第3章 廃ギルドの黒騎士

第1話  祈りの大地に家を 【前編】


黎明。

霧がゆるやかに薄れ、神獣ユグ=ルナシルの枝葉が朝日を受けて黄金に輝いた。

露の粒が風に揺れ、空気が透き通る。

静寂と光のあわい――新たな一日の始まりを告げる音が、世界を包む。


ここは、ルナリア。

かつて怒りと悲しみに覆われていたノルドリスの大地は、今や“生きる者たちの村”へと姿を変えつつあった。



朝の風が丘を渡り、若葉の香りを運んでくる。

ルナリアの大地は、朝露をまとって輝いていた。

新しく芽吹いた草が風に揺れ、鳥たちの鳴き声がこだまする。

そしてその静けさを破るように、谷一面に響き渡る力強い声。


 「よーし、もう一段いくぞ! リオル、支えろ!」

 《了解だ、ヴァルガ! おい、バレッド! そっち斜めってる! 右の楔を押さえろ!》


轟音。

巨体の魔獣人たちが太い丸太を抱え、足場をきしませながら運んでいく。

腕に浮かぶ筋肉は鋼のようで、動くたびに土埃が舞った。

獣耳を揺らしながら、彼らは息を合わせる。


 《せーのッ!》

ドン――!

丸太が地面に落ちるたび、周囲の空気が揺れる。

まるで大地そのものが、彼らの鼓動に共鳴しているかのようだった。


 《よし、固定完了だ!》

 《次は南壁の支柱だ! バレッド、縄を寄こせ!》

 《へいへい、リーダー! ……って、重ぇなこれ!》

笑い混じりの怒号が飛び交い、作業のリズムが生まれる。


力強い手、泥にまみれた爪、獣の咆哮のような掛け声。

だがその一つひとつが、不思議と温かかった。



丘の上、アリアは腕を組み、穏やかな風に髪を揺らしていた。

眼下に広がるのは、魔獣人たちが築く“未来の村”の輪郭。

草原に木の骨組みが立ち並び、そこに人と魔の手が入り混じる。

不揃いで、まだ不完全。

けれど、確かに“命が宿る建築”だった。


 「……本当にすごい。魔獣人の力って、こうして見ると圧巻ね。」

アリアがぽつりと呟くと、すぐに低い笑い声が返ってくる。

 《当然だ。力だけが取り柄だからな!》


胸を張るリオル。

狼のような耳がぴんと立ち、誇らしげに牙を見せて笑う。

その横でヴァルガが喉を鳴らした。

 《ふん。力だけでは家は立たぬ。設計はお前の母の手によるものだ。感謝せねばな。》


リオルはしゅんと肩をすくめ、尻尾を垂らす。

 《へいへい……母上様に感謝だな。》

アリアは思わず笑った。



 「母さんの設計は完璧よ。配線、通風、排水――すべてが理論に基づいている。」

アリアは指先を掲げた。

掌に青白い光が集まり、空気がわずかに震える。

次の瞬間、空中に幾何学的な光の線が浮かび上がった。

それは立体的な建築図面――まるで空に描かれた魔導式の設計書。


 「ここが水流の通り道。ここが排気口。

  それに、陽の角度に合わせて窓の位置を調整してあるの。」

アリアの声に合わせて光が動き、建物の骨組みがゆっくり回転する。

魔獣人たちが息を呑んでそれを見上げた。


 《おい……なんだこの光は。まるで生きてるみたいだ。》

 《図面を“見る”のではなく、“触れる”のか……異世界の技だな。》


アリアは微笑む。

 「設計担当はセリーヌ。私はそれを形にしてるだけ。

  でもね――“家”って、気持ちで作るものなんだよ。」


ヴァルガが顎を引き、静かに問う。

 《気持ちで? ふむ……人間は不思議なことを言うな。》

 「形だけ作っても、心が入らなければ、ただの“箱”でしょ?

  そこに誰かの笑顔を思い浮かべて作るから、“家”になるの。」


リオルが首を傾げ、少し照れたように鼻を鳴らした。

 《……なんだかよくわかんねぇけど、悪くない言葉だな。》

ヴァルガは小さく笑い、陽光を受けて赤銅色の毛を輝かせる。

 《ならばこの家々も、ただの避難所ではなく、“心の砦”となろう。》


 「うん。それでいい。」

アリアの声は柔らかく、しかし芯があった。

丘を渡る風が彼女の髪を揺らし、空中の図面が光の粒となって散っていく。

その光が風に乗り、作業する魔獣人たちの手に触れ、木々の上に降り注いだ。


――それはまるで、祈りのようだった。



その光景を、神獣ユグ=ルナシルは静かに見下ろしていた。

 《……妾の長き眠りの後、ようやくこの地に“命の音”が戻ったか。》

その声は風に溶け、枝葉が柔らかく鳴った。


アリアはその音を背に受け、空を見上げた。

 「ありがとう、ルナシル。……もう一度、この地に笑顔を咲かせよう。」


魔獣人たちの掛け声が再び響く。

リオルが笑い、ヴァルガが吠え、バレッドが転び、ノエルが笑う。

それぞれの声が交わり、世界が温もりを取り戻していった。


――祈りの大地ルナリア。

その始まりは、一本の柱を立てる音と、少女の小さな微笑みからだった。



陽が高くなる頃、ルナリアの空気はすっかり活気に満ちていた。

トンカンと木槌の音が響き、丸太の擦れる音が風に混じる。

それはまるで、村そのものがひとつの大きな心臓のように鼓動しているようだった。


子どもたちは一生懸命に木片や道具を運び、時折転びながらも笑って立ち上がる。

ノエルは少し離れた焚き火の前で、湯気を立てる大鍋の前に立っていた。

炎がはぜ、香草の香りと豆の煮える匂いが風に乗って漂う。


 「はい! 今日のスープは野菜と豆と少しの香草! 火傷しないようにね!」

木の杓文字をくるくると回しながら、ノエルが子どもたちに声を掛ける。

湯気の向こうで、笑いながら皿を受け取る小さな手。

その光景は、かつての孤児院を思い出させた。――けれど、今は泣き声ではなく笑い声が響く場所。


そこへ、木材を担いでいたカイルがひょいと現れた。

腕をまくり上げ、汗で光る額を拭いながら、軽口を叩く。

 「おっ、ノエルの料理は相変わらず最高だな! この匂いだけで腹が鳴るぜ!」

 「もう、お世辞はいいの!」と笑いながらも、ノエルの頬がほんのり赤く染まる。


湯気が二人の間をふわりと流れた。

その一瞬、ノエルはふと視線を逸らす。

――カイルの笑顔。

それが自分に向けられた時は嬉しいのに、どうしてか、誰かに向けた笑顔を見ると胸が締め付けられる。


 (……どうしてだろう。

  あの人が“アリア”を見る時の顔を、見ていられない。)


ノエルは木の柄杓を握り直した。

スープの中で豆が転がり、小さく音を立てて弾ける。

その音が、やけに耳に残った。


視線を上げると、少し離れた作業場で、アリアとカイルが並んでいた。

カイルは重たい木材を肩に担ぎ、アリアが指で位置を示す。

 「もう少し右! そう、その角度!」

「了解、監督!」と冗談めかしながら笑うカイル。

アリアも笑い返し、二人の笑い声が風に溶けた。


――胸の奥が、ちくりと痛んだ。

ノエルはそっと目を伏せ、呼吸を整える。

けれど、表情には出さない。いつも通りに笑う。


 「ほらカイル、ちゃんと食べなきゃ力出ないでしょ。」

カイルが振り返り、笑う。

 「はいはい、ありがとな。ノエルは母ちゃんみたいだな!」

 「も、もうっ! そんなこと言わないで!」


照れ隠しの声が裏返り、周りの孤児たちがどっと笑い出す。

 「ノエル姉、怒ったー!」

 「母ちゃんノエルだー!」

 「うるさいなもうっ!」と口を尖らせながらも、ノエルの声はどこか優しかった。


笑い声が風に広がり、空へと溶けていく。

アリアがふとその方を見て、柔らかく微笑んだ。

その笑顔を見て、ノエルはほんの一瞬だけ胸に手を当てる。

 (……平気。私は平気。

  みんなが笑っている。それでいい。

  この場所が、幸せなら――それで。)


そう心の中で呟いて、ノエルは再び鍋に向き直った。

スープの香りが広がり、金色の光が湯気の中に踊る。

その光景は、まるで彼女の胸の痛みを包み込むように、優しく温かかった。



昼下がりの光が梁を照らし、微かな木屑が金色にきらめいていた。

風が通り抜け、木の香りが満ちる。

笑い声と作業の音が重なり合い、ルナリアの大地は生きているように鼓動していた。


その喧噪の中で――ひときわ静かな音があった。


セドリックは黙々と木の梁を磨いていた。

布越しに木肌をなぞる手つきは滑らかで、まるで“触れる”というより“感じ取る”ようだった。

磨かれた面が太陽を受けて光を返す。

その動きに無駄がなく、姿勢もどこか凛としている。


孤児院の仲間たちは皆、彼のそんな所作に慣れていた。

けれど、改めて見れば――やはり不思議だ。


リオルが木槌を持ちながらぼそりと呟く。

 《……あいつ、なんであんなに動きが綺麗なんだ?》

 ヴァルガが笑いながら肩をすくめた。

 《育ちがいいんだろう、きっと。だが、あの落ち着きは只者じゃない。》


セドリック自身は気にも留めず、黙って作業を続けている。

陽光を浴びながら、節目をなぞり、表面を丁寧に仕上げていく。

その静かな集中の中に、不思議な品格があった。



 「セドリック、ここの角、仕上げ任せてもいい?」

 アリアの声に、彼は顔を上げた。

 柔らかい笑みが、陽光を受けてきらりと光る。

 「もちろん。任せておけ。」


布を受け取る手の動きも自然で、無駄がない。

その立ち姿を見て、アリアはふと感じた。


 (……やっぱり、昔から思ってたけど……)

彼の言葉の調子や、物を扱う手つき、礼の角度。

どれを取っても、“教養”を感じさせる。

幼い頃、孤児院で一緒に過ごしていた時も、彼だけは少し違っていた。

食事の時の姿勢、話すときの目線の高さ、誰かを気遣う仕草――

それは、誰に教わるでもなく自然に身に付いていたもの。


 (……不思議な人。私たちと同じように育ったのに。)


アリアは首を振って微笑んだ。

今はそんなことを考えるより、仲間と共に村を作ることが先だ。


 「ありがとう。助かるわ。」

 「当然だ。お前の計画は、俺たち全員の夢だからな。」


その声には穏やかな確信があった。

アリアはその言葉を聞いて、思わず微笑む。

 「そう言ってもらえると、少し肩の力が抜ける。」

 「お前が一番働いてるんだ。もう少し頼ってくれ。」


その言葉にアリアは「ふふっ」と笑い、風が二人の間を抜けていった。

木の粉塵が舞い、陽光の中にきらめく。



 「……うん、いい家になりそう。」

アリアが梁を見上げながら呟く。

セドリックは少しだけ目を細め、穏やかに答えた。

 「そうだな。帰る場所ってのは、こういう匂いがするんだな。」


その横顔には、どこか遠い記憶を懐かしむような影があった。

けれど、彼自身もその理由を知らない。

それが“血”の記憶なのか、“魂”の記憶なのか――まだ誰にもわからなかった。


丘の上では、アリアの声が風に乗って響く。

 「よし、次は南側の壁を組もう!」

セドリックが頷き、仲間たちが再び動き出す。


ノエルの笑い声、カイルの掛け声、ヴァルガたちの豪快な笑い。

その音のすべてが重なり合い、村の鼓動となってルナリアを満たしていた。



――夕刻。

空が深い茜に染まり、神樹ユグ=ルナシルの枝葉が大地に長い影を落とす。

風がやわらかく流れ、土と木と焚き火の匂いが混ざり合っていた。


丘の上で、アリアは一日の終わりを見届けていた。

下では、魔獣人たちが巨大な梁を担ぎ、孤児たちが笑いながら水を運んでいる。

木槌の音はもう止み、代わりにあちこちから笑い声が上がる。

ルナリアの大地が、まるで心臓のように静かに鼓動していた。


 「今日もお疲れさま!」

アリアが声を張ると、作業をしていた者たちが一斉に顔を上げた。

「住居棟の基礎は完成! それから――食堂も明日には組み上がるよ!」


歓声が沸き起こる。

ヴァルガが拳を高く掲げ、《明日は壁だ! 俺たちの家を完成させるぞ!》と吠える。

その声に応じて、魔獣人も子どもたちも、声を合わせて叫んだ。


 「おおーーっ!!」

渓谷に響くその声は、まるで祝福の咆哮だった。

神樹の枝がざわめき、夕陽が彼らを黄金色に染める。



ノエルは笑いながら大鍋の前に立ち、香草と豆を煮込んだスープを木の椀によそっている。

「熱いから気をつけて! 今日のは少しピリッとしてるよ!」

その声に孤児たちが列を作り、笑いながら器を受け取る。

焚き火の向こうでは、カイルが薪をくべて火の勢いを整えていた。

 「ほらノエル、こっちにもスープ頼む! 俺、もう燃え尽きそうだ!」

 「はいはい、あんたはいつも食べすぎなんだから!」

二人の軽口に、周囲から笑いが広がる。


その笑いの中心に、アリアがいた。

彼女は手を腰に当て、皆を見渡して微笑む。

頬には土汚れがついていたが、その表情はまるで光を宿したように明るかった。


 (……こんな風に笑える日が来るなんて、思ってなかった。)


アリアはふと、空を見上げた。

神樹の枝葉の隙間から、赤と金が混ざる光がこぼれる。

かつて絶望と戦火に沈んだ彼女の過去を、柔らかく包み込むような光。



少し離れた場所で、セドリックはまだ作業を続けていた。

彼は無言で、最後の梁の接合部を指先で確かめ、軽く叩いて音を聴く。

 「……よし。歪みなし。」

彼の声は小さく、それでもどこか安堵がにじんでいた。

それを見ていたアリアが微笑む。

 「ありがとう、セドリック。明日は本格的に屋根の組み立てね。」

 「任せておけ。風の流れも計算しておく。」


淡い夕陽が彼の横顔を照らし、その金髪が燃えるように光った。

その姿にアリアはふと見惚れ――けれどすぐに、胸の奥で何かがくすぐられるような不思議な感覚を覚えた。

 (……やっぱり、あなたってどこか“特別”なんだよね。)

そう思いながらも、彼女は言葉にはしなかった。



少し離れた場所で、マリアンヌ院長が焚き火のそばに腰を下ろし、静かにその光景を見つめていた。

彼女の顔には深い皺が刻まれていたが、その瞳は若者たちと同じように輝いている。

 「……あの子たち、本当に強くなったわね。」

その呟きに、隣で腰を下ろしたアリアが頷いた。

 「うん。みんな、よく頑張ってる。

  ここが――“生きる場所”になるように。」


院長は微笑んで頷く。

 「ええ。あの子たちはもう、過去の涙だけで生きていない。

  あなたが希望を見せたからよ、アリア。」


アリアは照れたように笑い、頬をかいた。

 「私は何もしてないよ。ただ……皆の未来を少しだけ手伝いたいだけ。」

 「それを“導く”って言うのよ。」院長は優しく言った。



その瞬間、神樹の枝葉が揺れ、夜の風が丘を撫でた。

焚き火の炎が揺らぎ、橙の光が人々の顔を包み込む。

ルナリアの空に、初めての夜の星が瞬いた。


アリアはそっと両手を胸の前で組む。

 (――この場所を、絶対に守る。

  この笑顔を、二度と奪わせない。)


遠くで、セリーヌの穏やかな声が聞こえた。

 『あなたの祈り、ちゃんと届いているわ。アリア。』


アリアは微笑み、風に頷いた。

火の粉が空へと舞い、やがて星の群れの中へ消えていった。






 

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