紙に墨で「北風」「西陽」「水おと」「赤」と短い語を書き、柱から柱へ運ぶ練習。顔が真っ黒になっても、声は明るい。
昼過ぎ、聖署の回廊で司祭に会った。彼女は既に白壁に晒の骨を描き終えていた。
「反発は来ている。だが、見えるものを壊すには、人は大勢の目を前に“壊す”と口に出さねばならない。多くはそこで躊躇する。……だから、見える柱は人を守る」
「“晒”は復讐ではなく、安全の道具だ」
「そう。だがね、道具は必ず“壊す側”にも狙われる。君の身のこなしは軽いが、扇の影はもっと軽い。気をつけて」
言葉の最後に、彼女は短い祈りを胸に描いた。路に沿った祈りは軽く、しかしよく響く。俺は礼を言い、胸の輪に掌を重ねる。余白の試練、第四――影に光を通せ。 昼の光は強い。だが、影も濃い。祭は影が生まれやすい。
夕餉の前、勇者隊が商会の中庭で“図の稽古”をしていた。レグルスが砂の上に陣形を描き、ダリオが影の流れを示し、エイベルが粉の配り方を計算し、ソラナが祈の列に呼吸の数を書き込む。剣のきらめきではなく、見える図のきらめき。俺は少し離れて見ていたが、いつの間にか笑っていた。のんびりは、こうして強くなる。
この夜は静かだった――表向きは。だが、夜半、胸の輪が唐突に熱を持ち、俺は飛び起きた。写し板が自ら薄い光を灯し、晒の列の一点が灰色に揺れる。聖署の回廊。晒の柱が、何者かに布で覆われている。影の手は、光そのものを奪う術を選んだらしい。
「フィリス、起きて」
彼女は一瞬で目を覚まし、剣帯を巻いた。「行こ」
夜の石畳は冷たく、遠くの港で鎖の音が鳴っていた。聖署の回廊に着くと、晒の柱はたしかに布でぐるぐるに巻かれ、足元に黒い“封”の粉が散っていた。光の反射が鈍い。だが、柱そのものは折れていない。
「破壊じゃない。隠しだ」
「どうする?」
「晒す」
俺は写し板を柱の前に立て、輪を広げた。枠が白い水を吸い、布の織り目が図の上に映る。どこで布が結ばれ、どこで解けるか。影の結びもまた、見える。フィリスが指を滑らせ、結び目に小さな楔を差し、引き抜かずに緩める。布は音もなく落ちた。回廊に光が戻ってくる。白壁は白く、晒の列の枠に黒が灯る――“夜間隠蔽一”。晒は、晒されたという事実すら晒す。
「誰だ」
柱の陰で衣擦れ。フィリスが一歩進むが、俺は手で制した。影はもう遠い。足跡は軽く、風の路に紛れた。司祭が現れ、目を細める。
「見せる柱を隠したのね」
「ええ。晒の列に“隠蔽”を記録しました」
「なら、彼らは自分で自分を晒した。……祭の日、彼らの席は、もうない」
祭まで、あと二日。俺たちは昼は準備、夜は見回りに明け暮れた。晒の柱は四から六に増え、王家の監査台にも晒の骨が設けられた。呼び管で短い文が飛び交う。「北風」「赤」「受」「遅」「灯」。子どもらの声は、王都の血圧を保つ心臓の鼓動のように規則正しく街を巡る。港の舟は、孤児院へ塩と薪を運び続け、職人街では白い枠が次々に組まれた。
祭の前夜――。月が薄く、風は乾いた。屋上で板を撫でていると、足音。レグルスがやってきた。彼は少し迷ってから、まっすぐ言った。
「県伯が、夜の招きを出した。“最後の話し合い”だと。場所は南の広間。王家の監査官も来るらしい」
「“見える審判”の前夜に、見えない話か」
「断っても良いが、俺は行く。……今日は、俺ではなく『勇者隊』として」
「行こう」
フィリスが現れ、肩を回す。「私も行く。剣は抜かないけど」
南の広間は、王都でも古い石の建物だった。天井は高く、窓は少ない。灯りは控えめで、音がよく響く。既に何人かが集まっていた。監査官、商会の補佐、聖署の若い神官、そして――県伯。扇は黒、笑みは薄い。代官はその背後、汗を拭いている。
「来たか。村の者」
県伯の声はよく通る。芝居には向いているが、祭りには向かない声だ。
「明日、馬鹿騒ぎで王都を混乱させるつもりはあるまいな。晒の柱など、秩序の瓦解だ。民は見えると、境界を踏み越える」
「踏み越えられない境界のほうが、壊れるときは派手だ」
俺は淡々と答える。県伯の扇の骨がわずかに鳴った。
「言葉が過ぎるぞ」
「言葉だけで済むなら、ここに集まる必要はなかったはずだ」
ハルドが横から口を挟み、司祭は黙って頷いた。監査官は柱時計の針を見ている。空気は乾いた綱のように張っている。
「取引をしよう」
県伯が扇を閉じ、笑んだ。
「写し板は王家に献上しろ。代わりに村とお前の身は保証し、勇者隊は王都の旗のもとへ返す。晒の柱は“中央管轄”とし、公開は“適宜”とする」
「“適宜”は、見えないの言い換えだ」
「……お前は愚かだ。王家の庇護の意味も分からぬのか」
「意味は分かる。けど、俺は路に従う。――見えるように」
そのとき、広間の外で鐘が鳴った。一本、間を置いて二本、さらに一本。子どもらが決めた合図だ。晒の柱の一本が、赤を灯した。
監査官がほんの少しだけ眉を上げた。「何だ」
俺は呼び管を掴み、短く吹いた。「何が」
間もなく、別の管から子どもの声。「南の倉庫、赤、赤、赤!」
県伯の扇が止まった。代官の肩が跳ねる。広間の扉が開き、兵が駆け込む――が、兵の声は歪んでいた。
「火事だ! ……いや、赤は帳のほうだ! 徴発の列が一斉に赤く!」
監査官が立つ。商会の補佐が青ざめる。司祭は一度だけ目を閉じて祈り、目を開く――瞳は鋭い。
俺は写し板を広げ、輪を強く通した。枠の上で王都全域の晒の骨が一度に光る。赤、赤、赤――代官管轄の倉庫群が、祭を前に徴発で“かすめ取ろうとしている”のが丸見えだった。記録は紙に書かれる前に板の影に刻まれる。影の手は速いが、晒の柱はもっと速い。
「――――」
県伯の顔から色が消えた。扇が床に落ちる音が、奇妙に小さく響いた。
「これは、偽りだ……!」
「偽りなら、ここで直せばいい。見える場所で」
俺は板を持ち上げた。その瞬間、広間の窓が音を立てて開いた。外の石畳で、晒の柱の前に人の輪ができている。子どもらが指で赤を数え、大工が声を張り、船頭が腕を組み、奥方が扇を止め、祈り人が深く呼吸する。王都全体が、同じ瞬間に同じものを見ていた。
県伯が吠え、護衛が動いた。だが動きは遅い。レグルスの足が半歩、ダリオの手が回り、エイベルの粉が狭い床に薄い膜を張る。フィリスの刃は抜かれず、柄だけが踊った。倒れるのは椅子と傲慢で、人ではない。司祭が「止めよ」と一言だけ言い、監査官が手を上げる。
「王家の名において――見える審判を開始する」
広間はいつの間にか外と一体になっていた。扉が開き、晒の柱から伸びた声路が短い文を運ぶ。「赤三」「徴発」「孤児」「税」「証」。商会の書記が板に黒を入れ直し、聖署の若い神官が“受”を確認する。王都全域で赤が減り、黒が増え、灰が薄くなる。県伯の顔は、色が戻らない。代官は泣きそうな目で自分の名前を見つめる。扇の影は、晒の柱の足元で形を失い、ただの風になった。
「決定」
監査官は短く言った。
「県伯は一時の自宅謹慎、代官は更迭。徴発の赤はすべて“先渡し”に振り替え、公示する。……そして――写し板と晒の柱は、王家の保護下において公開を義務とする」
歓声は起きなかった。代わりに、街の息が一度だけ深くなった。誰もが、胸を開いて、同じ空気を吸う音。見える街は、息が揃う。
夜――祭前夜の王都は、いつになく静かだった。屋上で星を見上げると、フィリスが隣で胡坐をかいた。
「ざまぁ、だったね」
「“見せるざまぁ”だった」
「ねえ、エルン」
彼女は少し言い淀み、まっすぐ言った。
「明日、すごくうまくいって、王都が君を“全部の路の長”にしたいって言ったら、どうする?」
「断る」
即答だった。フィリスはわざとらしく安堵の息をついた。
「よかった」
「俺は路を引く。けど、座には座らない。座は路を鈍らせる。……俺が好きなのは、畑の畝と、掲示板と、写し板の枠を拭く手間だ」
「知ってる」
彼女は笑い、肩をぶつけてきた。「のんびり、ね」
「のんびり」
「じゃあ、明日はのんびり勝とう」
「うん」
祭の朝――四つの晒の柱は陽を受けて白く、呼び管の短い文が早口で駆け抜け、鐘はゆっくりと鳴った。王家の旗が高く、商会の印が低く、聖署の祈りが真ん中で息を合わせる。港では樽が順に運ばれ、職人街の白い枠が反射で街を明るくし、子どもらの指が黒を増やし続ける。勇者隊は“護”の列に小さく名を並べ、俺は写し板を胸に抱えた。
その瞬間、胸の輪が深く鳴った。祠の奥から、ではない。王都の石畳の、さらに下――古い水脈と風の合流点から。余白の試練は続いていた。
――第五。路を束ね、路を渡せ。己の路を他の路に譲り、なお通れ。
「……バトン、か」
思わず口にすると、フィリスが首を傾げる。
「何?」
「路を作ったら、渡せって。俺だけの路じゃないから」
「誰に渡すの」
「王都じゅうに」
笑って言うと、彼女も笑った。「欲張り」
俺は晒の柱のひとつに掌を置き、写し板の枠をほんの少し緩めた。板の光が柱に移る。柱は骨を覚え、枠は軽くなる。柱と板は、互いの路を共有した。港の柱にも、職人街の柱にも、聖署の柱にも――骨が渡っていく。俺の板がなくとも、見えるは動く。路は、俺がいなくても通る。
祭は始まった。歌と、足踏みと、短い文と、数字と、笑いと。王都は、見えることで初めて“同じ”になった。誰もが小さな役を持ち、誰もが大きなものを動かす。県伯の館の窓は閉ざされ、代官の印は薄くなり、港のスパーラはどこかへ消えた――だが、晒の列の片隅に、小さく「行方」の印をつけた。影は消えない。だから、灯を増やす。
のんびり暮らすことを、誰ももう笑わなかった。のんびりは弱さではなく、路が通った結果だと、王都の誰もが体で知ったからだ。俺は胸の輪に掌を重ね、祭の音に息を合わせた。路を束ね、路を渡せ。
そして、遠い空の端で、別の旗が風に鳴った。王都の外。国境の向こう。帝国の印。新しい路の影――それは、ここまでの“見える”を試す、もっと大きな試練の予兆だった。
(第10話 了)
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