第9話 ビキニアーマー再臨

 草が鳴った。

 夜気が肌を撫で、湿った風が頬を掠める。

 わずかに遅れて、空気の“密度”が変わる――。

 腐敗臭。だが違う。

 嗅ぎ慣れた死臭ではない。もっと重い。

 金属と湿土の間に、油を焦がしたような匂いが混ざっている。

 まるで、生物ではなく“何かが呼吸している”ような気配。

 次の瞬間、“それ”が動いた。


 獣――いや、形だけはそう見える。


 視界の端、闇が裂けた。

 獣の影。

 四肢で地を蹴るが、音がない。

 地を蹴る衝撃も、息づかいも、存在の“圧”もない。

 それでも本能が、確かに警鐘を鳴らした。

 “生き物”ではなく、“兵器”が動いたときの空気。


 反射で身体が反応し、動く。

 訓練で叩き込まれた記憶――意識よりも先に、筋肉が“最短行動”を選んでいた。

 それは思考を追い越す。


 腰のナイフが鞘を離れる。

 銀色の刃が月光を掠め、弧を描き、月光を裂いた。

 刹那、風が反転する。

 

 ――衝突。


 生臭い風。

 乾いた衝撃音とともに黒い液体が散った。

 爪。異様な硬度。腕を掠め、火花を散らした。

 皮膚の表層が摩擦で焼け焦げ、火花が走る。


 ――重い。だが、動きが“直線的”すぎる。


 膝を沈め、間合いを一瞬で奪う。

 呼吸を殺し、刃を突き上げる。

 切っ先を、顎の付け根に突き上げた。

 手応え。骨の軋み。

 ナイフの切っ先が、顎の下を正確に貫いた。


 そして――沈黙。


 ……終わったか。


 戦闘開始から、わずか3.3秒。

 ジョンが動いたのは三度――回避、反転、刺突。


 それだけで決着がついた。

 終わってしまったのだ。


 力でも速度でもない。

 読み、計算。

 それが、少年兵ジョンの戦い方だった。


 黒い体液が靴を濡らす。

 指先をぬるりと滑る。

 血ではない。油のように冷たく、重い。

 鼻を刺すのは鉄の匂いではなく、焦げた樹脂のような甘い腐臭。

 人間の死臭ではない。


 〈心拍数安定。敵性反応、消失〉


 チーフの声が、脳の奥で揺れた。


 「……了解」


 数秒、自分でも周囲を確認する。

 だが、チーフで図れないものを確認する意味はない。

 これは癖だ。

 こういうことは自分の目で確認しなければ、気が済まない。


 周囲を確認し終え、死体を見下ろす。

 月明かりの下で、歪んだ影が露わになる。

 その輪郭は――狼。

 だが、頭部には“人の顔”があった。笑っている。

 その笑みは、筋肉の構造がそう作られているかのような“設計された”表情。


 刃を引き抜く。肉を裂く音が、夜気を汚した。

 黒い液体は油膜のように伸び、光を拒絶する。

 ジョンは一歩退き、静かに見下ろす。


 やはり、血の匂いはない。

 鉄錆の刺激臭がなく、代わりに油と腐敗の中間のような臭気が鼻を覆った。


 刃先に纏わる黒い液体が、光を弾いて粘りを増す。

 体温がない。粘度が異常だ。


 〈サンプル採取完了。分子構成、分析開始〉


 チーフの声が静かに重なる。


 「結果を」


 〈結果:蛋白質構造を確認。部分欠損。血液中の鉄分ゼロ。代替エネルギー体、あるいは人工生成生体液〉


 「つまり、血の代用品?」


 〈はい。“構造を動かす潤滑油”。これは“命”を繋ぐ液体ではありません〉


 ジョンは眉を寄せ、死骸を見つめ直す。

 義眼を発動させ、左眼が赤く光る。

 赤外線、骨格透過、熱源スキャン――視界が層ごとに剥がれていく。

 肉の下、脊髄沿いに刻まれた幾何学模様。フェルディナートで見た魔法陣にも似た構造。


 〈血液解析、続行〉


 赤黒い液体が、微粒子単位で分解されていく。

 反応――なし。


 〈成分照合:鉄分ゼロ。人工血液反応なし。ナノマシン構造なし〉


 「……ナノ反応がない? 人工血液でもないのか?」


 〈はい。完全な生体構成〉


 「何のバイオ技術、機械的な仕掛けも使わず動かすことが可能なのか……」


 〈脊髄沿いにある模様から何らかの力を発揮しているようです〉


 「……"魔術"」


 改めて、この世界は俺の知る世界でないと知る。

 この獣と人間は何らかの力によって改造、制御され、このような姿に変えられた。


 「模様を記録。後で解析に回せ」


 ジョンはナイフを拭い、視線を落とす。

 人間の顔をした“それ”が、なおも笑っていた。

 縫い付けたような口角――死後硬直ではない。構造として、笑っている。


 〈これを作った者……この世界にも“技術者”がいるようですね〉


 「科学者……いや、魔術師か」


 〈分類:人工的再構成体。正確には有機生命体の特性を元にした“模倣体”。あなたの世界で言えば、未完成のバイオウェポン。“人為獣”〉


「この世界の呼び方で言うなら――"魔獣"、か」


 ナイフを拭いながら呟く。


 その瞬間――――足音。匂い。


 重心の低い足取り。

 歩幅約80センチ。

 靴底の摩耗音、鉄製の軽鎧。

 身長172センチ。

 体重72キロ。

 呼吸浅いが安定。訓練された兵士か冒険者。

 いや、鉄製の軽鎧だけではない。

 焦げた革、薬草、汗。

 女性。


 そして――この呼吸を知っている。


 〈検知一致率:92.4%。冒険者ギルド前での女性〉


 「……ミルナか」


 ジョンはナイフを構え直す。

 闇の奥から、規則正しい足音。

 踏み込みが安定している。戦闘経験者だ。


 チーフの声が、少しだけ笑った。


 〈奇遇ですね。――彼女、あなたを見つけたようです〉


 やがて木々の隙間に、青の瞳が灯る。


 「……は?」


 女の声。

 驚愕と拒絶。理解が追いついていないようだ。


 視線の先――ミルナ。

 瞳が足元の死骸を見た瞬間、凍りつく。

 吐息を忘れ、言葉を失い、ただ立ち尽くす。


 その顔は、戦場の兵士ではなく、ただ“人”のものだった。


 夜風が、二人の間をすり抜ける。


 地面には、笑ったままの“魔獣”。

 人面の獣が、まだ笑っていた。

 その顔は、まだ人の形をしていた。




◼️




 ――数十分前。スラブの森、外縁。


 森の前に立つ。

 また銅【カッパー】を向かわせたって?

 あの女も懲りない。……気持ちは、わかるが。


 ――"あの新人"。


 このアタシが"強さ"より"顔"に惹かれるなんてな……。

 あの顔で頼みに来たら――アタシだって、許可を出したかもしれない。

 だが、そいつはプロとして失格だ。


 あらかじめ閉じていた片目を開け、森に入る。

 数分歩いて異変に気づいた。

 

 ーー森が閉じている。


 この静けさはヤバイ。

 動物の気配が薄い。呼吸が止まった森だ。

 こいつは魔術……それも手練れの仕事。

 魔術には詳しくないが、これ程の大掛かりなモノを使えるのはかなりの猛者だ。


 重心を低くし、いつでも大斧を出せるように歩く。

 途中、森の木に足を取られそうになるがそこは銀【シルバー】等級。

 それなりの苦戦を強いられてきた。

 慣れた足取りで森を進む。


 匂いが鼻に刺さる。

 嗅ぎ慣れた匂い――いや、初めて嗅ぐ匂いだ。

 血ではない。鉄でもなく、焦げた樹脂と油の中間――そんな甘い腐臭。


 匂いを頼りに数十秒歩くと――"新人"がいた。


 喉が、ひとつ小さく鳴る。

 瞳孔が、夜目に慣れた獣のように絞られる。

 だが、その顔は“冒険者の顔”ではない。一人の"人間"としての顔だ。

 一瞬、我を忘れたが気を引き締め直し、理解しようとする意志を固めた。


「……それは、なんだ?」


 思ったより低く、掠れていない彼女の声。

 感動のビキニアーマーと再会。

 コンマ数秒目を取られるが、ナノマシンの自律抑制がそれを許さない。

 戦闘態勢であるためそういった"性的"なことへの注意を抑止されてしまう。


 ジョンは応えず、構えていたナイフをしまう。

 そして、膝を落とし、死骸の口角を指先で上げる。

 糸――いや、腱を束ねて焼き留めた跡。

 笑っていたのではない。縫い付けられていたのだ。

 人皮と獣皮が、糊のような黒い液体で貼り合わせられている。


 〈口腔内、異物反応〉


 「ああ……」


 顎を押し広げ、口腔を撫でる。


 ――ゴポリ、ぐちゃり。


 そんな音がする。


 「なっ!お前、何をして……!」


 ミルナのそんな制止を無視して、もっと口腔の奥へ。手を動かし、いじる。

 すると、喉奥で硬いものに触れた。

 指の腹でつまみ上げ、死骸から出してみると、それは小さな金属板だった。

 丸い穴のあいた楕円片。泥で曇っているが、片面に刻印――


 「……タグ?」


 ジョンは泥を落とし、薄い息で曇りを拭った。

 浮かび上がったのは銅色。擦り減った文字――


 【カッパー】


 それは、冒険者タグだった。

 よく見ると端に浅い刻み。短く名前の頭文字も彫られていた。

 ジョンは小さく首を傾げ、タグの縁を、ミルナに見えるよう傾けた。


「飲み込んだわけじゃない。……“埋め込まれて”いた」


 喉奥の粘膜に、金属を収めるための嚢。

 嚢の側面に黒い液体でコーティングされている。

 体が拒否しないよう、外来物を“許可”する細工だろう。


 〈タグ周囲、熱履歴微弱。焼灼処置あり。加えて、軽微な腐食。胃酸ではなく、薬剤〉


 「“誰か”が、喉奥に仕込んだわけか」


 言い換えれば――タグの持ち主を“素材”にした証だ。


 ミルナは息を呑み、顔色を変えた。

 まさかとは思っていたが、今まで“見ないように”していた現実が、輪郭を与えられてしまったのだ。

 一歩、無意識に前に出る。


 「ふざけんなよ……」


 「……知り合いか?」


 ジョンは情報を得るためにミルナに問いかけた。


 「こいつは、リルネ・ベルン。最近、ここいらで幅を利かせてた一番優秀な奴さ」


 「……」


 「もう少し行けばすぐにでも、青銅【ブロンズ】飛ばして鉄【アイアン】になるような男だ。そんな奴が、こんな……」


 その声には、怒りと、わずかな震えが混じる。

 ジョンはそれを横目で受け取った。


 〈警告。静寂度:異常。通常夜間ノイズ(昆虫・小型獣)低下率73%〉


 「さっきから静かだとは思ってた」


 ジョンが言葉にしてみると、静けさはより濃くなる。

 風の擦過、葉の裏返る乾いた連鎖。

 ――それだけしかない。


 「……お前も感じるか」


 ジョンの言葉に反応し、ミルナが問いかける。


 「ああ」


 「魔物が暴れた跡だっつうのに、静かすぎる。普通は荒れてるもんだろ?ここは違う。……何か、魔術的な細工でもされてる感じだ」


 ミルナの話を聞いている間、ジョンはタグを布切れで包み、外套のポケットに滑らせた。

 そして、疑問を投げ掛ける。


 「“細工”?」


 「森の“気”が消えてやがる。さっき来た方向すらままならねぇぞ」


 ジョンは眉をひそめたが、すぐさま真顔に戻り再び問いかけた。


 「……“消して回った”奴がいるってことか?」


 「ああ」


 ミルナが肯定した。

 ジョンとチーフの読み通り、この森は何らかの魔術で細工されているらしい。

 その言葉は理屈というより、経験だ。

 狩る側の感覚。空気の目詰まり。逃げ道の封鎖。そういう“勘”。


 「魔術的な、ってどういう意味だ?」


 「知らねぇよ。アタシは専門外だ。……けど、空気が重い。波が淀んでるっつうか……肌がざわつくんだよな」


 彼女は、魔術に詳しくないようだ。

 たが、"何らかの方法"でそれを察知している。


 〈解析開始。未知の波動を検出。電磁帯ではありません。分光パターン収集中。――これが“魔力”と呼ばれるものだと推測〉


 「なるほどな……これが、魔力か」


 〈観測上の仮説:理層に干渉する“場”。物理層の結果だけが表に出ている可能性〉


 「つまり、物理の外側にある“もうひとつの力”ということか?」


 〈簡単に言えばそうです。あなたのナノマシンでも干渉可能。今後、解析精度を上げておきます〉


 「助かる」


 〈……フフ〉


 礼を言うとノイズが走った。

 が、それはコンマ数秒のこと。すぐにチーフは次の報告を始めた。


 〈周囲:半径420メートル。等間隔で微弱な周波数。数値は小さいですが、網目状に位相が揃っています〉


 チーフの声が、わずかに硬くなる。

 戦場にいたときと同じ、緊張感のある話し方だ。


 「これは……結界か?」


 「知らん。“森を空っぽにする”なんて聞いたことねぇよ。これは相当な手合いだぞ……」


 ミルナが鼻を鳴らす。汗と革の匂いの奥で、乾いた薬草の香りが微かに揺らいだ。

 月明かりで、ビキニアーマーが鈍く光る。

 彼女は背に斜め掛けた大斧の柄に、まだ手を置いていない。

 ――だが、抜こうと思えば数秒で届く距離。


 それは、ジョンにとって数分、数時間ほどにも感じられる距離だ。

 別に大した脅威にはならないが、それでも彼は警戒を怠らない。

 もし、彼女がこの結界、魔獣を造った者なら容易にジョンの隙をつき、間合いを詰めてくるだろう。


 ジョンは死骸の背を転がし、脊柱のラインに指先を沿わせる。

 皮膚の下――硬い線。

 縫合に沿って貼り付いた、薄い板。金属でも骨でもない、薄片。


 ナイフで端を摘まみ、皮膜を破って引き抜く。

 黒い液が糸を引き、月明かりに鈍く光る。

 薄片には、先程とは違う幾何学模様。知っているはずのない、均整のとれたカーブと点列。


 〈スキャン……一致なし。ですが、配線図に近しいモノだと考えられます〉


 「……遠隔操作か?」


 ジョンは薄片を空にかざし、角度を変えながら細部をなぞった。

 旧世界なら配線図。ここでは、多分――術式。

 “術者”の代わりに、“板”が命令して動かす。

 それは、ジョンの世界のモノと酷似していた。


 冷静にことを済ませるジョンを見て、ミルナは思った。


 ……何だコイツは?


 急に街にやって来て、冒険者としてのルールを無視する暴挙。

 まぁ、それは若気の至りで済まされるが、お次はこんな大事件に巻き込まれてやがる。

 だが、これは何だ?

 状況的には、魔物を倒した後、冷静に情報収集するプロの冒険者。

 あり得るのか?銅【カッパー】だぞ?

 そんなことが出来るようになるのは、鉄【アイアン】か銀【シルバー】くらいからだろう。

 ……いや、コイツがやったのか?

 確信は持てない。だが、コイツには"何か"ある。

 そんな魅力を感じさせる男だ。

 ……コイツの口から確かめるしかないな。


 ミルナは眉間を抑え、ひとつ呼吸を整えた後、死骸から視線を外し、ジョンをまっすぐに見る。


 「――で。お前は何者だ?」


 「……ジョン。少年兵ジョン」


 「ふざけんな!名前を聞いてんじゃねぇよ」


 ぴしゃり、と言葉が飛ぶ。

 ミルナは一歩踏み込み、鼻先で空気を嗅ぐ。

 汗と革の匂いの奥に、鉄がない。――血の気配が、ない。


 「呼吸も乱れてなけりゃ、汗の一つもかきやしてねぇ。疑われるのは当然だろ!!」


 「……疑う?」


 〈どうやら彼女は、あなたが魔獣騒動を起こしたように見えているようです〉


 「……」


 大斧は抜かれていない。

 まだ半信半疑と言ったところか。

 まずは彼女の誤解を解くところから始めなければならない。


 ジョンは、彼女を観る。

 猪突猛進、決め付けたら絶対にそのレッテルは変えないタイプと見た。

 そんな彼女がまだ、半信半疑なのが唯一の救い。

 ジョンはこれまでの情報から、彼女の好みに合わせて人格を再構成し、話を持ってきやすいようにする。


 「誤解だ。コイツは俺が倒した」


 「……お前が?」


 まずは、正面から説明する。

 この手のタイプは、歯に衣着せず、愚直に正々堂々と真っ向からいくのがベストだ。


 「ああ。俺は今、銅【カッパー】だが、それなりの経験を積んでいる」


 「嘘をつけ!その顔で経験を積んでいるなんて、もっとマシな言い訳を言いな!!」


 「その顔……?」


 〈あなたの顔は、私から見ても整っています。……訂正、整いすぎています〉


 「……?まぁ、いい。なら試してみるか?こんな異常事態に争っている暇があるならな」


 「……確かにな。たが、お前がフェルディナートに来て注目を集め、森に誘い込む作戦かもしれないだろ」


 ……なぜそこまで疑う?

 まぁ、仕方がない。

 疑われて当然。そう考えるしかない。


 「あり得るな。だが、そこまでする必要があるか?その理屈で言うなら町中を歩いていれば誰か付いてきたかもしれないだろ」


 「ないね!いくらその顔でも魔物がいるこの森に一般人が入り込むはずがない」


 「なら、街を歩き、冒険者タグを付けている奴を誘い込めばいいじゃないか。なぜ、わざわざ。冒険者組合に行く必要がある?」


 「ッ!」


 「俺はそんなにバカじゃない。あんたもそうだろ?」


 「だ、だが!お前がそこまで、バ、バカだと言う可能性だって、捨てきれないじゃないか!」


 彼女が説得され始め、警戒が少し緩んでいくのを感じる。

 その証拠に、答えが詰まり始めている。


 「そこまで自信があるなら、あんたと問答する必要すらないだろう」


 「うっ!……お、お前がアタシを説得した後、う、後ろから斬りかかってくる可能性だって……ある……だろ」


 「そんな悪趣味はない」


 嘘である。

 何らかの理由があれば、彼女を説得した上で斬りかかることもあるだろう。

 だが今は違う。


 「あんたは銀【シルバー】。俺は銅【カッパー】。斬りかかったところで勝てる見込みはないんじゃないか?」


 「あ、ああ。そう……だ」


 「まぁ、さっきも言った通り。俺も経験を積んでいる。あんたほどではないが、コイツを殺したのは事実だ」


 「さっき言っていた少年兵でか?どこの戦場だ?帝国が進行している"ラルク"へか?」


 「いや、違う場所だ」


 「……詮索はやめといてやる。たが、この街のルールは守りな」


 「ああ、分かってる」


 何のことを言っているのかさっぱり分からないが、警戒を解いてもらえたようだ。

 完全にではないが、それでもさっきまでの殺伐とした空気が薄れていた。


 「誤解が晴れて嬉しいよ」


 「まだ、完全に解いたわけじゃないからな」


 ミルナの鋭い視線が走る。

 その瞳は、"お前をまだ疑っているぞ"と言っているが、そのさらに奥からは「コイツではない」と雄弁と語っていた。


 「ああ、分かってる。少しでもあんたから信頼があるだけで嬉しいもんだ」


 ミルナは少し肩をビクつかせ、魔獣の側に寄る。


 「……コイツ。結構手強かっただろう」


 「……ああ」


 〈戦闘ログ:初動1秒、回避0.4、反転0.7、刺突1.2。追随評価合計3.3秒。あなたの動作は三手です〉


 チーフが報告してくれるがそれを無視してミルナと話す。


 「アタシでも気合いを入れなきゃなんねぇレベルだ。よく倒せたな。お前」


 「体力じゃない。理屈で殺した」


 「理屈ぅ?」


 ジョンは淡々と答える。自慢でも開き直りでもない。事実。

 ミルナはしばらく黙った。瞳の奥で、何かを組み立てている。


 やがて彼女は大斧の柄を握り――突きつけた。

 刃は、月光の湿りを吸ったまま、揺れない。


 「帰れ。これは銀【シルバー】の依頼だ。お前の実力は分かったが、銅【カッパー】が首を突っ込むレベルじゃない」


 〈警告:危険レベル――高。一度、帰還すべきです〉


 彼女たちの警告を無視し、ジョンはいい放つ。


 「帰らない」


 ミルナの眉がぴくりと動く。


 「何だって?」


 「俺は俺だ。等級は関係ない。それに、俺を疑っているんじゃないのか?」


 「そういう話じゃない」


 刃先が半歩近づく。

 ジョンは――動かない。眼だけが、斧の重心とミルナの足幅を計測している。


 〈心拍:変化なし。彼女の二の腕周径、推測31。斧の質量分布、刃:柄=7:3。踏み込みの癖は右先〉


 「……」


 沈黙が2秒。3秒。

 ミルナの瞳に、わずかな苛立ちと、少し違う色――不安が差す。


 「本気で言ってんのか?先輩の助言は聞くもんだぜ。ここから先は死体しかないかもしれない。――いや、死体になるかも知れねぇんだぞ」


 ミルナは顎で死骸を示す。

 ジョンはわずかに視線を落とし、包んだタグを指で叩いた。


 「“誰か”が冒険者を素材にしている。なら、俺の世界の言葉で言えば“回収対象”だ」


 「何だそれ?わかるように言えや」


 「やるべきことってことだ」


 短い。説明になってない。だが、事実だ。

 ミルナは数拍、ジョンを見ていた。

 やがて、大斧を背中に戻し頭に片手を添えた。


 「……くそ。新人のくせに、そんな目で見てくんじゃねぇよ……」


 〈評価:あなたのスキル"美形"が効きました〉


 「……」


 チーフの言葉に沈黙で返すジョン。

 暫くして悩んでいたミルナが口火を開く。


 「……まぁ、お前を監視する手間も省けるしな」


 「ありがとう」


 「礼は要らねぇよ……三歩下がって付いて来い」


 言い合いではない。決定だ。

 ジョンは短く、了解とだけ答えた。


 その瞬間。

 森の密度が、また変わった。

 風が止む。

 息をする“物”が、近づく。


 〈警告:敵性反応多数〉


 足音の位相が重なる。歩幅は不一致、呼吸音は三つ――群れじゃない。寄せ集めだ。


 ミルナが、肩だけで笑った。

 だが、その瞳は笑っていなかった。


 「……来るな」


 ジョンは外套の裾を払い、腰から刃を抜き下向きに握り直した。

 足が、枝の“空白”に落ちる。

 心拍は変わらない。

 ミルナは一歩前へ出て、斧を肩に乗せた。


 「最後にもう一回、言っといてやる」


 「何を?」


 「帰れ」


 ジョンは動かない。

 ミルナは一拍だけ待った。

 待って、それでも動かないのを確認して――


 「……いい目をしてやがる」


 それは称賛ではなく、許可でもない。

 彼女は顔を前に戻し、声を落とす。


 「じゃあ、死ぬな。死ぬならアタシより後で死にな」


 「努力する」


 〈それ、約束ではなく努力なんですね〉


 「死ぬ気はないからな」


 〈正直でよろしい〉


 足音が止まる。

 笑う顔が、また現れる。

 森は静かだ。

 あまりにも、静かだ。


 ――夜は、まだ終わらない。

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NoVA ―戦場の少年兵〈無意識イケメンキザ真面目スケベ野郎〉、異世界で“愛欲”を知る― AL @ALlL

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