第1話 聖樹の家の朝
小さな教会を兼ねる古びた建物は、朝の光と子供たちの声で満ちていた。
「ごはん、まだー?」
「こら、走らないの。転んじゃうでしょう?」
アリア=クローヴァーは、慌ただしく駆け回る子供たちを見守りながら、鍋の中をかき混ぜる。
銀白に淡金を混じらせた髪が朝日に揺れ、青銀の瞳がやわらかく細められていた。
十八歳になった彼女は、孤児院の姉として子供たちを導く存在だ。
「アリアお姉ちゃん、パン焦げてる!」
「えっ……あ、ほんとだ」
慌てる彼女の横で、明るい声が響いた。
「ふふ、やっぱりね。アリアって料理は丁寧なのに、焦がすときは盛大なんだから」
尻尾を揺らしながら笑うのは、同じく十八歳のノエル。獣人の少女で、アリアの親友だった。
「ノエル、笑ってないで手伝って」
「はーい、はーい」
子供たちの笑い声が重なり、食堂は小さな祭りのように賑やかだ。
「アリア、これでいいか?」
入り口から声を掛けてきたのは、腕に薪を抱えたカイル。
不器用そうに額の汗を拭いながら、黙々と働く姿はいつも通りだ。
「ありがとう、カイル。助かるわ」
アリアが微笑むと、彼は少し照れたように視線を逸らした。
その横で、大柄なガレスが子供たちを片手で軽々と抱き上げていた。
「うわぁ! 高い高ーい!」
「落ちないようにしっかり掴まってろ」
大きな体に似合わず穏やかな声に、子供たちが歓声を上げる。
「やれやれ、朝から賑やかだな」
最後に現れたのはセドリック。
木箱を運びながら、どこか冷静な表情をしているが、口調は柔らかい。
「アリア、こっちは並べておけばいいか?」
「ええ、お願い」
そのとき、食堂の奥からゆっくりとした声が響いた。
「皆、感謝の心を忘れてはいけませんよ」
現れたのは院長、マリアンヌ=クローヴァー。
白髪を修道帽に隠した姿は質素だが、どこか聖女のような気品が漂う。
彼女が微笑むだけで、子供たちは自然と姿勢を正した。
「パン一切れでも、神からの恵み。仲間と分け合う心を忘れないようにね」
「はーい!」
アリアはそんな院長の背中を見つめ、胸の奥がじんと温かくなる。
――私も、院長のように強くありたい。
やがて食卓に簡素なスープと黒パンが並ぶ。
「いただきます!」の声が響くと、アリアは子供たちの頬に笑みを見た。
その光景は、彼女にとって何よりの宝物だった。
だが、束の間の朝の平穏は長くは続かない。
孤児院の扉が、乱暴に叩かれる音がしたのだ。
「……?」
子供たちのざわめきが止み、場に緊張が走る。
「院長。そろそろ、あの男が来る時期じゃありませんでしたか」
セドリックの言葉に、マリアンヌの顔にわずかな陰が落ちる。
彼女は小さく息を吐き、子供たちを安心させるように穏やかに告げた。
「大丈夫。……少し用事のある人が来るだけです。怖がらなくていいですよ」
だが、その声音には隠しきれない緊張が滲んでいた。
再び扉を叩く音が響く。先ほどよりも強く、威圧的に。
――借金取り、オルセン。
《聖樹の家》の日常に、不穏な影が忍び寄っていた。
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