第9話 弾丸と祈り
砦の奥――。
湿り気を帯びた石の回廊を抜けた先に、広間があった。
煤けた燭台が壁際に並び、橙色の炎が風もないのに小さく揺れている。
空気は重く、どこか鉄の錆びた臭いが混じっていた。
焦げた油、血のような臭気。
そして何より――静寂が不気味だった。
「……ここが、最奥……?」
セドリックが剣に手をかけながら囁く。
その瞬間。
アリアの視線が、広間の中央に釘付けになった。
――そこに、檻があった。
錆びた鉄格子の中、怯えた子供たちが身を寄せ合っている。
声を殺し、震えながら、小さくすすり泣いていた。
「……見つけた……!」
アリアが駆け出そうとした――その時。
キィンッ――!
金属音が、冷たい空気を切り裂いた。
「――動くな」
低く濁った声が、空間を支配する。
崩れた柱の陰から、黒衣の男が現れた。
背の高い影。油の滲んだ銃口が、炎の明滅の中で鈍く光る。
オルセン――その名を呼ぶまでもなく、空気が凍った。
「……オルセン……!」
セドリックの声が低く唸る。
オルセンは、ゆっくりと口角を歪めた。
「まさか……ガキどもを助けに来るとはな。ほんと、命知らずな女だ」
彼は檻の前へ歩み寄り、乱暴に格子を開けると――
中の子供の一人を掴み上げた。
「や、やめて……!」
まだ八歳にも満たない少年が、涙を滲ませて叫ぶ。
オルセンは、ためらいもなくその小さな頭に銃口を押し当てた。
「一歩でも動けば、こいつの頭が消し飛ぶ」
「やめろッ!」
カイルが剣を抜いたが、セドリックがその腕を押さえる。
「落ち着け! 今は撃たせるだけだ!」
アリアはその光景に息を呑み、唇を噛んだ。
「お願い……子供たちは関係ないわ! 代わりに私を撃って……!」
「代わり?」
オルセンが嘲るように鼻で笑った。
「丁度いい。お前の顔を見るとムカつくんだよ。英雄ぶった聖女様が……!」
引き金が――引かれた。
パンッ!
銃声が石壁に反響し、火花のような閃光が走る。
アリアの身体が弾き飛ばされ、左肩を押さえながらよろめいた。
熱い。
焼けるような痛みが、腕から胸へと広がっていく。
「アリア――ッ!」
カイルの叫びが響く。
オルセンは構え直した。
笑っていた。
血に酔った獣のように。
「まだ終わらねぇよ」
パンッ、パンッ、パンッ――!
連続する発砲音。
胸。腹。太腿。
乾いた音が肉を裂くたび、鮮血が弾け、石床を赤く染めた。
アリアは膝をつき、息を荒げながら地面に手をついた。
視界がぐらぐらと揺れる。
身体の芯が冷たくなっていく。
(……身体が……重い……)
「アリア! やめろ、オルセン!」
セドリックの怒号が響くが、オルセンは無視した。
ゆっくりとアリアの前に立ち、銃口を彼女の額へと向けた。
「地獄で悔やめ、小娘」
引き金が――落ちた。
パンッ。
世界が、静止した。
――音が消えた。
――痛みも、消えた。
ただ光だけが、視界を覆う。
アリアの頭の中に、次々と映像が流れ込んでくる。
燃える孤児院。
泣きながらパンを焼くノエル。
ガレスの不器用な笑顔。
院長の手。
「十八歳になったら、大森林に行くのよ」――あの優しい声。
(……あぁ、これが“死”なのね……)
意識の奥底で、あの声が蘇る。
――「死は、終わりではない。それは再生への鍵」
セリーヌの声。
あの白い空間で聞いた、母の言葉。
(……死が、鍵……)
アリアは、焼けるような痛みの中で右腕をゆっくりと持ち上げた。
天に届かない光を掴むように、必死に。
その指先が、かすかに震える。
「……みんな……ごめん……ね……」
力が抜け、アリアの身体が後ろに倒れる。
髪がふわりと舞い、床に広がった血の上に静かに沈んだ。
「アリアァァァァァ!!!」
カイルが叫び、膝をつく。
セドリックの剣が震え、怒りで赤く燃える。
「貴様ぁぁぁ――オルセンッ!!」
殺気が爆発する。
セドリックが踏み出そうとした、その瞬間。
――空気が止まった。
ゴォォ……という低音。
砦の床が微かに震え、砂が舞い上がる。
光の粒子が渦を巻き、静電気のような刺激が空間を満たしていく。
「な、なんだ……!?」
カイルが怯えた声を漏らす。
セドリックも剣を構えたまま、息を呑んだ。
だが――異変は、彼らには“見えて”いなかった。
アリアの視界だけが、歪み始めていた。
色が滲み、輪郭が崩れ、世界が砂嵐のようにノイズ化していく。
耳鳴り。心臓の鼓動。
すべてが溶け合い、意識が水面の下に沈んでいくような感覚。
――ザザザ……ザッ……。
映像のような光の線が、視界の中央に浮かび上がる。
数字、コード、未知の文字列。
そして、明確な文が――浮かんだ。
【対象:アリア=クローヴァー】
【状態:致死確認】
【条件一致】
【魂源(コア)起動プロトコル――開始】
(……なに……これ……?)
思考が溶ける。
視界の中で、青白い光がアリアの胸元から広がっていく。
血が蒸発し、細胞が崩れ、光の粒となって空気に溶けていく。
(母さん……?)
“アリア。あなたは――死んだのよ”
その声は、涙ではなく、祈りのように静かだった。
光が、膨張する。
眩しさに視界が溶け、音も、熱も、すべてが白く飲み込まれていく。
セドリックとカイルの叫びも遠く。
アリアの右腕だけが、かすかに天を掴むように動いた。
世界は、完全に白へ。
そして――止まった。
……次に何が起きるのか。
それを知る者は、まだ誰もいない。
ただ、砦の奥に残った者たちの耳に――
ほんの一瞬だけ、心臓の鼓動のような音が響いた。
ドクン――。
世界が、それを合図に再び動き出そうとしていた。
――続く。
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