第8話 あの新人…目立ちすぎる……

 ギルドの喧騒がまだ耳の奥に残っている。

 受付で登録を終えたジョンは、掲示板の前で足を止めた。


 黒髪、黒の外套、無駄のない歩み――その姿に男女問わず視線が吸い寄せられる。


 「……ねぇ、あの人」

 「新人?」

 「え、うそでしょ、あの顔で銅【カッパー】?」

 「あの人、顔だけで白金【プラチナ】等級行けそう……」

 「なんで新人タグなの?絶対どっかの貴族よね」

 「受付の子、ずっっとソワソワしてる」

 「あの目で“報酬は後払いでいい”とか言われたら泣く」


 そんな視線の波を、本人だけがまるで意に介していない。


 木板いっぱいに貼られた羊皮紙には、様々な依頼の内容と報酬が記されている。

 だが、そこに書かれた金額も条件も、彼にはさっぱり意味を成さなかった。


 「……これが“掲示板”か。全部同じに見えるな」


 〈あなたの脳内リソースだけでは理解不能でしょう。通貨の相場データ:なし。社会構造:初期解析中〉


 左目に走る薄い光――チーフが網膜上に小さく文字を流した。

 だが数字の羅列ばかりで、ジョンはすぐに諦める。


 〈……壮観ですね。ゴミ拾い、荷運び、ペット探し。見事なラインナップです〉


 「仕事に貴賎はない。今は情報になればいい」


 〈“命懸けの雑用”という新ジャンルですね〉


 「皮肉か?」


 〈感想です〉


 「ふむ……仕方ない。直接聞くか」


 〈合理的判断です。……あら、女性との会話訓練もできますね〉


 軽く口を交わしながら、カウンターに向かうと例の受付嬢がいた。

 彼女はジョンの顔を見るなり、ピンと背筋を伸ばす。

 掲示板の前にいた何人かの冒険者が、その動きをちらと見た。

 ざわつく声を気にする様子もなく、ジョンは受付嬢に声をかけた。


 「すまない、依頼を受けたいんだが、どれがいいかわからん」


 「えっ……あ、はい! そ、そうですね……!」


 受付嬢は一瞬言葉を詰まらせた。

 至近距離で見た彼の顔に、喉がひとりでに鳴る。

 黒曜石の瞳に映り込む自分を見て、頬が熱くなった。


 「お、おすすめ……ですか? 初心者でしたら、薬草採取や遺跡の清掃なんかが――」


 「報酬が高いやつがいい」


 「えっ……た、高い……やつですか?」


 彼女が慌てて書類をめくると、その背後で声が上がる。


 「待った待った待った! あんた、新人だろ!?」

 「だったら無理すんなって! 高い依頼は命と引き換えだぞ!」

 「……っていうかさ、私たちと組まない? 教えてあげるよ♡」


 振り向けば、そこには数人の女冒険者。

 露出の多い装備に、挑発的な笑み。

 彼女たちの視線はジョンではなく、“獲物”を狙う獣のそれだった。


 「へぇ、いい顔してるじゃん」

 「新人くん、どこ泊まってんの?」

 「今夜、合同訓練どう?」


 「……訓練、ね」


 ジョンは苦笑した。

 彼が何か言う前に、チーフが淡々と囁く。


 〈観測データ:彼女たちの瞳孔拡張率平均12%。性衝動レベル、軽度発火中〉


 「やめろ。解析するな」


 〈だって、あなた……モテすぎなんですよ〉


 受付嬢が慌てて間に入った。

 「す、すみません! 今ちょうど初心者でも受けられる少し良い依頼があって……!」


 「こちらが、今ある中だといい感じですよ!」


 女冒険者たちが揉める横で、受付嬢が一枚の依頼書を差し出す。

 頬は赤い。それでも、彼女の指先は依頼印の手順を一つも飛ばさない。

 無数に並べられた依頼書の中で、誰も手を出していない一枚。放置された紙の端が、微かに揺れる――“街外れの農村で家畜の行方不明が相次いでいる。原因調査と対処。前金:鉄貨五十枚/成功報酬:銀貨三枚(成果次第で加算)”


 「……これだな」


 「こ、これですか!?これは……すみません。ジョンさんの等級では……」


 「……銅【カッパー】の依頼なんだろう?」


 「そうなんですが……今日はちょうど“等級引き上げ対象”の依頼なんです」


 〈難易度:高。……状況から見て何らかの問題がある依頼です。早計な判断はよろしくありません〉


 「これでいい。受けよう」


 受付嬢はほっと安堵の息を漏らした。


 「は、はいっ!では正式に登録いたしますね!」


 周囲の冒険者たちがざわつく。


 「おいおい……初日で単独かよ」

 「あいつ、本気か?」


 そんな中で、一人の男が声をかけてくる。


 「おい、それ銅【カッパー】の中でも外れだぞ。やめとけ」


 振り返ると、大剣を背負った男が立っていた。

 髭面で、装備は使い込まれた革。

 使い込まれた鉄【アイアン】のプレート。

 角は磨耗し、古い刻印がいくつも沈んでいる。

 どう見ても歴戦の冒険者だ。


 「最近、お前と同じルーキーが二組消えてる。……聞いてんのか?」


 「そんなに危険なんですか?」


 ジョンはそんな彼に敬意を込めて敬語で話す。


 「危険に決まってんだろ」


 「なるほど。だから残ってたんですね」


 男は思わず顔を歪めた。


 「……お前、バカだろ」


 「よく言われます」


 〈訂正します。あなたは“度し難い”です〉


 淡々とした声に、受付嬢は唇を噛んだ。

 それでも、最後に小さく呟く。


 「……気をつけてくださいね」


 ジョンは軽く頷き、背を向けると、彼女の声がまた追いかけてきた。


 「ほんとに……無事で……」


 〈……随分とモテますね〉


 「そ?」


 〈自覚がないのが一番危険です〉




ーーー




 スラブの森へ向かう道は静かだった。

 舗装のない獣道を進みながら、チーフが淡々と話す。


 〈依頼内容:家畜の行方不明。原因調査および対処〉


 「命の値段にしては安い」


 〈銅【カッパー】等級ですからね。死んでも補償は出ません〉


 「便利な制度だ」


 〈あなた、死ぬ気ですか?〉


 「まさか。ただの情報収集だ」


 〈胸に誘われて冒険者やってる人間、初めて見ました〉


 「貴重な体験だな」


 小さく笑いながら、森の入口に足を踏み入れた瞬間――


 風が、止んだ。

 鳥の声も、木の軋みも、何もかもが消えた。


 〈報告:異常な沈黙を検知〉


 「…まるで戦場の前夜みたいだ」


 ジョンは立ち止まり、片膝をつくと、草を指でなぞる。

 湿っていない。

 風も通っていない。

 この一帯だけ、世界が“止まっている”。


 〈これは……異常です。他の生体反応も消えています。まるで、存在そのものが〉


 次に湿った土に指を触れる。

 ぬるりとした感触。

 指先を持ち上げると、赤黒い粘液が糸を引いた。


 〈それ……血ではありません。生体分泌液。未知種の可能性〉


 「未知種、ね。……歓迎されてる気がしないな」


 そう言って顔を上げた瞬間――

 背後に、“何か”が立っていた。


 ジョンは息を止め、ゆっくりと視線を上げる。


 草擦れ、闇の奥で二つの赤い瞳が灯っている。


 〈警告。大型生体反応、至近距離です〉


 「……出てきたか」


 草の影から、獣が姿を現した。

 狼のような四肢。

 だが、頭部は人の顔――それも、笑っていた。


 〈ジョン、戦闘態勢を〉


 「……了解。チーフ、ログを取っておけ」


 夜気が、凍りつく。

 風が一陣、森を撫でた――


 獣が跳ねる。







 その頃。


 薄暗い地下の一室。

 ロアは椅子に腰かけ、片手で頬杖をついていた。

 テーブルには、未整理の資料と紙くず、そして空になった酒瓶。

 彼女の視線は宙をさまよっていた。

 そして新しい酒瓶を抱え直す。


 「……あの男、何考えてるんだか」


 苛立ち混じりの独り言。

 頭では理解している――あれは異質だ。放っておけば厄介なことになる。

 だが、胸の奥がどうしても静まらない。


 「殺すべきだった。売ればよかった。……いや、そもそも拾うべきじゃなかった」


 言葉を吐き出すたびに、逆に胸が締めつけられる。

 思考が堂々巡りを始める。

 彼の笑み。声。目。

 どれも頭から離れない。


 「……くそ、ほんっと、最悪」


 焚き火の明かりが揺れ、頬の陰を赤く染める。


 「寝顔まで無防備で……何なの、あの男。……態度もムカつく」


 瓶を煽り、唇を尖らせる。


 「奴隷商に売れば家が建ったのに。くそ、なんであんなに気になる……」


 目を閉じれば、あの横顔が浮かぶ。


 「くそっ……なんで笑うんだよ、思い出しただけで」


 頭を抱え、机に額を押しつけた。


 ――その瞬間、空気が凍る。

 焚き火が、風もないのに“消えた”。


 ロアは即座に立ち上がり、弓を構える。

 窓の外――闇の中に、人影。

 


 「誰だ」


 「險?隱樔ス鍋ウサ讒狗ッ我クュ窶ヲ」


 暗がりの奥から、金属音と共に声がした。

 月光が差し込む隙間に、白い仮面が浮かび上がる。


 「……は?」


 

 「??語体系構築中…完了」


 一体何を言っているのかわからない。

 この世界には存在しない言語。

 それを話す何者かにロアはたじろぐ。

 だがそれも一瞬のこと。

 深呼吸し意識を集中させ、酔いが急速に覚めさせる。


 


 ロアの瞳が細まる。


 「……誰の命令だ」


 「――対象“ロア”。座標確定」


 次の瞬間、影が動いた。

 床が軋み、暗闇が飲み込む。


 「少年兵ジョン。生存を確認した。回収命令を遂行する」


 ロアは息を呑む。

 背筋を冷たい汗が伝わった。


 「……あんた、何者だ」


 「コードネーム:イライザ。任務対象――接触、優先」


 白い仮面の奥の視線が、彼女を貫いた。

 静寂が、刃のように部屋を切り裂く。

 火の消えた地下室で、弦の音が鳴り響いた。

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